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四竅
1、思い出の菓子
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年が明け、十五歳になって成年を迎えたユエリン皇子は、皇后所生の皇子であるために皇位継承権のある親王の爵位を賜り、同時に上級騎士として皇帝直属軍である禁軍の少尉を拝命した。爵位に附随する称号は「恭」。以後、ユエリン皇子は恭親王と呼びならわされる。
恭親王は禁軍少尉任官によって、後宮の母の居殿である鴛鴦宮の私室から、皇宮外の禁軍詰所に設けられた恭親王の執務室まで通うことになる。
正傅のデュクト、副傅のゲル、筆頭侍従武官のゾーイ、侍従武官次席のゾラ、侍従文官であるトルフィンの五人、および恭親王府付けの近衛百騎が新たに編成され、その中から交代で二十騎を引き連れ、毎日詰所と皇宮を往復する。
黒地に金糸の装飾のついた、皇子専用の豪華な禁軍少尉の戎服は恭親王の美貌を引き立て、まだ少年ぽさの残る細身な体を真っすぐに伸ばし、端然と馬を操る姿は太陽神の眷属のようだ。従う部下たちも、デュクトとゾーイ、ゾラの三人は武官の常服である臙脂の服を、ゲルとトルフィンは文官の常服である濃紺の服を身に着け、いずれも端正な貴公子ぶりで、一行を目にした者たちは、みな陶酔の眼差しで彼らを見送った。
カリンを失った恭親王は心に固い鎧を纏ったように本心を押し隠し、ほとんど感情を表さなくなった。一度だけ、詰所からの帰りに護衛のものを途中で待たせ、デュクトとゾーイだけを連れて、帝都の外れの小さな家に赴き、見舞いの金を家族に渡した。その時、恭親王は家の中に入らず、デュクトに金を持たせて自身は戸口の前に馬に乗ったまま、ゾーイとともに待っていた。デュクトを見送りに出たカリンの老いた両親と兄らしき貧しい身なりの男女に対し、恭親王は軽く帽子に手をあてて礼意を表し、静かに馬首を巡らそうとした。そこに屋内から一人の、色あせた衣を着た若い女が走り出て、恭親王の馬に近づいて何かの包みを差し出した。デュクトとゾーイが咄嗟に主を守ろうと前に出ようとするのを、恭親王が無言で制した。
「これ……殿下がお好きだからって妹が……カリンが休みのたびにお城に持ち帰ったお菓子です。……どうか、あの子の為にもらってやってください!」
恭親王は黒い瞳でじっとその女を見つめ、静かに言った。
「……ありがとう。もらっていこう」
彼が直接包みを受け取って礼を言うと、ゾーイが進み出て恭親王より受け取り、鞍の前に置く。無言で馬首を返し、小さな家から離れると、背後で女が立ち尽くし、母親は戸口で夫に縋って泣いた。
少し行ってから、恭親王がゾーイに言う。
「さっきの菓子、出してくれないか?」
「ここで、ですか?」
「うん」
ゾーイがゴワゴワの包み紙から灰色の菓子を取り出し、恭親王に渡す。
「お前らも食べろ。蕎麦粉入りの菓子だ」
見るからに素朴な菓子だった。名門貴族に生まれたデュクトもゾーイも、到底口にしたこともない風貌の菓子に、二人は少しためらうが、意を決してまずデュクトが、ついでゾーイが手に取る。
馬上で、三人は菓子を食べる。ぼそぼそとして、ほのかに甘い。口の中の水分を吸い取られそうな、水が欲しくなる菓子だ。
ゾーイが主を横目で見ると、恭親王の頬に涙が光っていた。主の幼い恋の悲しい結末に、ゾーイは胸が痛んだ。
皇帝直属軍である禁軍の将校の仕事は本来なら激務ではあるが、皇子の起家官(初任官)としてのそれは単なる名誉職である。立派な執務室も用意されているが、五日に一度もそこに行けば、やることはなくなってしまう。新たに付けられた近衛百騎の訓練や事務は、文武の侍従官が行い、恭親王の出る幕などない。結局、皇子に期待されているのは、五日に一度程度、煌びやかな軍装で皇宮と禁軍の詰所を往復し、皇家と軍の強い結びつきをアピールすることくらいである。
