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6,夏至

俺たちの殿下

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 昔、北方での初めての巡検の折に、焚火で炙った白い芋虫を食べさせられたことがある。皇子のくせにやけに庶民的な食事の好みだったけれど、彼ら配下は、ただの貧乏舌だと疑問を封じ込めてきたのだ。ゾラの言葉に、テムジンとアートが絶句して、お互いに顔を見合わせている。トルフィンが我慢できずに友人の肩を掴んで叫んだ。

「ゾラ! たしかに、言われてみればいろいろと奇妙なことはあったけれど、そんな言い方! だいたい、意味がわからないよ! 顔もそっくりで〈王気〉もある贋物なんて……」
「だから双子って言ってたじゃねーか。聞いてなかったのかよ」

 あっさりとゾラに断言され、トルフィンがパチパチと瞬きする。

「双子……」
「陛下はもともと、新しい皇后陛下の産んだ皇子に位を譲るつもりだった。それが双子だったら……ただでさえ、今の皇太子を廃嫡にしたりと面倒なのに、同じ顔、同じ母親の候補者が二人。これが皇位争いの火種にならねぇわけがねぇ。だから――最初から一人しかいなかったことにしたんじゃねーの?」

 ゾラの言葉に、アートが眉間に皺を刻み、だが納得したように頷いた。

「なるほど。だが、手元に残した皇子の方が落馬で死んでしまった。それで、捨てた方の皇子を取り戻して身代わりに仕立て上げた、と」
「太陽宮の沙弥しゃみだったというのは――〈純陽〉という奴だな」

 テムジンの発言に、トルフィンがそちらを見る。

「〈純陽〉って?」
「十二貴嬪家とかで、表向きにできない子供が生まれたりすると、寄付金を付けて神殿や、聖地に送るんだよ。身分や血筋を隠して、僧侶にするんだ。十二貴嬪家は庶子も傍系もきっちり管理されているから、ヤバイ生まれの者を匿うことができない。うかつに平民階級に交わらせると、魔力の強い子供が生まれてしまって、いろいろとまずいことになるから――聖地で、異性と交わることなく生涯を終えるんだ」
「何そのイラナイ子扱い! ひどすぎる!」

 身分に応じてではあるが、法の下の公平を叩き込まれているトルフィンが絶句する。

「つまり殿下は聖地の太陽宮に棄てられて、生涯独身を通すはずだったのに、双子の片割が死んだからって後宮に連れ戻されたってこと? それも、身代わりとして? ひどい人権蹂躙じゃないか!」
「まあ、そうとでも考えないと、聖地にユエリン皇子にそっくりな〈王気〉持ちの沙弥がいたなんて、説明できないだろう」

 テムジンも濃い髭の剃り跡と撫でながら言う。

「俺たちは殿下の成人後に、巡検で聖騎士として扈従こじゅうしたのが最初だが、砦の朝練に参加したり、気さくな方だという印象ではあった。食事や風呂にも贅沢を仰らなかったし。もともと沙弥として質素に暮らしておられたなら、納得だな」

 アートも頷いた。

「成人前から仕えているおぬしらなら、もっと違和感があったんじゃないか?」

 ゾラがふん、と鼻を鳴らす。

「もともと、殿下の侍従にって話が来た時によ、俺の爺さんやらは反対だったんだ。ユエリン皇子は素行も悪いが何より性格が悪すぎるってね。ところがよ、実物の殿下は随分と謙虚で質素で――噂と全然違ってた。たぶん、モノホンのユエリン皇子だったら、俺は十日もたずに喧嘩するか殴りつけるかして、クビになってたな。そのくらい、ユエリン皇子の評判はさんざんだった」

 ゾラは普段のふざけた表情が嘘のように、辛そうに顔を歪めた。

「最初、剣の稽古の時に不自然だと思ったんだよ。左利きなのに、無理に右手で剣を持ってて……俺が指摘すると殿下、焦って謝ったんだ。――きっと、左利きがバレないようにしろって、デュクトさんにキツく言われてたんだろーな。突然、わけのわかんねぇ理由で知らない場所に連れて来られて、本当の名前も、過去も全部なかったことにされて……」

 ゾラが、思わず大きな右手で顔を覆う。

「俺は別によ、殿下が何者でもどうでもいいのによ――隠さなくても、俺にとっては今の殿下以外に本物の皇子なんていやしないのによ……ずっと、秘密を抱えてたなんて、殿下、水臭すぎるぜ」
「ゾラ……」

