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幕間 公爵令嬢ステファニー・グローブナーの悔恨
裏切りの裏側で
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父レコンフィールド公爵と、首相でもある伯父・バーソロミュー・ウォルシンガム卿の主導で、わたくしとアルバート殿下の婚約は議会に承認された。
殿下がわたくしとの婚約を渋り、また愛人を囲っているという噂も、すでに王都を廻っていて、貴族院の議員たちも耳にしていたに違いないのに、承認はあっさりと通ってしまった。
第三王子とはいえ、王太子殿下に王子の産まれていない現在、アルバート殿下が国王として即位する可能性はある。その妃となれば、幼い頃からの婚約者候補であったわたくしが相応しい、と、保守的な議員の支持を得たのだ。
当然ながら、アルバート殿下本人は烈火の如く怒り狂っていたという。
国王の元に議決を伝えにきた貴族院議長らの前で、アルバート殿下ははっきりと宣言なさったそうだ。
ステファニーとは、絶対に、死んでも、結婚しない。
継承権や王族の籍の返上も覚悟している、と。
その言葉に、真っ青になったのが、王太子のフィリップ殿下だった。
アルバート殿下より十三歳年上のフィリップ殿下は、現在、御年三十九歳。三十五歳になる、ブリジット妃とは良好な関係を築いていらっしゃるが、お子は続けて三人、王女だった。折しも、妊娠中だった四人目のお子を流産してしまわれた。ブリジット妃にかかるプレッシャーは年々、高まる一方で、フィリップ殿下は「アルバートもいるのだから、無理はしなくてもいい」と、妃に告げたばかりだったという。
現在、継承権を持つ方々は、ジョージ殿下、アルバート殿下、そしてマールバラ公爵と、その嫡男のブラックウェル伯爵(戦争で亡くなった方の、弟になる)。それよりも下になると、王家との隔たりはかなり大きく、国王としての求心力を維持するのは難しいだろう。近隣の諸国のように女王の継承を認めるよう、法を改正すべきという意見も少数ながら、ある。このような状況で、アルバート殿下が継承権を放棄し、王籍を離脱するようなことになれば、後継者問題はさらに混乱し、ブリジット妃への圧力はさらに強まるに違いない。
議会の承認を受け、王宮では婚約披露の晩餐会が、略式ながら開催されることになった。――あまりの手際の良さに、父と伯父が、いつから根回しをしていたのかと、わたくしも内心、呆れる。わたくしは晩餐会のために、母親代わりの姉・アリスンを付き添いに王宮に上がり、王族用の控室に入った。
わたくしの母は二年前に体調を崩し、今は領地で療養中だ。結婚式には王都に出てくることになるだろうが、こんな状態で、無事に結婚式が行われるのだろうか? 父と伯父の強引なやり口に、わたくしは正直、不安しかなかった。
――ステファニーとは、絶対に、死んでも、結婚しない。
どれほど恋い焦がれた相手であっても、ここまで自分を拒否する人と、まともな結婚生活が送れるとは思えなかった。
どうして、こんなことになってしまったのか。どこで、ボタンを掛け違えたのか。
わたくしは殿下と、愛し、愛された幸せな夫婦になるはずだったのに――。
アイヴォリーのローブ・デコルテは、本来は聖誕節の夜会のために新調したものだ。右肩に共布の、大きな薔薇の飾り。胸元には真珠のチョーカーをあしらい、見かけだけは華やかに装っているが、気持ちは沈んでいる。
――きっと、バーティの機嫌は最悪だろう。
彼と夜会に出るなんて、四年ぶりだ。……戦争前の、壮行の夜会が最後だった。あの直後に婚約は白紙に戻り、彼は戦場に行って――。
探偵が隠し撮りした、殿下と例の彼女の写真が脳裏に過る。
