【R18】陰陽の聖婚Ⅱ:銀龍のめざめ

無憂

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14、奪われし者

奈落

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 奈落の底には、あの男が待っていた。

(殿下――ずっと、待っていたのですよ、あなたを――この、暗く冷たい場所で――)

 均整のとれた長身に、やや苦味のある美形。他の者には滅多に見せない、甘い微笑みを湛えて――。

(来るな、お前なんか大嫌いだ――!)
(俺は愛していますよ――あなただけを――あなたは、俺のものだ――誰にも、渡しません。もちろん、あの王女にも――)
(やめろ、さわるな――!)

 だが、シウリンの抵抗は黒い闇に吸い込まれて、身動きが取れない。男の、大きな手に腕を掴まれる。

(いやだ、離せ――!いや、いや――!)

 そのまま、男に組み敷かれ、抵抗を封じられる。背後から圧し掛かられ、細い脚を男の大きな掌が這う。うなじに熱い息がかかり、耳朶を甘噛みされる。背筋に走る恐怖と、嫌悪感、屈辱、絶望、そして――抗いようもなく襲ってくる快感。

(いやだ、いやだ、いやだ……)

 目尻から、熱い涙が零れる。汚されて、奈落の底に墜ちていく。〈混沌の闇〉に喰われ、引き裂かれる。自分が、黒く染まる。腐って、爛れて、溶かされていく。

(ずっと待っていた、たった一人で――あなたのために墜ちたこの奈落で、あなたを、あなただけを――)
(やめろ、離せ、いやだ、いやだ、いやだ――)
(陰陽の理に背き、あなたを愛してしまった。欲望に抗えず、あなたを犯し、愛欲に溺れた俺は、この暗い場所で永遠に彷徨うしかない。すべて、あなたのために――)
(ちが、う――僕は、お前なんか、嫌い、だ――さわ、るな――)
(罰を与えるために自分を抱けと言ったのは、あなただ。あなたは自ら俺に身体を差し出した。俺を奈落の底に墜としておきながら、今さら――)

 彼に絡みつくデュクトの腕は腐って、ドロドロに溶けて、腐臭を放っていた。背後から抱きすくめられ、犯され、飲み込まれる。

(いやだ、いやだ、いやだ――)

 奈落の底から見上げればはるか頭上に、小さく、白い光が見えた。

 あそこが、聖山の頂。すべての清らかな魂の集う場所。すべての生命の源。〈玄牝(げんぴん)〉の真上。

 彼女と、契った不思議な場所の、真上。
 


 カエラナケレバ。

 カノジョノモトニ。

 ドレホドコノミガケガレテモ。

 ノコサレタジカンハワズカ。

 セメテカノジョヲモマルタメニ。

 タダコノイノチガツキルマデ――。




 治癒魔法は魔力を多く消費してしまうので、マニ僧都とジュルチ僧正は、互いに交代しながら治療を続ける。マニ僧都は寝台から少し下がって肘掛椅子に腰かけ、魔力補給用の魔法水薬ポーションを一気に飲み干し、テーブルに用意されている軽食に手を伸ばす。魔力量についてはだいぶ改善され、循環も復活しているのに、なかなか目を覚まさない。

(そろそろ、目を覚ましてもいいころなのに――)

 眠りが浅くなると、苦し気に眉を顰めて魘され、また深い眠りに落ちてしまう。まるで、目を覚ますのを厭うように――。
 マニ僧都は、寝台の脇で魔法陣を展開して真言マントラを唱えているジュルチを眺めていた。

「んん……い、いや……だ……、やめ……いやっ……はな、せ……や……、やめ……」

 寝台の上で恭親王が身じろぎする。額には玉の汗が浮かび、苦し気に首を振っている。ジュルチが一層、気を込めて真言を唱え、赤い光が彼を覆う。

「やめ……い、いや……いやだ、いやだ……やめ、……はなせ……さ、わる……」

 黒い頭を振り、両手で空を切って何かを追い払おうとする。

「いや、いや、……もう、やめ……や、あああっ……いや、……やああっ……僕に、さわる、な……」
「殿下……?」

 思わずひじ掛け椅子から腰を浮かせ、マニ僧都が覗き込む。ジュルチも精悍な眉を顰め、真言を唱えるのをやめる。魔法陣が消え、ジュルチが寝台に身を乗り出して、静かに語り掛ける。

