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10、正真のつがい

魔術戦

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 太極殿庭に立つ女と、殿上の廂に立つ黒衣の魔術師――。
 さっきまでの晴天が嘘のように黒雲が厚く垂れこめて空を覆い、強風が殿上に垂らされた幕や殿庭に並ぶ旗幟きしを巻き上げる。

 新帝やその周囲の者も、そして攻め手側の騎士たちも、その情景を息を詰めて見守っている。

「まじかよ、これが魔術の戦い――」

 穆郡王は思わず、両手で高楼の欄干を握りしめる。黒衣の魔術師は長身で、赤い髪も禍々しく、いかにもな風体であった。しかし対する王女の方は、ほっそりとした身体つきにすんなりとした細い手足を持ち、声もまた鈴を転がすように可憐で、現にその強大な魔力を見せつけられても、夢ではないかと思うばかり。

「す、助太刀すけだちしなくてよろしいんでしょうかね?」
 
 隣の副官がおどおどと言うが、穆郡王は反射的に叫んだ。

「どうやって!」
「しかし、仮にもか弱い姫君一人を矢面に立たせるのは……」

 穆郡王は副官の顔をまじまじと見る。あのスゴイ技を見せつけられて、なおかつまだか弱いと思えるとは!

「下手に近づくと、あの龍の餌食にされるぞ。あの魔術師だからあの程度で済んでいるが、魔力の少ないお前らなんて、瞬殺で黒焦げだぞ?」

 楼上で文字通り、高見の見物を決め込んでいる穆郡王とは異なり、凄まじい物音に急かされるように、新帝も太極殿の奥から顔を出した。
 
「アタナシオス、あんな小娘一人に、何を不覚を取っている。とっとと片づけてしまえ!」
 
 奥から現れた新帝の姿に、アデライードはこれが叛乱の親玉かとじっと新帝を見る。
 新帝もまた、後宮三千の美女も敵わない類稀たぐいまれなアデライードの美貌に、我知らず息を飲む。――これが、銀の龍種。彼ら金の龍種が棄てた、かつてのつがい

「あなたが、親玉ね?――わたしの夫はどこ? 答えないのであれば――」

 アデライードの右手の魔法陣の輝きが一際増す。バチバチ、バチバチと火花をあげながら、青い龍が楯の周囲をグルグルと回る。

「な、……夫……つまり、ユエリンのことかっ! ふん。あんな贋者ニセモノの弟など、知るものか! あいつは〈王気〉がある以上は自分は正統の皇子だとぬかしおった! だからわしは、あいつの〈王気〉を奪いつくし、〈王気〉もなくなった庶民として処刑してやるつもりだったのに……アタナシオス、あいつが壊れたというのは本当なのか!」
 
 無言で頷くアタナシオスを見て、アデライードは怒りで我を忘れそうになった。

 ――何てこと! 心が折れるほどの、ひどい目に遭わせたのだ!

「返してくれないのであれば、力ずくでも取り返すだけ。――銀龍のつがいを傷つけて、許せない!」

 アデライードの翡翠色の瞳が怒りに煌めいた。ぶわりと一陣の風が巻き起こり、アデライードの白金色の髪を巻きあげる。その突風に怯えて、エールライヒはアデライードの肩から飛び去る。
 立ち込める黒雲はさらに色濃く、遥かに遠雷が響く。
 
 ゴロゴロ、ゴロゴロ……

 にわかに崩れた雲行きを見上げ、人々が眉を顰めた時。

 ズズズズズ……ドドーン!

 突然、大地が揺れるような巨大な雷鳴が轟いて、青白い閃光が空に走る。――太極殿に雷が直撃したのだ。

 バリバリバリバリ!
 ガラガラガラ!

 至近距離の落雷の衝撃に、思わず穆郡王が肩をすくめる。次いで、今度は太極殿と殿庭を取り囲む回廊に、連続していくつもの青い稲妻が走った。
 
 ドゴーン!
 バリバリバリ!

 雷は屋根瓦を砕き、欠けた瓦の破片が飛び散る。木の焦げる臭いが鼻をつき、悲鳴と怒号が響く。
 強風はさらに瓦や礫を吹き上げ、小さな竜巻が巻き起こって黄瑠璃瓦を巻き込んでいく。旗幟や幕は風にあおられて引きちぎられ、鉛色の空を舞う。

 真っ黒に垂れこめた薄暗い空を背景に、青白い雷光がアデライードの姿を浮かびあがらせる。

 突然の落雷に太極殿は大混乱に陥る。新帝が周囲の者に命令を下すが、浮足立って統制が取れない。

 アデライードはさらに魔法陣から青い光の龍をいくつも呼び出すと、太極殿に向けて龍を放つ。青い龍はそれぞれのたうって咆哮した挙句、たくさんの光の線となって、一斉に太極殿に向かって飛んでいく。

 向かって来る光の龍に、新帝や周囲の者は悲鳴を上げて逃げ惑う。恐怖のあまり足がもつれてその場に倒れ込む者、廂から飛び降りる者、さまざまであった。

 アデライードはもとより直撃させるつもりがなく、光の龍はそれぞれ、標的と定めた者たちの至近を掠め、周囲の壁や床の磚を破壊する。腰を抜かして床の上で取り乱す新帝の鼻先ギリギリを掠め飛び、その足元の床を直撃し、磚が砕け散る。別の一つは風に舞う幕をぶち抜き、そのまま太極殿の奥の壁に激突した。別の龍は太極殿の軒に下がる燈籠を木っ端みじんにし、さらに玉座の横に置かれた青銅の巨大なかなえに突っ込んで、鼎が大きな金属音をたてて真っ二つ割れる。

「ひいいいいっ! 何だこの女っ! アタナシオス、防げっ防げっ!」

 新帝はその場に尻もちをつき、背後にいざりながらアタナシオスに叫ぶ。その薄くまばらな口髭の先を新たな光の龍が掠め飛んで、口髭はバチンと青い火花を上げて焦げた。

 だがアタナシオスは動かない。動けないのだ。先ほどの攻撃、油断していたわけではなかったが、真っ直ぐ彼の中枢――魔力障壁の核――を狙ってきた攻撃を、彼は躱すことができなかった。彼女の魔力は、アタナシオスの予想を遥かに超えていた。

(魔法陣は割れていないのか――?)
 
「アタナシオス、助けろ、助けてくれっ!」

 みっともなく命乞いする新帝に、アタナシオスは舌打ちする。アデライードはこの男を翻弄し、アタナシオスから恭親王の居場所を聞き出そうとしているのだろう。

 あの女のどこが白痴だというのか。
 自身の持つ情報の当てにならなさに、アタナシオスは初めて焦燥を覚える。

 アタナシオスは紫紺の瞳でじっとアデライードを見る。その身を覆う、輝くような銀の〈王気〉。怒りにやや赤みを帯びた龍が、彼女の身体の周囲を飛びまわり、睥睨へいげいする。

(なんという強さ――これが、正真のつがいを得た女王の力。二千年前、我らの泉神を追放した、龍種の力――) 

「あの人はどこ? 早く教えて。教えてくれないと、直撃してしまうかもしれないわ?」

 甚振いたぶるように新帝を光の龍で翻弄し、アデライードがさらに問いかけたとき、太極殿の横から走り出た一群の男たち一人が、アデライードに向かって呼びかけた。

「姫様――! まじ、姫様だ! 何でここに?!」
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