最新流行の、直線的なラインのイブニング・ドレスにビーズ刺繍のターバンを巻いて、耳から長いイヤリングを垂らして、小粋に殿下に寄り添っていた、彼女。殿下の腕は彼女の腰に回され、耳元に唇を近づけて何やら囁いている。
――わたくしが見たこともないような、甘い表情で――。
控室で所在なく待つわたくしと姉の元に、突然、フィリップ殿下の来訪が告げられた。
拒否のできる相手ではない。幼い頃からよく見知った従兄とはいえ、緊張しないわけがない。
わたくしと姉が立ちあがって迎えるのを、フィリップ殿下は頷いて、座るようにて手で示す。
「すまないね、ちょっと、話しておいた方がいいと思ったんだ。……今後の、ことについても」
フィリップ殿下は自らもソファに座り、部屋に控える侍女にお茶を言いつける。
「晩餐会の開始は予定より遅れることになった。少し、お腹に入れておく方がいいと思う」
「バーティ……アルバート殿下と、お話しはできますでしょうか」
わたくしの問いに、フィリップ殿下は気まずそうに眉を顰め、しばしの逡巡の上、言った。
「バーティは今夜は来ない」
「ええ?」
姉が悲鳴のような声を上げる。
「まさか、いくらなんでも、それは――」
確かに、父や伯父のやり方は強引だった。でも、宮中の、婚約披露の晩餐会を欠席するなんて、いくら何でも――。
「……そこまで、わたくしとの婚約を拒否いていらっしゃるの?」
震え声で問いかけるわたくしに、フィリップ殿下が首を振った。
「私もあまりとは思うが、迎えに行った者の弁によれば、泥酔してとても、晩餐会に出られる状態ではないと」
「……泥……酔?」
「……何から話すべきか……」
フィリップ殿下が顎を撫でて考えるうちに、侍女が紅茶の盆を運んできて、わたくしの目の前に紅茶のカップとソーサーが置かれる。漂う香が、少しだけ心を落ち着かせてくれた。
侍女が壁際に下がり、わたくしと姉とフィリップ殿下の三人だけになる。わたくしたちの会話は、侍女にまでは届かない距離だ。
「……まず……バーティが結婚したがっている相手について、ステファニーやアリスンは知っているか?」
わたくしは頷いたが、姉のアリスンは首を振る。
「噂は聞いておりますけれど、お名前などはしかとは存じません」
「ミス・エルスペス・アシュバートン。故リンドホルム伯爵の令嬢で――つまり、シャルローでバーティを庇って戦死した、マクシミリアン・アシュバートン中佐の娘だ。爵位を継いだ弟が直後に病死し、彼女は代襲相続を願い出たが却下され、領地も財産も失い、祖母と二人、王都に出てきた」
姉は初耳なのか、青い目を見開いていたが、わたくしは概ね、知っている情報だった。
「バーティは戦地から戻ったら、リンドホルムに赴いてマックス卿の墓に詣で、彼女に求婚するつもりでいたそうだ。マックス卿の恩に報いるために、彼女と彼女を弟を支えたいと考えていた」
「戦死者の家族の代襲相続は基本的に認められると聞いておりますのに――」
アリスンの問いに、フィリップ殿下が頷く。
「何故、代襲相続が認められなかったかについては、バーティも現在、調査中だそうだ。ただ、バーティはエルスペス嬢との結婚は問題ないと考えていた。代襲相続は認められずとも、もともと伯爵家の令嬢でもあり、さらにマックス・アシュバートンの功績もある。ステファニーとの婚約は白紙に戻っていて、自分を縛るものはないはずだと」
わたくしは、思わず唇を噛む。
殿下にとって、わたくしとの婚約は過去の話だった。でも――。
「フィリップ殿下、バーティは戦争前から好きな相手がいると仰ったわ! でも彼女は、戦争前に殿下に会ったことはないと――」
「マックス・アシュバートンから、写真を見せてもらったことがあるそうだよ。戦地に送られてきた彼女の写真に一目惚れして、戦争が終わったら結婚を申し込みたいとマックス・アシュバートンにも告げ、了解も得ていたらしい。……もちろん、彼女自身が結婚に承諾することが条件だったそうだがね」
「……写真?」
写真……だったと言うの?