ちなみに、グイン皇子は成人とともに郡王の爵位(彼は皇太子の子なので一級下がる)と、「廉」の称号を与えられ、皇宮騎士団の少尉に任官した。同じく成郡王が帝都騎士団の少尉に、肅郡王は司隷の州騎士団の少尉の職を与えられ、二人はようやく無役から解放されたのだ。
たいした仕事がないのは他の三人も同じである。結局、昼間はデュクトらの指導で学問にはげみ、夕刻は毎日ゾーイらの剣術指南で汗を流し、夜になるとたびたび鴛鴦宮の恭親王の居室で食事をして、それが終わると当番の秀女を抱く。そういう生活が続いた。
年明けを機に、デュクトは恭親王の秀女を交代させた。一番年嵩の椿は、これを持って御褥下がりをして後宮を出ることになったので、恭親王は御手許金より少し出して、恩給に色を付けてやった。デュクトとメイローズは相談の上、少し年若い秀女を選んだ。今年は入った新秀女は六月までは研修期間なので、十八歳の山吹、十七歳の竜胆、十六歳の芙蓉の三人である。
物堅いデュクトの指示により、三人とも衣紋を大きく抜いた着付けは禁じられ、おとなしめの装いにさらに香水使用禁止が徹底されて、各宮の中でも各段の地味さであった。だがどの皇子よりも美しく、また表面的には優しく穏やかな恭親王の寵愛を受けられるということで、鴛鴦宮は人気があった。恭親王は相変わらず、三の日が山吹、五の日が竜胆、七の日が芙蓉と割り当て、一の日は何か都合が悪くなった時のための予備日とした。週に一度しか呼ばれないことに秀女たちはやや不満そうではあったが、真面目な皇子を何とか落とそうと、いろいろと努力を重ねるのであった。
秀女がどんな工夫をこらそうが、恭親王の興味を引くことはない。以前の桂花の一件で恭親王も懲りていたので、秀女内の嫌がらせなどには目を光らせるよう、メイローズにもよく言っておいた。女の嫉妬の厄介さ、寵愛を競う女たちの形振り構わぬやり口を目の辺りにして、恭親王も警戒を怠らなかった。
恭親王は禁軍少尉任官によって、後宮の母の居殿である鴛鴦宮の私室から、皇宮外の禁軍詰所に設けられた恭親王の執務室まで通うことになる。
正傅のデュクト、副傅のゲル、筆頭侍従武官のゾーイ、侍従武官次席のゾラ、侍従文官であるトルフィンの五人、および恭親王府付けの近衛百騎が新たに編成され、その中から交代で二十騎を引き連れ、毎日詰所と皇宮を往復する。
黒地に金糸の装飾のついた、皇子専用の豪華な禁軍少尉の戎服は恭親王の美貌を引き立て、まだ少年ぽさの残る細身な体を真っすぐに伸ばし、端然と馬を操る姿は太陽神の眷属のようだ。従う部下たちも、デュクトとゾーイ、ゾラの三人は武官の常服である臙脂の服を、ゲルとトルフィンは文官の常服である濃紺の服を身に着け、いずれも端正な貴公子ぶりで、一行を目にした者たちは、みな陶酔の眼差しで彼らを見送った。
カリンを失った恭親王は心に固い鎧を纏ったように本心を押し隠し、ほとんど感情を表さなくなった。一度だけ、詰所からの帰りに護衛のものを途中で待たせ、デュクトとゾーイだけを連れて、帝都の外れの小さな家に赴き、見舞いの金を家族に渡した。その時、恭親王は家の中に入らず、デュクトに金を持たせて自身は戸口の前に馬に乗ったまま、ゾーイとともに待っていた。デュクトを見送りに出たカリンの老いた両親と兄らしき貧しい身なりの男女に対し、恭親王は軽く帽子に手をあてて礼意を表し、静かに馬首を巡らそうとした。そこに屋内から一人の、色あせた衣を着た若い女が走り出て、恭親王の馬に近づいて何かの包みを差し出した。デュクトとゾーイが咄嗟に主を守ろうと前に出ようとするのを、恭親王が無言で制した。
