【R18】陰陽の聖婚Ⅱ:銀龍のめざめ

無憂

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2、銀龍の孤独

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 十年、口を閉ざし続けたアデライードは声を取り戻した後も寡黙であった。自分自身の考えや希望を口に出すことも稀で、また他者の考えや気持ちを推し量ろうという思考がもとよりない。放っておけば一人、思索の海に沈んでしまう。それは、エイダの発する毒に常に晒されていたアデライードが、自分の心を決定的に壊さぬようにするための、無意識の自衛だった。逃げ込む場所はいつも同じ、聖地の冬枯れの森の中。すでに顔も定かでない、遠い日の記憶の中のシウリンだけを思い、魔力の澱みで混濁した思考の、白い靄の中に揺蕩たゆたうように、アデライードはずっと、外界から己を遮断して過ごしてきたのだ。

 婚約式の後、恭親王に攫われるようにして馬車に乗せられ、総督別邸に連れ込まれ、アデライードの目に映る風景は大きく様変わりする。まず、あのピリピリした毒の籠った空気をまき散らすエイダがいない。エイダに怯えなくてもいい生活に、アデライードは初めてほっと息をつく。
 代わりに周囲にいるのは、穏やかで真摯なリリアと、容赦はないが明け透けで裏表のないアンジェリカ。アデライードの世話をしながらポンポンと冗談を飛ばし合う二人によって、アデライードの世界は一変する。ときおり訪れる恭親王と触れ合うことで魔力の澱みも解消されて、靄に包まれて曖昧なままだったアデライードの世界は霧が晴れるようにクリアになり、庭の木々のざわめきも、木の葉の間から差し込む陽光の煌めきも、世界の全てが明確な色彩と音を持ち始める。その新しい世界に彼女を連れ出したのは、他でもない、今は夫となった恭親王だった。

 ソリスティアでの生活は単調ではあるが、退屈ではない。二人の侍女に加え、魔術制御と棒術の師であるアリナや、東の公爵令嬢だというミハル、新たに彼女に仕えるようになったスルヤなどに囲まれ、賑やかなお喋りを聞いているだけでも、刺激のほとんどない生活を送ってきたアデライードには眩しいような日々だ。そして、十年間、「生きる」以外のことを何もしてこなかったアデライードは、新しい環境の中で自分の危うさにようやく気づく。

 自分は、王女だ。銀色に輝く龍の〈王気〉を纏う、今ではただ一人となった、銀の龍種。
 〈禁苑〉の意志に従い、夫も、周囲も、自分を女王にしようとしている。

 だが、彼女には何もない。
 力も、知識も、気概も、強さも。
 彼女が持つのは、この有り余って制御しきれない魔力と、彼女に夜ごと愛を囁く夫だけ――。



 
 修道院育ちのアデライードは、規則正しい生活が身体に沁み込んでいた。
  毎朝夫に優しく揺り起こされ、彼に風呂で丁寧に洗われるのだけは、恥ずかしいからやめてほしいと幾度も頼んでいるが、夫は改める気はないらしい。身支度して朝食を済ませれば、午後のお茶の時間まではわりかし自由だ。

 午前中は、ミハルからお披露目に備えて東の社会について「講義」を受けるのが、最近の日課だ。
 メモを取りながら東の貴族層の仕組みについて聞いていくが、西の貴族についてもよくわかっていないアデライードには、実はチンプンカンプンだった。何しろ、六歳のときから社会生活なるものを送っていないのだ。

(……まあ、わたしが何か話をしなければいけないことはないだろうし……)

 熱心に話をしてくれるミハルに申し訳ないと思いながらも、また、今後曲がりなりにも「親王妃」(皇子にも階級があると知り、アデライードは驚いた)とやらになるらしい自分が、こんな感じでやっていけるのかと、不安に思わないでもない。

 講義が終われば、白い子猫のリンリンと遊びながら、二人でお茶を飲む。これにはアンジェリカやリリアも給仕をしながら口を出すこともある。初め、アンジェリカが口を挟むことにミハルは仰天したが、無口なアデライードを相手では、アンジェリカが合いの手を入れなければ会話が続かないことに気づき、最近は目をつぶることにした。