「……殿下、大丈夫です。……私、ジュルチだ……殿下……」
「やだっ……やめて……いや、いや、……やめて!……もう、いや、こんなのは……はなし、て……」

 恭親王の目じりから涙が零れ落ちる。恐怖におびえ、必死に身体をよじって何かから逃れようともがくその姿に、ジュルチはただならぬものを感じて声をかける。

「殿下、大丈夫です。触れては、いません。殿下……」
「やだ、やだっ……こんなのは……僕は、もう……天と、陰陽に……〈混沌〉の、闇に……」
「シウリン、どうしたんだ……」

 つい、マニ僧都が寝台の脇にかけより、彼のかつての名を呼んで、揺り起こそうとその肩に触れた。

「いやああああっ……やめてっ……デュクト、お願いっ! やめてっ!」

 恭親王が大きく身体を反らすようにして、マニ僧都の手を拒む。全身が汗に塗れ、恐怖に歪んだ顔。

「シウリン?」
「ちが……僕は……シウリン、じゃない……シウリンは、死ん、だ……」

 マニ僧都が青い瞳を見開く。シウリンは、死んだ――僕は、シウリンじゃない――。

「いやだ、やめて……デュクトが……僕を……いやああああっ」

 横で見ていたジュルチが黒い眉をぐっと寄せ、恭親王の額に人差し指と中指を当て、もう片方の手で胸の前で印を結ぶ。

「……っ!」

 びくん、と恭親王の身体が硬直して身体を反らすように一瞬浮き上がり、どさり、と寝台に落ちた。

「……アデ、ラ……イー……」

 しばらく荒い呼吸を繰り返し、やがて、静かになる。マニが、じっと恭親王を見つめ、言った。

「今のは……」
「わからない。……デュクト、と言ったが」

 ジュルチ僧正も太く凛々しい眉根を寄せ、じっと恭親王を見下ろす。マニがジュルチを見て言った。

「デュクト……とは、たぶん、死んだ前の正傅の名だ」
「……僧院まで、迎えに来た男だな。あれが……どうしたのだ?」
「ずいぶんと嫌がっていた。……何か、虐待でも受けていたのか?」

 二人の僧侶は顔を見合わせる。
 皇子、として引き取られたはずだ。皇帝の、皇后腹の、皇子。後宮で大切にされたはず。何不自由なく、幸せに――。

 だが、まるで自己の存在すら否定するような言葉を吐き、恐怖に身を捩る姿は、けして幸せそうには見えなかった。
 ジュルチが眉を寄せ、恭親王を見下ろしたまま言う。

「……まるで、目を覚ますのを拒否しているかのように、浮かび上がってこない。何か、理由があるのかと思っていたが……」
「やっぱり、おかしいとジュルチも思っていたか」

 もう、とっくに目を覚ましてもおかしくないのに、ひたすら深層心理の海で眠り続ける恭親王を、ジュルチもマニも不思議に思っていたのだ。

「そういえば、デュクトと確執があったと、メイローズ殿が言っていたが……」
「確執……だが今の様子は何だかその……」

 魔法陣で帝都と繋いだ報告の中で、メイローズの言った言葉をジュルチが思い出す。

「どんな確執かは聞いていないのか?」

 マニの言葉にジュルチが首を振る。

「ただ、その男との確執があって、息子も近くに寄せ付けず、息子が彼に不満を抱いていた、と……」
「ああ、フエルのことだね。確かに、侍従官の見習いとして帝都からやってきたのに、ほとんど側に寄せてもらっていなくて、私も変だと思っていたのだが……」



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