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3、開戦に向けて

二人の王女

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 アデライードはその言葉に絶望したように深い溜息をつく。

「わたし――彼女に会ったのは一度だけです。アライア女王の葬儀の時に、ちらっと見かけただけ。少し赤っぽい金髪で、綺麗な髪の色だと思って――口もきいたことはないし、修道院で耳にする話からは、わたしのお母様をないがしろにしているように感じて、正直に言えば少し――いえ、とても許せないと思って――」

 気まずそうに俯くアデライードを見て、しかし恭親王は彼女の立場から見れば無理はないと思う。
 アルベラに〈王気〉があれば、ユウラ女王が即位する必要はなかった。王位への野心もない母子を、イフリート公爵は引き裂いて命まで奪おうとした。

 彼女がイフリート公爵を恨むのは正当な理由がある。
 だがアルベラは――。

 アルベラとアデライードの二人は、まるで互いが互いの影のようだと、恭親王は思う。〈王気〉を持たぬことに苦しんできたアルベラと、〈王気〉を持つがゆえに大切なものを奪われ続けてきたアデライード。アデライードが全てを奪われていた間、アルベラには〈王気〉以外のすべてが与えられていた。

 だが、アルベラが与えられてきたものが、すべて偽りだったとすれば。父親は彼女を王位を奪うための、傀儡かいらいとしか見ていないのだとしたら。

 本来は生まれるはずのない、魔族の血を引く娘。女王の娘でありながら、この世に生を享ける代償として、龍種たる証である〈王気〉を差し出さなければならなかったのだ。彼女が即位しても始祖女王の結界に〈王気〉を注ぐことはできず、結界が破れれば陰陽の調和が潰えてしまう。――よき女王たろうと、日々努力を重ねてきた、彼女の望みとは裏腹に。

 せめて、父であるウルバヌスは彼女を真実、娘として愛しているのなら。そうでなければあまりにも憐れだ。――自身の背負う真実を知ったら、いったい彼女はどう思うのか。

「……わたし、女王になる勉強もしてこなかったし、政治のことも、世の中の仕組みのことも、経済のことも、何も知りません。修道院に閉じこめられているのをいいことに、そういうものから目を背けてきたんです。自分の不勉強を、無知を、怠惰を、すべてイフリート家とアルベラのせいにして、何も学んでこなかった」

 ぽつりと言ったアデライードを恭親王が慌てて慰める。

「あなたが置かれてきた状況で、社会のことを学ぶのは無理だ。それはあなたの怠惰のせいではない」
「でも、彼女はこの十年、ずっと学んできたんです。病弱なお母様に代わって、政治の表舞台にも立ってきた。神殿の孤児院に寄付をしたり、病院の改善にお金を出すように指示したり……」
「それは大げさに宣伝されている部分もある。おそらく実際には、たいしたことはやらせてもらえていない。彼女は父親の傀儡かいらいに過ぎないから」
「それでも、ナキアで諸侯や市民や、貧しい人々の姿を実際に目にして、政治に肌で触れてきたのでしょう。彼女は、よき女王になろうと努力してきた」
「まあ、性質は悪くはないらしいがな」

 恭親王が苦笑する。政治なんてものは汚いものだ。頑張ったからってよくなるものじゃないし、制度がしっかりしていれば、無能の君主でもなんとかなったりする。

「わたしやお母様が辛い時、ナキアの人たちはみんな、イフリート家の人に媚びを売って、誰もわたしたちを援けてはくれなかった。彼らのために、頑張っていい政治を布こうなんて、思えない。……わたし、女王失格です」
「……アデライード……。でも、銀の龍種はあなた一人だけで、西の女王は銀の龍種だと決まっている。この二千年、そうやってこの世界の平和は保たれてきた。龍種に生まれた以上、責任は果たさなければ。我々が今、こうやって贅沢な甘い菓子を食べていられるのもすべて、日々汗水たらして働いてくれる民のおかげだ。民の暮らしを守るために、陰陽の調和を乱そうという者を排除する。そのための戦争だし、すべては天と陰陽の調和のためだよ。たしかにアデライードは経験も知識もまだまだ不足しているとは思う。しかし、地位が人を作るんだから、アデライードも卑屈にならず、前向きに考えて欲しい」