「これ……殿下がお好きだからって妹が……カリンが休みのたびにお城に持ち帰ったお菓子です。……どうか、あの子の為にもらってやってください!」
恭親王は黒い瞳でじっとその女を見つめ、静かに言った。
「……ありがとう。もらっていこう」
彼が直接包みを受け取って礼を言うと、ゾーイが進み出て恭親王より受け取り、鞍の前に置く。無言で馬首を返し、小さな家から離れると、背後で女が立ち尽くし、母親は戸口で夫に縋って泣いた。
少し行ってから、恭親王がゾーイに言う。
「さっきの菓子、出してくれないか?」
「ここで、ですか?」
「うん」
ゾーイがゴワゴワの包み紙から灰色の菓子を取り出し、恭親王に渡す。
「お前らも食べろ。蕎麦粉入りの菓子だ」
見るからに素朴な菓子だった。名門貴族に生まれたデュクトもゾーイも、到底口にしたこともない風貌の菓子に、二人は少しためらうが、意を決してまずデュクトが、ついでゾーイが手に取る。
馬上で、三人は菓子を食べる。ぼそぼそとして、ほのかに甘い。口の中の水分を吸い取られそうな、水が欲しくなる菓子だ。
ゾーイが主を横目で見ると、恭親王の頬に涙が光っていた。主の幼い恋の悲しい結末に、ゾーイは胸が痛んだ。
皇帝直属軍である禁軍の将校の仕事は本来なら激務ではあるが、皇子の起家官(初任官)としてのそれは単なる名誉職である。立派な執務室も用意されているが、五日に一度もそこに行けば、やることはなくなってしまう。新たに付けられた近衛百騎の訓練や事務は、文武の侍従官が行い、恭親王の出る幕などない。結局、皇子に期待されているのは、五日に一度程度、煌びやかな軍装で皇宮と禁軍の詰所を往復し、皇家と軍の強い結びつきをアピールすることくらいである。
ちなみに、グイン皇子は成人とともに郡王の爵位(彼は皇太子の子なので一級下がる)と、「廉」の称号を与えられ、皇宮騎士団の少尉に任官した。同じく成郡王が帝都騎士団の少尉に、肅郡王は司隷の州騎士団の少尉の職を与えられ、二人はようやく無役から解放されたのだ。
たいした仕事がないのは他の三人も同じである。結局、昼間はデュクトらの指導で学問にはげみ、夕刻は毎日ゾーイらの剣術指南で汗を流し、夜になるとたびたび鴛鴦宮の恭親王の居室で食事をして、それが終わると当番の秀女を抱く。そういう生活が続いた。
年明けを機に、デュクトは恭親王の秀女を交代させた。一番年嵩の椿は、これを持って御褥下がりをして後宮を出ることになったので、恭親王は御手許金より少し出して、恩給に色を付けてやった。デュクトとメイローズは相談の上、少し年若い秀女を選んだ。今年は入った新秀女は六月までは研修期間なので、十八歳の山吹、十七歳の竜胆、十六歳の芙蓉の三人である。
物堅いデュクトの指示により、三人とも衣紋を大きく抜いた着付けは禁じられ、おとなしめの装いにさらに香水使用禁止が徹底されて、各宮の中でも各段の地味さであった。だがどの皇子よりも美しく、また表面的には優しく穏やかな恭親王の寵愛を受けられるということで、鴛鴦宮は人気があった。恭親王は相変わらず、三の日が山吹、五の日が竜胆、七の日が芙蓉と割り当て、一の日は何か都合が悪くなった時のための予備日とした。週に一度しか呼ばれないことに秀女たちはやや不満そうではあったが、真面目な皇子を何とか落とそうと、いろいろと努力を重ねるのであった。
秀女がどんな工夫をこらそうが、恭親王の興味を引くことはない。以前の桂花の一件で恭親王も懲りていたので、秀女内の嫌がらせなどには目を光らせるよう、メイローズにもよく言っておいた。女の嫉妬の厄介さ、寵愛を競う女たちの形振り構わぬやり口を目の辺りにして、恭親王も警戒を怠らなかった。
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