59 / 171
5、白虹 日を貫く
変事
しおりを挟む
金牌を示して中央の門から入城する。帝都の正門だけあって、相変わらずの喧騒だった。そのまま、皇宮の南門に真っ直ぐ通じる朱雀大路を北上する。皇帝の鹵簿も通過するその道を、二百騎の集団で行く。旗幟を鮮明にし、周囲には警蹕の声を響かせ、通行人を馬蹄にかけぬように注意しなければならない。やがて、皇宮の、瑠璃瓦の煌めきと威容が間近に迫ってきた。
恭親王は、何とも言えない違和感を覚える。首筋に〈王気〉の警告が走る。彼は目を眇めて、宮城を見上げる。
(城門が閉じられている――?)
違和感の原因がわかった。門前には揃いの赤革の鎧も物々しく、武装した皇宮騎士団の衛士が居並び、普段ならばひっきりなしに官人が出入りする掖門さえ閉じられ、外部からの侵入を拒んでいる。
「止まれ――様子がおかしい」
周囲に指示して馬の速度を緩め、ゆっくりと近づく。廉郡王が葦毛の馬を寄せてきて、言った。
「ユエリン、何かあったに違いないぜ。こんな時間に門が閉まるなんて――」
恭親王がちらりと背後を見て、ゾラに顎をしゃくる。
「ゾラ――聞いてこい」
「は!」
余所行きの無口モードの仮面を張り付けて、ゾラが馬腹を蹴って飛び出す。
「――止まれ! 何人も侵入は許されぬ!」
「恭親王殿下と廉郡王殿下のご一行だ! 皇帝陛下のお召により参内したのだ。何故に門が閉じられている」
ゾラが堂々と問い質す声が、後からゆっくりと近づく彼らの耳にも入ってくる。恭親王の首筋の警告は厳しくなる一方だ。
「うるさい! どうしても通ると言うならば、力づくで止めるまでよ!」
責任者らしき男が手を挙げると、衛士たちが一斉に槍を構える。その殺気に満ちた様子に、恭親王がはっとして腰に下げた翡翠の佩玉を引きちぎり、それを頭上に掲げた。
「皇第十五子、恭親王の一行だ。門を開けよ! 参内するべく皇帝陛下の聖旨を受けている!」
背後にいたトルフィンが慌てて、背嚢から詔勅の函を取り出し、それを恭しく掲げた。
門衛たちは聖旨に怯んだが、それも一瞬のこと。すぐさま責任者らしき男の罵声が飛ぶ。
「ならぬ! 何人たりとも入れるなとのご命令だ! 打ちかかれ!」
バラバラと、掖門から武器を構えた衛士たちが走り出てくる。ゾラは囲まれぬように少し後退し、速度を上げた一行はゾラに合流して、門を守る衛士たちと対峙する。
「面白れぇ! 皇子を皇宮内に入れないってのは、いったい誰の命令だ?!」
廉郡王が赤い舌でぺろりと唇を舐めると叫んだ。
「抜刀しろ! 押し入れ!」
剣を抜いてかざした廉郡王に呼応し、廉郡王麾下の騎士たちが一斉に抜刀する。恭親王も乗馬鞭を握る右手を高く挙げ、号令した。
「抜刀せよ! 参内は陛下の命なるぞ! 聖旨に逆らう者は斬る!」
恭親王麾下の騎士たちも抜刀し、二百騎は宮城の正門、宣陽門で衝突した。
そもそも衛士たちは何故宮門を閉じているのか説明されておらず、皇子たちを阻めと言われても心情として納得できなかったのだろう。衛士たちはあっけなく崩れて、掖門から素早く内部に回り込んだゾラと剛力のリックが宮門を開いた。
「グイン、こいつらに構わず一気に行くぞ?」
「ああともさ!――おめぇら、遅れを取るなよ!行っくぜぇー! 一度皇宮内を騎馬で全力疾走してみたかったんだ!」
豪快に馬腹を蹴ると、ヒャッホー! と雄たけびをあげて、廉郡王が疾走し、騎士たちがそれに倣う。恭親王はエールライヒを左手に止まらせ、頭上に掲げて命じた。
「エールライヒ! 先に行け、私もすぐ行く!」
ばさり、と黒い鷹が羽ばたいて宙に舞い、廉郡王を追うように皇宮を滑空する。恭親王は背後を振り向き、アートとテムジンに宮門周辺を抑えるように命令した。
「後から宦官たちの馬車が来るはずだ。あいつらの安全に気を配ってやれ。私は先に行く」
「承知!」
恭親王は手綱を引いて向きを変え、廉郡王たちと上空のエールライヒを追って、皇帝の住まう禁中へと、馬を走らせた。
