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4、カンダハルの海戦

仕上げを御覧じろ

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 船着場まで逃げ延びたグレゴールたちは、小さな手漕ぎボートに乗って、そろそろと海に漕ぎ出す。真っ暗だが、灯りを着ければ気づかれる恐れがある。港の灯りを目当てに方角を定め、逃げ延びるしかない。

「何人いる?」
「七人です、長官レガトゥス
 
 ボートに乗れるギリギリの人数であった。闇に紛れて外海に出れば、何とかとなりの港まで行けるかもしれない。

「しかしこんな小さな船、少しの時化しけで木っ端みじんになっちまう」

 しかも水も食糧も何もない。まさかこんなにあっさりとカンダハルが陥落するとは、誰も予想していなかったのだ。
 比較的若い騎士二人が、音を立てないようにそろそろとオールを漕ぐ。

「追手は来ないのか?」
「上を制圧するだけで精一杯なのだろう。……この船着場は知られていないはず」

 小声で話しながら、城壁の中の水路を通り、木の扉を開く。キイ……真っ暗な夜の海で、小舟は木の葉のように揺れて、心もとないこと極まりなかった。

「念のため、桟橋さんばしの陰に隠れるように行こう。……海上封鎖している敵船に見つからないように、気を付けろ」
 
 カンダハルは城壁の内側に入れない大型船のために、はしけで行き来できる桟橋がいくつもつくられていた。その陰に隠れていけば、彼らの目をごまかすこともできるだろう。

 ふと、目の前の桟橋に小型の漁船が繋留けいりゅうされていた。真っ暗で、人気がない。夜の漁に出て、戦闘が始まったために漁民は退避をしたのだろう。船だけ放置されているのかもしれない。

「ツイてるぞ。あの船、奪おう」
「しかし……」
「こんな手漕ぎボートじゃ、外海に出たらあっという間に転覆しちまう。見張りがいるだろうが、一かバチか、奪う価値はある」

 グレゴールが決断し、騎士たちはゆっくりと漁船に近づく。灯りも漏れておらず、無人で放置されているようだ。
 
「よし行け!」
 
 グレゴールの命令で、騎士たちは小舟から桟橋に上陸し、漁船に近づく。乗員が慌てて船から降りたのか、甲板から縄梯子が下がったままになっていた。
 さすがに不自然だ――と一瞬思う。だが、この船を奪う以外、彼らにもう道はないのだ。お互い顔を見合わせると、意を決して順に縄梯子を昇っていく。一人目の騎士が慎重に甲板を見回すが、シンとして誰もいない。七人全員が甲板に上がり切ったところで、最後の騎士が縄梯子を巻き上げる。

「騎士様がた、オラの船がどうかしたずら?」

 船室から眠そうに目をこすりながら、小汚い服装の漁民が二人、甲板に出てきて、グレゴール達は驚いて飛び上がる。

「今夜は砦と戦争すっから、漁はしていけなぇって聞いたずら。村さけぇろうにも、今さら湾内を航行すると何が起こるかわがんねぇって言われて、今夜はここで寝泊まりすっぺって、あっちの騎士様にはもう、伝えてあるっぺよ?」
「あんちゃん、この騎士様たちは、ひがすシトとは、ちょっくらようすがちげぇようにオラには見えるずらよ?」

 どうやらこの漁師たちは兄弟らしく、年嵩の方は無精髭ぶしょうひげに頬から下を覆われ、どちらも擦り切れた麻の上衣チュニックに、薄汚れた麻の脚衣を穿き、腰には帯代わりの麻縄を巻いている。
 
