153 / 190
第三章
王宮舞踏会
しおりを挟む
夕刻、王宮で準備される簡単な軽食を取ってから、いよいよ舞踏会場に向かう。
真紅の絨毯が敷き詰められ、天井から下がるいくつものシャンデリアが、キラキラと眩い光を放つ。舞踏会場は王宮内でも最も広い部屋であるにも関わらず、それでも半ば人で埋まっている。
「……大きい……」
わたしがぼんやりと天井の装飾やシャンデリアを眺める。
「リンドホルム城の広間もそこそこですよ? 様式が古いから、少し古風で豪華さには欠けるけど」
ジェラルド・ブルック中尉が言う。
「南部の、僕の邸はもうちょっとこじんまりしているんですよね。僕の家は百五十年くらいの歴史なんで」
壁沿いには絨毯と同じ色のベンチが並んでいるので、カーティス大尉がわたしたちをその一角に導く。
「ずっと立っていたら死んでしまいますよ。靴の踵も高いのでしょう?」
「昔は舞踏会くらいは何でもなかったけど、やっぱり年齢には勝てないわ」
「いやいや、ヴァイオレットはまだまだ十分、美しいよ」
マールバラ公爵夫妻は熟年になっても仲睦まじい。――この人が、わたしの父とローズの仲を引き裂いたと思うと、正直に言って微妙な気分になる。
客もほぼ埋まったあたりでファンファーレが鳴り響き、王族の登場が告げられた。
会場の奥、中央の高くなった場所に玉座があり、前方の扉から正装にいくつもの勲章を下げた国王陛下が、侍従たちに守られるように入場する。ステッキをついて、右足を引きずっている。国王陛下が玉座に座り、続いて王太子殿下がブリジット妃殿下をエスコートして現れた。そして、アルバート殿下がレコンフィールド公爵令嬢をエスコートして現れ、並ぶ。
ざわざわとさざめくような声が広がる。
「……やっぱり、正式にはレコンフィールド公爵令嬢が……」
「そりゃあ、まあ、所詮、愛人ってことさ……」
マールバラ公爵がわたしを気遣うように言った。
「議会は頭の固い奴らが多くてな。自分たちの過ちを認めることができんのだ」
「大丈夫です。事前に聞いておりましたので」
前方、玉座の側で並んで立つ二人。
――胸が痛まないと言えば、嘘になる。まわりの視線が痛いのもあるけれど。
殿下はまっすぐ前を見据え、隣のステファニー嬢にはまったく目を向けない。まるで横に誰もいないかのごとく、まっすぐ前だけを見ている。ただ殿下が軽く曲げた左腕に、ステファニー嬢の右手が縋っているから、いるのはわかっているはず。
結局、ステファニー嬢のエスコートを断ることができなかったと、詫びられたのは昨夜。
『だが、今回が最後だ』
殿下ははっきりとそう、言った。――ある、決意を込めて。
殿下はわたしを愛してくださっている。幼い時の思い出故か、あるいは、不幸なまま死に別れた、生みの母であるローズへの憧憬からなのか。
王妃はわたしとローズがわからなくなるほど錯乱していたし、国王陛下もまた、わたしのことをローズと呼んだ。わたしはローズの顔を知らないし、父も祖母も何も言わなかったけれど、わたしはローズに似ているのだろうか? でも、わたしは、わたし。
幼い日、リンドホルムで誰よりもわたしを愛してくれた、リジー。ずっとわたしのことを忘れず、思い続けたと、何度も言ってくれた。幼いわたしが忘れていた分まで、ずっと愛してきたと――。
今、彼の隣に立つのがわたしでなくとも、わたしは彼の言葉を信じられる。
殿下の隣に立つステファニー嬢が視線を動かし、群衆の中で誰かを探しているように見えた。たぶん、わたしを探しているのだろう、と思う間もなく、目が合う。
彼女の青い瞳が、わたしをじっと見つめる。
『わたくしがこれまで捧げてきた愛は、誰にも奪えない。そうではなくて?』
ステファニー嬢の言いたいことは、わからなくはない。少なくとも彼女は、アルバート殿下を愛していた。わたしがリジーのことを忘れてしまった年月もずっと、アルバート殿下の側にいた。……実質的な婚約者として。
アルバート殿下を愛し続けた、ステファニー嬢の年月。
わたしを思い続けた、リジーの年月。
そして空白の、わたし。リジーを忘れ、何も知らず、ただ無邪気にリンドホルムの薔薇園を守り、追い出されたわたしの年月。
神様は、誰の祈りを聞き届けてくれるのだろう?