「嘘よ……そんなの……写真なんかで、そんな……」
幼いころからずっと、わたくしは殿下の婚約者候補で――一緒に過ごした時間も何もかもが、一枚の写真に負けてしまったと言うの? そんな、馬鹿な――。
茫然とするわたくしを気の毒そうに見て、フィリップ殿下は溜息をつく。
「とにかく――王都に戻ってきたら、バーティの予想とはまるで状況が違っていて、国王とレコンフィールド公爵は、ステファニーとの再婚約を求め、エルスペス嬢の方は経済的に困窮して、とても、王子妃なれるような状況ではなかった」
殿下は仰った。『勝手に待たれても、困る』。わたくしが信じて待った四年間は、迷惑だと。
さらに父親の権力で婚約をごり押しして――。
でも――。
わたくしは彼を愛していて、愛されていると信じていたのだもの。それに――。
わたくしの脳裏に、彼女の白い背中に散る、赤い花びらのような痕が蘇る。彼女はもう、純潔ではなくて、殿下と淫らな関係を――。
「……エルスペス嬢の祖母、つまり、マックス・アシュバートンの母親は心臓を患っていて、バーティが費用を出して療養院に入院させた。エルスペス嬢を一人にすることができず、王都に所有するアパートメントに住まわせ、まあその――男女の仲になった。……エルスペス嬢には拒むことなどできなかっただろうね」
フィリップ殿下の言葉に、姉のアリスンが眉を寄せた。
「……つまり……病気の祖母を抱え、経済的に困窮した貴族の令嬢の弱みに付け込んで、愛人にしたってことですの? 仮にも、恩人のご令嬢を?」
「客観的に言えば、そうなるな。バーティは結婚するつもりだったから、少しぐらいの先走りは構わないだろうと思ったそうだけれど。でも、世間はそんな風には見ない」
フィリップ殿下は溜息をつき、紅茶を一口飲むと、カップをソーサーに戻す。
「……バーティはまさか、君たちの父上が、議会にまで手を回して、強引に婚約を取り付けるまでするとは、思っていなかった。私もそうだけれどね。……しかも、君の父上は弁護士に手を回し、療養院に入院中だった、エルスペス嬢の祖母に、二人の関係を暴露したそうだ」
ガチャン、とアリスンがカップを取り落とす。
「まさかそんな……そのおばあ様はなんと……」
「老婦人は気丈に対応されたそうだが、心臓が負担に耐え切れず、体調が急変して息を引き取られたそうだ」
「なんてこと……」
姉が両手で口元を覆った。顔色は真っ青だった。――わたくしも、同じ表情をしているに違いない。
「エルスペス嬢は責任を感じて、バーティに別れを告げ、彼女に去られたバーティは酒浸りになって、婚約披露の晩餐会に出るどころじゃないんだ」
わたくしと姉は茫然と顔を見合わせる。
確かに、わたくしは彼女を「愛人」と罵ったし、殿下と別れて欲しいと、不躾なことを言った。彼女が殿下の愛人になっていたのを、心の底から浅ましいと思っていた。お金のために身体を差し出すなんて、わたくしなら死んだ方がマシだと思っていた。でも――。
彼女はあの時、わたくしの目をまっすぐ見返して、自分に恥じるところはない、とはっきり言い切った。
顔を上げ、背筋を伸ばし――父を失い、爵位も領地もなく、病気の祖母を抱えて、王子の愛人でしかなかったのに、怯むことなくわたくしに対峙して――。
殿下がわたくしとの婚約を渋り、また愛人を囲っているという噂も、すでに王都を廻っていて、貴族院の議員たちも耳にしていたに違いないのに、承認はあっさりと通ってしまった。
第三王子とはいえ、王太子殿下に王子の産まれていない現在、アルバート殿下が国王として即位する可能性はある。その妃となれば、幼い頃からの婚約者候補であったわたくしが相応しい、と、保守的な議員の支持を得たのだ。
当然ながら、アルバート殿下本人は烈火の如く怒り狂っていたという。
国王の元に議決を伝えにきた貴族院議長らの前で、アルバート殿下ははっきりと宣言なさったそうだ。
ステファニーとは、絶対に、死んでも、結婚しない。
継承権や王族の籍の返上も覚悟している、と。
その言葉に、真っ青になったのが、王太子のフィリップ殿下だった。
アルバート殿下より十三歳年上のフィリップ殿下は、現在、御年三十九歳。三十五歳になる、ブリジット妃とは良好な関係を築いていらっしゃるが、お子は続けて三人、王女だった。折しも、妊娠中だった四人目のお子を流産してしまわれた。ブリジット妃にかかるプレッシャーは年々、高まる一方で、フィリップ殿下は「アルバートもいるのだから、無理はしなくてもいい」と、妃に告げたばかりだったという。
現在、継承権を持つ方々は、ジョージ殿下、アルバート殿下、そしてマールバラ公爵と、その嫡男のブラックウェル伯爵(戦争で亡くなった方の、弟になる)。それよりも下になると、王家との隔たりはかなり大きく、国王としての求心力を維持するのは難しいだろう。近隣の諸国のように女王の継承を認めるよう、法を改正すべきという意見も少数ながら、ある。このような状況で、アルバート殿下が継承権を放棄し、王籍を離脱するようなことになれば、後継者問題はさらに混乱し、ブリジット妃への圧力はさらに強まるに違いない。
議会の承認を受け、王宮では婚約披露の晩餐会が、略式ながら開催されることになった。――あまりの手際の良さに、父と伯父が、いつから根回しをしていたのかと、わたくしも内心、呆れる。わたくしは晩餐会のために、母親代わりの姉・アリスンを付き添いに王宮に上がり、王族用の控室に入った。