「ミハル様ももうすぐご結婚ですね。ご新居の準備は済みました?」

 お茶のお替わりを注ぎながらアンジェリカが水を向けると、ミハルは少しだけ柳眉を顰める。

「そうなのですわ。官舎が全て西方風の作りで、ちょっと慣れませんの。家具も、東方風のを輸入する時間もないし、西方風のしつらいにするより他なさそうですわ。アンジェリカのお兄様にもいろいろお世話をかけたのですけれど」
「こちらは夏、暑いですからね、風が通るような作りなんですよ。東の家具だと浮くかもしれませんよ」
「そうねえ……」

 ミハルが顎に白い手を置いて、やや赤い髪を頭の両側でお団子にした頭を少し傾げる。

「トルフィンさんはどうおっしゃってるんですか?」
「それですのよ!トルフィン兄様ったら、好きにしろ、の一点張りで!二人の新居なのに、全部わたくしに押し付けなんですのよ!そのくせ、結婚したらどう呼ぶかとか、くだらない事ばかりおっしゃって!」

 ミハルがカッとつり上がり気味の目を見開いて憤慨する。アンジェリカもリリアも、またアデライードも首を傾げる。

「どう呼ぶかって?」
「子供のころから知っておりますので、ずっとトルフィン兄様と呼んでいるのですけれど、結婚したら兄様は可笑しいって。じゃあ、『旦那様』にするって言ったら、自分はわたくしの下僕になる予定だからそれもダメだとか、意味がわかりませんの!『トルフィン』と呼び捨てにしろとか、そんなはしたない真似、できるわけございませんでしょう!」

 ミハルはぷりぷり怒っているが、アンジェリカは「下僕になる予定」というトルフィンの発言に噴き出しそうになるのを堪えるのに必死だった。

「……じゃ、トルフィンさんはミハル様のこと、どう呼ぶつもりなんです?」
「『お姫様』って呼ぶからって……頭おかしいですわよ、今まで『ミハル』だったのに、なんで結婚後に『お姫様』なんですの!距離が遠ざかっているじゃありませんか!」

 それは一種のプレイですよと、アンジェリカは思ったが、指摘しないでニヨニヨしていた。

(意外と変態だったのね……まともそうな外見して。ま、そのくらいの変態じゃないと、あのエロ皇子の側近なんて、務まらないわね)

「姫様は、お二人きりの時は、殿下のことをなんてお呼びしていらっしゃるの? それを参考に、今度とっちめてやりますわ!」

 ミハルに逆に聞かれ、アデライードはばちばちと瞬きする。

「え……殿下、……ですけど」
「二人きりでも?お名前を呼んだりはなさらないの?」
「ええ……。東では、高貴な方のお名前を呼ぶのは、礼儀に悖ると以前、殿下が……」
「夫婦ではそんなことありませんよ! 夫婦でしたら、名前呼びが普通ですわよ。少なくとも、うちの両親はそうでしたわ!」

 東において、皇帝の御名を口にするのは、下手をすると命にもかかわる禁忌であるが、目上の者の名も口にしてはいけない、という風習がある。名を呼び合うのは、よほど親しい友人、親族、家族ぐらいである。つまり、皇子は侍従の名を呼ぶが、侍従は皇子の名を呼ぶことなど許されず、『殿下』と呼びかける。また側近同士でも、気の置けない仲間うちでは名を呼び合うが、少し硬い場や、あまり親しくない間柄では「副傅殿」とか「武官殿」などと、呼び合うのが礼儀だとされている。
 夫婦でも夫から妻は普通に名前で呼びかけるが、妻から夫に名前を、それも呼び捨てを許すか否かは夫次第と言える。たいてい、正室には名で呼ぶのを許すが、側室には遠慮させることが多いという。恭親王にとって、アデライードは傍目に見ても溺愛している正室である。当然、お互いに名で呼び合っていると、ミハルは思い込んでいたのだ。

「お名前でなんて、呼んでみたことがないわ。……えっと、ユエリン様、でしたわね?」

 いささか危うい感じでアデライードが口にしてみる。
 
「あの方、意外と照れ屋ですから、自分からは言い出せないのかもしれませんよ?呼んで差し上げたら、尻尾振って喜ぶんじゃないですか?」

 アンジェリカも面白そうに言った。幼い頃の両親も互いに名を呼び合っていた記憶を持つアデライードは、そんなものなのかと、思っただけであった。
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