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番外編
警視庁ジョン・ウォード警部の捜査日誌④
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リンドホルムの駅から馬車を捕まえ、俺は街の中心部にある、警察署に向かう。
何てことはない、田舎街。ストラスシャーの荒野の畔にあり、街道沿いということもあって、街の歴史は古い。周辺では最古の教会があり、リンドホルム伯爵の居城、リンドホルム城がある。
駅から街の中心に向かう道が途中で二つに分かれる。俺はスプリングのよくない田舎の馬車の座席で、駅で買った地図を広げる。右手に行けば広大な荒野と、リンドホルム城。……これが全部居城かと思うと、相当に広い。そして左手が街……というか、規模的には村だな。村は駅から少し離れていて、少し行くと教会の尖塔が見えてきた。
一月半ばの寒々しい村を通り抜け、警察署の前に馬車が停まる。チップを大目に払って馬車を降り、門衛に声をかけると、すぐにくたびれたコートを羽織り、中折れ帽を被った中年の男が小走りにやってきた。
「やあ、えーと、警視庁の……」
「ウォード警部です。ジョン・ウォード」
俺が帽子を少し持ち上げると、男も同様に帽子を持ち上げ、挨拶した。
「わざわざどうも、スティーヴ・エヴァンズ警部です。よろしく。リンドホルム伯爵の墓あばき、および毒殺事件を担当します」
「……もう、毒殺と決まったんですか」
俺の問いに、エヴァンズ警部は肩を竦めて見せた。
「致死量を上回る砒素が検出されて、拘束された執事が毒物の混入を認めています。……医者、つまり、現伯爵は黙秘を貫いていますがね」
エヴァンズ警部は俺をうすら寒い応接室に連れて行くと、警官に熱いお茶を言いつける。
「まあ、座ってください。寒いですから、お茶でも飲みながらじゃないと、舌も動きませんや。説明しますよ」
俺とエヴァンズ警部は向かい合って革張りのソファに腰を下ろし、警官が持ってきたお茶を飲む。……薄い。市警の紅茶もコーヒーもあまり美味くないが、これはそれを上回る不味さ。それでも喉が渇いていたし、次、いつ熱いお茶が飲めるかわからないから、俺は味のしない紅茶に砂糖をぶち込んで飲み込む。
「まず――検死審問は明日。昨日ですが、王都から被害者……えっと故ウィリアム卿の姉も到着しました。彼女の証言が必要ですのでね」
「それは、第三王子殿下の――」
俺が言いかけると、エヴァンズ警部が意味ありげに笑った。
「ええ。さすがの別嬪でしたよ。近くで見るのは初めてです。今、二十歳くらいですかね。綺麗になりましたよ」
俺は目を瞠った。
……そうだ、三年前に十四歳の少年の、未婚の姉なのだから二十歳ぐらいで当然なのだ。
なんとなくだが、王子を誘惑して貢がせていたんだから、それなりの年齢だと思い込んでいたらしい。
俺は内心、舌打ちした。……根拠のない思い込みこそ、最も戒めるべきなのに。
「だいたいの関係者からの証言が取れました。ただ、現伯爵、サイラス・アシュバートンは黙秘中で、その息子、ダグラス・アシュバートンは年末に王都に出掛けたきり、消息不明。現在、重要参考人として手配中です。伯爵夫人……あれを伯爵夫人と呼ばなきゃならんのは、リンドホルムの住人として極めて遺憾だが、ジェーン夫人は夫の逮捕で錯乱中、夫人の姪ヴィクトリア嬢は、犯人はミス・エルスペス……つまり、前伯爵の姉だと言い張っているし、話にもなりませんがね」
エヴァンズ警部が差し出す調書を素早く読みながら、俺は眉間に皺を寄せる。
「執事……アーチャーは犯行を認めている。でも、親の代から務めている邸の、跡を継いだばかりの伯爵を殺しますかね。それもまだ、十四歳の」
「ええその、秘密を握られていたって言うんですけどね。……ダグラスに。それで脅されていたって」
エヴァンズ警部が言う。
「その秘密が何だったのか、なかなか喋らないので、昨日、令状を取って城の、奴の部屋を捜索したんですよ。そしたら――」
「……何が出たんです?」
エヴァンズ警部が俺の顔の側に顔を寄せ、声を潜める。
「彼女の写真」
「彼女?」