中門を通り越し、広大な南庭を流れる金河と呼ばれる小川を馬で飛び越え、外朝の中心である太極殿へと続く壮麗な太極門をくぐる。その向こう側に広がる情景に、恭親王は絶句する。
百官を集めた帝国の儀礼が行われる太極殿の広大な殿庭は、血しぶきと折れた矢、点々と折り重なるように斃れる官人の遺体が散らばり、さながら戦の後のようであった。血の臭いが鼻を掠め、殿庭を取り囲む回廊の、朱く塗られた柱や金彩を施した精緻な欄間にも、折れた矢が突き刺さり、痛々しい打撃の痕が残る。微かに重傷者の呻き声も漏れて、ここが帝国の中枢である正殿前とはとても思えなかった。
「グイン! これは……いったい、何が起きたんだ!」
前方に友の姿を認め、恭親王が叫ぶ。
「知らねぇよ! 皇宮騎士団から派遣されている皇宮近衛のやつらが、反逆したらしい」
「馬鹿な! 黒幕がいるはずだ。誰が謀叛を……陛下は……」
「とにかく奥へ行こう、こっから先は馬は無理だ、降りるぞ」
廉郡王が周囲に呼びかけると、騎士たちは一斉に馬を降り、太極殿前の白大理石の階段――本来ならば皇帝だけが通ることができる、龍の彫刻を施した中央の階段――を乱暴に駆け上がる。
太極殿の庇の、手すりに止まったエールライヒが、甲高く啼いた。その声が、不吉に空に響く。
殿上の光景はさらに凄惨で、血の臭いでむせ返るようであった。
玉座の置かれた壇上の隅では副太監が切り殺され、壇に登る階の途中で、司徒のラバ公爵が血塗れで絶命していた。
儀式の最中だったのだろう、折り重なって斃れている高官たちは皆、朝服に身を包み、突然の暴挙に為すすべもなく惨殺されていた。殿上の資格を持つ高官はいずれも老境に差し掛かり、また皇帝の御前では寸鉄も帯びることは許されない。丸腰では、抵抗らしい抵抗もできなかったであろう。巻き添えなのか逃げ遅れたのか、まだ若い宦官や事務官は扉のあたりに一塊になって斬殺され、あまりの惨状に、豪胆な廉郡王ですら言葉も出ない。突如、恭親王の背後でトルフィンが叫んだ。
「父さん!……父さん、しっかりして!」
恭親王は、何とも言えない違和感を覚える。首筋に〈王気〉の警告が走る。彼は目を眇めて、宮城を見上げる。
(城門が閉じられている――?)
違和感の原因がわかった。門前には揃いの赤革の鎧も物々しく、武装した皇宮騎士団の衛士が居並び、普段ならばひっきりなしに官人が出入りする掖門さえ閉じられ、外部からの侵入を拒んでいる。
「止まれ――様子がおかしい」
周囲に指示して馬の速度を緩め、ゆっくりと近づく。廉郡王が葦毛の馬を寄せてきて、言った。
「ユエリン、何かあったに違いないぜ。こんな時間に門が閉まるなんて――」
恭親王がちらりと背後を見て、ゾラに顎をしゃくる。
「ゾラ――聞いてこい」
「は!」
余所行きの無口モードの仮面を張り付けて、ゾラが馬腹を蹴って飛び出す。
「――止まれ! 何人も侵入は許されぬ!」
「恭親王殿下と廉郡王殿下のご一行だ! 皇帝陛下のお召により参内したのだ。何故に門が閉じられている」
ゾラが堂々と問い質す声が、後からゆっくりと近づく彼らの耳にも入ってくる。恭親王の首筋の警告は厳しくなる一方だ。
「うるさい! どうしても通ると言うならば、力づくで止めるまでよ!」
責任者らしき男が手を挙げると、衛士たちが一斉に槍を構える。その殺気に満ちた様子に、恭親王がはっとして腰に下げた翡翠の佩玉を引きちぎり、それを頭上に掲げた。
「皇第十五子、恭親王の一行だ。門を開けよ! 参内するべく皇帝陛下の聖旨を受けている!」
背後にいたトルフィンが慌てて、背嚢から詔勅の函を取り出し、それを恭しく掲げた。
門衛たちは聖旨に怯んだが、それも一瞬のこと。すぐさま責任者らしき男の罵声が飛ぶ。
「ならぬ! 何人たりとも入れるなとのご命令だ! 打ちかかれ!」
バラバラと、掖門から武器を構えた衛士たちが走り出てくる。ゾラは囲まれぬように少し後退し、速度を上げた一行はゾラに合流して、門を守る衛士たちと対峙する。
