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6、打診
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執務室にラファエルが訪れ、正式な任命書を渡す。ビシリと美しい騎士の礼を取り、ラファエルがそれを受け取ると、王は人払いしてラファエルに言った。
「そなたをジュスティーヌの護衛に任命するのは、人柄や騎士としての技量ももちろんだが、先だってのヴィトレ砦での功績に、まだ酬いていないことが気になっているのだ。いずれは然るべき爵位と領地を、と思うが、知っているとおり、いろいろとうるさく言う者たちがいて、すぐにというわけにはいかない。それでだ――」
王はコホンと咳払いして重々しく言った。
「そなたはまだ婚約者はいないと聞いている。どうだろう、もし、ジュスティーヌをもらってくれるのであれば、王女の降嫁先として、相応の爵位と領地を用意できるのだが――」
「陛下っ……」
片膝ついて王を見上げていたラファエルが思わず絶句する。しばらく紫色の瞳を見開いていたが、だがラファエルは大きく息を吸うと、言った。
「陛下……お気持ちは非常にありがたいのですが……確かに、正式な婚約はしていませんが、私にはすでに、将来を誓った女性がおります。彼女の父上には、まだ許してもらえないのですが……」
「そうなのか……」
あからさまにがっかりした顔をする国王に、ラファエルは申し訳なさそうに頭を下げる。だが、マルスランは引き下がらなかった。
「差し支えなければ、相手の女性の名を教えて欲しい。ジロンド伯爵の息子で王宮の近衛騎士であるおぬしの求婚を、跳ねのけるとは信じがたい」
王太子の問いに、ラファエルは答えるべきか否かしばし逡巡する。
「その……交際は秘密なのです。もし漏れれば……」
「秘密は守ろう。だが、わが側近が妻と望む女性の背景を、私は把握しておく必要がある」
そこまで言われ、ラファエルは観念して小声で答える。
「……アギヨン侯爵の次女の、ミレイユ嬢です」
銀色の頭を垂れるラファエルの返答に、王も王太子も顔を見合わせて眉間に皺を寄せた。ラファエルらに対する新たな叙爵を、強硬に反対した守旧派の筆頭こそ、アギヨン侯爵であったからだ。
「なるほど。少々意外ではあるが。だが、侯爵が結婚を認めぬ理由がわからない」
王がラファエルに尋ねると、ラファエルの端麗な眉が少しだけ歪んだ。
「……爵位も領地もない男にはやれぬと、その一点ばりで」
王党派のジロンド伯と守旧派のアギヨン侯とは対立する陣営にある。ジロンド伯はもともと、王家に仕える郎党が、王家の勢力拡大とともに封爵を得た、言わば譜代の臣である。王都近郊に所領を有して経済的に余裕はあるが、所領自体それほど大きくないので、原則として分割相続はしない。次男、三男は王宮に出仕して王に忠誠を誓い、自己の才覚によって功績をあげ、自分の封爵を王から獲得する、そういう一族だ。一方のアギヨン侯爵は先祖が自ら切り取った地方の広大な領地を代々継承し、地方領主同士で結びついて、時には連合して王に対して要求を突きつける。爵位も封地もない男では、王に対して圧力をかける際の、戦力にならない。そういう男と婚姻を結んでも何の益にもならないと考えているのだ。
「なるほど、爵位――ではこの前の砦の件で叙爵が叶わなかったのは、残念であったろうな」
「それは――何事も陛下のお考えのままでございます故、臣下として言うことはございません」
つまり、ラファエルに対しては爵位を得なければ結婚は認めないと突っぱねておきながら、功績をあげたラファエルへの叙爵を潰したのがアギヨン侯爵その人なのだ。
潔癖なマルスランの中に、アギヨン侯爵への不快感が急速に沸き上がる。
「爵位か……ジュスティーヌの婿になってくれるのであれば、すぐにでもどこか直轄地を分け与えてもいいのだが、アギヨン侯の婿になるためとなれば、おいそれと封爵を与える気にもならんな。――どうだろう、ラファエル。令嬢とはまだ正式な婚約ではないということは、おぬしは自由の身ということだろう?」
マルスランの言葉に、ラファエルは当惑する。
「それは……ですが俺……いえ、私は彼女以外とは――」
「どのみち、叙爵されなければ結婚は認めてもらえないのだろう。今のままなら、永遠に無理だぞ」
その言葉の意味を悟り、ラファエルははっと表情を変える。――つまり、ジュスティーヌとの結婚を了承しない限り、ラファエルの叙爵はない。となれば、アギヨン侯爵の娘との結婚も不可能だ。
「殿下――?」
