奇獲 ―あやとり― 【沙耶の章】

綾部 響

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1.青嵐の少女

屋上に吹く風の中で

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 廊下に出た沙耶と詩依良を追いかけて来る生徒はいなかった。
 恐らく教室の中は今も全員フリーズ状態であり、目の前で起こった事実が理解出来ないと言った雰囲気なのだろう。
 教室を出ても詩依良は沙耶の手を取り、ズンズンと進んで行った。沙耶はそれに従うしか出来ず、取られた手を振り払うと言う選択肢も無く、また踏ん張って立止まるという事も考え付かなかった。
 ただ沙耶に出来た事は、彼女の手を取り先へ行く詩依良と、後方に遠ざかって行く教室の扉を交互に見るだけだった。

 沙耶自身も、何故こんな事になっているのか未だに理解出来ていない状態だった。
 いくら考えても適当な答えが浮かぶ訳でも無く、ただ引っ張られるままに廊下の角を曲がり靴箱へ向かうと考えていた。しかし角を曲がり教室が見えなくなった所で、詩依良が不意に立ち止まったのだ。
 余りにも突然立ち止まられたので、沙耶は詩依良とぶつかりそうになり、寸での所で踏み止まる事に成功した。

「あ、え……と……一之宮……さん?」

 後ろ手に沙耶の手を握ったまま佇む詩依良を怪訝に思い、沙耶は恐る恐るその背中に声を掛けた。
 沙耶の声に反応したのか、スッと手を離してゆっくり振り返る彼女は、やはり天使の様な笑顔を湛えていた。
 思いも掛けず至近距離で彼女の顔を見る事になった沙耶は一気に顔が真っ赤になり、本日何度目かの動揺をしてしまっていた。

「武藤さん、この学校であまり人が来ない様な所は……ありますか?」

「……え……?」

 詩依良の余りに唐突な質問に、沙耶には彼女が言った言葉の意味が分からず、すぐに答える事が出来ず静止してしまった。
 その間、やはり詩依良は微笑んで沙耶の答えを待っていた。

「え……と……。えぇっと……あ、屋上!」

 漸く沙耶が質問の意味を理解しても今度は言葉がスムーズに出てこず、その結果、究極に短縮した言葉が単語と言う形になって口から零れてしまっていた。
 当然沙耶の言葉だけでは、詩依良にはどこの屋上を指しているのか分からない。

「え? ……屋上……ですか?」

 この学校は他の学校とは違い、珍しく屋上が解放されていた。主に生徒達が授業を受ける教室のある一般棟の屋上では、昼休みと言わず休み時間には多くの生徒がやって来ていた。
 屋上の周囲には1.2m程の鉄格子が設置されているだけで、視界を妨げる様な遮蔽物で防がれてはおらず、開放感に浸れる所から生徒達に人気が高い場所だった。
 放課後に訪れる者も多く、とても人が来ない場所だとは言えなかった。

「そう! 屋上!」

 しかし彼女の言葉を、満面の笑みを湛えた沙耶がオウム返しにした。それを受けた詩依良は人差指を顎に当てて、悩まし気に考え込む姿を取る。
 可愛いと言うには物足りない、今まで見た事も無い絶美なその姿に、沙耶はドキドキを抑えられないでいた。それでも漸く、どこの屋上なのかを説明していなかった事に気付いたのだ。

「あ、あの……特別棟の屋上なんです。あそこは……この校舎から行くにはちょっと不便で、時間が掛かるんです。だから殆ど行く人が居なくて……いつも人が少ないんですよ」

 一般棟と平行に立つ特別棟には、理科実験室や家庭科実習室、音楽室や視聴覚室等の特別教室とそれぞれの準備室があり、その他に文化系クラブの部室がいくつか入っている。
 確かに用の無い生徒が足を運ぶ場所では無い上に、主に使われる様な教室や部室は二階までに集約されており、三階四階は殆どが空き教室か物置に使われていた。
 また、一般棟とは一階とでしか繋がっておらず、わざわざ特別棟の屋上へ足を運ぶ者が多いとは言えなかった。
 そして校内の風紀を維持する為に頻繁に教師の巡回が行われており、所謂溜まり場にもならなかったのだ。

「まあ、そうなのですね!」

 沙耶の拙い説明にも嫌な顔一つせずに聞き終え、詩依良は感嘆の声を上げた。
 大きく頷いた沙耶は、嬉しくて仕方がないようだ。
 沙耶にとって、こうして同級生と話をする事もそうだが、自分が誰かの役に立っている事が兎に角新鮮で嬉しかったのだ。

「では早速そちらに向かいませんか?」

「うん! こっちだよ」

 詩依良の提案に、何故今からそんな所に向かうのか……と言う当たり前の疑問さえ今の沙耶には浮かばなかった。
 足取りも軽く、今度は沙耶が先に立って彼女を案内する事になった。