王室長官が舞踏会の開会を宣言した。
音楽が流れ、ファーストダンスが始まる。
王太子夫妻が手を取り合い、玉座の前に出る。
ジョージ殿下の喪は明けたけれど、王太子妃殿下のドレスは黒。薄いレースが胸元や肩を覆い、ひらりと広がるスカートには、黒いレースのオーバースカート。黒いレースの手袋に、黒いジェットを連ねたチョーカー。ひらりひらりと回るたびに、レースが翻り、裾のタッセルが揺れる。
曲が終わり、拍手が沸き起こる。王室長官が、自由に踊り、楽しむようにとの、国王陛下のお言葉を伝える。周囲の人波が動き、三々五々、男女が組んで踊り始める。
「……どうします?」
ジェラルド・ブルック中尉に尋ねられたが、わたしは首を振った。
「エスコートは仕方ないけど、ダンスはダメって」
「……でしょうね」
マールバラ公爵がヴァイオレット夫人をエスコートしてフロアーに出るのを見送りながら、二人でコソコソと話し合う。
「ブルック中尉はおモテになるんでしょ? さっきから若い女性が見てますよ?」
「それはどう考えても、時の人のあなたを見ているんです」
二曲目が始まり、流麗なワルツが流れる。だが――。
前方、玉座に近い辺りで、ざわめきが起きた。見れば、フロアーにはステファニー嬢とアルバート殿下が向かい合い、半ば睨み合うような形になっている。
戸惑うように手を伸ばすステファニー嬢を、アルバート殿下が首を振り、そのまま踵を返して去ろうとする。ステファニー嬢の周囲にいた誰かが駆け寄り、殿下に何か言って――。
殿下が前方にある、目立たない小さな扉から外に出ると、慌てたようにステファニー嬢がそれを追って行った。
「うわああ……」
およそ王族がエスコートしている相手とのダンスを拒否するなんて、あり得ないのでは。
「実はこの後、恒例では、王子殿下がデビュタントのご令嬢たちと踊るんですが、殿下は拒否したんですよ」
「……拒否? 楽しみにしていた方もいらっしゃるのでは」
わたしは何となく、周囲の人々を見回す。全体の割合としては少ないものの、そこそこ、純白のドレスのご令嬢はいる。
「デビュタントと踊って、レコンフィールド公爵令嬢と踊らないってわけにいかないでしょう。彼女がデビューした年は、殿下は彼女以外の令嬢とはいっさい、踊らなかったんです。ステファニーがそれを望むから、と言って」
そんなことが、とわたしは目を見開く。
殿下の真意はともかく、そこまでしていたら、殿下がステファニー嬢を愛していると誤解されて当然だ。
それから数曲、マールバラ公爵夫妻が戻ってきて、入れ替わりにカーティス大尉とシャーロット嬢が踊りに行く。わたしはブルック中尉が持ってきてくれた、発泡ワインをちびちび舐めながら、音楽に合わせて広がり、翻る華麗なドレスの花を鑑賞していた。
突然、ブルック中尉がわたしを守るように、前に立ちはだかり、冷たい声で言った。
「……グレンジャー卿、貴卿は殿下から絶交を宣言されているはず」
「それはわかっているが、どうしても……」
見れば、アイザック・グレンジャー卿と、婚約者のシュタイナー伯爵令嬢のミランダだった。わたしは立ちあがる。
「何かご用ですの?」
「殿下が……」
言い淀んだグレンジャー卿の横から、ミランダ嬢が涙声で言う。
「殿下が、ステファニーとは踊らないと。婚約も破棄するって! あなたの差し金なの?」
「こんなところでするお話しではないと思いますけど。……わたしは殿下には何も要求してはいません」
「でも、その指輪だって……」
ミランダ嬢がわたしの、グラスを持った左手を見る。わたしは溜息をついた。
「ええ、いただきました。聖誕節の贈り物で……わたくしの、父の形見のサファイアのタイピンと交換したんです」
「ステファニーという婚約者がいるのに、聖誕節を二人で過したの? あんまりよ! ステファニーは四年も待ったのに!」
化粧が剥げるのもかまわず、泣きながら訴えるミランダ嬢の姿に、周辺に人垣ができ始める。
「殿下からは、戦争に行く前にレコンフィールド公爵令嬢との婚約話は白紙に戻したと、何度も聞いております。戦争から帰国したらすぐ、わたくしに結婚を申し込むつもりだったとも」
わたしが冷静に言えば、ミランダ嬢の隣にいた、アイザック・グレンジャー卿が驚いたように言う。
「……帰国前から君と結婚するつもりだったと? でも――」
「戦地で、父に送ったわたくしの写真を見たそうです。それで、わたくしに結婚を申し込む許しは父から得ていると。その直後に、シャルローで父は銃弾に斃れました。……殿下を庇って、と聞いております」
わたしの言葉に、ブルック中尉が頷き、踊りに行ったはずのカーティス大尉も駆けつけて来て、言った。
