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第三章

父との約束

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 二月の、国王陛下との謁見のために、わたしは大急ぎで王都に戻ることになった。

 アーチャーはいなくなったけれど、スミス夫人もいるし、執事の仕事はジョンソンが立派に引き継いでいる。ジェラルド・ブルック中尉の働きで、相続も滞りなくできそうだ。薔薇園ローズ・ガーデン周辺にも手を入れ、庭師を増員し、庭の修繕も始まった。

 代襲相続が認められたわたしは、リンドホルム伯爵の法定代理人として、伯爵令嬢と呼ばれる身分を取り戻した。
そのためには国王陛下に謁見する必要があるし、国王主催の王宮舞踏会にも出なければならない。

 毎年二月に開かれる王宮舞踏会。伯爵家以上の娘は十七歳になる歳に、ここで社交界にデビューする。わたしも、父が死んだ歳の翌年の二月には、本来なら王宮でデビューするはずだった。……ただ戦争中で、父は戦地に行ったきり。父が死ななくても、二月のデビューは無理だったかもしれない。

 それはそれとして、デビューが遅れることもないわけではない。十七歳でデビューできないと、いわゆる貴族の婚活に乗り遅れることになり、結婚には大変、不利にはなる。だがもともと、わたしを王都でデビューさせ、婚活させるつもりなど、祖母にはなかったようだ。……おばあ様が、わたしの結婚をどうするつもりだったのか、今となってはわからないけれど。
 
 というわけで、四月に二十歳になるわたしにとっては、三年遅れのデビューとなるわけだが、問題は誰と行くのか、である。

 父も、祖母もいない。父が亡くなって、貴族社会との繋がりも切れてしまった。……いや、今にして思えば、祖母は貴族社会とのつながりを敢えて切るつもりで、リンドホルム城を出て王都に移ったのではないかとさえ、思える。代襲相続が却下された後、祖母は昔からの貴族の知り合いと、全くやり取りをしなくなった。――サイラスが領地経営にしくじったのは、きっとそのせいもある。もしかしたら、祖母なりの、意趣返しだったのかもしれない。

 だが、こうして爵位を取り戻してしまうと、非常に困った立場に立たされるわけで……。
 王都の貴族社会にほとんど知り合いもいないわたしは、どうしたらいいのか途方に暮れてしまった。

 王宮からの招待状を見下ろして、考え込んでしまったわたしを見て、王都に戻るために書類を革のトランクに詰めていたジェラルド・ブルック中尉が、言う。

「どうしたんですか?」
「いえ……その……」
「あなたらしくないですね。王宮に行くのが不安なんですか? 王妃陛下と対等にやり合うくらいの、クソ度胸の持ち主のクセに」

 ブルック中尉は潔癖なタイプなので、わたしが、というよりは、王子の《愛人》という存在自体が気に食わないらしく、いちいち受け答えにトゲがある。

「対等にやり合えるならいいですけど、知り合いもおりませんし、全くの敵地アウェーに一人で踏み込むわけですから」

 わたしが言えば、ブルック中尉が青い目を見開いた。

「ああ、なるほど。ジョナサンは婚約者のシャーロット嬢を、エスコートすることになるでしょうしね。なんなら僕がエスコートしますよ。幸い、相手もいませんから」
「ブルック中尉が?」
「ええ、ロベルトやラルフは爵位がないので、舞踏会には参加できませんからね。護衛の侍従としては控えますけど」
「でも、よろしいの? きっと、あれこれ言われますわよ?」

 愛人とか淫売とか……あとなんだったかしら、牝犬ビッチとか。
 しかしわたしの心配をよそに、ブルック中尉はへらりと微笑んだ。

「僕がアルバート殿下の侍従なのは、貴族社会には知られていますから。仕事なんだなと思われるだけです。むしろ、殿下がエスコートするよりはよっぽどマシですよ。それだけは阻止したいのでね」
 
 殿下には現在、無効を訴えてはいるが、レコンフィールド公爵令嬢という、正式な婚約者がいる。スキャンダルの火に油を注ぐような真似はさせられない、そういうことらしい。

「それよりは衣装ですよ。ローブ・デコルテでないといけないはずですけど、準備が今からでは間に合わないですよね?」
「そんなの、持っていないわ。……母が謁見に着たのが残っているかと思ったけど……」

 リンドホルム城内をハンナと家探ししてはみたけれど、金目のものはとっくに売り払われてしまったのか、みつからなかった。

「そんな昔の、あったところで流行遅れもほどがありますよ! 殿下と相談して、最悪、僕の姉かシャーロット嬢かに借りましょう」
「なんだか、ご迷惑ばかり……」
「今更です」

