【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

文字の大きさ
16 / 190
第一章

遠い日の記憶

しおりを挟む
「最近、ずいぶんと帰りが遅いようね、エルスペス」

 久しぶりに我が家で夕食を摂っていると、案の定、祖母の小言が始まる。

「……はい、申し訳ありません、おばあ様」
「お前、仕事などやめるのではなかったの?」
「ええ、やめる予定ですが、引継ぎが上手くいかないのと、特別業務が夜にかかってしまうので――」

 キャベツの酢漬けザワークラウトをフォークで集めながら、わたしが言葉を探していると、正面に座る祖母は疑わしそうに言った。

「あの、主席秘書官だと言う人も、大事な特別業務だと言うけれど、未婚の若い娘を夜遅くまで働かせるなんて、非常識ですよ。いったい何の業務なのです? 説明してごらんなさい!」
「それは……王子殿下に関わることは守秘義務があるので、お話しできないんです、おばあ様」

 着飾ってパーティーに行ったり、オペラに行ったり、高級レストランで食事に付き合ったり、なんて、守秘義務がなくてもお話しできないですけどね……。わたしは溜息をつきたいのをギリギリで堪える。

 さすがにもう、間諜スパイごっこだなんて言い訳は信じていなかったが、パーティーにパートナーが必要なのはわからなくはない。でも、オペラも食事も、単に殿下が一人で行くのは嫌だというだけの、我儘ワガママだ。国王陛下からも、公爵令嬢と正式に婚約するようにうるさく言われていて、殿下はそれに不満だとしても、王都の上流階級ではアルバート殿下と公爵令嬢は相思相愛の仲だと信じられているから、他のご令嬢を誘うわけにもいかない。レコンフィールド公爵は国王の寵臣だし、殿下の浮気相手だなんて噂になったら、そのご令嬢もその父親も、社交界にいられなくなってしまう。
 もともと社交界に縁のないわたしなら、仮初めの遊び相手にはちょうどいい。

 ――若手女優のパトロンになるとか、いくらでも他に手段はあるし、何も秘書官に「業務の一環」として命じる必要はないとは思うけれど。正直に言って、なぜ、殿下がわたしを連れ歩きたがるのか、さっぱりわからなかった。

 まして、婚約間近だと噂されているのに――。

「本当に仕事なのですよね? エルスペス」

 祖母に厳しい声で言われて、わたしは反射的に背筋を伸ばす。

「ええ、そうです。仕事なのは間違いありません」

 わたしは祖母の灰色の目をまっすぐに見て、大きく頷く。……傍目には殿下が連れ歩く愛人モドキの女だろうが、わたしにとって、秘書官としての業務の一環だ。それ以上でも、それ以下でもない。

「アルバート殿下はレコンフィールド公爵令嬢と婚約間近なのでしょう? 未婚の娘がそんな男性の周囲をうろつくものではないわ。そもそも、仕事も早く辞めなさいと、前から言っているでしょう。若い娘が、いつまでも働くのはみっともない。……全く情けないこと、由緒あるアシュバートン家の娘が……」

 結局はいつも通りのお小言が始まり、わたしは祖母の背後の壁にかかる、薔薇園ローズ・ガーデンの絵を見る。
 先日は殿下と、仮面をつけての秘密のオークションに行って、素晴らしい宝石や有名な絵画――もちろん故買品で、ワケアリの品々ばかり――を目にすることができた。特に殿下は絵画がお好きらしく、とある巨匠の作品を競り落とすのが目的だった。どうやら、王家のゆかりの邸から盗まれたもので、国外に流出させるわけにいかなかったらしい。

『絵がお好きなのですね』

 わたしが言えば、殿下は仮面をつけた顔でわたしをじっと見て、それから何となく困ったように首を傾げた。

『……まあな。昔は、画家になりたかったんだ』
『そうなのですか。……意外です』
『意外か?』
『ええ、だってずっと戦場に出ていらっしゃったのでしょう?』
『戦争だったからな。一番上の兄上は危険な場所には行けないし、二番目の兄上は身体が弱くて、とてもじゃないが、戦地で生活なんてできない。……俺が、行くしかなかった』

 そう言ってから、殿下は手元の出品カタログに視線を落とし、言った。

『それに、プロの画家になれるほど上手くなかった』
『今はもう、趣味でもお描きにはならないのですか?』
『最近は描いてないな……スケッチくらいだ。戦地では油絵を描く暇はなかった』
『スケッチされるなら、今度見せてくださいよ。……お金がかからなくていい趣味だわ。高いお金を払って、あの変なお邸で間諜スパイごっこするよりも、うんと有意義じゃないですか』