「ミス・エルスペス・アシュバートン。被害者の姉にして、前リンドホルム伯爵マックス・アシュバートン卿のご令嬢。彼女の、幼少時からの写真がわんさと。……奴さん、写真が趣味らしくて、自室のクローゼットを暗室に改造してたんですよ。そんで、隠し撮りした写真が山のように」
俺は無意識に目を瞬いた。
「三十も年下の、さらに主家のご令嬢ですからね。この性癖を暴かれたら、クビは間違いない。日記も押収しましたが、まだ解読はしてない。でも、かなりの妄想と妄執を拗らせていたようですよ。幼女が好きというか、主家のお嬢様への歪んだ執着……て感じですかねぇ」
茫然としている俺に、エヴァンズ警部が面白そうに笑った。
「会いますか? アーチャーに。検死審問の前に会っておいてもいいかもしれませんよ」
「ああ! もちろん」
俺は即座に頷いた。
アーチャーは警察署内の拘置所にいた。
伯爵家の敏腕執事だった面影はなく、無精ひげが伸び、シャツのボタンも二つ程開いて、いかにもくたびれていた。それでも、俺の姿を認めると背筋を伸ばして居住まいを正した。
「アーチャー、王都の警視庁から来た、ウォード警部だよ」
エヴァンズ警部が言えば、アーチャーは目礼した。
「……よろしく。早速だけど、あんたが伯爵の皿に毒を入れたのは、本当?」
「はい、私がやりました。サイラス様に渡された薬を、ビリー坊ちゃまの皿に……」
「脅されていたってのは……」
アーチャーは目を伏せる。部屋を捜索したことは、すでに聞いているのだろう。
「俺もさっき押収された写真を見たけど……すごいコレクションだな。あれだけの数を隠し撮りするのは、大変だっただろう?」
「隠し撮り、と言うか……」
アーチャーが言った。
「私の趣味が写真というのは、旦那様や大奥様もご存知で。村には写真屋もおりますが、いちいち呼びつけるのも面倒だというので、私が撮影を頼まれることも多かったのです。ですから、私が写真機を抱えて歩いていても、あまり気にされることはなくて……」
子供たちは写真を撮られたがるが、綺麗に映った何枚かを渡しておけば、残りの写真の行く末など気にしない。二三枚、モデルになれば、後は飽きてしまってカメラには見向きもしないから、結果的に隠し撮りっぽくなるだけだと。
「ですが、その写真を溜めこんでいたのは間違いありませんので……」
押収された写真のほとんどすべてがエルスペス嬢のものである以上、言い逃れはできまい。
「……騙されたのですよ、ダグラスに。お嬢様はいつか、お嫁に行ってしまう。でも、坊ちゃまが死ねば、エルスペスお嬢様に代襲相続が許されるだろう。そうなったら、お嬢様は婿を取り、ずっとリンドホルムに残ると――」
アーチャーはボサボサになった髪を掻き毟る。
「あの写真の束や、私がエルスペスお嬢様に執心していることが大奥様に知られたら、間違いなく、クビになります。それに……旦那様と王都の病院のやり取りから、どうやら、ビリー坊ちゃまには、子を生す能力がないと言うのも知っておりました。ビリー坊ちゃまには罪のないことですが、旦那様が戦死なさった直後の今なら、絶対にお嬢様の代襲相続は認められるから、むしろ今しかチャンスはないとまで言われて、私は――」
アーチャーは古びた木の机に突っ伏して、嗚咽を漏らす。
「あんな罪深いことを、あんな――なのに、お嬢様の代襲相続は却下されて、大奥様と二人、城を出ていかれたのです! あんな――私はいったい――」
拘置所には、アーチャーの悲痛な泣き声がしばらく続いていた。
「つまり、黒幕はダグラス・アシュバートンってことなのか?」
さきほどの応接室に戻り、もう一度、薄く不味い紅茶を飲みながら、俺が尋ねれば、エヴァンズ警部が頷く。
「アーチャーの話を信じれば、そうですね」
俺は中折れ帽を取ってテーブルに置き、頭を掻いた。
「……わからんな。サイラス・アシュバートンはウィリアムの次の継承者だったんだろう? ウィリアムが急死したら、普通にサイラスが疑われるんじゃないか? なぜあっさり死亡診断書が受理されて、埋葬許可が下りているんだ?」
エヴァンズ警部が言う。
「サイラスよりも、ジェームズ・アシュバートンって言う、先代のマックス卿の別の従兄の息子がいて、そちらの方が継承順位が高かった。……マックス卿と前後して東部戦線で戦死してましてね。あの頃は王都も戦地も大混乱だったでしょう? ホラ、グリージャの突然の宣戦布告もあって」