「この教室は何に使用されているのですか?」

 詩依良は、今日学校に来たばかりだ。恐らく他の生徒から色々な場所の事を聞き知っているのだろうが、それでも全てという訳では無いのだろう。
 特にこの特別棟には、用がなければ来る事は殆ど無い。特に気に留める様な場所も皆無な為、説明は無かったのかもしれない。
 屋上へ向かう途中、彼女は沙耶にプレートの張っていない教室や実験室などを興味深そうに質問した。
 その度に沙耶は、知っている範囲で一生懸命説明したのだった。どうにも要領の得ない説明が多かったが、詩依良から文句や不平は一切出なかった。
 そうしている間に、彼女達は屋上の扉が見える階段まで辿り着いていた。

「もうすぐ下校時間だから、特別棟も閉まっちゃうよ? すぐに帰らなくちゃいけなくなるけど……。それに、ひょっとしたら誰かいるかも知れないけど……」

 ここまで来て言う事でもない事なのだが、沙耶は彼女に気を使ってそう前置きした。
 特別棟は特に人気が少なく、文化系クラブしか使用していない事もあり、閉鎖する時間が若干一般棟よりも早い。
 教師が屋上を見回る回数も一般棟より頻度が高く、人気が少ないと言うだけで全く誰も来ないという訳では無いのだ。

「ええ……構わないわ」

 それでも詩依良は屋上に行く事を望み。
 沙耶は大きく頷いて、先頭を切って屋上に続くドアを開けたのだった。

 大きく解放された扉の外からは、新鮮な空気が流れ込んでくる。
 特別棟は人の使用が少ない事もあり、全体的に空気が停滞しており、澱んでいる様な感じを受ける。濁っている訳では無いが、何か重たいのだ。
 それが扉の外から流れ込んでくる空気により一掃される。それはまるで、空気が浄化される感覚に似ている。
 そして沙耶は、この感覚が好きだったのだ。
 春とは言え、気温は随分と高い。しかし外から流れ込む空気は冷たく涼しく感じるのも不思議で、これも沙耶は大好きだった。
 ヒョコッと扉の外へと踏み出した沙耶の後に詩依良が続いた。
 もう随分と日が長くなっているが、それでも西に随分と傾いている。沙耶が言った通り、下校時間は近い。
 ウーンッと沙耶は思い切り伸びをした。彼女の言った通り、この屋上に今は誰もいない。

 ―――ガチャンッ。

 沙耶の後方で扉が閉まる音がする。その音が妙に大きく聞こえたのが気になって、沙耶はゆっくり振り返った。
 大きく聞こえたと言うのもそうだが、いつもと違い不思議と耳に残る音だったのだ。
 振り返った沙耶の目に映ったのは閉められた扉と、その扉のノブを握ったままの姿勢で動かない詩依良の背中だった。
 いや、動いていない訳では無く、よく見ると小刻みに肩が動いていた。それは震えている様にも見える。

「あの……一之宮……さん?」

 ひょっとしたら具合でも悪くなったのかと瞬間的に思った沙耶だが、詩依良の背中から感じる雰囲気が先程までのものと違う事に気付いて、恐る恐る声を掛ける形になった。
 しかし彼女からの返事は無い。それどころか反応も無かった。
 沙耶は、彼女の後姿を見つめるしか出来なかった。その時間は数秒程であったが、不安気に見つめていた沙耶には数分に感じたかもしれない。
 近づくことも躊躇われた彼女の背中に、漸く変化が現れ始めた。

「う……う―――ん……」

 動き出した詩依良は、両手を大きく上げて思いっきり伸びをした。

「はぁ―――……」

 そして十分に堪能した彼女は、一気に脱力し肺の中の空気を一気に吐き出したのだった。
 沙耶が見守る中で、彼女は腰に両手を当てた。

「あの……一之宮さん?」

 再び沙耶は彼女に声を掛けた。
 それは、明らかに何かが違うと感じたのだ。

「あ―――っ! やぁっと普通に出来るぜぇっ!」

 沙耶の問いに答える代わりに、解放された喜びを告げる言葉が叫ばれた。
 それも詩依良の口から。
 しかも先程までの口調とは全く違うもので。
 その余りの豹変ぶりに、沙耶は数歩後退った。目の前で起こっている事は、彼女の理解を超えていたのだ。

 ―――クルリと振り返った一之宮詩依良。

 ―――その顔は、確かに彼女のもの。

 ―――しかし、纏う雰囲気が全く違う。

 ―――彼女の立ち居振る舞いも違う。

 ―――そして何より、沙耶を見る彼女の瞳に宿る光が全く違っていたのだった。


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