【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

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幕間 首席秘書官ロベルト・リーン大尉の業務日誌

ロックオン?

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 お茶を並べ、一礼して下がろうとするアシュバートン嬢に、アルバート殿下が声をかける。

「お前が、マックス・アシュバートンの娘か?」

 彼女は一瞬だけ、驚いたようにブル―グレーの目を瞠ったけれど、すぐに表情を消して頷く。
 殿下はかなりの美男子だし、なにせ王子様だ。普通、若い女は話しかけられると頬を染めたり、思わせぶりな視線を寄越したりする。が、さすが「氷漬けの処女」。一切の動揺を見せずに淡々と対応する。そして殿下はと言えば、彼女を留任させようと、一生懸命説得を始めた。傍から見て笑ってしまうくらい、必死なんだけど。

 この人がこんなに何かに必死になるのは、敵の裏をかいた山越えの奇襲作戦を、参謀部に認めさせようとした時以来じゃないのか。

 アシュバートン嬢は、臨時採用の事務職員が王子付きになることを懸念していたが、そこはクルツ主任が「引継ぎのため」という大義名分を持ち出してくれて、上手くいきそうな気配だ。しかし――。

「ミス・アシュバートンも年頃ですから、いずれは結婚で退職するでしょう」

 というクルツ主任の言葉に、殿下はまたもや妙な食いつきを見せる。

「……結婚、する予定があるのか?」

 いやいやいやいや……どう見てもお年頃で、顔もブサイクじゃない(むしろ美人だ)ご令嬢なんだから、そりゃあ、引く手あまたでしょ。……ちょっと愛想が無さすぎる気はするけど。

 ていうか、殿下アンタ、身を乗り出し過ぎだよ。落ち着けよ――。

「差し当たって、予定はありません」

 アシュバートン嬢の、きわめて事務的な対応に、殿下は露骨にホッとして、安心したようにソファに座りなおしし、脚まで組んだりしちゃってる。なんだよ、もう、完全にロックオン状態かよ、いったい、どうしちゃったの、殿下――。

 普段とあまりに違う殿下の様子に、当然、ジェラルドやジョナサンも気づいて、俺たち三人は無言で目配せする。

 これは――。
 





 帰りの馬車の中で、殿下はあからさまにぼうっとしていた。ジェラルドが心配そうに声をかける。

「殿下……その……もしかして……一目惚れってやつですか?」

 殿下が金色の瞳を見開く。

「え、俺が?……誰に?」
「さっきの、マックス・アシュバートンの娘にですよ!」

 その反応を見て、俺はこれはシャレにならないと思った。一目惚れしたことにすら、気づいてないのかよ。

「どう見ても一目惚れっすよね。……エルスペス嬢に」
「そう――見えるのか? 俺が?」
「そうとしか見えませんよ!」

 ジェラルドがイライラと言う。

「あんなに強引に、未婚女性を採用して……アシュバートン中佐の令嬢とはいえ、身辺調査もせずに決めるなんて」
「ああ、そうだ、調べないとな。彼女の現在の状況を――」
 
 殿下がコホンと咳払いして誤魔化す。ジェラルドが釘を刺すように言った。

「言っておきますけど、リンドホルム伯爵は建国以来の名家ですが、王族に嫁いだことはないし、ここ百年、重職にもついていません。しかも、彼女は代襲相続を認められず、爵位を父の従兄に譲って王都に出てきている。身分的には平民です。――殿下が、妃に迎えるのは少々無理かと」

 殿下がハッとして顔を上げる。

「でも、マックス・アシュバートンは俺を庇って死んだ。その代襲相続を認めないなんて、そんなことが――」
「令嬢の方が辞退したのかもしれません。聞くところによると、マックス卿の母上は頑固な質であるとか。可能性がないわけではありません」

 ジョナサンが冷静に言い、貴族の継承制度に疎い俺は黙って聞いていた。

「とにかく、身辺調査が済んでからですよ! それから、今日の国王陛下の態度を見ても、レコンフィールド公爵令嬢との婚約は白紙に戻っていませんよ!その辺り、重々、心得て動いてくださいよ!」

 ジェラルドの言葉を、殿下は苦虫を噛み潰したような表情で、聞いていた。
 




 ジェラルド指示によるエルスペス・アシュバートン嬢に関する調査によって、アシュバートン家の経済状態が予想よりもはるかに悪いことが明らかになった。

 まず、住んでいるのは下町の一軒屋。これは亡きエルスペス嬢の母親が、実家から相続していたもので、本来は人に貸して賃料を得るための、庶民用住宅だ。治安は悪くないが、貴族が住むような家ではない。だが、戦争中のインフレーションでエルスペス嬢が相続した現金は目減りし、証券も紙切れ同然で、まともな資産はあの家だけだったのだ。

 マックス・アシュバートン中佐の遺族年金だけでは、貴族の暮らししか知らないレディ・ウルスラやエルスペス嬢の生活にはどう考えても足りない。しかもレディ・ウルスラには心臓の持病があって、薬代が家計を圧迫している。

