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五竅
30、螺鈿の星空
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その夜――。
月の障りによる御褥辞退の秀女の代わりに、槐花が皇子の寝所によばれた。これも、恭親王にとっては異例のことだ。常ならば、辞退したままその夜は空けておき、代わりの者をよんだりはしない。
他の秀女たちからの、刺さるような嫉妬の眼差しを背中に感じながら、槐花はいつものように、夜着の上に長衣を着て、黒く長い髪を笄で一つにまとめ、メイローズの後について皇子の寝所に伺候した。
「呼び出して悪かった」
恭親王は寝台の上で足を投げ出して座り、書物を読んでいた。それを閉じて脇卓の上に無造作に置くと、いつものように身体をずらして寝台を空ける。槐花は自分で帯を解いて長衣を脱ぐと、簡単に袖畳みにしてから寝台の足元の方に置き、寝台に上がった。
この寝台の奥の方にも魔力灯が灯っていて、寝台の内部は真っ暗にならないようになっている。その光が、天井に描かれた豪華な螺鈿の天文図を照らすのだ。
槐花が紗幕を閉じようとするのを、恭親王が止める。
「暑いから、開けておいてくれ」
確かに蒸し暑いし、行為に及ぶつもりがなければ、紗幕を閉じる必要もない。
「暑いようでしたら、扇ぎましょうか?」
「そこまででもない」
優し気な外見をしているのに、恭親王の態度は素っ気ない。昨年、離宮で初めて会った時は、美しいだけでなく親切で気さくな皇子だと感じたのに、閨での態度はぶっきらぼうですらある。
「離宮の件は、メイローズから聞いたね?」
「はい――その――なぜ、わたくしなのですか?」
槐花が尋ねる。恭親王には特に愛している女はいないらしいが、それは槐花も同じだ。さらに槐花には指一本触れていないというのに――。
「お前に初めて会ったのは、去年の離宮で、夜の鐘楼だった。お前は、他の宮女の嫌がらせで、偽手紙で呼び出され、閉じ込められていた」
「はい――」
あの時、槐花は初めて恭親王を間近で見た。それまでも、何度か遠目には見たことがあった。周囲の秀女たちが、その美貌にうっとりとしていたのも知っている。だが、間近で見た恭親王の美貌は圧巻だった。廉郡王も顔の造りは似ているが雰囲気がまるで異なり、成郡王や肅郡王もそれなりに整った容姿はしているのに、恭親王は内部から光り輝くようで、発散する強さと魅力が段違いであった。
それでいて、閉じ込められていた槐花を真っ先に助けようとしてくれたのは恭親王であり、手巾を差し出してくれたのも、彼だった。それからしばらく、槐花は恭親王の美しい顔が脳裏から離れなかった。
「あの夜は、流れ星を見に行ったんだ。グインと、アイリンと、マルイン――バードもいた。……今年は、僕と、グインしかいない――お前も、あの場にいた」
槐花はハッとした。なぜ、いつも恭親王が天井の螺鈿の星を見上げて、時にはその星の名について教えてくれるのか。
「マルインも、あの夜初めてお前に会ったんだ。お前のことを本当に愛しているから、僕に託すと言った。――でも、僕は、お前のことを愛してはいない。その状態で、お前を抱くのはマルインに悪いと思ったんだ。一緒に夜を過ごすうちに、もしかしたら愛せるかもしれないと思ってきたけれど――」
「……だめでしたか?」
槐花は苦笑した。
「うん――嫌いではないけれど。特別に好きだとまでは思えなかった。……でも、お前の人生には責任を持つつもりでいるから、お前が望むのなら、このまま僕の手許に置こうと思う。でも、愛さないけどね」
真剣に、少しばかり気の毒そうな表情で、恭親王は言った。
「手許に置く、というのは――?」
「今すぐは無理でも、側室にする。託された以上は、最後まで面倒は見るよ。でも――」
恭親王が言い淀む。しばらく考えるようにして、言った。
