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2、イフリートの野望

刺客の女

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 ナキアでの偵察おしのびから帰って数日後の夜、恭親王は自らの寝室で、暗部のカイトより報告を受けていた。背後に控えるのは、メイローズただ一人。
 
「こんな時間に、お前も本当に空気を読まないな」
 
 肘掛椅子に腰を下ろし、長い脚を組んで面倒くさそうに頬杖をつく。彼にとって、夜はアデライードとの時間だ。昼間はただでさえ忙しくて、ほとんど会うこともできないのに、夜まで邪魔をされては堪らない。

「毎晩毎晩、さるのように盛るばかりが男の甲斐性ではありませんよ。少しは休息の時を与えて差し上げるべきですな」
「うるさい、このデバガメが」

 カイトが主の情事をも監視しているのは、恭親王も承知の上である。アデライードの媚態をこの男が目にしているのかと思うと腹立たしいが、この男が他人の情事にも、女にも興味がないのは知っている。常に自分を見つめる暗部の視線については、意識の中から消してしまうほかない。不快ではあるが、皇子として生きていく以上、プライバシーなど存在しないと諦めている。

「で、何事だ。手短にしてくれよ。アデライードの寝込みを襲うと翌朝機嫌が悪いのを、お前も知っているだろう」
「寝込みを襲わなければいいのです。……例の、〈黒影〉の女の尋問が始まったのですが……」
「今度こそ聞き出せそうなのか?」

 サウラの侍女に扮して総督府に入り込んだ刺客の女は、アデライードの攻撃魔法が直撃して瀕死の重傷を負っていた。一時は命も危うかったが、手を尽くして回復させ、ようやく尋問が始まったという。
 これまでも総督府や聖地の別邸に侵入を試みた刺客は数知れず、彼ら暗部の手に落ちたイフリートの〈黒影〉の一味も何人かいた。だが、〈黒影〉は特殊な契約呪術を施してあって、拷問や自白剤によって一定以上の秘密を明かそうとすると、呪術が発動し心臓がただれ腐って死んでしまうのだ。

「我々も何人かを尋問して、いくつか〈黒影〉の契約について理解したこともあるのです。すでに解呪の方法もほぼ、わかっています。それを試して、知る限りの情報を聞き出せないかと思っているのですが」
「ほう? 解呪の方法がねぇ……じゃあ、早速やってみたら」
「殿下の協力が不可欠です」
「私の?」

 切れ長の瞳をちょとだけ見開いて、恭親王が足元に跪くカイトを見る。カイトが特徴も表情もない黒い瞳で、じっと恭親王を見つめる。その様子に、何やら面倒くさいことを要求されそうだと、恭親王は警戒した。

「とにかく、今まででわかっていることを、話せ」
「イフリートの〈黒影〉は、もともと女王国西南辺境に近い、へパルトスという土地の泉神殿を奉ずる集団でした。イフリート家は、神世以来、その祭司を務めていた」
「……泉を守る、火蜥蜴サラマンダー……か」

 恭親王が以前にユリウスから聞いた話を思い出し、眉を顰める。

「〈黒影〉はイフリート家との間に、ある契約を結びます。――絶対の忠誠と、秘密の保持を」
「それが呪術に関わっていると……」
「術式は、マニ僧都の協力を得て、復元できました。契約の印である呪術刻印が心臓に直結していて、秘密を喋ろうとすると術が発動し、心臓が腐敗破裂して死亡します。……ですが、ある条件さえ満たせば、解呪は可能だとわかりました。解呪というよりは、契約の上書きと言うべきかもしれませんが。の状態には戻せないのですが、新たにこちら側との契約を結ばせることができるはずです」

 暗部――つまり、裏の世界に生きる一群の者たちは、たいてい何等かの契約を結び、主との紐帯ちゅうたいを維持する。たとえばカイトたちはソアレス家の者と契約し、その命令によって恭親王の命を守っている。カイトはまだフエルとの契約を行っておらず、故デュクトとの契約に基づいて恭親王に仕えているのだ。

「ある条件……。契約についてペラペラ喋ったら、死ぬんじゃないのか?」
「心臓が止まる禁止要件というのがありましてね。契約の方法なんてのは、それに入っていないのですよ。あの女はああ見えてまだ若く、言っちゃなんですがイフリート家への忠誠はそれほど篤くない。世の中を恨んでいるようなところがあって……すこし揺さぶれば結構喋りましたよ」

 恭親王は遠い記憶をたどるように、あの日〈エイダ〉とともに対峙した刺客の姿を思い出そうとするが、目立たなくて不細工な女だったとしか、思い出すことができない。――美女に化けてはいけないのは、このためか。

「それで?」

 恭親王が先を促すと、カイトが相変わらずの無表情で言う。

「術式を発動させるためには、相手の身体に魔力を流し込みます。――要するに精液です」

 ぐふっとむせるような音がして、恭親王の背後に立っていたメイローズが咳き込んだ。だが、この時点で大方の話が読めてしまった恭親王は、非常に不快げに手を振った。

「無理。私はしない。他の奴にやらせろ。ゾーイでも、それこそゾラでも、性欲の有り余っているバカがいくらでもいるだろう。私の精液はアデライード専用だ」
「イフリート公爵よりも、魔力が強いことが条件です。それを満たすとなると、龍種ぐらいしかいないでしょう」

 しれっと答えるカイトを、恭親王がうんざりしたように言う。

「イフリート公爵家は成りあがりの家だと聞いている。ゾーイより強いってことはなかろう」

 だが、カイトは首を振る。

「我々の配下には、結構いろいろな出身のものがおりましてね。表沙汰にはできませんが、十二貴嬪家のかなり直系に近い男もいるのですよ。まあその、存在を明らかにできないような。魔力だけは相当に強いのですが――何しろ近親婚の結果に生まれて捨てられた男ですのでね――その男でもダメでした。通常、には、元の魔力を遥かに凌ぐ強い魔力が要求されるのですよ。龍種でも、殿下レベルの強さの魔力でなければ無理かもしれません。殿下でダメならば、我々も諦めます」

 いかにもめんどくさそうに言うカイトに対し、恭親王は思わず黒い瞳を見開いた。

「十二貴嬪家でもダメだっただと……?」
 
 辺境出身の、異教の神殿の祭司だった家系。泉を守る火蜥蜴サラマンダーの紋章と、十二貴嬪家を凌ぐほどの魔力。
 かつて南方の蛇神ヴリトラの眷属であった魔族の娘を、偽のつがいと勘違いして恋に落ちてしまった彼の甥のことが頭をよぎる。――やはり、イフリート家は魔族の流れを汲んでいるのか。

 仮にも女王国唯一の世襲公爵家が。
 あまりにも突拍子もなくて、恭親王自身、その思いつきをどこかでわらっていたが、ただの思いつきだと片づけるわけにもいかず、さりとて確かめるすべもない。

 恭親王は無意識に、肘掛をギュッと手で握りしめる。

「……精液ったって飲ませるとか、塗りつけるとか、そういうんじゃないんだろう? 嫌だよ、そんなわけのわからない女とヤって、しかも中出しとか。仮にも私は皇子なんだぞ? それに、平民だったら下手すりゃ死ぬじゃないか」
「処女じゃないですから、死ぬことはないですよ。死ぬに近い目には遭うかもしれませんがね」

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