 殿下は報告書を見て頭を抱えた。

「なんてこった……俺は……命の恩人家族が、こんな苦労をしているのも知らないままで……」
「殿下、ご自身を責めないでください。まさか、アシュバートン中佐のご子息が、直後に急死するなんて、神ならぬ身の我々にわかるわけないでんです」
 
 ジェラルドが殿下を慰め、俺も殿下を慰めるつもりで言う。

「当座は、エルスペス嬢を雇うことで、あの家の家計はかなり助けられます。とりあえずは、その後のことはまたいずれ――」
「マクガーニが結婚相手を探すって言ってた!」

 殿下がギラギラした目で俺を睨む。

「それですがね――どうも、わりといいセン行ってるやつがいるみたいですよ? 司令部の、本部付のニコラス・ハートネル中尉。子爵家の三男で、爵位は継げないけど、わりと金もあるし、何よりエルスペス嬢にぞっこんです。マクガーニ中将としてはこの辺を考えているんじゃ――」
「何だとぉ!」

 いきなり身を乗り出す殿下。……落ち着けってば。

「いやでも、この男なら、気難し屋のレディ・ウルスラでも納得するんじゃないでしょうかね? 毎日一緒に通勤しているみたいですよ?」
 
 殿下の表情が露骨に歪んでいる。

「……その、ハートネルの身辺も洗っとけ……」

 殿下は苦々しそうに言って、何か考えるように腕を組んだ。 

 

 


 殿下が司令に就任し、エルスペス嬢は元のとおり事務職員として勤務していたが、意外なほど出会わなかった。ひとえに、殿下の勤務形態が不規則過ぎるからだ。

 司令であると同時に王子としての公務も入ってくる殿下は、昼間は王宮で外国の大使に会ったり、戦死した高位貴族の遺族と面会したり、王宮での会議が入ったりと多忙で、かつ国王陛下は無事に戻ってきた末っ子王子を早く結婚させようと、やたら呼び出しをかけては説得に暇ない。殿下はそのたびにそれをいなし、誤魔化し、断固拒否して王宮を退出すると、夕方になってしまうのだ。

 一方のエルスペス嬢は朝の八時から夕方五時までの時間給だから、一分たりとも延長せずに五時きっかりに退勤する。徒歩で司令部から帰るエルスペス嬢と、司令部に向かう殿下の馬車がすれ違う――なんてこともよくある。

 一度、速足でサクサク歩いていく彼女を追いかけるように、大柄な男が声をかけ、並んで歩き始めるのを目にして、殿下は動いている馬車から飛び降りそうになり、俺が必死に止めた。

「危ないっすよ! 死にたいんすか?」
「だが――俺が、彼女と話もできないうちに!……このままだとあいつと結婚しちまう!」
「落ち着いてくださいよ! 伯爵の令嬢だった時ならいざ知らず、今の彼女は爵位もなければロクな財産もなく、病気の祖母を抱えてるんですよ! ハートネル中尉と結婚できれば御の字なんですから!」
「そんな馬鹿な! ハートネルなんかにみすみす――」 

 激昂する殿下に、ジェラルドが冷静に指摘する。

「少なくとも、レコンフィールド公爵令嬢との婚約が秒読みの殿下よりは、マシな相手だと思いますけどね」
「ステファニーとの婚約は白紙に戻して戦争に行った! 俺はステファニーとは結婚しないぞ!」

 馬車の中で怒鳴り合う二人に、俺が割り込む。

「落ち着いてください!……先走りすぎっすよ、殿下。まともに喋ったこともない相手に!」

 殿下は大きく息を吸って馬車の座席に座りなおし、車窓を見る。エルスペス嬢はもう、遠く見えない。

「……彼女と話をして口説くつもりだった。マックスの件も、全部は言えないにしても、謝りたかったし。なのに――肝心の彼女と全然会えないじゃないか!」
「そりゃ、五時ちょうどに帰りますからね」

 俺が肩を竦めて言えば、殿下が黒髪を掻き毟る。

「残業させるとか、勤務時間をずらすとか、無理なのか?」
「時間給の臨時職員は無理ですよ。……俺みたいな、王子直属の秘書官なら、勤務時間なんてあって無きが如きっすけど」
「それだ!」

 殿下が俺を指さして言う。

「彼女を秘書官にしろ! ついでに給料もアップだ! そうして俺が恩を売り、彼女の心証もアップ!……我ながら素晴らしい!」
「いや、無茶言わんでください。俺はこれでも士官学校出てるし、陸軍士官っすよ! 同じ職にポッと出の女の子を登用できるわけないでしょ!」
「そこを何とかしてこそ、主席秘書官だろうが! 今まで、と言いながら、秘書官が一人だけで苦労をかけた。ようやく、お前を名実ともに秘書官にしてやれるな」
「別に名ばかりの主席秘書官で俺は文句ないし!」

 だが殿下はもう、俺の話なんて聞いちゃいなかった。

「そうだ! 秘書官なら連れ歩いても問題ないな! 食事に行ったりオペラに行ったり、好き放題できる! 俺天才じゃないか!」
「それ、秘書官の仕事違いますから! それはただのデートっすよ!」

 ――結局、エルスペス嬢の意志を確かめることもなく、強引に進められたのだった。

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