【R18】女嫌いの医者と偽りのシークレット・ベビー

無憂

文字の大きさ
15 / 43

15、クライブ・マコーレー

しおりを挟む
 下男にトランクを運ばせて、僕とルーカスは最後に、角の雑貨屋の女将おかみに挨拶した。

「じゃあ、ローズはお貴族様のお屋敷にいるのかい」
「うん、そう。おじさんのおうち」

 その雑貨屋はゴミゴミして狭く、フロックコートにかぎ裂きを作りそうなので、僕は店の中には入らずに外に立っていた。女将さんが僕を見て言う。

「つまり、あんた――」

 女将さんが言い差してルーカスを見る。僕はピンときたので、ルーカスに言った。

「お友達にお別れの挨拶をしておいで。……その、チョコレートバーを何本か買っていくといい」

 僕がポケットから銀貨を出すと、女将さんが心得てチョコレートバーを出し、箱ごとルーカスに渡す。

「ありがとう! 行ってくる!」
 
 チョコレートバーの箱を抱えてルーカスが駆け去ってから、店の戸口まで出てきた女将さんが言う。

「ローズは医者のマコーレー先生とデキてるわよ?」
「知ってる」

 僕が笑いながら言えば、女将は興味津々という表情で尋ねる。

「知ってて? じゃあ、あんた、あの子が妊娠してるのもわかってて囲うつもり?」

 さすが、女将はローズの様子から妊娠に気づいていたらしい。

「僕だって医者の端くれだから、そのくらいは。――マコーレーは、自分の子じゃないからと、ローズに出て行くように言ったそうだよ」
「ああ、やっぱり」

 女将さんが顔を歪める。

「マコーレー先生はこんな下町でも診療してくれて、ありがたいとは思うのよ。でも、少々、あくどいのよね」

 特に、若い女がいる家には、最初は家賃もいらないなんて言いながら、数か月後にまとめて請求し、払えなければ体を要求するのが、いつものやり口だという。

「……じゃあ、ローズの他にも被害者が?」
「女房に頭が上がらないらしくて。同時期に愛人二人はダメみたい」
「……女房公認の浮気ってこと?」

 女将が肩を竦めて見せる。

「多少の火遊は大目に見ているんでしょうけどね。でも、ローズとはけっこう長いから――」
「……なるほど」

 僕は女将に微笑んで見せると、内ポケットの札入れから一ポンド紙幣を出して女将の手に握らせる。

「今まで世話になったよ。僕とローズの幸運を祈ってくれ」
「おや、旦那、気前のいいことで」

 女将が僕の耳元で囁く。

「ああ、先生が薬を卸してる娼館がわかったわ。クロスチャーチのリンガー通り、『紅の館』っていう店よ」
「ありがとう、女将、助かるよ」

 僕は女将に礼を言って店を離れる。ちょうど、ルーカスが友達に手を振って別れるところだった。




 僕とルーカスは歩いて馬車まで戻り、御者がルーカスを馬車に担ぎ上げる間に、僕は待っていた下男のサムにある場所への伝言を頼む。ポケットの銀貨をおまけにつけてやると、サムは帽子を取って一礼し、すぐに駆けだして行った。

「あのお兄さんは一緒に行かないの?」
「ん? ちょっと用事を頼んだ。……ウェリントン通りにやってくれ」
「畏まりました」

 僕が指示を出すと、御者はすぐにピシリと馬に鞭を当てる。動き出した馬車の窓から、遠ざかる街を眺めていたルーカスが、僕を振りかえる。

「どこに行くの?」
「マコーレー先生の家だ。鍵を返しに行かないと」

 下町からマコーレーの家は目と鼻の先、普通の中流住宅だった。開業医とはいえ往診専門で、診療所は開いていないのだ。
 ルーカスを馬車の中で待たせて、僕は一人で玄関前の階段ステップを上り、呼び鈴を押す。
 すぐに、白髪頭の老女が扉を開けた。