「何、ゆっくり考えてくれていい。我々も、ジュスティーヌの結婚を急ぐつもりはないのだ」
ラファエルは息を飲み、凍り付いたように王太子の青い瞳を見つめていた。
「そなたをジュスティーヌの護衛に任命するのは、人柄や騎士としての技量ももちろんだが、先だってのヴィトレ砦での功績に、まだ酬いていないことが気になっているのだ。いずれは然るべき爵位と領地を、と思うが、知っているとおり、いろいろとうるさく言う者たちがいて、すぐにというわけにはいかない。それでだ――」
王はコホンと咳払いして重々しく言った。
「そなたはまだ婚約者はいないと聞いている。どうだろう、もし、ジュスティーヌをもらってくれるのであれば、王女の降嫁先として、相応の爵位と領地を用意できるのだが――」
「陛下っ……」
片膝ついて王を見上げていたラファエルが思わず絶句する。しばらく紫色の瞳を見開いていたが、だがラファエルは大きく息を吸うと、言った。
「陛下……お気持ちは非常にありがたいのですが……確かに、正式な婚約はしていませんが、私にはすでに、将来を誓った女性がおります。彼女の父上には、まだ許してもらえないのですが……」
「そうなのか……」
あからさまにがっかりした顔をする国王に、ラファエルは申し訳なさそうに頭を下げる。だが、マルスランは引き下がらなかった。
「差し支えなければ、相手の女性の名を教えて欲しい。ジロンド伯爵の息子で王宮の近衛騎士であるおぬしの求婚を、跳ねのけるとは信じがたい」
王太子の問いに、ラファエルは答えるべきか否かしばし逡巡する。
「その……交際は秘密なのです。もし漏れれば……」
「秘密は守ろう。だが、わが側近が妻と望む女性の背景を、私は把握しておく必要がある」
そこまで言われ、ラファエルは観念して小声で答える。
「……アギヨン侯爵の次女の、ミレイユ嬢です」
銀色の頭を垂れるラファエルの返答に、王も王太子も顔を見合わせて眉間に皺を寄せた。ラファエルらに対する新たな叙爵を、強硬に反対した守旧派の筆頭こそ、アギヨン侯爵であったからだ。
「なるほど。少々意外ではあるが。だが、侯爵が結婚を認めぬ理由がわからない」
王がラファエルに尋ねると、ラファエルの端麗な眉が少しだけ歪んだ。
「……爵位も領地もない男にはやれぬと、その一点ばりで」
王党派のジロンド伯と守旧派のアギヨン侯とは対立する陣営にある。ジロンド伯はもともと、王家に仕える郎党が、王家の勢力拡大とともに封爵を得た、言わば譜代の臣である。王都近郊に所領を有して経済的に余裕はあるが、所領自体それほど大きくないので、原則として分割相続はしない。次男、三男は王宮に出仕して王に忠誠を誓い、自己の才覚によって功績をあげ、自分の封爵を王から獲得する、そういう一族だ。一方のアギヨン侯爵は先祖が自ら切り取った地方の広大な領地を代々継承し、地方領主同士で結びついて、時には連合して王に対して要求を突きつける。爵位も封地もない男では、王に対して圧力をかける際の、戦力にならない。そういう男と婚姻を結んでも何の益にもならないと考えているのだ。
「なるほど、爵位――ではこの前の砦の件で叙爵が叶わなかったのは、残念であったろうな」
「それは――何事も陛下のお考えのままでございます故、臣下として言うことはございません」
つまり、ラファエルに対しては爵位を得なければ結婚は認めないと突っぱねておきながら、功績をあげたラファエルへの叙爵を潰したのがアギヨン侯爵その人なのだ。
潔癖なマルスランの中に、アギヨン侯爵への不快感が急速に沸き上がる。
「爵位か……ジュスティーヌの婿になってくれるのであれば、すぐにでもどこか直轄地を分け与えてもいいのだが、アギヨン侯の婿になるためとなれば、おいそれと封爵を与える気にもならんな。――どうだろう、ラファエル。令嬢とはまだ正式な婚約ではないということは、おぬしは自由の身ということだろう?」
マルスランの言葉に、ラファエルは当惑する。
「それは……ですが俺……いえ、私は彼女以外とは――」
「どのみち、叙爵されなければ結婚は認めてもらえないのだろう。今のままなら、永遠に無理だぞ」
その言葉の意味を悟り、ラファエルははっと表情を変える。――つまり、ジュスティーヌとの結婚を了承しない限り、ラファエルの叙爵はない。となれば、アギヨン侯爵の娘との結婚も不可能だ。
「殿下――?」
「何、ゆっくり考えてくれていい。我々も、ジュスティーヌの結婚を急ぐつもりはないのだ」
ラファエルは息を飲み、凍り付いたように王太子の青い瞳を見つめていた。
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