 わたしがそう言うと、殿下はカタログから顔を上げてわたしの顔をじっと見て、少しだけ唇を綻ばせた。

『……ああ、そのうち、な』

 顔の半分は仮面で隠れていたけれど、あの時の殿下はとても穏やかな表情をしていたように思う。……絵の趣味を褒められたのが、そんなに嬉しかったのだろうか? だとしたら意外と単純な人だな、などと考え、わたしは祖母のお小言に神妙に頷きながら、視線は薔薇園ローズ・ガーデンの絵から離さなかった。

 たぶん、この絵もプロの画家じゃなくて、趣味か、画学生が描いたものだろう。
 オークションで見た絵画はみな、独特のオーラがあったけれど、この絵にはそれがない。色使いは繊細で、筆のタッチもそこそこだけど、やはり本物の芸術を見た後では、稚拙さというか、素人臭さがある。……でも、いったい誰が描いたものか知らないけれど、わたしは昔からこの絵が好きだった。いつ、どういう理由でわたしの部屋にあったのか、まるで覚えていないけれど、幼いころから大事に飾ってきた絵なのだ。美術品として価値がないから、持ち出しても構わないと言われた時は、本当にホッとしたものだ。

 誰かが、わたしの住んでいたカッスルで、薔薇園ローズ・ガーデンの絵を描き、城に残したのだ。ずいぶん昔のご先祖様の一人だったのか、あるいは旅人だったのか。そんなことを考えていると、ふと、脳裏に一つの風景が浮かぶ。

 ちょうど、薔薇の盛りのころ。
 薔薇の香りがただよい、小鳥の声がして、蝶やミツバチが飛んでいた。
 弟がはしゃいで駆け回り、園丁のサム爺さんが薔薇の手入れに余念がなくて、わたしは――わたしは、何をしていたっけ?

 そうだ、わたしもたぶん、サム爺さんの手伝いをして、雑草を抜いたり、盛りに過ぎた薔薇を摘んだりしていた。そして、もう一人――誰かが、絵を描いていた。

 イーゼルを立てて、その前に立って……油絵具を並べ……背は……背はそんなに高くなかった。でも男の人で、髪は黒い――あの人は――。

「――聞いているのですか、エルスペス!」

 祖母に叱責されて、わたしはハッと我に返り、同時に脳裏に浮かんだ風景が霧散する。

「あ、は、はい――おばあ様」

  
 慌てて居住まいを正せば、祖母は眉間に皺をよせてわたしを睨んでいた。――聞いてなかったのが、バレてしまった。

「お前も結局は、わたくしのことを口うるさい老女だと思っているのでしょう。……わたくしはあの、忌々しいサイモンと、その息子からお前を守るために……!」
「いえ、おばあ様、そのお話はもう――」  
「エルスペス、働きに出るのはお辞めなさい。せめて、お前だけは真っ当な幸せを掴んで欲しいと思って、あの城を出てきたのに、このままではお前までが王家の食い物にされますよ!」

 祖母はテーブルに置かれたハーブティーに蜂蜜を入れ、銀のスプーンで混ぜる。

「食い物だなんて……アルバート殿下は親切にしてくださいます!」
「当たり前です! マックスがどれだけの骨を折ったか! 挙句の果てに戦死して。ローズの事だって……。ああ、やっぱり王都になど出てくるべきではなかった。王家が信用できないのは、わかっていたことだったのに。もう、ローズの二の舞はごめんですよ!……エルスペス。職を辞しなさい。いいですね?」
「……はい、おばあ様……」

 わたしは目を伏せて、祖母の叱責に応える。こうなってしまうと、わたしには祖母を宥めることなどできない。……ローズ、というのは確か、祖母の遠縁の女性で、幼い頃に孤児になり、リンドホルム城に引き取られた人だ。祖母は父と結婚させるつもりで養育したのに、王都に行って亡くなったと聞いている。王家と何か問題を起こしたのだろうか?……でも、すごい剣幕で怒っている祖母に尋ねる勇気はない。
 
  殿下の秘書官の職を辞すべきだとは、わたしも内心考えていた。……このまま、愛人モドキをさせられていたら、きっと抜き差しならないことになるし、周囲にも知られてしまうだろう。そんな醜聞スキャンダルに、祖母の心臓はきっと耐えられまい。

 でも、仕事を辞めたら収入はなくなる。
 気前のいい結婚相手が、すぐに見つかるわけもない。

 ――いったい、どうしたらいいのか。
 わたしは出口の見えない迷宮に迷い込んだような気分で、目の前のハーブティのカップに手をかけた。
   
しおりを挟む
感想 289

あなたにおすすめの小説

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜

紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。 連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。

【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる

奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。 だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。 「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」  どう尋ねる兄の真意は……

義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話

よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。 「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました

蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。 そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。 どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。 離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない! 夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー ※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。 ※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...