わたくしの母は二年前に体調を崩し、今は領地で療養中だ。結婚式には王都に出てくることになるだろうが、こんな状態で、無事に結婚式が行われるのだろうか? 父と伯父の強引なやり口に、わたくしは正直、不安しかなかった。
――ステファニーとは、絶対に、死んでも、結婚しない。
どれほど恋い焦がれた相手であっても、ここまで自分を拒否する人と、まともな結婚生活が送れるとは思えなかった。
どうして、こんなことになってしまったのか。どこで、ボタンを掛け違えたのか。
わたくしは殿下と、愛し、愛された幸せな夫婦になるはずだったのに――。
アイヴォリーのローブ・デコルテは、本来は聖誕節の夜会のために新調したものだ。右肩に共布の、大きな薔薇の飾り。胸元には真珠のチョーカーをあしらい、見かけだけは華やかに装っているが、気持ちは沈んでいる。
――きっと、バーティの機嫌は最悪だろう。
彼と夜会に出るなんて、四年ぶりだ。……戦争前の、壮行の夜会が最後だった。あの直後に婚約は白紙に戻り、彼は戦場に行って――。
探偵が隠し撮りした、殿下と例の彼女の写真が脳裏に過る。
最新流行の、直線的なラインのイブニング・ドレスにビーズ刺繍のターバンを巻いて、耳から長いイヤリングを垂らして、小粋に殿下に寄り添っていた、彼女。殿下の腕は彼女の腰に回され、耳元に唇を近づけて何やら囁いている。
――わたくしが見たこともないような、甘い表情で――。
控室で所在なく待つわたくしと姉の元に、突然、フィリップ殿下の来訪が告げられた。
拒否のできる相手ではない。幼い頃からよく見知った従兄とはいえ、緊張しないわけがない。
わたくしと姉が立ちあがって迎えるのを、フィリップ殿下は頷いて、座るようにて手で示す。
「すまないね、ちょっと、話しておいた方がいいと思ったんだ。……今後の、ことについても」
フィリップ殿下は自らもソファに座り、部屋に控える侍女にお茶を言いつける。
「晩餐会の開始は予定より遅れることになった。少し、お腹に入れておく方がいいと思う」
「バーティ……アルバート殿下と、お話しはできますでしょうか」
わたくしの問いに、フィリップ殿下は気まずそうに眉を顰め、しばしの逡巡の上、言った。
「バーティは今夜は来ない」
「ええ?」
姉が悲鳴のような声を上げる。
「まさか、いくらなんでも、それは――」
確かに、父や伯父のやり方は強引だった。でも、宮中の、婚約披露の晩餐会を欠席するなんて、いくら何でも――。
「……そこまで、わたくしとの婚約を拒否いていらっしゃるの?」
震え声で問いかけるわたくしに、フィリップ殿下が首を振った。
「私もあまりとは思うが、迎えに行った者の弁によれば、泥酔してとても、晩餐会に出られる状態ではないと」
「……泥……酔?」
「……何から話すべきか……」
フィリップ殿下が顎を撫でて考えるうちに、侍女が紅茶の盆を運んできて、わたくしの目の前に紅茶のカップとソーサーが置かれる。漂う香が、少しだけ心を落ち着かせてくれた。
侍女が壁際に下がり、わたくしと姉とフィリップ殿下の三人だけになる。わたくしたちの会話は、侍女にまでは届かない距離だ。
「……まず……バーティが結婚したがっている相手について、ステファニーやアリスンは知っているか?」
わたくしは頷いたが、姉のアリスンは首を振る。
「噂は聞いておりますけれど、お名前などはしかとは存じません」
「ミス・エルスペス・アシュバートン。故リンドホルム伯爵の令嬢で――つまり、シャルローでバーティを庇って戦死した、マクシミリアン・アシュバートン中佐の娘だ。爵位を継いだ弟が直後に病死し、彼女は代襲相続を願い出たが却下され、領地も財産も失い、祖母と二人、王都に出てきた」
姉は初耳なのか、青い目を見開いていたが、わたくしは概ね、知っている情報だった。
「バーティは戦地から戻ったら、リンドホルムに赴いてマックス卿の墓に詣で、彼女に求婚するつもりでいたそうだ。マックス卿の恩に報いるために、彼女と彼女を弟を支えたいと考えていた」
「戦死者の家族の代襲相続は基本的に認められると聞いておりますのに――」
アリスンの問いに、フィリップ殿下が頷く。
「何故、代襲相続が認められなかったかについては、バーティも現在、調査中だそうだ。ただ、バーティはエルスペス嬢との結婚は問題ないと考えていた。代襲相続は認められずとも、もともと伯爵家の令嬢でもあり、さらにマックス・アシュバートンの功績もある。ステファニーとの婚約は白紙に戻っていて、自分を縛るものはないはずだと」
わたくしは、思わず唇を噛む。
殿下にとって、わたくしとの婚約は過去の話だった。でも――。
「フィリップ殿下、バーティは戦争前から好きな相手がいると仰ったわ! でも彼女は、戦争前に殿下に会ったことはないと――」
「マックス・アシュバートンから、写真を見せてもらったことがあるそうだよ。戦地に送られてきた彼女の写真に一目惚れして、戦争が終わったら結婚を申し込みたいとマックス・アシュバートンにも告げ、了解も得ていたらしい。……もちろん、彼女自身が結婚に承諾することが条件だったそうだがね」
「……写真?」
写真……だったと言うの?