 恭親王は手を伸ばしてアデライードの髪に触れ、指で梳く。その優しい仕草をそのまま受け入れて、アデライードは溜息をついて、言った。

「殿下――努力を重ねてきた彼女を女王の座から引きずり下ろし、戦争に訴えてまで、能力も知識も足りないわたしを女王にする――どうして、こんなことになったのかと……」

 アデライードの金色の睫毛が、白い頬に濃い影をつくる。

「女王家には、もうわたしと彼女しか残っていない。彼女には魔族の血も流れているなんて。――彼女に〈王気〉がないのはそのせいだなんて、わたし、わたし――全然知らなかったから……」

 アデライードの瞳に涙が溜まり、溢れ、頬を流れ落ちる。両手を白くなるまで膝の上で握りしめ、アデライードはかたかたと震えていた。恭親王はその様子を見て、慌てて立ち上がってアデライードの側に行き、震える肩を抱き寄せる。

「アデライード、アルベラのことは衝撃的ではあるが、実際のところ、あなたにできることは何もないのだ。同情も憐れみも、彼女はかえって不快に感じるかもしれない」

 イフリート家と自身を秘密を知ってなお、アルベラが生きることを望むのかどうかすら、わからない。
 あるいは真実を知り、自分に課された血の呪縛に絶望し、〈禁苑〉やアデライードをさらに憎むかもしれない。

「今、我々が掴んでいるのは、イフリート公爵はアルベラを利用し、女王位の簒奪さんだつと結界の破壊をもくろんで、この世界を〈混沌〉の闇に返そうとしているということ。それについて、アルベラはおそらく知らないだろうが、知った後でどう動くかは予想もつかない。我々はまず、イフリート公爵の野望をくじく。アルベラへの対応は、その後のことだ。それは、わかるな?」
 
 アデライードは涙に濡れた頬でこくんと頷く。

「親も血筋も選ぶことはできない。我々が龍種に生まれたのも、アルベラがイフリート家の血を享けて生まれたのも、自分で選んだことじゃない。――だが、我々は龍種である以上、天と陰陽の調和を守る義務がある。アルベラは女王家に生まれ、イフリートの血を継いでいる。彼女が生まれたことに何の意味があるにせよ、その人生をどう生きるかは、アルベラが決めることだ。だがもし彼女が陰陽の調和に仇を為すとしたら――私は金の龍種の責任として、アルベラを葬らねばならない」
 
 恭親王の言葉に、アデライードが唇を噛む。

「殿下……わたしは――彼女から全てを奪うことになるの? 王位も、家族も、未来も。わたしは、ずっと奪われてきたから――だから、誰からも奪いたくない。和解は無理かもしれないけれど、復讐をしたいわけじゃないの」

 恭親王は震えて涙を零すアデライードを抱きしめ、その額に口づけして、宥めるように髪を撫でる。

「わかっている、アデライード。今度の戦争は復讐じゃない。すべて、天と陰陽の調和のため。あなたは何も、悪くない」

 女王家とイフリート家の闇はあまりにも深い。あのまま気づくのが遅れれば、歪みを正す前に銀の龍種は滅び去り、世界は〈混沌〉の闇に帰るところだったのだ。

 恭親王は目を閉じる。彼女の髪から漂う薔薇の香りと、彼を侵蝕する甘い〈王気〉。
 あの冬の日、聖地の森で彼を否応なくこの運命に巻き込んだ、金と銀の龍種の出会い。

 ――すべて、天と陰陽の配剤なのだ。

 アデライードの奪われ続けた日々も、彼の歪められた人生も、そして、アルベラが生まれ落ちたことも。
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