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小結――帰るべき場所
環状列石の夜
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周囲には薪になりそうな灌木もなく、火を焚くことは諦めた。幸いにも夏の夜で冷え込みもなく、天鵞絨のマントにくるまって、二人身を寄せ合っていれば平気だろうと思われた。魔導ランタンの淡い光の下、シウリンは汗だくになったシャツを脱ぎ、泉の水で軽く洗い、乾かすために倒れた石の上に広げて、小さな石を数個重しにする。ついでに裸になって頭から水を浴び、ブルブルと濡れた髪を振り回して水気を飛ばす。アデライードの長衣は朝までには乾かないので洗うのはやめ、ただ汗まみれになった下着だけを洗い、顔や手足の汚れを泉の水で洗った。
汗を流してさっぱりしてから、シウリンはずた袋から食べ物を取り出す。パンと干した果物を入れた焼き菓子が少し、後は日持ちのする固焼きのビスケット、甘い砂糖菓子。日持ちのするものは残しておき、少し硬くなりかけたパンと焼き菓子を食べることにした。
「これだけでごめんね。日のあるうちだったら、何か、食べ物も調達できたかもしれないけど……」
「いいの、シウリン。……それとも、わたしが今から、一度ソリスティアに帰って、また戻ってきても……」
何か、食べ物を取ってくるというアデライードを、シウリンは止めた。
「アデライードも疲れているだろう。食べるものはあるんだから、無理をしない方がいいよ。今日はとにかく、ゆっくり休もう」
簡単に食事を済ませてしまうと、シウリンとアデライードは身を寄せ合い、魔道ランタンを消す。頭上には、宝石箱をひっくり返したかのような、煌めく星空が広がっていた。乳を流したように白い銀河は、シウリンが見慣れたものよりも明るいように感じた。視える星座も、いつもと少し違う気がする。
シウリンはぐるりと天空を見回して、北辰星を見つけようと七つ星を探すが、発見できなかった。――つまり、星空から方角を割り出すのは現状では不可能ということだ。
(さっき日が沈んだ方角があっちだから、北はこっちのはずだけど……)
本当に、この空はシウリンの暮らした聖地へと続いているのか。そんな不安さえも沸き起こってくる。
「シウリン……?」
なんとなく難しそうなシウリンの雰囲気を察したのか、アデライードが控えめに尋ねる。シウリンは慌てて表情を和らげ、アデライードの肩を抱き寄せた。漂う薔薇の香りが、彼の劣情を煽る。
「ごめん、何でもない。星空の様子がいつもと違って、すごく遠くに来たんだと思っただけ」
信じる、しかなかった。
この空は聖地に、そしてソリスティアに続いている。
このまま北へ北へと歩き続ければ、いつか、彼の知る星空の下に――そして常に変わらずプルミンテルンの真上に輝く北辰星を見つけられるはずだと。
シウリンはアデライードを抱きしめる腕に力を込めて、アデライードの髪の香りを吸い込む。
愛してる。側にいたい。
――でも、だからこそ、一緒に旅を続けるわけにはいかない。今のシウリンでは、彼女を守ることはできない。
「アデライード、明日、ソリスティアに帰るんだ。僕も、必ず辿りつくから」
はっとして、アデライードが身体を離し、シウリンを見つめる。翡翠色の瞳が、揺れている。
「冬至の夜までに、ナキアの月神殿で、結界を張り直すと言っていたね? 必ず、それまでにナキアの月神殿に行くから。――いや、もっと早く着けるようだったら、ソリスティアに直接行くけれど、最悪でもナキアまでは絶対に行くよ」
「シウリン――でも……」
いやいやと首を振るアデライードに、シウリンがなおも言う。
「さすがに君を連れて、ナキアまで行くのは無理だよ。さっきの、剣も見たでしょう? 僕一人なら、何とでもなる。もしかして、二十三歳の僕は、もっと強かったかもしれないけれど、十二歳の僕では無理だ。何せ、剣術も馬術も全部忘れちゃっているからね? だから、お願い、安全な場所で待っていて」
「シウリン――」
アデライードの双眸から、涙があふれ出る。
「嫌よ――側にいたいの。離れるのは嫌」
彼女の手がシウリンの背中に回され、裸の肌にひやりとした感触が走る。
「離れたくないのは僕も一緒だ。でも、僕一人なら、荒地でも砂漠でも、何とか生きていくけれど、君は無理だよ。一日中歩き続けたり、何日も食べ物がなかったりするかもしれない。狂暴な獣が出ても、僕一人なら死ぬ気で走って逃げるけど、君を背負っては無理だ」
