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10、正真のつがい

銀の龍

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 穆郡王は殿庭を見下ろす太極門の二階で、皇宮各地からの報告を聞いていた。

「紅華公主様も昭儀様も、無事に保護されたそうでございます」
「……ミアンナと母上が?!それは本当か!」

 穆郡王がクセのある黒髪を振って、頭をあげる。第二十七皇女紅華公主は、穆郡王の年の離れた同母妹であった。新帝の捕縛を振り切って逃げている間、後宮に囚われたままの母と妹のことが気がかりであった。真っ先に後宮に駆け込みたい心を押さえて、兵の指揮を執っていたのである。

「そうか……他の、皇子たちは?」
「何人かは……ですが、お世辞にも無事と言える状態ではないそうで……」

 言葉を濁す部下の台詞に、思わず眉をしかめる。もっとも仲の良かった同じ年の文郡王が目の前で皇宮近衛に拘束され、「フォリン、逃げろ!」という彼の声を背中に、馬腹を蹴って逃げ去ったのだ。

「そうか……何とか助かって欲しいが……」

 穆郡王が野性味のある顔立ちを歪めたその時。殿庭から眩い白い光が射し、空間がピシリと軋むような、そんな音がした。

「?……」
 
 穆郡王が思わず門の高楼上から殿庭を覗き込もうと首をひねったとき、ぐらりと大き振動が起こる。

「うわっ……」
「地震! 殿下! 机の下に!」

 だがそれは一瞬のことで、気づけば棚の上ものや屋根瓦等にも何の狂いもない。しかし、殿庭から漏れる光だけはさらに強くなる。穆郡王が楼の手すりによって下を覗けば、太極殿庭はさらに眩い光に包まれていた。やがて殿庭全体を覆うほどの、巨大な光の魔法陣が出現する。三重の円で区切られた内部に、複雑な神聖文字による真言マントラが散りばめられ、五元素を意味する文様が描きこまれた、光の円陣。その一文字一文字から無数の光の粒子が立ち昇り、太極門の二階にいる彼の目の前を天へと吸い込まれていく。

「何だ……これは……」

 穆郡王とその配下が茫然と光の粒子を見送る間にも、魔法陣の中心からの光は強くなり、正視できないほど煌めく。殿庭にいた騎士たちは皆、眩しさに顔を覆い、地に伏して頭を抱えてうずくまる。穆郡王もついに両手で顔を覆って目を逸らし、だが、次の瞬間、光が消えたのを感じて目を開けた。
 
 魔法陣の中心には、一人の女が立っていた。
 
 ふわり、と殿庭に吹き抜ける風が、女の腰まで覆う長い白金色の髪と、薄紫色のぼかしになった足首まである、長衣の裾を翻す。東方の女たちとはあまりにも異なる、色と、出で立ち。足元は革に金の装飾のついた華奢なサンダルを履き、その肩には黒い鷹が止まり、ばさり、と黒い翼を羽ばたかせる。

 長い白金色の髪は、七月の陽光を弾いて一層の輝きを放つ。絹の長衣の裾がはためき、胸高に締めた腰帯の、金銀糸の組紐が風に揺れる。
 周囲の者たちが、忽然と現れた女を茫然と見上げる中、女はゆっくりと顔を動かして、自分の身の回りを確認するかのように見回す。肩越しに背後の太極門を振り返って見上げる女と、穆郡王の目があった。その輝く翡翠色の瞳に、穆郡王は心臓を射抜かれるような衝撃を受ける。

 誰もが見惚れるほど、美しい女。太陽を浴びたこともないのではないか、と思わせる、プルミンテルンの根雪のように白い肌。綻びかけた薔薇の花のような、可憐な唇。レースの繊細な肩衣を羽織っているが、肩から二の腕の折れそうなか細さは隠せていない。