俺は三年前の状況を思い出す。そうだ、西部戦線では、義姉・スーザンの夫も戦死したんだった。状況が全然、わからなくて、スーザンが半狂乱だった。――疎遠な親戚だったら、戦死の知らせが遅れてもしょうがない。
エヴァンズ警部が、別の調書を捲る。
「弁護士のジェファーソンに拠れば、ウィリアムの死後、アシュバートン家は即座に、エルスペス嬢への代襲相続を願い出たそうです」
我が国では、爵位もそれに付随する領地も、女児の相続は許されない。だが戦死などの場合は、女児の直系の息子への相続は許される。エルスペス嬢は未婚だったけれど、彼女が将来、産むであろう男児への相続を願い出たわけだ。
「俺は貴族じゃないからわからんが、それは通常、認められるのか?」
「ええ、弁護士のジェファーソンは却下されて驚いたと」
エヴァンズ警部は続ける。
「サイラスは自分が相続するのではなく、代襲相続したエルスペス嬢の婿に、自分の息子ダグラスを押し込もうとしたんです。ウルスラ夫人に、けんもほろろに拒否されたようですが」
俺は首を傾げる。
「……首謀者はサイラスじゃなくてダグラスなのだとしたら、ダグラス自身がエルスペス嬢の婿になるつもりだった、ということか?」
「ああ、それで、あのヴィクトリア嬢が騒いでいたわけですね」
エヴァンズ警部が納得、という風にしきりに頷いている。
「ジェーン夫人の姪のヴィクトリア嬢は、ダグラスの恋人なんですが、ダグラスの方はフラフラしていっこうに結婚する様子がない。ヴィクトリア嬢は、一連の事件はエルスペス嬢の差し金だと騒いでいてね。どう考えても無理なんですけど」
俺は眉間に皺を寄せて考え込む。
「つまり、ダグラスもエルスペス嬢を狙っていたってことか……?」
アーチャーに、ダグラス……そして、アルバート殿下。考え込んでしまった俺に、エヴァンズ警部が言う。
「まあ、ヴィクトリア嬢の言うことも、あながち的外れではないんですよ。少なくとも、三年後の今になってウィリアムの毒殺が発覚したのは、エルスペス嬢のおかげですからね」
「というのは?」
「実は――」
とエヴァンズ警部は内密の話と断った上で、打ち明けてくれた。
「ウィリアムの死体は、年明け早々にごく、秘密裡に司法解剖していましてね」
「ええ? どういうことです?」
「アルバート殿下の意向ですよ。本来は捜査令状が必要ですが、そこは王族特権というかで、極秘に掘り返して解剖して――そうして、砒素が検出されていたんです」
何てことはない、田舎街。ストラスシャーの荒野の畔にあり、街道沿いということもあって、街の歴史は古い。周辺では最古の教会があり、リンドホルム伯爵の居城、リンドホルム城がある。
駅から街の中心に向かう道が途中で二つに分かれる。俺はスプリングのよくない田舎の馬車の座席で、駅で買った地図を広げる。右手に行けば広大な荒野と、リンドホルム城。……これが全部居城かと思うと、相当に広い。そして左手が街……というか、規模的には村だな。村は駅から少し離れていて、少し行くと教会の尖塔が見えてきた。
一月半ばの寒々しい村を通り抜け、警察署の前に馬車が停まる。チップを大目に払って馬車を降り、門衛に声をかけると、すぐにくたびれたコートを羽織り、中折れ帽を被った中年の男が小走りにやってきた。
「やあ、えーと、警視庁の……」
「ウォード警部です。ジョン・ウォード」
俺が帽子を少し持ち上げると、男も同様に帽子を持ち上げ、挨拶した。
「わざわざどうも、スティーヴ・エヴァンズ警部です。よろしく。リンドホルム伯爵の墓あばき、および毒殺事件を担当します」
「……もう、毒殺と決まったんですか」
俺の問いに、エヴァンズ警部は肩を竦めて見せた。
「致死量を上回る砒素が検出されて、拘束された執事が毒物の混入を認めています。……医者、つまり、現伯爵は黙秘を貫いていますがね」
エヴァンズ警部は俺をうすら寒い応接室に連れて行くと、警官に熱いお茶を言いつける。
「まあ、座ってください。寒いですから、お茶でも飲みながらじゃないと、舌も動きませんや。説明しますよ」
俺とエヴァンズ警部は向かい合って革張りのソファに腰を下ろし、警官が持ってきたお茶を飲む。……薄い。市警の紅茶もコーヒーもあまり美味くないが、これはそれを上回る不味さ。それでも喉が渇いていたし、次、いつ熱いお茶が飲めるかわからないから、俺は味のしない紅茶に砂糖をぶち込んで飲み込む。
