【R18】陰陽の聖婚Ⅱ:銀龍のめざめ

無憂

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9、あなただけ

恋心

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 どうやって割り当てられた寝室に戻ったのかすら、憶えていない。
 気づけば、午後の日差しの当たる出窓に腰かけて、茫然と庭を見下ろしていた。
 様子のおかしいことに気づいたアンジェリカがお茶を淹れようかと言ってきたが、首を振って断る。

 今は、誰とも話をしたくなかった。

 恭親王が自分以外の妻を薦められていることを、アデライードはもちろん知っていたし、それを当然のこととして受け入れるつもりだった。暇を出した側室に子ができたと聞いても、そうなのかと思っただけだった。他の女と子ができたという事実から導き出される、夫とその女との関係に何となくもやっとしたものを感じたけれど、その理由をアデライードは突き詰めて考えることをしなかった。

 修道院で自分の殻に閉じこもって過ごしてきたアデライードは、他と競おうという気持ちがない。大切なのは自分の気持ちであり、恭親王が自分をどう思おうと、自分にはどうしようもなく、また彼が何人妻を娶ろうとも、自分には関係がないとさえ、考えていた。――聖地から出たばかりのアデライードは、他者の気持ちを慮ることも、複雑な人間関係の中に自分を位置づけることもできないのだ。しかも、偽ることのできない〈王気〉を視ることのできる彼女は、夫の心を疑う必要もなかった。

 そんな彼女ですら、自分以外の妻を娶るつもりがないと言い張る夫に、自分が女王になるために他の妻を娶るように要求するのは、あまりにも不誠実だと感じられた。
 
 女王になることは、あくまでアデライードと〈禁苑〉の都合であって、夫には何のメリットもない。
 彼は東の皇子であり、またソリスティアの総督として、すでに十分な地位にある。戦争の危険を冒してまでアデライードを女王にしたところで、いらぬ苦労を背負い込むだけだ。

 それでも、西の龍種の最後の生き残りであるアデライードは、〈禁苑〉の主張する天と陰陽の教えから言えば、女王位を要求せざるを得ないのだ。

 アデライードは、自分の両腕のあたりに蟠る、輝く銀の龍を見下ろす。
 自ら望んで、これを纏って生まれたわけじゃない。これのおかげでずっと命を狙われて、何人もの身近な人が犠牲になるのを目の当たりにしてきた。これがある限り、イフリート公爵は自分の命を奪おうとするだろう。

 ちろちろと揺らめく銀色の龍が微かに赤味を帯びるのを視て、アデライードは自分が密かに怒りを感じているのを知る。

 アデライードは知っていた。イフリート公爵が執拗に彼女の命を狙うのは、アデライードに〈王気〉がある・・せいだけではない。公爵の娘であり、本来ならば女王位の正統な後継者であるはずのアルベラに、〈王気〉がない・・からだ。それはアルベラのせいではないが、ましてアデライードのせいではない。

 母もアデライードも、もとより女王になるはずではなかった。強すぎる〈王気〉を持つ王女は、次代の王女を生む可能性が低く、女王としては歓迎されない。ユウラがアデライードを生んだこと自体、奇跡だと言う者すらいた。さらに強い〈王気〉を持つアデライードは、成人を迎えることも難しいと考えられていたのだ。
 ごくたまに生まれてくる強い〈王気〉を持つ女王家の姫は、無事に成人を迎えても、婚姻や出産を諦めて、聖地かナキアの神殿に入り、一生を天と陰陽への奉仕に捧げるのが普通であった。おそらくはアデライードも、アルベラが順当に女王位を継いでいれば、その道を辿ったに違いない。その意味で、アデライードは自分が聖地に押し込められていたこと自体は、恨んではいない。

 だが、アルベラの女王登極が〈禁苑〉によって拒否されたことにより、アデライードとユウラの人生は大きく狂ってしまった。
 ユウラは予想もしない女王位と結婚を強要され、ほとんど監禁されるようにして、死んだ。そして幼いアデライードは家族とも故郷とも引き離され、最も多感な時期を修道院で、しかも刺客に怯えながら暮らすことを余儀なくされる。

 いずれも、イフリート公爵が〈王気〉を持たない自身の娘、アルベラを将来女王として即位させるためだ。イフリート公爵がアルベラの即位に固執しなければ、あるいはアルベラが普通に〈王気〉を持って生まれていれば、アデライードとユウラがこれほど過酷な人生を送らずともよかったのである。

 いっそ殺すのならば、さっさと殺せばいい。
 刺客に襲われるたびに、アデライードはそう思っていた。しかし、エイダはこれ見よがしに彼女の周囲の人間を犠牲にし、アデライードに罪悪感を植え付けようとした。あの、ちっぽけな神器一つのために。

