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五竅
31、時間薬
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恭親王にとっては、二度目の離宮行幸。皇帝以下妃嬪、百官の長い車列と随身の兵士が整備された帝国の街道に連なる。
ジリジリと焼け付く日差しの下、昨年と変わらぬ道中の景色を眺めても、恭親王は今ここにいない友のことが思い出されてしまい、周囲に知られないようにそっと溜息を漏らした。常に恭親王に従っている侍従たちは、主が折々に見せる辛そうな表情を思いやるが、何と言葉をかけていいかわからない。
「俺たちも辛かったっすけど、殿下はなかなか立ち直れないみたいっすね」
ゾラが、皇子の侍従武官にのみ許された煌びやかな軍装で馬に揺られている。黒い革の兜が陽光を弾いて光っている。口さえ閉じていれば凛々しくて清冽な騎士然としているのに、いろいろと勿体ない男である。
横で馬を並べていたゾーイも、後方から恭親王が幾度も溜息をついているのを見ながら言った。
「こういうのは、時間薬というのだ。少しずつ、失った者たちの思い出を消化していくより、他はない」
ゾーイら従者にとっては、仕える主さえ生きていてくれればそれでいい。主が踏みにじられた時、何もできずに指を咥えていなければならなかったのは、身を斬られるよりも辛かったが、それでも主はしっかりと自身の脚を踏みしめて立ち上がり、異民族を殲滅して帝都に帰還するという、離れ業までやってのけた。
絶望的な状況の下で、自身を生贄に差し出して部下を守り、心が折れそうな部下たちを励まし、最後まで諦めずに砦との連絡の手段を模索し、砦の兵の救援を信じて事を挙げる。鷹のエールライヒを飛ばして密書を砦に送ったと聞いた時は、異民族の首長ボルゴールに鷹を強請ったのもそのためだったのかと、主の深謀遠慮に度肝を抜かれたものだ。――恭親王に聞けば、鷹はただ欲しかったから強請っただけだと、言い張るのだけれど。
今後とも、ゾーイらは全身全霊をかけて主に仕え、守り、援けていくだけだ。目標もはっきりしているから、従者たちの立ち直りは早い。
だが、主自身はどうか。
結局、肅郡王も成郡王も守ることはできなかった。
主は絶対に口にしないけれど、あの新年の忌まわしい儀式の中で、主はその目の前で兄であり甥であり、また友である二皇子を蹂躙され、また自身も辱められたのだ。
あまりにも凄絶すぎる主の経験を思えば、主が受けた傷の深さを、ゾーイや周囲の者が安易に思いやることすら許されないであろう。
肅郡王が自ら世を捨てた後、恭親王は涸れかけた成郡王の命を必死につなぎとめようとしていた。天幕の中で静かに寄り添う二人の皇子の姿を思い出すたびに、ゾーイの心は哀しみで痛む。しかし、皇后は同性でしかも近親である二人の関係を強く嫌悪して、主は成郡王の最期に立ち会うことも許されなかった。
あの極限の状況下で支え合った相手に対し、いかな我が子の将来を憂えたためといえ、また陰陽の道に外れる行いであったとはいえ、皇后のなさり様はあまりにひどいと、成郡王の傅役のジーノが悔し泣きに泣いていたのをゾーイは知っている。
そして主が、結局は成郡王を救えなかった己の無力さを悔いていることも――。
時は哀しみを癒す。
あるいは新しい出会いや恋をして、主の心が少しでも安らいでくれれば――。
デュクトの未亡人と関係ができたと聞いたときは、さすがのゾーイも言葉がなかった。普通であれば、潔癖なゾーイにはとても容認できないことで、デュクトと主の関係を知るだけに、胃の腑のあたりにこみ上げるものさえあった。
だが、ボロボロになった主が立ち直るためには、この際普通の倫理感など言い立てている場合ではないのだ。ゾーイはそう、自らに言い聞かせた。
その関係は二月も経たずに解消されたという。そこにも皇后の介入があったことを、ゾーイは知らないため、やはり物事は常識的なところに落ち着くものだと、勝手に考えていた。
今回、離宮行幸にあたり、主は自身の秀女としていはただ一人、かつて肅郡王の宮にいた槐花(エンジュ)だけを伴っている。つまり、恭親王にとって、槐花は特別な存在なのだ。
(やっと、本当に愛する相手ができたのだな――)
恭親王の馬の隣、槐花は皇后の車に同乗しているはずだ。ゾーイは昨年の離宮で見た、長い真っ直ぐな黒髪を背中に垂らし、理知的な黒い瞳をしていたすらりと背の高い美少女の姿を思い出し、少し口元を緩める。あの少女なら、主の隣に立っても見劣りしないし、何より主を癒すことができるだろう――。