「まず――検死審問は明日。昨日ですが、王都から被害者……えっと故ウィリアム卿の姉も到着しました。彼女の証言が必要ですのでね」
「それは、第三王子殿下の――」
俺が言いかけると、エヴァンズ警部が意味ありげに笑った。
「ええ。さすがの別嬪でしたよ。近くで見るのは初めてです。今、二十歳くらいですかね。綺麗になりましたよ」
俺は目を瞠った。
……そうだ、三年前に十四歳の少年の、未婚の姉なのだから二十歳ぐらいで当然なのだ。
なんとなくだが、王子を誘惑して貢がせていたんだから、それなりの年齢だと思い込んでいたらしい。
俺は内心、舌打ちした。……根拠のない思い込みこそ、最も戒めるべきなのに。
「だいたいの関係者からの証言が取れました。ただ、現伯爵、サイラス・アシュバートンは黙秘中で、その息子、ダグラス・アシュバートンは年末に王都に出掛けたきり、消息不明。現在、重要参考人として手配中です。伯爵夫人……あれを伯爵夫人と呼ばなきゃならんのは、リンドホルムの住人として極めて遺憾だが、ジェーン夫人は夫の逮捕で錯乱中、夫人の姪ヴィクトリア嬢は、犯人はミス・エルスペス……つまり、前伯爵の姉だと言い張っているし、話にもなりませんがね」
エヴァンズ警部が差し出す調書を素早く読みながら、俺は眉間に皺を寄せる。
「執事……アーチャーは犯行を認めている。でも、親の代から務めている邸の、跡を継いだばかりの伯爵を殺しますかね。それもまだ、十四歳の」
「ええその、秘密を握られていたって言うんですけどね。……ダグラスに。それで脅されていたって」
エヴァンズ警部が言う。
「その秘密が何だったのか、なかなか喋らないので、昨日、令状を取って城の、奴の部屋を捜索したんですよ。そしたら――」
「……何が出たんです?」
エヴァンズ警部が俺の顔の側に顔を寄せ、声を潜める。
「彼女の写真」
「彼女?」
「ミス・エルスペス・アシュバートン。被害者の姉にして、前リンドホルム伯爵マックス・アシュバートン卿のご令嬢。彼女の、幼少時からの写真がわんさと。……奴さん、写真が趣味らしくて、自室のクローゼットを暗室に改造してたんですよ。そんで、隠し撮りした写真が山のように」
俺は無意識に目を瞬いた。
「三十も年下の、さらに主家のご令嬢ですからね。この性癖を暴かれたら、クビは間違いない。日記も押収しましたが、まだ解読はしてない。でも、かなりの妄想と妄執を拗らせていたようですよ。幼女が好きというか、主家のお嬢様への歪んだ執着……て感じですかねぇ」
茫然としている俺に、エヴァンズ警部が面白そうに笑った。
「会いますか? アーチャーに。検死審問の前に会っておいてもいいかもしれませんよ」
「ああ! もちろん」
俺は即座に頷いた。
アーチャーは警察署内の拘置所にいた。
伯爵家の敏腕執事だった面影はなく、無精ひげが伸び、シャツのボタンも二つ程開いて、いかにもくたびれていた。それでも、俺の姿を認めると背筋を伸ばして居住まいを正した。
「アーチャー、王都の警視庁から来た、ウォード警部だよ」
エヴァンズ警部が言えば、アーチャーは目礼した。
「……よろしく。早速だけど、あんたが伯爵の皿に毒を入れたのは、本当?」
「はい、私がやりました。サイラス様に渡された薬を、ビリー坊ちゃまの皿に……」
「脅されていたってのは……」
アーチャーは目を伏せる。部屋を捜索したことは、すでに聞いているのだろう。
「俺もさっき押収された写真を見たけど……すごいコレクションだな。あれだけの数を隠し撮りするのは、大変だっただろう?」
「隠し撮り、と言うか……」
アーチャーが言った。
「私の趣味が写真というのは、旦那様や大奥様もご存知で。村には写真屋もおりますが、いちいち呼びつけるのも面倒だというので、私が撮影を頼まれることも多かったのです。ですから、私が写真機を抱えて歩いていても、あまり気にされることはなくて……」
子供たちは写真を撮られたがるが、綺麗に映った何枚かを渡しておけば、残りの写真の行く末など気にしない。二三枚、モデルになれば、後は飽きてしまってカメラには見向きもしないから、結果的に隠し撮りっぽくなるだけだと。
「ですが、その写真を溜めこんでいたのは間違いありませんので……」
押収された写真のほとんどすべてがエルスペス嬢のものである以上、言い逃れはできまい。