「僕以外の男の方がいいと言うならば、お前の希望に沿う道を考えよう。側室じゃなくて、一人だけを大事にしてくれる男がいいというなら、多少、家格は下がるかもしれないけど、探してみてもいい。あと、お前の実家の方には順親王の方からいろいろ言ってきているんだろう?」
「ええ」
前の主人の順親王は、結婚して独立した後も、まだ槐花に執着を見せているという。
「正直に言えば、僕以外の男ではあの執念深い皇子の要求を退けられないかもしれない。もちろん、些か病的な気もするけど、順親王くらい熱烈に愛してくれる男がいいというなら、止めない。お勧めはしないけれどね?」
「順親王殿下のところは、嫌です――わたくしは、殿下のお側が……」
言いかけた槐花を、恭親王が遮る。
「そう。でも、結論を急ぐことはない。離宮で、もう一度鐘楼で星を見ようと思う。その夜に、お前の希望を聞くから。――でも、重々言っておくけれど、僕はお前を愛することはないよ。愛されて暮らしたいというなら、僕のところはだめだ」
「愛されないというのは、今のまま、ということですか?」
「……実質的にはそうなるかな。でも、要望は出来る限り聞く」
恭親王の言い方はあくまで事務的だった。槐花は初めて後宮に入った日の、宿舎の使い方を説明する宦官の口調を思い出した。
「その……抱いてはいただけないということですか?」
槐花の質問に、恭親王が微かに眉を顰めるのがわかった。この質問はまずかっただろうか。でも――。
「抱いて欲しいの?――僕に愛されないって知っているのに」
「殿下がたの閨にご奉仕するのも秀女の大切な職務だと教わりました。仕事をさぼっているみたいで、気が引けていたのです」
「仕事ねぇ……随分、割り切っているんだね」
「入宮に際して、非常に高額な支度金を戴いているのです。国庫のお金だと思うと、その分の働きはしなければいけないと思って……」
恭親王は少し困ったように眉尻を下げて、考えているようだった。
「そのことについても、離宮で話そう。これは僕自身も、少し考えてみたいから」
恭親王はそう言うと、枕に頭を預けて目を閉じた。すぐに、規則正し寝息が聞こえてくる。
(本当に、寝つきのいい人だわ――)
槐花は、この美しい人の側にずっといられるかもしれないと思うと、少しどきどきして眠れなかった。
月の障りによる御褥辞退の秀女の代わりに、槐花が皇子の寝所によばれた。これも、恭親王にとっては異例のことだ。常ならば、辞退したままその夜は空けておき、代わりの者をよんだりはしない。
他の秀女たちからの、刺さるような嫉妬の眼差しを背中に感じながら、槐花はいつものように、夜着の上に長衣を着て、黒く長い髪を笄で一つにまとめ、メイローズの後について皇子の寝所に伺候した。
「呼び出して悪かった」
恭親王は寝台の上で足を投げ出して座り、書物を読んでいた。それを閉じて脇卓の上に無造作に置くと、いつものように身体をずらして寝台を空ける。槐花は自分で帯を解いて長衣を脱ぐと、簡単に袖畳みにしてから寝台の足元の方に置き、寝台に上がった。
この寝台の奥の方にも魔力灯が灯っていて、寝台の内部は真っ暗にならないようになっている。その光が、天井に描かれた豪華な螺鈿の天文図を照らすのだ。
槐花が紗幕を閉じようとするのを、恭親王が止める。
「暑いから、開けておいてくれ」
確かに蒸し暑いし、行為に及ぶつもりがなければ、紗幕を閉じる必要もない。
「暑いようでしたら、扇ぎましょうか?」
「そこまででもない」
優し気な外見をしているのに、恭親王の態度は素っ気ない。昨年、離宮で初めて会った時は、美しいだけでなく親切で気さくな皇子だと感じたのに、閨での態度はぶっきらぼうですらある。
「離宮の件は、メイローズから聞いたね?」
「はい――その――なぜ、わたくしなのですか?」
槐花が尋ねる。恭親王には特に愛している女はいないらしいが、それは槐花も同じだ。さらに槐花には指一本触れていないというのに――。
「お前に初めて会ったのは、去年の離宮で、夜の鐘楼だった。お前は、他の宮女の嫌がらせで、偽手紙で呼び出され、閉じ込められていた」
「はい――」