「あの時、僕が足に銃弾を受けて、動きが鈍って敵に迫られて――アシュバートン中佐が殿下を突き飛ばし、代わりに銃弾を――」
カーティス大尉の証言に、わたしは持っていたビーズ刺繍の小物入れから、セピア色の写真を取り出す。穴が開き、赤黒い飛沫が飛び散っている。
「……父の遺体の胸ポケットから、殿下が取り出した写真だと。……わたしと、弟です」
周囲がシンとなり、音楽がやけに響く。銃撃の痕をありありと残す写真が、命の恩人の娘と結婚したい、という殿下の主張を裏付けるからだろう。わたしは写真を小物入れに仕舞いながら言う。
「殿下と、レコンフィールド公爵令嬢との話し合いに、わたしは口を出してはいません」
「でも! あなたは要するに、死んだ父親と弟をダシに、殿下の同情を煽ってステファニーから奪い去ったのでしょう?! やり方が汚いわよ!」
「ミランダ、それは――」
アイザック・グレンジャー卿が婚約者を窘めるが、わたしはあまりの謂れように息を呑む。ずっと黙って聞いていた、マールバラ公爵が立ちあがり、言った。
「……シュタイナー伯爵令嬢、と言ったか。今の発言はあまりにも、戦死者の遺族を愚弄するものではないか? 国のために命を投げ出した者とその家族に対し、礼を失するのも甚だしい」
「それは……」
ミランダ嬢が怯んだところに、すっと影が差す。
「グレンジャー、俺はミス・アシュバートンには関わるなと言ったはずだ。シュタイナー伯爵令嬢も、彼女をこれ以上侮辱するのは許さない」
振り返れば、陸軍中将の正装に身を包んだ、アルバート殿下が立っていた。
真紅の絨毯が敷き詰められ、天井から下がるいくつものシャンデリアが、キラキラと眩い光を放つ。舞踏会場は王宮内でも最も広い部屋であるにも関わらず、それでも半ば人で埋まっている。
「……大きい……」
わたしがぼんやりと天井の装飾やシャンデリアを眺める。
「リンドホルム城の広間もそこそこですよ? 様式が古いから、少し古風で豪華さには欠けるけど」
ジェラルド・ブルック中尉が言う。
「南部の、僕の邸はもうちょっとこじんまりしているんですよね。僕の家は百五十年くらいの歴史なんで」
壁沿いには絨毯と同じ色のベンチが並んでいるので、カーティス大尉がわたしたちをその一角に導く。
「ずっと立っていたら死んでしまいますよ。靴の踵も高いのでしょう?」
「昔は舞踏会くらいは何でもなかったけど、やっぱり年齢には勝てないわ」
「いやいや、ヴァイオレットはまだまだ十分、美しいよ」
マールバラ公爵夫妻は熟年になっても仲睦まじい。――この人が、わたしの父とローズの仲を引き裂いたと思うと、正直に言って微妙な気分になる。
客もほぼ埋まったあたりでファンファーレが鳴り響き、王族の登場が告げられた。
会場の奥、中央の高くなった場所に玉座があり、前方の扉から正装にいくつもの勲章を下げた国王陛下が、侍従たちに守られるように入場する。ステッキをついて、右足を引きずっている。国王陛下が玉座に座り、続いて王太子殿下がブリジット妃殿下をエスコートして現れた。そして、アルバート殿下がレコンフィールド公爵令嬢をエスコートして現れ、並ぶ。
ざわざわとさざめくような声が広がる。
「……やっぱり、正式にはレコンフィールド公爵令嬢が……」
「そりゃあ、まあ、所詮、愛人ってことさ……」
マールバラ公爵がわたしを気遣うように言った。
「議会は頭の固い奴らが多くてな。自分たちの過ちを認めることができんのだ」
「大丈夫です。事前に聞いておりましたので」
前方、玉座の側で並んで立つ二人。
――胸が痛まないと言えば、嘘になる。まわりの視線が痛いのもあるけれど。
殿下はまっすぐ前を見据え、隣のステファニー嬢にはまったく目を向けない。まるで横に誰もいないかのごとく、まっすぐ前だけを見ている。ただ殿下が軽く曲げた左腕に、ステファニー嬢の右手が縋っているから、いるのはわかっているはず。
結局、ステファニー嬢のエスコートを断ることができなかったと、詫びられたのは昨夜。
『だが、今回が最後だ』
殿下ははっきりとそう、言った。――ある、決意を込めて。
殿下はわたしを愛してくださっている。幼い時の思い出故か、あるいは、不幸なまま死に別れた、生みの母であるローズへの憧憬からなのか。
王妃はわたしとローズがわからなくなるほど錯乱していたし、国王陛下もまた、わたしのことをローズと呼んだ。わたしはローズの顔を知らないし、父も祖母も何も言わなかったけれど、わたしはローズに似ているのだろうか? でも、わたしは、わたし。
幼い日、リンドホルムで誰よりもわたしを愛してくれた、リジー。ずっとわたしのことを忘れず、思い続けたと、何度も言ってくれた。幼いわたしが忘れていた分まで、ずっと愛してきたと――。