ゾーイは、そんな風に考えて、密かに喜んでいた。
ジリジリと焼け付く日差しの下、昨年と変わらぬ道中の景色を眺めても、恭親王は今ここにいない友のことが思い出されてしまい、周囲に知られないようにそっと溜息を漏らした。常に恭親王に従っている侍従たちは、主が折々に見せる辛そうな表情を思いやるが、何と言葉をかけていいかわからない。
「俺たちも辛かったっすけど、殿下はなかなか立ち直れないみたいっすね」
ゾラが、皇子の侍従武官にのみ許された煌びやかな軍装で馬に揺られている。黒い革の兜が陽光を弾いて光っている。口さえ閉じていれば凛々しくて清冽な騎士然としているのに、いろいろと勿体ない男である。
横で馬を並べていたゾーイも、後方から恭親王が幾度も溜息をついているのを見ながら言った。
「こういうのは、時間薬というのだ。少しずつ、失った者たちの思い出を消化していくより、他はない」
ゾーイら従者にとっては、仕える主さえ生きていてくれればそれでいい。主が踏みにじられた時、何もできずに指を咥えていなければならなかったのは、身を斬られるよりも辛かったが、それでも主はしっかりと自身の脚を踏みしめて立ち上がり、異民族を殲滅して帝都に帰還するという、離れ業までやってのけた。
絶望的な状況の下で、自身を生贄に差し出して部下を守り、心が折れそうな部下たちを励まし、最後まで諦めずに砦との連絡の手段を模索し、砦の兵の救援を信じて事を挙げる。鷹のエールライヒを飛ばして密書を砦に送ったと聞いた時は、異民族の首長ボルゴールに鷹を強請ったのもそのためだったのかと、主の深謀遠慮に度肝を抜かれたものだ。――恭親王に聞けば、鷹はただ欲しかったから強請っただけだと、言い張るのだけれど。
今後とも、ゾーイらは全身全霊をかけて主に仕え、守り、援けていくだけだ。目標もはっきりしているから、従者たちの立ち直りは早い。
だが、主自身はどうか。
結局、肅郡王も成郡王も守ることはできなかった。
主は絶対に口にしないけれど、あの新年の忌まわしい儀式の中で、主はその目の前で兄であり甥であり、また友である二皇子を蹂躙され、また自身も辱められたのだ。
あまりにも凄絶すぎる主の経験を思えば、主が受けた傷の深さを、ゾーイや周囲の者が安易に思いやることすら許されないであろう。
肅郡王が自ら世を捨てた後、恭親王は涸れかけた成郡王の命を必死につなぎとめようとしていた。天幕の中で静かに寄り添う二人の皇子の姿を思い出すたびに、ゾーイの心は哀しみで痛む。しかし、皇后は同性でしかも近親である二人の関係を強く嫌悪して、主は成郡王の最期に立ち会うことも許されなかった。
あの極限の状況下で支え合った相手に対し、いかな我が子の将来を憂えたためといえ、また陰陽の道に外れる行いであったとはいえ、皇后のなさり様はあまりにひどいと、成郡王の傅役のジーノが悔し泣きに泣いていたのをゾーイは知っている。
そして主が、結局は成郡王を救えなかった己の無力さを悔いていることも――。
時は哀しみを癒す。
あるいは新しい出会いや恋をして、主の心が少しでも安らいでくれれば――。
デュクトの未亡人と関係ができたと聞いたときは、さすがのゾーイも言葉がなかった。普通であれば、潔癖なゾーイにはとても容認できないことで、デュクトと主の関係を知るだけに、胃の腑のあたりにこみ上げるものさえあった。
だが、ボロボロになった主が立ち直るためには、この際普通の倫理感など言い立てている場合ではないのだ。ゾーイはそう、自らに言い聞かせた。
その関係は二月も経たずに解消されたという。そこにも皇后の介入があったことを、ゾーイは知らないため、やはり物事は常識的なところに落ち着くものだと、勝手に考えていた。
今回、離宮行幸にあたり、主は自身の秀女としていはただ一人、かつて肅郡王の宮にいた槐花(エンジュ)だけを伴っている。つまり、恭親王にとって、槐花は特別な存在なのだ。
(やっと、本当に愛する相手ができたのだな――)
恭親王の馬の隣、槐花は皇后の車に同乗しているはずだ。ゾーイは昨年の離宮で見た、長い真っ直ぐな黒髪を背中に垂らし、理知的な黒い瞳をしていたすらりと背の高い美少女の姿を思い出し、少し口元を緩める。あの少女なら、主の隣に立っても見劣りしないし、何より主を癒すことができるだろう――。
ゾーイは、そんな風に考えて、密かに喜んでいた。
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