「……騙されたのですよ、ダグラスに。お嬢様はいつか、お嫁に行ってしまう。でも、坊ちゃまが死ねば、エルスペスお嬢様に代襲相続が許されるだろう。そうなったら、お嬢様は婿を取り、ずっとリンドホルムに残ると――」
アーチャーはボサボサになった髪を掻き毟る。
「あの写真の束や、私がエルスペスお嬢様に執心していることが大奥様に知られたら、間違いなく、クビになります。それに……旦那様と王都の病院のやり取りから、どうやら、ビリー坊ちゃまには、子を生す能力がないと言うのも知っておりました。ビリー坊ちゃまには罪のないことですが、旦那様が戦死なさった直後の今なら、絶対にお嬢様の代襲相続は認められるから、むしろ今しかチャンスはないとまで言われて、私は――」
アーチャーは古びた木の机に突っ伏して、嗚咽を漏らす。
「あんな罪深いことを、あんな――なのに、お嬢様の代襲相続は却下されて、大奥様と二人、城を出ていかれたのです! あんな――私はいったい――」
拘置所には、アーチャーの悲痛な泣き声がしばらく続いていた。
「つまり、黒幕はダグラス・アシュバートンってことなのか?」
さきほどの応接室に戻り、もう一度、薄く不味い紅茶を飲みながら、俺が尋ねれば、エヴァンズ警部が頷く。
「アーチャーの話を信じれば、そうですね」
俺は中折れ帽を取ってテーブルに置き、頭を掻いた。
「……わからんな。サイラス・アシュバートンはウィリアムの次の継承者だったんだろう? ウィリアムが急死したら、普通にサイラスが疑われるんじゃないか? なぜあっさり死亡診断書が受理されて、埋葬許可が下りているんだ?」
エヴァンズ警部が言う。
「サイラスよりも、ジェームズ・アシュバートンって言う、先代のマックス卿の別の従兄の息子がいて、そちらの方が継承順位が高かった。……マックス卿と前後して東部戦線で戦死してましてね。あの頃は王都も戦地も大混乱だったでしょう? ホラ、グリージャの突然の宣戦布告もあって」
俺は三年前の状況を思い出す。そうだ、西部戦線では、義姉・スーザンの夫も戦死したんだった。状況が全然、わからなくて、スーザンが半狂乱だった。――疎遠な親戚だったら、戦死の知らせが遅れてもしょうがない。
エヴァンズ警部が、別の調書を捲る。
「弁護士のジェファーソンに拠れば、ウィリアムの死後、アシュバートン家は即座に、エルスペス嬢への代襲相続を願い出たそうです」
我が国では、爵位もそれに付随する領地も、女児の相続は許されない。だが戦死などの場合は、女児の直系の息子への相続は許される。エルスペス嬢は未婚だったけれど、彼女が将来、産むであろう男児への相続を願い出たわけだ。
「俺は貴族じゃないからわからんが、それは通常、認められるのか?」
「ええ、弁護士のジェファーソンは却下されて驚いたと」
エヴァンズ警部は続ける。
「サイラスは自分が相続するのではなく、代襲相続したエルスペス嬢の婿に、自分の息子ダグラスを押し込もうとしたんです。ウルスラ夫人に、けんもほろろに拒否されたようですが」
俺は首を傾げる。
「……首謀者はサイラスじゃなくてダグラスなのだとしたら、ダグラス自身がエルスペス嬢の婿になるつもりだった、ということか?」
「ああ、それで、あのヴィクトリア嬢が騒いでいたわけですね」
エヴァンズ警部が納得、という風にしきりに頷いている。
「ジェーン夫人の姪のヴィクトリア嬢は、ダグラスの恋人なんですが、ダグラスの方はフラフラしていっこうに結婚する様子がない。ヴィクトリア嬢は、一連の事件はエルスペス嬢の差し金だと騒いでいてね。どう考えても無理なんですけど」
俺は眉間に皺を寄せて考え込む。
「つまり、ダグラスもエルスペス嬢を狙っていたってことか……?」
アーチャーに、ダグラス……そして、アルバート殿下。考え込んでしまった俺に、エヴァンズ警部が言う。
「まあ、ヴィクトリア嬢の言うことも、あながち的外れではないんですよ。少なくとも、三年後の今になってウィリアムの毒殺が発覚したのは、エルスペス嬢のおかげですからね」
「というのは?」
「実は――」
とエヴァンズ警部は内密の話と断った上で、打ち明けてくれた。
「ウィリアムの死体は、年明け早々にごく、秘密裡に司法解剖していましてね」
「ええ? どういうことです?」
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