シウリンの言葉をもっともだとは思うのか、アデライードは唇を噛んで俯く。
「ごめんなさい――。わたしのせいで、こんな場所に飛ばされて、記憶まで消えてしまったのに――。わたし、あなたに迷惑ばっかりかけて、何の役にも立たない――」
「謝らないで。さっきも言ったように、十二歳の僕が、この場所に来る必要があったんだよ。――君の、せいじゃない。君は僕の命を助けてくれたじゃないか」
アデライードの頬を伝う涙をシウリンは唇で吸った。触れるだけで、甘い〈王気〉が二人の間を循環する。それは、彼ら龍種の生命のエネルギーそのもの。
今日一日、シウリンがアデライードを抱きかかえて走り続けられたのも、アデライードもまた龍種だからだ。触れ合うだけでエネルギーを循環させ、力を蓄えることができる。銀の龍種は確かに弱いけれど、存在するだけで金の龍種の力になるのだ。
シウリンはアデライードの唇に口づける。舌を咥内に侵入させ、舌を絡める。混じり合った唾液から、脳が溶けるほどの甘い〈王気〉がシウリンに体内に流れ込み、全身を巡る。
――一日、走り続けた疲労が回復していく。
ずいぶんと長いことアデライードの唇を堪能して、ふっと息をついて唇を離すと、アデライードは荒い息を吐いてぐったりとシウリンの胸に凭れ掛かる。アデライードの熱い息が首筋にかかって、シウリンの官能を刺激した。
身体は疲労の限界にあったはずなのに、もう、彼女が欲しくなっている。
(さすがに、今夜はやめた方がいいよね……アデライードの体力が心配だし)
明日、ソリスティアに転移することを思えば、無理はさせられないと、必死に自重する。だが――。
そのまま抱きしめているだけのシウリンに、アデライードが囁く。
「……しない、の?」
「えっと……疲れてるでしょ。――無理は、させたくないし」
記憶と一緒に「大人の常識」「適度な加減」というのも忘れ去ったらしく、一度、盛ると歯止めが利かない。
だがアデライードが熱っぽい声でシウリンの耳元で言った。
「……抱いて。……わたしのこと好きなら――お願い」
ずくりと、シウリンの欲望が一気に膨れ上がる。
「それは――そんなこと言われたら……でも、明日が、転移しないと……」
「お願い……愛してるの……」
逡巡するシウリンの唇に、アデライードの唇が押し付けられる。流れ込む〈王気〉の誘惑に、シウリンの脳が弾ける。アデライードの細い身体を両腕で抱きしめ、大きな掌で身体の線をなぞり、柔らかい尻を掴んだ。
アデライードはそのままシウリンに圧し掛かるようにして、シウリンは柔らかい、南国の草の上に背中から仰向けに転がった。
汗を流してさっぱりしてから、シウリンはずた袋から食べ物を取り出す。パンと干した果物を入れた焼き菓子が少し、後は日持ちのする固焼きのビスケット、甘い砂糖菓子。日持ちのするものは残しておき、少し硬くなりかけたパンと焼き菓子を食べることにした。
「これだけでごめんね。日のあるうちだったら、何か、食べ物も調達できたかもしれないけど……」
「いいの、シウリン。……それとも、わたしが今から、一度ソリスティアに帰って、また戻ってきても……」
何か、食べ物を取ってくるというアデライードを、シウリンは止めた。
「アデライードも疲れているだろう。食べるものはあるんだから、無理をしない方がいいよ。今日はとにかく、ゆっくり休もう」
簡単に食事を済ませてしまうと、シウリンとアデライードは身を寄せ合い、魔道ランタンを消す。頭上には、宝石箱をひっくり返したかのような、煌めく星空が広がっていた。乳を流したように白い銀河は、シウリンが見慣れたものよりも明るいように感じた。視える星座も、いつもと少し違う気がする。
シウリンはぐるりと天空を見回して、北辰星を見つけようと七つ星を探すが、発見できなかった。――つまり、星空から方角を割り出すのは現状では不可能ということだ。
(さっき日が沈んだ方角があっちだから、北はこっちのはずだけど……)
本当に、この空はシウリンの暮らした聖地へと続いているのか。そんな不安さえも沸き起こってくる。
「シウリン……?」
なんとなく難しそうなシウリンの雰囲気を察したのか、アデライードが控えめに尋ねる。シウリンは慌てて表情を和らげ、アデライードの肩を抱き寄せた。漂う薔薇の香りが、彼の劣情を煽る。
「ごめん、何でもない。星空の様子がいつもと違って、すごく遠くに来たんだと思っただけ」
信じる、しかなかった。
この空は聖地に、そしてソリスティアに続いている。