「どなたさま? 急患?」
「いえ、借家の件で。イライアス・ハミルトンと申します」

 僕がトップハットを持ち上げると、老婆は僕が貴族だと気づいて、慌てて中に入って大声で呼んだ。

「奥様ー! 旦那様の借家の件で、お客様が!」
「なんですって?」

 バタバタと出てきたのは癇の強そうな痩せぎすの中年女。眉間の皺が深く刻まれて目つきが悪い。何か、最近、こういう顔を見たんだが、どこで――

「マコーレーの家内でございます。主人は今、往診に出ておりますが」
「ああ、失礼。知り合いが退去するので、鍵をお返しに上がったのです。ご主人がいらっしゃらないなら、どうしましょう。鍵だけ奥さんにお預けしても――」

 と、その時、ちょうどマコーレーが帰ってきて、玄関先に止まる我が家の馬車を不審そうにジロジロ見て、そして玄関に立つ僕を見上げる。

「失礼、マコーレー先生?」

 僕がトップハットを持ち上げ、挨拶する。

「ハミルトンと申します。マクミラン侯爵です。――ミズ・ローズマリー・オルコットの家の、鍵をお返しに」
「……!」

 マコーレーは僕へ挨拶を返すのも早々に、慌てて女房を盗み見る。女房は露骨に眉が吊り上がり、額に青筋が浮かぶ。ローズマリーとの関係を知っているんだ。

 ――ああ、あれだ。博物館で見た、東洋の仮面劇のお面。たしか、嫉妬深い女を表す般若ハンニャとかいうの。あれにそっくり。

「立ち話でもなんですので、狭いですがどうぞお入りください」
「失礼します」

 玄関脇に小さな応接間があって、僕は勧められるままにソファに腰を下ろす。さっきの老女がお茶を運んできて、僕は一口飲んだ。――植民地産の、普通の茶葉。中流の家ならこんなもんだろう。

 話が気になるのかなかなか下がろうとしない女房に何か言いつけて追い出し、マコーレーはハンカチを出して額の汗を拭う。

「いえ、どうもすみません。……その、ローズ……いえ、オルコット嬢が退去すると。今はどちらに」
「僕の屋敷です」
「え? マクミラン侯爵邸に? その、もしかして、閣下はその……ルーカスの父親では」

 僕の顔を探るように見るマコーレーの視線は、正直、気分のよいものではない。だが、僕は顔色を変えずに説明する。

「残念ながら、僕はルーカスの父親ではありません。友人の依頼で、オルコット嬢とその子の行方を捜していました。ルーカスは友人の子に間違いないと思います。ですので、僕の屋敷に移ってもらい、貴族としての教育を施すつもりです。――これまでお世話になりました」

 僕が鍵を出してテーブルに置くと、マコーレーが小狡そうな小さな茶色い目を見開く。

「その――まことに言いかねるのですが、ローズはああ見えてしたたかな女で、けっこな額の家賃が未払いになっておりまして。その請求はマクミラン侯爵家に回しても?」

 マコーレーの発言に、僕が思わず目をすがめる。――なるほど、取れそうなところからは金を取ろうというやつだ。たくましいというよりは、盗人猛々しい。

「彼女は、家賃分の代償は支払っているはずです。あくまで請求なさるなら、我が家の僕の弁護士を間に立てましょう」
「いや、あんな女のためにそこまでせずとも、あなたにとっては大した金額ではないでしょう。こんなことで裁判になれば、あなたの不名誉になります。まだ、お若い方がそのような危険を冒さなくとも」

 僕が青二才だと見くびって、ニヤニヤといやらしい顔で笑うマコーレーの、やや薄くなった頭頂部を見下ろし、僕もにっこりと微笑み返す。

「いえ、危険は何もないですよ。刑事だけじゃなくて民事も加わるだけの話ですので」
しおりを挟む
感想 55

あなたにおすすめの小説

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

異世界に落ちて、溺愛されました。

恋愛
満月の月明かりの中、自宅への帰り道に、穴に落ちた私。 落ちた先は異世界。そこで、私を番と話す人に溺愛されました。

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた

狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた 当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。

黒騎士団の娼婦

イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。 異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。 頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。 煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。 誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。 「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」 ※本作はAIとの共同制作作品です。 ※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...