今、彼の隣に立つのがわたしでなくとも、わたしは彼の言葉を信じられる。
殿下の隣に立つステファニー嬢が視線を動かし、群衆の中で誰かを探しているように見えた。たぶん、わたしを探しているのだろう、と思う間もなく、目が合う。
彼女の青い瞳が、わたしをじっと見つめる。
『わたくしがこれまで捧げてきた愛は、誰にも奪えない。そうではなくて?』
ステファニー嬢の言いたいことは、わからなくはない。少なくとも彼女は、アルバート殿下を愛していた。わたしがリジーのことを忘れてしまった年月もずっと、アルバート殿下の側にいた。……実質的な婚約者として。
アルバート殿下を愛し続けた、ステファニー嬢の年月。
わたしを思い続けた、リジーの年月。
そして空白の、わたし。リジーを忘れ、何も知らず、ただ無邪気にリンドホルムの薔薇園を守り、追い出されたわたしの年月。
神様は、誰の祈りを聞き届けてくれるのだろう?
王室長官が舞踏会の開会を宣言した。
音楽が流れ、ファーストダンスが始まる。
王太子夫妻が手を取り合い、玉座の前に出る。
ジョージ殿下の喪は明けたけれど、王太子妃殿下のドレスは黒。薄いレースが胸元や肩を覆い、ひらりと広がるスカートには、黒いレースのオーバースカート。黒いレースの手袋に、黒いジェットを連ねたチョーカー。ひらりひらりと回るたびに、レースが翻り、裾のタッセルが揺れる。
曲が終わり、拍手が沸き起こる。王室長官が、自由に踊り、楽しむようにとの、国王陛下のお言葉を伝える。周囲の人波が動き、三々五々、男女が組んで踊り始める。
「……どうします?」
ジェラルド・ブルック中尉に尋ねられたが、わたしは首を振った。
「エスコートは仕方ないけど、ダンスはダメって」
「……でしょうね」
マールバラ公爵がヴァイオレット夫人をエスコートしてフロアーに出るのを見送りながら、二人でコソコソと話し合う。
「ブルック中尉はおモテになるんでしょ? さっきから若い女性が見てますよ?」
「それはどう考えても、時の人のあなたを見ているんです」
二曲目が始まり、流麗なワルツが流れる。だが――。
前方、玉座に近い辺りで、ざわめきが起きた。見れば、フロアーにはステファニー嬢とアルバート殿下が向かい合い、半ば睨み合うような形になっている。
戸惑うように手を伸ばすステファニー嬢を、アルバート殿下が首を振り、そのまま踵を返して去ろうとする。ステファニー嬢の周囲にいた誰かが駆け寄り、殿下に何か言って――。
殿下が前方にある、目立たない小さな扉から外に出ると、慌てたようにステファニー嬢がそれを追って行った。
「うわああ……」
およそ王族がエスコートしている相手とのダンスを拒否するなんて、あり得ないのでは。
「実はこの後、恒例では、王子殿下がデビュタントのご令嬢たちと踊るんですが、殿下は拒否したんですよ」
「……拒否? 楽しみにしていた方もいらっしゃるのでは」
わたしは何となく、周囲の人々を見回す。全体の割合としては少ないものの、そこそこ、純白のドレスのご令嬢はいる。
「デビュタントと踊って、レコンフィールド公爵令嬢と踊らないってわけにいかないでしょう。彼女がデビューした年は、殿下は彼女以外の令嬢とはいっさい、踊らなかったんです。ステファニーがそれを望むから、と言って」
そんなことが、とわたしは目を見開く。
殿下の真意はともかく、そこまでしていたら、殿下がステファニー嬢を愛していると誤解されて当然だ。
それから数曲、マールバラ公爵夫妻が戻ってきて、入れ替わりにカーティス大尉とシャーロット嬢が踊りに行く。わたしはブルック中尉が持ってきてくれた、発泡ワインをちびちび舐めながら、音楽に合わせて広がり、翻る華麗なドレスの花を鑑賞していた。
突然、ブルック中尉がわたしを守るように、前に立ちはだかり、冷たい声で言った。
「……グレンジャー卿、貴卿は殿下から絶交を宣言されているはず」
「それはわかっているが、どうしても……」
見れば、アイザック・グレンジャー卿と、婚約者のシュタイナー伯爵令嬢のミランダだった。わたしは立ちあがる。
「何かご用ですの?」
「殿下が……」
言い淀んだグレンジャー卿の横から、ミランダ嬢が涙声で言う。
「殿下が、ステファニーとは踊らないと。婚約も破棄するって! あなたの差し金なの?」
「こんなところでするお話しではないと思いますけど。……わたしは殿下には何も要求してはいません」
「でも、その指輪だって……」
ミランダ嬢がわたしの、グラスを持った左手を見る。わたしは溜息をついた。
「ええ、いただきました。聖誕節の贈り物で……わたくしの、父の形見のサファイアのタイピンと交換したんです」