「面白れぇ! 皇子を皇宮内に入れないってのは、いったい誰の命令だ?!」
廉郡王が赤い舌でぺろりと唇を舐めると叫んだ。
「抜刀しろ! 押し入れ!」
剣を抜いてかざした廉郡王に呼応し、廉郡王麾下の騎士たちが一斉に抜刀する。恭親王も乗馬鞭を握る右手を高く挙げ、号令した。
「抜刀せよ! 参内は陛下の命なるぞ! 聖旨に逆らう者は斬る!」
恭親王麾下の騎士たちも抜刀し、二百騎は宮城の正門、宣陽門で衝突した。
そもそも衛士たちは何故宮門を閉じているのか説明されておらず、皇子たちを阻めと言われても心情として納得できなかったのだろう。衛士たちはあっけなく崩れて、掖門から素早く内部に回り込んだゾラと剛力のリックが宮門を開いた。
「グイン、こいつらに構わず一気に行くぞ?」
「ああともさ!――おめぇら、遅れを取るなよ!行っくぜぇー! 一度皇宮内を騎馬で全力疾走してみたかったんだ!」
豪快に馬腹を蹴ると、ヒャッホー! と雄たけびをあげて、廉郡王が疾走し、騎士たちがそれに倣う。恭親王はエールライヒを左手に止まらせ、頭上に掲げて命じた。
「エールライヒ! 先に行け、私もすぐ行く!」
ばさり、と黒い鷹が羽ばたいて宙に舞い、廉郡王を追うように皇宮を滑空する。恭親王は背後を振り向き、アートとテムジンに宮門周辺を抑えるように命令した。
「後から宦官たちの馬車が来るはずだ。あいつらの安全に気を配ってやれ。私は先に行く」
「承知!」
恭親王は手綱を引いて向きを変え、廉郡王たちと上空のエールライヒを追って、皇帝の住まう禁中へと、馬を走らせた。
中門を通り越し、広大な南庭を流れる金河と呼ばれる小川を馬で飛び越え、外朝の中心である太極殿へと続く壮麗な太極門をくぐる。その向こう側に広がる情景に、恭親王は絶句する。
百官を集めた帝国の儀礼が行われる太極殿の広大な殿庭は、血しぶきと折れた矢、点々と折り重なるように斃れる官人の遺体が散らばり、さながら戦の後のようであった。血の臭いが鼻を掠め、殿庭を取り囲む回廊の、朱く塗られた柱や金彩を施した精緻な欄間にも、折れた矢が突き刺さり、痛々しい打撃の痕が残る。微かに重傷者の呻き声も漏れて、ここが帝国の中枢である正殿前とはとても思えなかった。
「グイン! これは……いったい、何が起きたんだ!」
前方に友の姿を認め、恭親王が叫ぶ。
「知らねぇよ! 皇宮騎士団から派遣されている皇宮近衛のやつらが、反逆したらしい」
「馬鹿な! 黒幕がいるはずだ。誰が謀叛を……陛下は……」
「とにかく奥へ行こう、こっから先は馬は無理だ、降りるぞ」
廉郡王が周囲に呼びかけると、騎士たちは一斉に馬を降り、太極殿前の白大理石の階段――本来ならば皇帝だけが通ることができる、龍の彫刻を施した中央の階段――を乱暴に駆け上がる。
太極殿の庇の、手すりに止まったエールライヒが、甲高く啼いた。その声が、不吉に空に響く。
殿上の光景はさらに凄惨で、血の臭いでむせ返るようであった。
玉座の置かれた壇上の隅では副太監が切り殺され、壇に登る階の途中で、司徒のラバ公爵が血塗れで絶命していた。
儀式の最中だったのだろう、折り重なって斃れている高官たちは皆、朝服に身を包み、突然の暴挙に為すすべもなく惨殺されていた。殿上の資格を持つ高官はいずれも老境に差し掛かり、また皇帝の御前では寸鉄も帯びることは許されない。丸腰では、抵抗らしい抵抗もできなかったであろう。巻き添えなのか逃げ遅れたのか、まだ若い宦官や事務官は扉のあたりに一塊になって斬殺され、あまりの惨状に、豪胆な廉郡王ですら言葉も出ない。突如、恭親王の背後でトルフィンが叫んだ。
「父さん!……父さん、しっかりして!」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
175
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる