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5、白虹 日を貫く

叛乱

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 賢親王が何か言おうと口を開いた時、しかし恭親王が言った。

「そんな死体一つでは、私が贋物の皇子かどうかなど、証明できませんよ?」

 その美貌はまさに花のかんばせとも形容したいほど、冷たく整って艶麗ですらあった。贋物だと弾劾されているはずの異母弟の冷静さに、むしろ皇太子が激昂する。

「ユエリンは確かに死んだのだ! お前は替え玉だ!」

 駄々っ子のようにドスドスと足を踏み鳴らし、皇太子はなおも言い募る。

「ですが私には〈王気〉がある。〈禁苑〉三宮の長が全て私の〈聖婚〉を認め、よみした。この通り、〈聖剣〉まで賜って。私が贋物だというならば、その根拠を提示するべきです。――本物のユエリンが死んでいることではなくてね?」

 恭親王の言葉に冷静さを取り戻した賢親王が、異母弟によく似た端麗な眉をそびやかし、言った。

「今、ここにいるユエリンに〈王気〉があるのは間違いがない。〈聖婚〉に先立って、望気者に確認させているし、〈禁苑〉の高位聖職者も皆、ユエリンの〈王気〉を認めている。〈王気〉の存在こそ、龍種である皇子の証。贋物などと、根拠のない言いがかりだ」
「じゃあ、あのユエリンの死体は何だというのだ! お前は賤しい太陽宮の沙弥だったくせに!」

 皇太子の言葉に、皇后がびくりと身体を震わせる。だが恭親王は全く動揺を見せず、薄く形のいい唇に柔らかな笑みまで浮かべている。

「さっきから鬼の首を取ったかのように、ユエリンの死体が太陽神殿に葬られていると仰るけれど、それが本物のユエリンだという証拠はどこにありますか? ないでしょう? 兄上の仰ることは全て根拠のない憶測だ。たまたまユエリン皇子に瓜二つで、たまたま〈王気〉を持つ沙弥しゃみが太陽神殿にいたとして――どうやってそんな者を見つけて来ると言うのです?」
「それは――もしかしたら双子か何かで……」

 そう言い淀んだ皇太子に対し、恭親王はとうとう我慢できないとでもいう風に、ぶぶっと噴き出した。

「双子!……ということは、皇后の腹から同時に生まれたということですね? つまりは皇后腹のユエリンの同腹の兄弟です。贋物でもなんでもないではありませんか! さきほどから仰ることが滅茶苦茶ですよ?」
「ううう……」

 異母弟に嘲笑され、皇太子は言葉に詰まる。

「要するに、ユエリンが死んでいようがいまいが、私が皇后腹の皇子であることには変わりがないということ。先の皇后腹の皇子である兄上が廃嫡にされた今、最も高い継承順位を持つのは、現皇后腹の皇子である、私です。もしかして、兄上はそれを証明なさりたかった?」

 揶揄からかうように言われ、皇太子はギリギリと奥歯を噛みしめ、拳を固く握りしめる。
 
「う、うるさい! 棄てられて、お情けで拾いあげられた替え玉のくせに!」
「どっから見ても文句のつけようもない後継者だったのに、疑心暗鬼から正道を踏み外して廃嫡された兄上よりはマシですよ。オマケに逆切れで父殺しの弑逆。――確かに、これでは至尊至重の位を譲るわけにはいかないと、父上が思われるのは当然ですね」
「黙れ!」

 侮蔑に満ちた瞳で反論する異母弟の静かな気迫に、皇太子は言い返すことができず、気まずく視線を泳がせる。そして、床に蹲る若く美しい義母の姿を目にして、あっさりと標的を変更した。

「こ、この女だ! この女狐こそ最大の汚点だ! 双子を生んでおきながら、あっさりと子捨てした上、手元に残した子が死んだら、捨てた子を取り戻して取り換えたのだ!なんと浅ましいことではないか! こんな女が国の母などと、とんでもないことだ!」
 
 名指しで非難され、皇后は黒い瞳を見開き、蒼白な顔で周囲を見回す。その母親を息子の恭親王が庇う。

「兄上! 何の証拠もないことで、今度は母上を非難するのですか? 父である皇帝を死に至らしめたあなたに、そんな権利があるとでも?」
「煩い! わしは、新しい世を築くために……」
「父を殺し、母と仰ぐべき人を床に引き据え、忠実な高官たちを問答無用に斬り捨てて築く新しい世ですか。欠片も希望が見出だせませんね」
 
 呆れたように言う恭親王に、皇后に刃を向けていた皇宮近衛の騎士が叫んだ。

「十二貴嬪家に牛耳られた帝国に新しい息吹をもたらすための、露払いだ! 今まで特権を享受してきたんだ、罰を受けただけだ!」
「愚かな! 新しい世とか言いながら、要するに皇太子に利用されただけではないか。しかもその背後には西の女王国のイフリート家がいる。――イフリート家の延命のために、遠隔操作で踊らされて、今頃西のナキアでは高笑いしているであろうな!」
「何だと――?!」

 〈混沌〉を再現するという、イフリート公爵の野望のために、彼らは〈黒影〉を帝都に潜入させ、皇太子を操り、皇帝弑逆を成し遂げた。地下に潜って邪教を扇動し、十二貴嬪家と貴種によって固められた帝国の体制にひびを入れた。折よく恭親王を帝国に引き返させ、ナキアの侵攻は中止せざるを得なかった。――すべてが、イフリート公爵の思惑の通りに運んでいる。不愉快極まりないことに。

 利己的な正義感を振り回す連中をうまく利用して、皇太子は皇帝を殺し、自分が利用され、操られているなどと考えもしていないだろう。

(五十を越したいい大人のくせに、サウラと同じ思考回路とはな!)

 皇太子の愚かさにも、おかしな理想を振り回して高官を皆殺しにした皇宮近衛の輩にも、恭親王は苛立ちと怒りしか感じなかった。――一刻も早く、アデライードを即位させ、結界の認証を行わなければならないこの時に、おかげで陰陽の調和は遠ざかり、世界が〈混沌〉の闇に呑み込まれる危険性が遥かに増したのだ。
  
 半分だけ血のつながった兄ではあるが、これは一思いに殺してもいいよなと恭親王は考える。彼が迂闊に動けば、母の皇后は殺されるかもしれなかったが、この際不可抗力と諦めるか――どのみち、世間体以上の愛情など母には感じたことはないのだし。

 そんなことを頭の中で思い巡らしていた時、恭親王の首筋が新たな警告を感知した。南側――外朝の方向から、何か新たな喧騒が近づいてくる。
 近い処で乱暴な足音がして、見張りに出ていた廉郡王麾下の聖騎士が乾坤宮に飛び込んできた。

「大変です! 民衆が――民衆と帝都騎士団の一部が蜂起して、皇宮内に雪崩込みました!」
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