「あれは――いったい……」

 穆郡王の部下が驚愕で目を瞠っている横で、さすが、穆郡王は動揺を押し隠して平静を装い、楼上から大声で問いかける。

「どこから入った! 許しなく皇城に立ち入る者には、処罰が下るぞ!」
 
 女は翡翠色の目を少しだけ、眇めたようだ。大きくはないが、何か術でも使っているのか、穆郡王にははっきりと届く声で言った。

「わたしは、夫を迎えに来たのです」
「夫?  お前は――」
「わたしは西の女王ユウラの娘、アデライード。わたしの夫、恭親王殿下はどちらに?」
 
 その言葉を聞いた配下が食い入るように女をまじまじと見る。

「――あれが、西の王女……これはまた……」
「俺は穆郡王フォリン皇子。ユエリンーー恭親王の兄だ。ユエリンの居場所は今探させている。ここは戦闘中で、危険だ。脇にどいていろ」
「殿下の、お兄様?」

 そう、首を傾げる姿に、穆郡王は妹の、紅華公主と同じ年くらいかと思う。噂では恭親王は〈聖婚〉の王女に夢中だと言うが、なるほど納得の美しさであった。

「叛乱を起こした廃太子というのは、あなたではないのですね」
 
 アデライードの言葉に、穆郡王が軽く顎をしゃくる。

「今からその馬鹿兄を取っ捕まえるために包囲しているんだ。邪魔をするな」

 だが次の瞬間、太極殿から弾丸のように赤い光が飛んできて、穆郡王が身構える。すると女は瞬時に白い防御魔法陣を展開し、その攻撃を難なく弾いた。

「わたしの魔力障壁を粉砕して転移してくるとは、生意気な女だ!」

 太極殿のひさしには黒いローブを着た男が立って、魔法陣を呼び出している。

「そいつはただの方士じゃない、魔術師だ! ユエリンはそいつにさらわれたんだ!」

 穆郡王の言葉を聞いて、アデライードは翡翠色の瞳を魔術師に向ける。

「そう、では、彼の居場所はあの人に聞けばいいのですね!」

 言うが早いか、アデライードは白い防御魔法陣を展開したまま、右手に楯のように、地面と垂直に青白い魔法陣を呼び出す。そこから光の粒子が振動して、垂直に張られた魔法陣の周囲をバチバチと火花をまき散らしながら回る。

「――あの人はどこ?」
「面白い、私を脅すつもりですか?」
 
 喉の奥で笑いを堪える魔術師に、アデライードは艶麗に微笑みかける。
 
「まさか!……平和的にお尋ねしているだけです。これはちょっとした……単なる自己紹介みたいなものです」

 そう叫ぶと、魔法陣の楯から生じた青白い光の龍が真っすぐに、矢のような速さで魔術師に向かって飛んでいく。

「!!」
「小癪な!」

 魔術師アタナシオスが赤い焔の上がる防御の魔法陣を展開する。青白い光の龍は、アタナシオスの魔法陣の周縁に衝突すると、弾き飛ばされる――かと思いきや、その龍は次の瞬間には見えない壁をぶち抜いてアタナシオスを直撃し、アタナシオスは背後に吹き飛び、倒れ込んだ。

 バリ――ン!

 物理的な物音とは異なる、だが何かが確かに割れた音が響く。
 吹き飛んだアタナシオスが辛うじて起き上がる。ローブのフードが脱げて赤い髪があらわになっていた。紫紺の瞳をぎろりと光らせて、殿庭に立つアデライードを睨みつけた。

「なっ……貴様っ!」
 
 立ち上がろうとするアタナシオスがよろりと足をもつれさせ、腹を抑える。ごぷり、と唇の端から鮮血が一筋流れ下る。

「やはり、あなたの張った魔力障壁でしたのね。最後まであの人を拘束していたいたものを、壊さなければ近くに寄れなかった。だから、少々、手荒なことをしましたが、死んだりはしないと思いますよ。――このまま、素直にあの人を返してくれれば」

 アデライードの右手に、楯のように輝く魔法陣の周囲には、第二、第三の龍がすでに生まれ、グルグルと飛び回っている。

 「くっ……今頃、来てももう遅い……あの男は……そなたにくだらぬみさお立てして心を折った。もう、戻ることはない……っ」

 アタナシオスの言葉を聞いたアデライードの翡翠色の瞳が一瞬、ふっと眇められ、ぶわりと一陣の突風が吹き起って、アデライードの白金色の髪を大きく巻き上げた。
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