 彼女がシウリンに預けたあの神器のために、何人もの侍女や、罪のない修道女が犠牲になった。――ただ、神器の在り処を知る、アデライード自身は殺せないという、それだけの馬鹿馬鹿しい理由のために。

 天と陰陽に背き、あくまで〈王気〉を持たぬアルベラの即位を強行するのであれば、無力なアデライードのことなど放っておけばよかったのに。アデライードの命を狙うほど、銀の龍種の力を――そして天と陰陽とを――恐れるのであれば、もとよりアルベラの即位など要求すべきでないのだ。

 きっと、アデライードはこの十年、心を殺したその奥底で、怒っていたのだ。
 イフリート公爵に。そして、全ての元凶である、アルベラに。

 〈禁苑〉による認証は受けていないとはいえ、ナキアにおいてアルベラは実質的には女王として扱われていた。だから、修道院に暮らすアデライードにも、ナキアのアルベラの噂は折に触れて耳に入ってくる。太陰宮の神殿や修道院にも、「王女」アルベラの名で供物や寄付が寄せられることも少なくなかった。病に倒れて表に出ることのないユウラ女王の代わりに、積極的に奉仕活動や視察も行い、次代の女王として着実に実績を積んでいくアルベラの噂を耳にするたびに、アデライードは何とも言えない複雑な気持ちを抱かざるを得なかった。

 女王になりたいのなら、勝手になればいい――政治への野心どころか、王家の一員としての責任感すら希薄なアデライードはそう思う。
 当然女王になるはずだったアルベラが〈王気〉を持たないのは気の毒なことかもしれないが――アデライード自身は、〈王気〉を持って生まれてよかったことなど何一つなかったから、全く同情できなかったのだが――、そのおかげで自分の家族は不幸のどん底に落ちたのだ。もし、それについてアルベラに自覚が少しでもあるのなら、病に伏している現女王を殊更に無視して、これ見よがしに政治的な活動に勤しむなんて、できやしないだろう。アルベラにとって、ユウラ女王は無力で病弱でありながら、ただ〈王気〉を持つという理由だけで、女王位を奪った簒奪者ぐらいに考えているのかもしれない。アデライードの存在をアルベラがすっかり忘れているらしいのは、どうでもよかったが、母のユウラを蔑ろにしているのは、どうしても許せなかった。

 アルベラ本人に責任はなくても、彼女が〈王気〉を持たなかったために母ユウラは女王にさせられ、父ユーシスは暗殺された。アルベラがそのことについて罪の意識一つ持たず、ナキアで最愛の父親とのうのうと暮らしているのかと思うと、その理不尽さへの怒りで、アデライードの内面にドロドロとしたどす黒い澱が溜まっていくような気がした。その醜い感情と正面から向き合ったら、アデライードは間違いなく、正気ではいられなかっただろう。アルベラ自身のせいでないとアデライードにもわかっているからこそ、ぶつけることのできない怒りと憎しみは、アデライード自身の心を蝕み、傷つけてしまう。

 だから、アデライードは自分の心を封印し、シウリンとの思い出の中に逃げた。
 ぶつけようのない怒りに我を忘れるよりはと、魔力過多による思考混濁の白い靄の中に揺蕩い、感情を殺して生きた。彼女の心が壊れるのを防いだのはシウリンだが、そのまま、生きながら死んでいるようなアデライードを救い出したのは、間違いなく、恭親王その人だ。

 自身が女王になって、イフリート公爵を排除する。それ以外に、アデライードが押し付けられた理不尽な人生から逃れるすべはないのだ。アデライードが、イフリート公の刺客に怯えなくてもすむ、ただ一つの道。〈禁苑〉と帝国の思惑に、その身を生贄に差し出すようなものだが、最後の銀の龍種として、〈禁苑〉の教えに逆らうことはできない。

 それでも――目の前に現れた眩い金色の龍の〈王気〉に、アデライードは縋りつくほかないのだ。

 〈禁苑〉に宛がわれた結婚相手でしかないはずの恭親王が、アデライードに誠心からの愛を囁いてくれることが、アデライードにとってどれだけの救いになったことか。
 ずっと孤独の淵に漂い、そのまま独りで朽ちるだけだったはずのアデライードを、抱きしめ、口づけ、求め、守ると誓ってくれる。
 愛しているのは、あなただけ――繰り返し紡がれる愛の言葉は、アデライードを死の淵から甦らせた、魔法の言葉。

 わたしだけ、でなくても構わないと思っていた。
 大勢の中の一人でも、彼が側にいて、守ってくれるなら。

 でも、今はじめて、彼の愛を別の人と分け合うことを思うと、アデライードの胸は軋んだ。 

 これが、恋というものなのかも、しれない――アデライードは、そこにいない夫の温もりを求めて、両腕で自身を抱きしめた。
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