このまま北へ北へと歩き続ければ、いつか、彼の知る星空の下に――そして常に変わらずプルミンテルンの真上に輝く北辰星を見つけられるはずだと。
シウリンはアデライードを抱きしめる腕に力を込めて、アデライードの髪の香りを吸い込む。
愛してる。側にいたい。
――でも、だからこそ、一緒に旅を続けるわけにはいかない。今のシウリンでは、彼女を守ることはできない。
「アデライード、明日、ソリスティアに帰るんだ。僕も、必ず辿りつくから」
はっとして、アデライードが身体を離し、シウリンを見つめる。翡翠色の瞳が、揺れている。
「冬至の夜までに、ナキアの月神殿で、結界を張り直すと言っていたね? 必ず、それまでにナキアの月神殿に行くから。――いや、もっと早く着けるようだったら、ソリスティアに直接行くけれど、最悪でもナキアまでは絶対に行くよ」
「シウリン――でも……」
いやいやと首を振るアデライードに、シウリンがなおも言う。
「さすがに君を連れて、ナキアまで行くのは無理だよ。さっきの、剣も見たでしょう? 僕一人なら、何とでもなる。もしかして、二十三歳の僕は、もっと強かったかもしれないけれど、十二歳の僕では無理だ。何せ、剣術も馬術も全部忘れちゃっているからね? だから、お願い、安全な場所で待っていて」
「シウリン――」
アデライードの双眸から、涙があふれ出る。
「嫌よ――側にいたいの。離れるのは嫌」
彼女の手がシウリンの背中に回され、裸の肌にひやりとした感触が走る。
「離れたくないのは僕も一緒だ。でも、僕一人なら、荒地でも砂漠でも、何とか生きていくけれど、君は無理だよ。一日中歩き続けたり、何日も食べ物がなかったりするかもしれない。狂暴な獣が出ても、僕一人なら死ぬ気で走って逃げるけど、君を背負っては無理だ」
シウリンの言葉をもっともだとは思うのか、アデライードは唇を噛んで俯く。
「ごめんなさい――。わたしのせいで、こんな場所に飛ばされて、記憶まで消えてしまったのに――。わたし、あなたに迷惑ばっかりかけて、何の役にも立たない――」
「謝らないで。さっきも言ったように、十二歳の僕が、この場所に来る必要があったんだよ。――君の、せいじゃない。君は僕の命を助けてくれたじゃないか」
アデライードの頬を伝う涙をシウリンは唇で吸った。触れるだけで、甘い〈王気〉が二人の間を循環する。それは、彼ら龍種の生命のエネルギーそのもの。
今日一日、シウリンがアデライードを抱きかかえて走り続けられたのも、アデライードもまた龍種だからだ。触れ合うだけでエネルギーを循環させ、力を蓄えることができる。銀の龍種は確かに弱いけれど、存在するだけで金の龍種の力になるのだ。
シウリンはアデライードの唇に口づける。舌を咥内に侵入させ、舌を絡める。混じり合った唾液から、脳が溶けるほどの甘い〈王気〉がシウリンに体内に流れ込み、全身を巡る。
――一日、走り続けた疲労が回復していく。
ずいぶんと長いことアデライードの唇を堪能して、ふっと息をついて唇を離すと、アデライードは荒い息を吐いてぐったりとシウリンの胸に凭れ掛かる。アデライードの熱い息が首筋にかかって、シウリンの官能を刺激した。
身体は疲労の限界にあったはずなのに、もう、彼女が欲しくなっている。
(さすがに、今夜はやめた方がいいよね……アデライードの体力が心配だし)
明日、ソリスティアに転移することを思えば、無理はさせられないと、必死に自重する。だが――。
そのまま抱きしめているだけのシウリンに、アデライードが囁く。
「……しない、の?」
「えっと……疲れてるでしょ。――無理は、させたくないし」
記憶と一緒に「大人の常識」「適度な加減」というのも忘れ去ったらしく、一度、盛ると歯止めが利かない。
だがアデライードが熱っぽい声でシウリンの耳元で言った。
「……抱いて。……わたしのこと好きなら――お願い」
ずくりと、シウリンの欲望が一気に膨れ上がる。
「それは――そんなこと言われたら……でも、明日が、転移しないと……」
「お願い……愛してるの……」
逡巡するシウリンの唇に、アデライードの唇が押し付けられる。流れ込む〈王気〉の誘惑に、シウリンの脳が弾ける。アデライードの細い身体を両腕で抱きしめ、大きな掌で身体の線をなぞり、柔らかい尻を掴んだ。
アデライードはそのままシウリンに圧し掛かるようにして、シウリンは柔らかい、南国の草の上に背中から仰向けに転がった。
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