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4、カンダハルの海戦

カンダハル陥落

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 本格的な攻撃が開始されたのは、その翌日の夜。

 城壁の中の執務室で遅い夕食を食べていたロレンス男爵グレゴールは、ガヤガヤと騒がしい様子に食事を放りだし、城壁の上にのぼってあ然とした。

 ガシャーン! ドガ―――ン!

 敵船の甲板に設えられたたくさんの投石器から、大きな石や素焼きの壺が飛んできて、城壁に当たって砕ける。

 バリバリバリ!

 特に火炎壺は衝撃で内部の秘薬が弾け、赤い火花と煙、鼻を突く臭いと鉄ビシをまき散らす。

「こんな時間に! クソっ!……どうせ、長くはもつまい、城壁の被害が広がらぬよう、工兵に待機させて、適宜修理を……」

 いいさしたところで、彼のすぐそばの城壁にヒットしたものが、壁に衝突した衝撃で弾け、すさまじい音を立てた。

 ガシャーン!

 城壁にぶつかって素焼きの壺が割れ、破片とともに中身が飛び散り、ぶわっと炎が上がる。至近にいた兵の一人が炎を被り、悲鳴をあげて転がりまわり、周囲の兵士たちが慌ててマントではたいて火を消す。

「……黒い水か……卑怯なっ! 火を消せ、とにかく、この攻撃は一時的なものだ! 投石ごときでカンダハルの要塞はびくともせぬ! 落ち着いて対処せよ!」
 
 だが、グレゴールの指示は時折り爆発する壺と、絶え間ない投石で浮ついてしまった兵士たちには届かない。

「落ち着け……! 所詮、投石器など子供だましの玩具にすぎぬ! いいから、火を消すのだ! 火を……」

 ドゴーン、ガシャーン、と投石機による攻撃が小一時間も続いたが、しだいに投石が城壁に届かなくなる。急ごしらえの投石器は長時間の使用に耐えられず、ひどいものは崩壊してしまったらしい。

「ふん、だから言っただろ、あんな玩具でカンダハルが落ちると思ったら大間違いだとっ!」
「全くその通りだな、玩具は所詮、目くらましにしかならぬ」

 聞き慣れぬ声にはっとして声のする方に振り返ると、城壁の上に背の高い、すらりとした男が立っていた。黒いマントを靡かせ、肩には黒い鷹が止まる。周囲には松明たいまつを掲げた、金属鎧に鉄の兜を被った男が数人。その光を金属鎧が鈍く反射する。

 帝国軍――どこから?

 グレゴールが驚きに目を見開くそばから、男たちはどんどんと増えていく。城壁の内部の階段を使って、城壁の上に上がってきたのだ。中にはすでに長剣を血で染めている者もいる。

「……お前がカンダハルの長官、ロレンス男爵か? 本部の方はもう、私の甥が制圧にかかっているだろう。これ以上の損害を厭うのであれば、大人しく降伏を勧めるが……」
 
 静かに言う男に、グレゴールは頭が真っ白になった。
 何が――起きているのか。
 
 彼の耳に、城壁の内側から剣撃の音が聞こえていた。いつの間にか、城壁内に敵の侵入を許していたのだ。

「そんな馬鹿な……いったい、どこから……」
「カンダハル湾内に、ショボい漁村があるだろう。レイヌ村って言うそうだが。お前らカンダハルの守備兵は、周辺の村や港町から相当恨みを買っているな。毎年、海の治安を守るためと称して、多額の上納金を巻き上げているくせに、海賊の跳梁跋扈は全く止まず、さらにはカンダハル軍の水夫らが周辺でやりたい放題しても、何の対処もしないと、村長が零していたぞ? 何人もの若い娘が水夫らの被害に遭っていて、むしろ海賊よりも恐ろしいとか。……そんなだから、少々、金をチラつかせて同情的な流し目をくれてやったら、あっさり協力を申し出てくれてね。昨夜までにレヴェーネの港から、内陸を密かにレイヌ村まで移動して、村人の手引きで湾内の入口から城壁の内部に侵入し、海側への門を開けたのだ。お前たちが玩具おもちゃの投石器で遊んでくれている隙に、中に入り込み放題というわけ」

 恭親王は海賊のヴァンゲリスやセルフィーノから、周辺の漁村や港町に対するカンダハルの守備部隊の横暴を情報として聞き込んでいた。二千年間落城したことのないカンダハルは、周囲に敵なしと驕り、また王都ナキアの玄関口として税制の上でもたいへん優遇されていた。周囲の街や村や小都市らから安全料と称して、毎年多額の上納金を徴収しているにもかかわらず、周辺海域の海賊被害は止むことがない。カンダハルの守備隊は自分たちの街の船しか保護せず、むしろ他の船が襲われれば、自分たちの利益は増えるとほくそえんでいた。