 ブルック中尉が肩を竦める。

 結局何もかも殿下や周囲の人に頼るしかない自分にうんざりしながら、不安なまま、わたしはユールを抱えて王都行きの列車に乗った。

 
 



 半月ぶりの王都、街の新聞は、アルバート殿下の結婚問題一色だった。

『幼馴染の公爵令嬢か、爵位を取り戻した伯爵令嬢か?!』
『掠奪愛の行方――ステファニー嬢は今……』
『魔性の女?!――ミス・アシュバートンの半生を追う』 

 ……なんだかすごい見出しが並んでいて、わたしはつい、眉を顰めてしまう。

 帰りついたオーランド邸、広い居間にユールがはしゃいで、「きゃん、きゃん」と騒いでいる。
 この半月の間に改装され――わたしが新聞記者を中に入れたせいだが――微妙に変わった居間を眺め、コートを脱いで帽子を外していると、殿下が階段を駆け下りてきた。

「エルシー!」
「……リジー!」

 アッと言う間もなく抱きしめられ、唇を塞がれる。

「大変だったな……よく、頑張った」
「リジー、わたし、何もしていなくてよ?」

 殿下がわたしの顔を至近距離で見て、こつんと額を合わせる。
 
「本当に、王子に生まれたことをこんなに恨んだことはないぞ? 何もかも捨ててお前の元に走りたかったのに、あれこれあれこれ、制約ばかりで――」

 もう一度、唇を塞がれ、わたしも殿下の背中に両手で縋りつく。
 ――煙草の匂いと、ほんのりコロンの香り。
 
「……でも一つ、階段を上がった。お前に、リンドホルムを返してやれた」
「ええ……ありがとうございます。ビリーも……」 
 
 殿下の腕の中にいるだけで、張りつめていた気持ちがほどけて、涙が零れそうになる。


 声を上げて、泣きたい。
 
 奪われたもの。
 取り戻したもの。
 戻らないもの。




 神様――。

 わたしは、欲深くて贅沢な人間です。
 
 リンドホルムの城も、薔薇園ローズ・ガーデンも取り戻したのに、それでもまだ、リジーが欲しいと思う。






 殿下はわたしの耳元に顔を寄せて囁く。

「サロンを改装して、温室風にしたんだ。見てみるか?」
「ええ、ぜひ」

 わたしはユールを抱き上げ、殿下に腰を抱かれるようにして、サロンに向かった。サロンがかなり広げられ、一部が温室になり、ガラス張りの天井から光が降り注ぐ。たくさんの緑の鉢植えが並び、天井からも鉢が吊るされて、緑の蔓がいくつも垂れ下がる。その一角がアトリエ風に改装され、明るい光の中にイーゼルが並び、描きかけの絵が置いてある。

「……リジーの?」
「一応ね。ただ、まだ勘が戻らなくて……」

 描きかけの絵は、ピアノの前に座るわたしと、学校の制服を着たビリー。

「……これ……」
 
 殿下が躊躇いがちに差し出した、穴が開き、赤黒いものが飛び散った写真。――昔、ビリーが学校に入学する前に撮影して、戦地の父に送ったものだ。

 わたしが驚いて殿下を見れば、殿下が気まずそうに言った。

「……シャルローで、マックスの胸ポケットに入っていて……遺族に渡すのは酷だろうと俺が持っていたんだけど……」
「お父様が……」

 父が、最期の瞬間まで持っていて、父の血を吸った写真。――わたしと、ビリーの。

「エルシーが十五歳の頃のだと。戦地で、これを見せてもらって……」

 殿下が、写真を撫でる。

「マックスにエルシーと結婚したいと言って、求婚する許可は得たんだ。……エルシーが承知したら結婚してもいいって。……おそらく、子のできないビリーを二人で支えるという、約束だった」

 わたしは目を伏せ、ユールを抱き締める。そのわたしを殿下が背後から抱きしめ、こめかみにキスをする。

「……やっと、スタートラインに立てた気がする。ビリーを守れなかったのは残念だったけれど――」

 殿下がわたしの向きを変え、改めて唇を合わせる、角度を変えて何度もキスを交わしていると、胸の中でユールがじたばたと暴れる。

「きゃん! きゃん!」
「もう、ユールったら!」

 さすがに抱かれているのに飽きたのか、ユールは飛び降り、ふんふん匂いを嗅ぎながら、周囲を探検し始める。
 その様子を見て、互いに顔を見合わせ、それからもう一度、誰にも邪魔されずに抱き合い、キスを交わした。

 

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