「嘘よ……そんなの……写真なんかで、そんな……」
幼いころからずっと、わたくしは殿下の婚約者候補で――一緒に過ごした時間も何もかもが、一枚の写真に負けてしまったと言うの? そんな、馬鹿な――。
茫然とするわたくしを気の毒そうに見て、フィリップ殿下は溜息をつく。
「とにかく――王都に戻ってきたら、バーティの予想とはまるで状況が違っていて、国王とレコンフィールド公爵は、ステファニーとの再婚約を求め、エルスペス嬢の方は経済的に困窮して、とても、王子妃なれるような状況ではなかった」
殿下は仰った。『勝手に待たれても、困る』。わたくしが信じて待った四年間は、迷惑だと。
さらに父親の権力で婚約をごり押しして――。
でも――。
わたくしは彼を愛していて、愛されていると信じていたのだもの。それに――。
わたくしの脳裏に、彼女の白い背中に散る、赤い花びらのような痕が蘇る。彼女はもう、純潔ではなくて、殿下と淫らな関係を――。
「……エルスペス嬢の祖母、つまり、マックス・アシュバートンの母親は心臓を患っていて、バーティが費用を出して療養院に入院させた。エルスペス嬢を一人にすることができず、王都に所有するアパートメントに住まわせ、まあその――男女の仲になった。……エルスペス嬢には拒むことなどできなかっただろうね」
フィリップ殿下の言葉に、姉のアリスンが眉を寄せた。
「……つまり……病気の祖母を抱え、経済的に困窮した貴族の令嬢の弱みに付け込んで、愛人にしたってことですの? 仮にも、恩人のご令嬢を?」
「客観的に言えば、そうなるな。バーティは結婚するつもりだったから、少しぐらいの先走りは構わないだろうと思ったそうだけれど。でも、世間はそんな風には見ない」
フィリップ殿下は溜息をつき、紅茶を一口飲むと、カップをソーサーに戻す。
「……バーティはまさか、君たちの父上が、議会にまで手を回して、強引に婚約を取り付けるまでするとは、思っていなかった。私もそうだけれどね。……しかも、君の父上は弁護士に手を回し、療養院に入院中だった、エルスペス嬢の祖母に、二人の関係を暴露したそうだ」
ガチャン、とアリスンがカップを取り落とす。
「まさかそんな……そのおばあ様はなんと……」
「老婦人は気丈に対応されたそうだが、心臓が負担に耐え切れず、体調が急変して息を引き取られたそうだ」
「なんてこと……」
姉が両手で口元を覆った。顔色は真っ青だった。――わたくしも、同じ表情をしているに違いない。
「エルスペス嬢は責任を感じて、バーティに別れを告げ、彼女に去られたバーティは酒浸りになって、婚約披露の晩餐会に出るどころじゃないんだ」
わたくしと姉は茫然と顔を見合わせる。
確かに、わたくしは彼女を「愛人」と罵ったし、殿下と別れて欲しいと、不躾なことを言った。彼女が殿下の愛人になっていたのを、心の底から浅ましいと思っていた。お金のために身体を差し出すなんて、わたくしなら死んだ方がマシだと思っていた。でも――。
彼女はあの時、わたくしの目をまっすぐ見返して、自分に恥じるところはない、とはっきり言い切った。
顔を上げ、背筋を伸ばし――父を失い、爵位も領地もなく、病気の祖母を抱えて、王子の愛人でしかなかったのに、怯むことなくわたくしに対峙して――。
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