 思い返せば、仕え始めたばかりの頃の恭親王はいろいとろぎこちなかった。トルフィンだって、銀杏拾いにつき合わされた時は、こんな臭い実を本気で食べるのかと呆れた。釣った魚を綺麗に捌いた時は、ありえない!と心の中で叫んだ。皇子が知るはずがないようなことを、殿下はたくさん知っていた。火の熾し方、食べられる野草、キノコの毒性……すべて、後宮では絶対に得られない知識ばかりだったのに。トルフィンもゾラも、そんな疑問を見ないふりをしてきたのだ。――たぶん、どうでもいいと思ったから。それくらい、自分の主は殿下一人だと思っていたから。殿下以外の主に仕えようなんて、微塵も思わなかったから。

「沙弥だったとは、想像もしなかったな……どうりで、『聖典』丸暗記してるし、やたら難しい注釈書なんかもよく読んでおられたよね……その割には下半身の倫理観がぶっ壊れてて、支離滅裂な人だと思ってたけど」

 トルフィンもポツリと呟く。たしかに、閨房教育の一時期、主は精神的にひどく荒れたのだ。いまだにどこか危ういところがあるし、妙な潔癖さと来るもの拒まずの放蕩ぶりがアンバランスだった。聖地で純潔の誓いまで立てていたとしたら、無理やり後宮で破戒を強いられて、貞操観念が無茶苦茶になるのも当然だ。
 
 ユエリン皇子の死を秘するためとはいえ――そして、双子の皇子を棄てていたという、皇帝の不祥事を隠すためとはいえ――あまりに本人をないがしろにしすぎだし、非道すぎる。――だからこそ、秘密にされなければならなかったのだろう。皇家の、名誉のために。

「俺は、殿下がどこの何者であろうが、このまま殿下に仕える。ベルンの北岸で俺たちのために身体を張ったのはあの人だし、あの人以外に仕える気はねぇ。真実に蓋をされてたのは不満だけど、口に出せることじゃねぇってのも、わかるからな。――次に会ったら、文句の一つくらいは言うつもりだけどよ。十年も仕えたのに、水くせぇぜってさ」
 
 ゾラが、苦い顔に無理に笑顔を張りつけるようにして言った。――主に、秘密を持たれるのは、辛い。でも、秘密を抱いていた主は、もっと辛かったろう。それを聞いてトルフィンも頷く。

「お、俺だってそうだよ! というか、あの無駄な丈夫さはどう考えても龍種だよ! あれが贋物だったら、何が本物だよ!――まあ、貧乏舌はいい加減にして欲しいけど、殿下以外に仕える気はないよ!」

 トルフィンが少しだけ鼻をすすりながら言うのに、アートも宥めるように言った。

「ああ――もちろん、わかってる。殿下がいらっしゃらなければ、俺たちは全員、ベルンの北で殺されてた。そのご恩返しをするべき相手は、他の誰でもない、殿下ご自身だけだ」
 
 その言葉に、テムジンも大きく頷く。

「その通りだな。俺は〈王気〉は視えないが、殿下は顔は賢親王殿下や皇后陛下によく似ておられるし、何より〈聖剣〉がある。殿下のお血筋に疑いはない。――それはともかく、今後どうする?ここにいつまでも捕まっておくつもりか?」

 テムジンが仲間たちを見回す。ゾラが肩を竦めた。

「殿下の居場所がわかんねーんじゃ、脱出ってわけにもよ……」
「でもこのままじゃ、じり貧だぞ?」
「それはそうだけど……」

 トルフィンも眉を顰める。脱出自体はさほど難しくないかもしれないが、主を救出できないのであれば、意味がない。だが、今は勝利に浮かれている叛乱軍だが、正気に返れば彼らの命をも奪いに来るだろう。
 ――行動を起こすなら早い方がいい。

 テムジンが早くも伸びてきた無精ひげをジョリジョリと手で扱きながら顔を顰めて言う。

「あの魔術師を何とかしないことには――」
「しぃ! 誰か来た!」

 その部屋にいた聖騎士たちは皆、緊張に身を固くして外の気配を伺う。監禁部屋の鍵がカチャリと動き、静かに扉が開いた。
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