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12、古き神の名のもとに

捕虜レイモンド

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 カンダハルの副長官であったレイモンドは、陥落時の戦闘で負った傷もだいぶ癒え、起き上がれるようになると、これまでの個室ではなく、他の将校たちと同じ、地下の牢へと移された。――待遇は悪くなったが、一人で孤立するよりも、ずっといい。何しろ、食事を運んでくる東の下っ端騎士たちは、揃いも揃って無口な奴ばかりで、レイモンドの軽口にも全く乗ってこない。情報から遮断されているのは、非常に辛いものであった。レイモンドは地下牢に移ってようやく、帝国軍がまだカンダハルに籠ったままであると知ったのだ。

「どうしてすぐにナキアを攻略しなかったのだ?」

 レイモンドの問いに、支部の副隊長まで務めた男が言う。

「どうやら、皇帝が死んだらしいんすよ。それで、息子の総督は帝都に戻ったんです。……そこで、おまりの後継争いってやつで、総督は跡継ぎの皇帝に捕まっちまったみたいでね。ナキアを攻めようにも、攻められなくなっちまった、ってとこらしいっす」
「そりゃあまた、すごいタイミングだったんだな」
「もう、七十も越してるって話ですから、皇帝の死ぬこと自体は不思議じゃあないっすけどね。死んだ皇帝は総督を溺愛していて、やっぱり総督に位を譲るだなんだで、すったもんだあったらしいっす」

 レイモンドは総督の顔自体は見ていない。彼が見たのは他の皇子二人。一人は野性的な偉丈夫で、もう一人は花花公子といった雰囲気で、どっちも見かけはよかった。

「総督はそれ以上っすよ。どっちかっつーと線が細い、美青年タイプですね。あと数年若かったら、男娼でもできそうな感じすよ」

 ニヤニヤ笑う部下に、レイモンドは不愉快な気持ちになる。同性愛は嫌いだ。敵方ではあるが、総督は王女の夫君だ。そういう方面で貶めるのは、王女に対しても不敬であろうと思う。だがそんな感情も、カンダハルの長官レガトゥスだったグレゴールの死にざまを聞いて、霧散する。

「ハリネズミみたいに、矢で射られて、船のマストに縫付けられていたらしいっすよ。マストには、『ロレンス男爵ココニ死セリ』って文字まで書かれてね」

 兵を捨てて逃げ出したことについては、言い訳の余地がないが、それをすべて予見して、さらに掌の上で転がした挙句、鷹が爪にかけた獲物を嬲り殺しにするようなやり口に、レイモンドは眉を顰める。

(馬鹿にしやがって――何とか、一矢報いてやる方法はないのか)

 レイモンドはそう思うが、東の騎士の技量は、散々思い知らされている。帝国に内紛があったのなら、蜂起するチャンスかもしれないが、普通に牢内の兵で立ち上がったところで、簡単にひねり潰されてしまうだろう。

(外から、助けの手があれば――内と外で呼応すれば――)

 ナキアもこの機会に乗じてカンダハル奪還の兵を挙げたらしく、カンダハルを内陸側から包囲しているとの情報が、レイモンドの元にも流れてきた。その包囲軍と接触できないか。レイモンドは注意深く、機会をうかがっていた。

 カンダハルの城塞には、砦に立てこもる兵士や騎士が必要とする物品、嗜好品などの販売のために、近隣の商人の出入りが許されていた。もちろん、厳重な検査を受けるが、地元の商人や農家の商売を許すことで、周辺の民の生活を極力守り、さらには籠城中の騎士たちのストレスを軽減するためである。そして非常に寛大なことに、それらの商人は地下牢に囚われている、西の騎士との商売も許可されていた。

「ずいぶんと太っ腹なんだな」
「まあ、俺たちは代金は自弁っすけどね」

 レイモンドの問いに、その騎士が言う。
 東の騎士たちは日当が出て、それは帝国銀貨の形で支払われる。帝国銀貨は同じ重さであれば女王国銀貨よりも銀の含有量も多くて質がいいので、むしろ歓迎される。東の騎士たちがカンダハルやレヴェーネでばらまく帝国銀貨が、地元の経済をも潤すのである。

 捕虜となっている西の騎士たちには当然、日当は出ないので、彼らは各自の財布から買い物をすることになる。だが財産を没収されることもなく、買い物まで許されるというのは寛大には違いない。

 指揮官としては捕虜に対する寛大な扱いに感謝すべきなのだろうが、妙に余裕のある彼らの態度は不愉快でもあった。西の騎士など懼るるに足りずと、思っているのかと。

 だが、レイモンドはその商人の中に、ナキアの意向を汲んだものが当然、紛れ込んでいるに違いないと目星をつける。

(そいつとうまく渡りがつけられれば……)

 レイモンドは城壁を訪れる商人を、注意深く観察した。



 


「おや、こちらは――たしか副長官閣下でございましたな」

 三十がらみの、茶色い髪をした商人が、レイモンドの存在に目ざとく気づく。

「そうだ。不甲斐ないことに怪我をしていてな。ようやく癒えてこちらに移されたのだ」
「そうでございましたか。――怪我に効く薬や、万病に効く薬も取り揃えてございますよ」

 万病に効く薬とは、要するに百薬の長、酒のことである。

「そうか、だが、ごたごたでたいした金がないのだ」

 レイモンドが正直に言うと、その商人は笑った。

「……お父上の――サージェル伯爵領周辺でも、商売しておりましてね。ツケで大丈夫ですよ?」
 
 その言葉に、レイモンドの眉が上がる。マルコスと名乗るその商人は、レイモンドの実家の所領周辺の世間話をする。レイモンドの知人の名も何人も上げた。

「そうか――いいのかな、俺は久しぶりに杜松酒ジンが飲みたいのだが」
「生憎、今は手持ちがありませんが、次の機会には必ず――」

 その商人の、ハシバミ色の瞳が意味ありげに光った。
 
 マルコスは、三日後には杜松酒を持ってきた。瓶が割れないように、麦わらで包まれている。レイモンドは署名と金額を書いた紙を彼に渡す。

「これを、親父に渡してもらえれば、金は払ってくれるはずだ。手持ちの現金がなくて、悪いな」
「困った時はお互い様でございますよ」

 レイモンドは瓶と麦わらの間に、小さな手紙が隠されているのに気づいたが、表情を変えなかった。

『満月の夜に、内外で呼応する』

 走り書きされたその紙切れを、レイモンドは手の中に握りしめる。満月は三日後だった。
 レイモンドは、周囲の騎士たちに、密かに根回しを行った。二日後、マルコスはやはり杜松酒の瓶を持って砦を訪れる。

『夜明けに、同時に奇襲をかける。遅れるな』

 マルコスの榛色の瞳と、レイモンドの瞳が交錯する。レイモンドが頷くと、マルコスは満足そうに砦を後にした。
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