【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

文字の大きさ
110 / 190
幕間 公爵令嬢ステファニー・グローブナーの悔恨

王子の恋人

しおりを挟む
 アルバート殿下の落とした爆弾に、わたくしも我が家も、そして王宮も大混乱に陥った。

 誰もが、殿下はわたくしと相思相愛で、殿下が戻った以上、わたくしたちは結婚するものだと信じていた。王都のゴシップ紙もそう書いていたし、わたくしの友人たちも皆、そう思い込んでいた。わたくし自身、殿下に愛されていると、かけらも疑ったことはなかった。

 戦争に行く前、常に優しく紳士的で、わたくしのどんな我儘も聞いてくださった殿下は、戦争から戻ってまるで、人が変わってしまわれた。

 ステファニーと結婚するつもりはない。
 本当は昔から、ずっと好きな人がいる。ステファニーじゃなくて、彼女と結婚したい。

 あまりにはっきりと告げられた言葉は、わたくしには理解できなかった。

 だって子供の頃から、アルバート殿下の妃になると言われて生きてきた。それ以外の人生など、想像したこともなかった。殿下が戦争から生きて戻っていらしたのに、彼は、わたくしと結婚するつもりはないと言う。本当はずっと好きな人がいた。わたくしではなく、彼女と結婚したい。――そんな言葉を、どう、受け入れろと言うの。

「そんなの、無理よ……だって、ずっと好きだったのよ……どうして――」

 殿下の心変わりが信じられなくて、わたくしは自室に籠り、泣き暮らした。


 



 昔から好きな人がいる。

 ――殿下の言葉に、わたくしが思いついた相手は一人だけだった。

 士官学校を卒業した前後に、殿下が親しくしておられた子爵夫人。自ら身を引いて、夫の領地に戻ったと聞いていたけれど――?

 わたくしは彼女の名もおぼろげで、どうしていいかわからずにいたけれど、父の公爵は、すぐに殿下の身辺を調査した。

「どうやら、女がいるらしい」

 父の書斎に呼ばれて、そう告げられたのは、七月に入ってから。
 アルバート殿下らしき人が、最近、頻繁に女性を伴ってレストランに足を運んでいると。

 わたくしの胸が嫉妬で痛んだ。あの後、何度も話し合いたいと殿下に申し入れたのに、すべて拒否されて会うこともできていない。

 ――あの、子爵夫人だろうか?
 でも彼女は年上で、子供もいて、さらに人妻だった。夫は愛人に溺れて彼女を顧みなかったと言うけれど、たとえ離婚していたとしても、そんな女性が王子の妃になるなんて、あり得ない。

 わたくしが遠い記憶を辿っていると、父が言った。

「名前がはっきりしない。社交界では見たことのない女だと」

 ――子爵夫人なら、ずっと王都のタウンハウスで暮らしていた。いや、あれは、婚家の子爵家の持ち物ではなく、実家の持ち物だったろうか? いずれにせよ、社交界に出入りしていたはずだ。名前はたしか――。

 わたくしは名前を思い出すことができず、眉を顰める。……そうだ、社交界で見たことがない女性だと言うなら、彼女ではないのだ。

 ――では、いったい誰?

 少なくともわたくしが社交デビューしてから、殿下の周囲に女性の影はなかった、と思う。パーティにも歌劇場にも競馬場にも、およそ社交に出る時、わたくしのエスコートは常にアルバート殿下だった。そんな中で、わたくしの目を盗んで、殿下と愛を育むなんて、不可能だ。

 ……社交界にはデビューしていない、つまり、貴族の娘ではないとしたら――?

「殿下はその女性と結婚すると仰ったわ。いくら何でも、貴族の娘じゃなければ結婚は無理ではなくて?」
「最近は、海の向こうの、大富豪の娘を嫁に迎える貴族家もいる。王室に嫁いだ事例はないが、そういう女なら、我々が名を知らない可能性もある」

 海の向こうの新興国は、物質の豊かさで我が国を凌駕しつつある。……先の、大戦で被害を受けず、経済発展を続ける新しい国。かの国の大きな銀行や大企業のご令嬢などと、どこかで知り合ったのだろうか。

 依頼した探偵は優秀で、旧ワーズワース邸の仮面舞踏会に殿下らしき男性が若い女性と現れたとか、歌劇場のボックス席でオペラを観劇しただとか。アルバート殿下と寄り添い合う若い女の写真を見て、わたくしは嫉妬で目が眩むような気がした。――パーティでも歌劇場でも、殿下がエスコートするのはいつも、わたくしだけだったのに。その知らない女の腰に、親し気に腕を回した男性は間違いなく殿下で、二人の距離は驚くほど近い。

 ほっそりとした、少し冷たい感じのする綺麗な女だった。セピア色の写真からは、髪や瞳の色はわからないが、髪の色は淡く、最新流行のドレスを纏い、耳元や首筋を飾るのは高価な宝石だとわかった。

 父が写真を示しながらわたくしに尋ねる。

「十番街にある、ローリー・リーンのメゾンを知っているか?」
「ローリー・リーン? ドレス・メーカーの? ええ、最近流行のメゾンよ? わたくしも一度だけ作ったことがあるけど……なんて言うのかしら、ちょっと奇抜なところがあって、わたくしの好みには合わないので、その後は行っていないのだけど」 

 わたくしはどちらかと言うと、ふんわりと可愛らしい雰囲気のドレスが好みで、ローリー・リーンの、ちょっとシャープな雰囲気のドレスはあまり似合わなかった。でもこの写真の女性は綺麗に着こなしている。……こういうタイプの女性が、殿下のお好みなのか。