「内部の図面なんかも、ちょっと声をかければ持ってくる奴がいてね?……もう一昨年になるか、周辺の街の石工いしくを徴発して城壁を修理させたらしいが、手間賃をケチるどころか、材料費すら相当、値切ったそうじゃないか。あれのおかげで生活の立ちいかなくなった石工の親方がいて、娘はソリスティアの娼妓に身を落とす羽目に陥った。――たまたまそのが私の部下のお気に入りでね?借金を清算して請け出してやったら、親父さん、泣いて喜んで道案内まで買って出てくれたよ。どんな立派な城壁も、中を護る人間が腐っていれば、内側から崩れていくも同然だ」

 松明に照らされた端麗な顔を皮肉っぽく歪めて、肩に鷹を止まらせた男が言う。難攻不落を謳われた城壁を過信し、周辺の弱い者を踏みつけてぶくぶくと醜く太っていたハリボテの要塞。カンダハルの情報を収集する中で、恭親王はその弱点は内部に巣くう人にあると、見抜いていたのだ。

 敢えて巨大な投石器を並べ、派手な炎と煙と音をまき散らす火炎壺をぶっつけて、守備兵の目をそちらに引き付けている隙に、帝国軍は陸側から開かれた扉を利用して、やすやすと城壁の内部の制圧にかかったのだ。

「ひ、卑怯なっ! 正々堂々と戦え!」
「おいおい、今更かよ。海戦では真っ先に逃げたくせに」

 恭親王が皮肉そうに笑った。

「ハリボテの砦にはハリボテの投石器がお似合いだ」
「おのれっ! 野郎ども、このクソ皇子さえ切れば戦は終わるんだ! やっちまえ!」
「おいおい、帝国にはざっと四十人を下らない皇子がいるんだがなあ……私一人殺したところで、戦が終わるわけなかろうが」

 抜刀して戦闘態勢に入ろうとするグレゴールとその部下たちを、恭親王が冷笑する。

「うるさい、やっちまえ!」

 グレゴールは正面の総督らしき皇子が佩刀していないのに気づいて、背後の部下たちに攻撃を命ずる。血気に逸った者が数人、ばっと皇子に向けて突進するが――。

 ガキーン!
 カシャーン!

 青白い火花が散って、周囲を一瞬、青白く照らす。総督は全く動じることなく立ったまま、だがその前に黒髪の騎士が二人、素早く抜刀してカンダハルの騎士の剣を弾いていた。一人は総督よりも背の高い、筋骨隆々したいかにも精悍な騎士、もう一人は総督よりもやや背が低いが、黒髪に黒い悪戯っぽい目をした、信じられないくらい敏捷な騎士だ。

「殿下、こいつら全員、っちまっていいっすか?」
「捕虜にしても糧食が勿体ないな――好きにしろ」
「殿下ほんっと、皇子様のくせに喰いモンには意地汚いっすよね?」
「全ての食料は貴い労働の賜物だ。無駄飯食いに喰わせるメシはない」

 軽口を叩いている総督と騎士を横目に、精悍な騎士は長剣を正眼に構えて無言のまま、静かに威圧感をまき散らす。

「べちゃくちゃとやかましい! 東のイヌどもが! 喰らえ!」

 大柄で力自慢の騎士が一人、戦斧バトルアックスを振りかざして一歩を踏み出した。――次の瞬間、音もなく動いた長身の騎士が長大な剣を袈裟がけに振り下ろし、大柄の騎士を鎧ごとバッサリと切り捨てる。

 ぼたぼたぼたぼた

 グレゴールは降りかかる血の雨をまともに浴びて、はっと動揺して周囲に対して喚いた。

「何をボヤボヤしている! 防げ!」

 だが、仲間内で一番の力自慢の手練れが一刀のもとに切り捨てられてしまったのだ。しかしグレゴールの斜め後ろにいた騎士が、剣を抜いて長身の騎士に切りかかり、もう一人が軽薄そうな騎士を標的に剣で打ち掛かる。そのほかの何人かで乱闘になったあたりで、グレゴールはそろそろと後ろに下がると、ばっと踵を返して逃げ出した。

長官レガトゥス?!」

 部下たちが動揺するが、すでに敵と切り結んでいた彼らは抜けることができない。部下たちを犠牲にして、グレゴールは一目散に船着場へと走る。要領のいい部下たちが数人、その後に続く。

 その背中に、さきほどの軽薄な騎士が面白おかしく大声で叫んだ。

「うわっ長官、マジっすか? うわー、逃げるっすか! さっすが、逃げ足だけは最高っすね!」
「お前らの長官ロレンス男爵は兵を捨てて逃げたぞ! いったい何に操を立てて命を捨てるつもりか! 武器を捨てた者は命は保証しよう!」

 さきほどの精悍な騎士のものらしい、よく通る声があたりに響く。東の騎士たちが口々に言う。

「カンダハルの長官は兵を捨てて逃げた!」
「部下を死地に置いて、自分だけ逃げた!」
「武器を捨てよ! 逆らわねば命は取らぬ!」

 その声を背中に聞きながら、グレゴールと二人の部下は懸命に走って逃げ去る。――なぜ、東の騎士たちが本気で自分たちを追わないのか、不思議に思う余裕すらなかった。
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