あの時、槐花は初めて恭親王を間近で見た。それまでも、何度か遠目には見たことがあった。周囲の秀女たちが、その美貌にうっとりとしていたのも知っている。だが、間近で見た恭親王の美貌は圧巻だった。廉郡王も顔の造りは似ているが雰囲気がまるで異なり、成郡王や肅郡王もそれなりに整った容姿はしているのに、恭親王は内部から光り輝くようで、発散する強さと魅力が段違いであった。
それでいて、閉じ込められていた槐花を真っ先に助けようとしてくれたのは恭親王であり、手巾を差し出してくれたのも、彼だった。それからしばらく、槐花は恭親王の美しい顔が脳裏から離れなかった。
「あの夜は、流れ星を見に行ったんだ。グインと、アイリンと、マルイン――バードもいた。……今年は、僕と、グインしかいない――お前も、あの場にいた」
槐花はハッとした。なぜ、いつも恭親王が天井の螺鈿の星を見上げて、時にはその星の名について教えてくれるのか。
「マルインも、あの夜初めてお前に会ったんだ。お前のことを本当に愛しているから、僕に託すと言った。――でも、僕は、お前のことを愛してはいない。その状態で、お前を抱くのはマルインに悪いと思ったんだ。一緒に夜を過ごすうちに、もしかしたら愛せるかもしれないと思ってきたけれど――」
「……だめでしたか?」
槐花は苦笑した。
「うん――嫌いではないけれど。特別に好きだとまでは思えなかった。……でも、お前の人生には責任を持つつもりでいるから、お前が望むのなら、このまま僕の手許に置こうと思う。でも、愛さないけどね」
真剣に、少しばかり気の毒そうな表情で、恭親王は言った。
「手許に置く、というのは――?」
「今すぐは無理でも、側室にする。託された以上は、最後まで面倒は見るよ。でも――」
恭親王が言い淀む。しばらく考えるようにして、言った。
「僕以外の男の方がいいと言うならば、お前の希望に沿う道を考えよう。側室じゃなくて、一人だけを大事にしてくれる男がいいというなら、多少、家格は下がるかもしれないけど、探してみてもいい。あと、お前の実家の方には順親王の方からいろいろ言ってきているんだろう?」
「ええ」
前の主人の順親王は、結婚して独立した後も、まだ槐花に執着を見せているという。
「正直に言えば、僕以外の男ではあの執念深い皇子の要求を退けられないかもしれない。もちろん、些か病的な気もするけど、順親王くらい熱烈に愛してくれる男がいいというなら、止めない。お勧めはしないけれどね?」
「順親王殿下のところは、嫌です――わたくしは、殿下のお側が……」
言いかけた槐花を、恭親王が遮る。
「そう。でも、結論を急ぐことはない。離宮で、もう一度鐘楼で星を見ようと思う。その夜に、お前の希望を聞くから。――でも、重々言っておくけれど、僕はお前を愛することはないよ。愛されて暮らしたいというなら、僕のところはだめだ」
「愛されないというのは、今のまま、ということですか?」
「……実質的にはそうなるかな。でも、要望は出来る限り聞く」
恭親王の言い方はあくまで事務的だった。槐花は初めて後宮に入った日の、宿舎の使い方を説明する宦官の口調を思い出した。
「その……抱いてはいただけないということですか?」
槐花の質問に、恭親王が微かに眉を顰めるのがわかった。この質問はまずかっただろうか。でも――。
「抱いて欲しいの?――僕に愛されないって知っているのに」
「殿下がたの閨にご奉仕するのも秀女の大切な職務だと教わりました。仕事をさぼっているみたいで、気が引けていたのです」
「仕事ねぇ……随分、割り切っているんだね」
「入宮に際して、非常に高額な支度金を戴いているのです。国庫のお金だと思うと、その分の働きはしなければいけないと思って……」
恭親王は少し困ったように眉尻を下げて、考えているようだった。
「そのことについても、離宮で話そう。これは僕自身も、少し考えてみたいから」
恭親王はそう言うと、枕に頭を預けて目を閉じた。すぐに、規則正し寝息が聞こえてくる。
(本当に、寝つきのいい人だわ――)
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