「その店に、殿下が女と頻繁に出かけて、かなりの額の買い物をしているらしい」
「じゃあ、このドレスや宝石は全て、殿下がお買い求めになっているの?」
「そうだ。殿下は戦争に行く前に自動車や航空機にかなりの投資をして、それが戦時景気でずいぶん当たって、結構な財産になっている。王室からの手当て以外の、自由になる財産を相当にお持ちだ。それで、女を着飾らせているのだ」

 わたくしは眉を曇らせる。
 考えてみれば、殿下はわたくしが頼めば遊びに連れ出してはくださったが、殿下から誘われたこともないし、ドレスや宝石を買ってくださったことはなかった。誕生日はいつも花束だった。……自由になるお金があまりない、とも仰っていたけれど。投資が上手くいって財産を増やした今、他の女には気前よく貢いでいる、ということなのか。

「でもちょっと信じられませんわ。そんな風に殿下に散財させるなんて……」 
「どうも、富豪の娘ではないようだ。それから殿下が最近、バージェス街に高級アパートメントを購入されたらしい。……もしかしたら、その女を住まわせるおつもりかもしれん」
「それじゃあまるで……」

 愛人ミストレスではないの、と言おうとして、わたしははしたなく思って口を閉ざす。

「要するに、身分も金もない卑しい女ということだ。そんな女に入れあげて――何ということだ!」

 父が不愉快そうに奥歯を噛みしめる。

「殿下とお前の婚約は、陛下との昔からの約束だ。それを勝手に反故ほごにされた。我が家の沽券こけんにかかわる!」
「お父様……エレイン様は……王妃陛下は何ておっしゃっているの?」
「……姉上は、最近は離宮に籠って、ジョージ殿下につきっきりだ。相当、お悪い。……お気の毒な方だ。我が子が不治の病と知らされた時の、姉上のお気持ちを思うと……」

 父はしばらく目を閉じて、それからわたくしを見てきっぱりと言った。

「だからこそ、お前はアルバート殿下の妃にならねばならん。フィリップ殿下のところにも男児が生まれる兆しはない。このままだと、アルバート殿下が王位を継ぐことになるが、なおのこと、王妃は我が家から出すべきだ。私は引くつもりはないから、そのつもりでいろ」
「はい、お父様……」

 わたくしは王妃になりたいわけではなかったけれど、殿下にあれこれ強請って愛人になるような女に、みすみす殿下を渡すわけにはいかないと思ったのだ。

 


 わたくしはどうしても、アルバート殿下ときちんとお話がしたかった。
 わたくしの何がいけなかったのか。戦争に行く前から、わたくしを裏切っていたのか。全部、殿下ご自身から説明していただかなければ、到底、納得できようもなかった。

 だってわたくしは、ずっと昔から殿下の婚約者として育てられて、殿下に愛されていると信じていた。
 だから、いつになるかわからない、殿下のお帰りだって四年もお待ちした。殿下を信じ、愛していたから。

 それを――。

 国王陛下はわたくしの気持ちを理解してくださって、殿下との昼食を設定してくださったのに、しかし、殿下はそれを拒否して王宮から帰ってしまわれたという。

 国王陛下が申し訳なさそうに詫びてくださったけれど、わたくしの味わった屈辱はいかばかりか。

 本当にあれはアルバート殿下なのか。わたくしは諦められなくて、何度も殿下にお電話をかけたけれど、司令部もご自宅も、「お出になりません」と拒否されるばかりだった。しかも、わたくしとの会食を拒否したその午後、殿下はと郊外にドライブに出かけたと知り、わたくしの嫉妬心が爆発した。

 許せなくて――。
 わたくしは矢も楯もたまらず、殿下がお務めになる、陸軍の司令部に直接乗り込んでいた。



 そして、わたくしは写真の女を見たのだ。

 高級メゾンの美しいドレスではなく、地味な、事務職員の制服を身にまとった、彼女を。

しおりを挟む
感想 289

あなたにおすすめの小説

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

【R18】愛され総受け女王は、20歳の誕生日に夫である美麗な年下国王に甘く淫らにお祝いされる

奏音 美都
恋愛
シャルール公国のプリンセス、アンジェリーナの公務の際に出会い、恋に落ちたソノワール公爵であったルノー。 両親を船の沈没事故で失い、突如女王として戴冠することになった間も、彼女を支え続けた。 それから幾つもの困難を乗り越え、ルノーはアンジェリーナと婚姻を結び、単なる女王の夫、王配ではなく、自らも執政に取り組む国王として戴冠した。 夫婦となって初めて迎えるアンジェリーナの誕生日。ルノーは彼女を喜ばせようと、画策する。

借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる

しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。 いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに…… しかしそこに現れたのは幼馴染で……?

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

辺境伯と幼妻の秘め事

睡眠不足
恋愛
 父に虐げられていた23歳下のジュリアを守るため、形だけ娶った辺境伯のニコラス。それから5年近くが経過し、ジュリアは美しい女性に成長した。そんなある日、ニコラスはジュリアから本当の妻にしてほしいと迫られる。  途中まで書いていた話のストックが無くなったので、本来書きたかったヒロインが成長した後の話であるこちらを上げさせてもらいます。 *元の話を読まなくても全く問題ありません。 *15歳で成人となる世界です。 *異世界な上にヒーローは人外の血を引いています。 *なかなか本番にいきません

処理中です...