 ぼーっと見上げている二人に、グレゴールが剣を突きつけ、命令する。
 
「この船は俺たちが接収する。今すぐ出航させろ」

 喉元に剣を突きつけられ、低い声で凄まれて、漁師たちは悲鳴をあげ、おどおどと両膝をついて命乞いをする。

「ひいいいい、命ばかりはお助けぇ……」
「あんちゃん、怖いよう……」
「うるさい、早く船を出すんだ! 錨をあげろ!」

 グレゴールの命令で、騎士たちは数人がかりで錨を巻き上げ、漁師たちはわたわたと下した帆の準備にかかる。

「し、しかしこんなに暗くっちゃあ……」
 
 文句を言う漁師に、グレゴールはイライラと命令する。

「早くしろ、灯りをつければ城壁に気づかれる!」
「ですがよう、旦那ぁ、船の帆を張るには灯りがねぇと……」
「うるさい、つべこべ言わずに早くしろ!」
 
 漁師兄弟はあたふたと帆を張ろうとするが、刃物で脅されてはうまくいかないらしい。

「あんちゃん、ロープがひっかっかっちまったよう」
「まったくおめぇはドジでいけねえ、ちょっくら待ってろ」

 ぐずぐずと帆を下ろすのに手間取る二人に、城壁からの追手が気になるグレゴールは気が気でない。

「早くしろ! ええい、この役立たずが、この俺が……」
 
 業を煮やしたグレゴールが帆柱に取り付いたその時。弱々しく泣き言を言っていた弟の方が素早く懐から魔石を出し、松明たいまつに火を入れた。

 ボウッ

 その松明の灯りで帆柱のあたりが昼間のように明るくなり、帆柱に書かれた文字を浮かび上がらせる。白い塗料で、見様見真似で書いたような、下手くそな文字。

 ――ロレンス男爵ココニ死セリ――

 グレゴールが驚愕に目を見開いた次の瞬間。松明の明かりを目指して十数本の矢が一斉に飛来し、グレゴールの身体を貫いた。複数の矢によって帆柱にはりつけにされるようにして、グレゴールは大きな目を見開いたまま絶命する。半ば開いた唇の端から流れ出た血が、顎髭の間を伝い、甲板に滴り落ちる。
 
長官レガトゥス?!」

 松明の灯りの下、帆柱に縫いつけられてハリネズミのようになったグレゴールの姿を、騎士たちは茫然と見つめる。

 錨をあげ、帆を半ば下ろした船はそのままゆっくりと桟橋を離れていく。二人の漁師はとっくに、船から逃げ去っていたが、騎士たちはそれを追うことも、船から下りることもできなかった。


 
 
 潮の流れに乗ってゆっくりと桟橋を離れていく漁船を見送って、小舟を漕いでいた漁師の兄が、鬱陶しそうにベリベリと付け髭を外すと、日に焼けた頬には大きな刀傷が現れた。

「ったくよぉ、皇子サマっつーのはつくづく人使いが荒いぜ」
「ヴァンゲリスさん、その割にはノリノリだったじゃないですか」

 汚していた顔を手巾で拭いながら、弟に扮していたセルフィーノが笑う。

「そりゃあよぉ、海の男の意地として、豪商のお坊ちゃまには負けられねえよ」
「あはは、俺もまさか、こんな仕事までさせられるとは、思いもよりませんよ。ほんと、人使いが荒いったら」
「しかしお坊ちゃまのくせに、よくもまあ、貧乏漁師に化けたもんだぜ」

 ヴァンゲリスがセルフィーノの演技を絶賛すると、セルフィーノは照れたように笑った。
 
「商人は人間観察がキモですからね。普段から、言葉遣いとか、注意して観察してるんです」
「なるほどねー。ま、今回のこれは追加選項オプションってことで、割増料金を請求するかな」
「当然ですよ。危険手当もタンマリ巻き上げないとね」

 二人は小声で笑い合いながら、悠々と湾内を漕いでいく。漁船の上ではまだ、松明が燃えていた。
 


 幽霊船のようになった船が、隣の港町の漁船に保護されたのは、三日後のこと。
 王都ナキアにはすでにカンダハルの陥落が伝えられ、混乱の極みにあった。
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