「ステファニーという婚約者がいるのに、聖誕節を二人で過したの? あんまりよ! ステファニーは四年も待ったのに!」
化粧が剥げるのもかまわず、泣きながら訴えるミランダ嬢の姿に、周辺に人垣ができ始める。
「殿下からは、戦争に行く前にレコンフィールド公爵令嬢との婚約話は白紙に戻したと、何度も聞いております。戦争から帰国したらすぐ、わたくしに結婚を申し込むつもりだったとも」
わたしが冷静に言えば、ミランダ嬢の隣にいた、アイザック・グレンジャー卿が驚いたように言う。
「……帰国前から君と結婚するつもりだったと? でも――」
「戦地で、父に送ったわたくしの写真を見たそうです。それで、わたくしに結婚を申し込む許しは父から得ていると。その直後に、シャルローで父は銃弾に斃れました。……殿下を庇って、と聞いております」
わたしの言葉に、ブルック中尉が頷き、踊りに行ったはずのカーティス大尉も駆けつけて来て、言った。
「あの時、僕が足に銃弾を受けて、動きが鈍って敵に迫られて――アシュバートン中佐が殿下を突き飛ばし、代わりに銃弾を――」
カーティス大尉の証言に、わたしは持っていたビーズ刺繍の小物入れから、セピア色の写真を取り出す。穴が開き、赤黒い飛沫が飛び散っている。
「……父の遺体の胸ポケットから、殿下が取り出した写真だと。……わたしと、弟です」
周囲がシンとなり、音楽がやけに響く。銃撃の痕をありありと残す写真が、命の恩人の娘と結婚したい、という殿下の主張を裏付けるからだろう。わたしは写真を小物入れに仕舞いながら言う。
「殿下と、レコンフィールド公爵令嬢との話し合いに、わたしは口を出してはいません」
「でも! あなたは要するに、死んだ父親と弟をダシに、殿下の同情を煽ってステファニーから奪い去ったのでしょう?! やり方が汚いわよ!」
「ミランダ、それは――」
アイザック・グレンジャー卿が婚約者を窘めるが、わたしはあまりの謂れように息を呑む。ずっと黙って聞いていた、マールバラ公爵が立ちあがり、言った。
「……シュタイナー伯爵令嬢、と言ったか。今の発言はあまりにも、戦死者の遺族を愚弄するものではないか? 国のために命を投げ出した者とその家族に対し、礼を失するのも甚だしい」
「それは……」
ミランダ嬢が怯んだところに、すっと影が差す。
「グレンジャー、俺はミス・アシュバートンには関わるなと言ったはずだ。シュタイナー伯爵令嬢も、彼女をこれ以上侮辱するのは許さない」
振り返れば、陸軍中将の正装に身を包んだ、アルバート殿下が立っていた。
59
あなたにおすすめの小説
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜
紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。
連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。
【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる
奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。
だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。
「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」
どう尋ねる兄の真意は……
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話
よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。
「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。
魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――
借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる
しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。
いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに……
しかしそこに現れたのは幼馴染で……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる