奇獲 ―あやとり― 【沙耶の章】

綾部 響

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3.異霊の暗翳

強き想いの霊障

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「はぁ……はぁ……」

 沙耶の呼吸は未だに荒い。
 先程の状態は、口や鼻を押さえられたとか首を絞められたと言うよりも、周囲の空気が遮断され沙耶の周りから酸素が一切消え失せたという感覚が近かった。肺に空気が取りこめなかっただけでは無く、全身のどこからも酸素を取り込む事が不可能だったのだ。

 必死に呼吸を整える沙耶の背後に広がる無限の闇。その闇の中から、ゆっくりと現れたのは一之宮詩依良だった。
 彼女は沙耶の隣まで歩を進めると、その状態を一瞥して立ち止まった。

「これは……?」

 目の前にある光の格子を触れようとしては思い留まる。檻の中にいる女性霊は、そんな仕草を繰り返しながら詩依良に尋ねた。

「それは結界だ。今のあんたじゃ、触れ続けると消滅しちまうぐらいの威力はある」

 女性霊の挙動に注視しながら、詩依良は光の格子について説明した。

「けっかい……?」

 その女性霊は結界と言うものを初めて見るのか、興味深そうに色んな角度からマジマジと見ている。その仕草を見る限りでは、先ほど沙耶に危害を加えようとしていた霊にはとても見えない。

「……あんた、じゃないね?」

 そんな女性霊を、腕組みした姿勢で観察していた詩依良が口を開いた。
 その声を聴いた女性霊が、ピクッと反応する。そして面白おかしそうに結界を見ていた表情が、一転して鋭いものへと変わった。

「そう……私は本体たる御方様の……分身わけみ。あなた……良く分かりましたね?」

 女性霊は、結界を挟んで詩依良と対峙しているかの様だ。
 一見すれば囚われているのは女性霊なのだが、彼女からはその危機感が感じられない。むしろ詩依良が放った先程の言葉で、どこか好戦的な表情を浮かべている。

「まぁな……。そう言う風にからな」

 対する詩依良には、女性霊の威圧もどこ吹く風だ。肩の高さで両掌を上に向け、軽く持ち上げるおどけたジェスチャーで返した。
 その仕草を見た女性霊も、威圧感を若干弱める。今は争うよりも話をしてみる気になったのかも知れない。

「それよりもあんた……気付いてるのか? って事に……」

 女性霊からの威圧感が緩んだ事で、話を聞く気になったと思った詩依良は早々に本題を切り出した。その言葉を聞いて、ハッと息を飲んだのは沙耶だった。
 確かにこの女性霊が実際にどう考えているのかはわからないが、間違いなく沙耶は先ほど彼女に殺されかけたのだ。それが悪霊の仕業でなければ何だと言うのだろう。

「あく……りょう? あなた、何を言っているの?」

 しかし当の女性霊にはその自覚がないようだ。まるで詩依良が突拍子もない事を言っているかの様に、訝し気な表情を彼女に向けている。

「私達はただ、彼を見守っていきたいだけなのよ」

 そう語った彼女の表情に、詩依良は悪意や殺意、思惑や策謀と言った負の感情を読み取る事が出来なかった。ただ純粋にそう考えていると言う、確固たる一念だけが彼女達に伝わっていた。
 女性霊の湛える紅い眼がより強く力を宿し、対峙する詩依良にそう物語っていたのだ。

「……その想いが、強すぎるっつってんだよ!」

 そう返した詩依良の声は僅かに昂ぶり、語気が次第に強くなっていた。その表情には、若干の焦燥も含まれている。
 時間が経てば霊は強くなる……良くも、悪くも……。彼女が沙耶に言った言葉だ。
 直に本体の分身である女性霊と相対して、詩依良は危機的な何かを感じ取ったのかも知れない。
 だが彼女の想いとは裏腹に、女性霊にはその気持ちが通じている様子が無かった。

「意味が分かりませんね。強い想いが悪霊を生むと言うならば、その辺りにそれこそ沢山、強い想いを持った霊達が存在していると思うのですが?」

 彼女の言う事も至極もっともだった。
 そもそも成仏せずに霊となりこの世に留まる時点で、彼等には何かしらの強い想いを有していると言える。それは、執着心と言っても良い想いだ。

 浮遊霊や地縛霊、その他の霊達は、何かしらの強い想いがあってこの世に留まっているのだが、その想いの強さはそれぞれに違う。
 目の前の女性霊がどれほど間宮悠人に執着しているのかは分からないが、何かを彼女以上に執着し、この世に留まって居る霊は他にもいるに違いないのだ。

「……残念ながら、お前が憑いた主は特殊過ぎたんだよ。お前の主である間宮悠人は、類稀なる霊力の持ち主なんだ。お前は……お前達は、主の霊力を吸い上げ過ぎて、力を持ち過ぎた霊になっちまったんだよ」

 沙耶は悠人の家で見た、恐ろしいほど力を持った黒い霊気を思い出していた。
 確かにそこから感じた霊気は、それまでに感じられなかった尋常でない威圧感を放っていたと思った。

「何を……。私達は彼から霊力を吸い取ったりはしていませんし、欲しいと思った事もありません」

 女性霊は、はっきりとした口調で反論した。
 その凛とした姿勢に揺るぎは無いが、灯した眼差しに先程の光はない。恐らく、若干の動揺を感じているのだろう。

「そんな事は分かってるよ。でもこれに関して言えば、お前たちの意志とは無関係なんだ。それ程に、お前達と間宮悠人の結びつきが強くなり過ぎていたんだ」

 目を瞑りやや俯き加減で、詩依良はゆっくりと言い含める様に語った。その言葉にも態度にも、決して虚言や想像ではないと言う気配が滲み出ていた。

「そんな……まさか……」

 漸く状況が理解できたのか、女性霊は言葉を失った。

「し、詩依良ちゃん……ど、どういう事なの?」

 何とか呼吸も落ち着きを取り戻した沙耶は、詩依良が言った意味を問いかける。
 沙耶にしてみれば、結び付きが強くなる事で互いに悪影響が出ると言う事を、どうしても理解出来ないでいたのだ。

「……こいつ等の正体は、以前間宮悠人が飼っていた猫の霊だ」

 その言葉で沙耶の脳裏には、常に間宮悠人の傍らに付き従い全く離れようとしなかった、黒い猫の霊が思い描かれていた。

「あなたがあの……猫の霊……なの?」

 沙耶は独り言の様に、そう呟きを零した。だが女性霊は必死に何かを考え込んでいる様で、答えは返ってこなかった。

「……間宮悠人はこいつを心から可愛がっていた。こいつも、間宮悠人を心から慕っていたんだ。こいつが死んだ理由は老衰によるもので、それが天命だったんだ。誰が悪い訳でも無いし、誰にも責任なんてない。だが間宮悠人はその事に深く落ち込んだんだ。そして間の悪い事に、その時期から間宮悠人の成績は落ち始めた。これも単純に、間宮悠人が勉強方法で上手くいかなかっただけなんだがな」

 どこでどう調べて来たのか、詩依良は悠人と女性霊の背後関係を語りだした。
 天寿を全うしたのなら、本来この世に未練が残るとは思えない。それは、人間でもその他の動物であっても同じ事が言える。
 未練とは、残された寿命に対して、理不尽にその生命を奪われた時に発生する。それであっても、自身が納得してしまえば未練にはならないのだが。

「間宮悠人のそれは、単にスランプと言えた。いずれは解決するかもしれない事だったろう。だが死に逝く中でこいつらは、間宮悠人の事が心配で堪らなくなった。それこそ強い未練となる程に。そしてこいつらは成仏しなかった……出来なかったんだ。まぁそこまでなら良くある話でもあるんだが……」

 沙耶もそう言った話が、本や雑誌で書かれていたのを見た事があった。しかし実際目の当たりにするのは、当然の事ながら初めてである。

「ただこいつらと間宮悠人との繋がりは殊の外強く、互いの霊力を結び付けるにまで至ってしまったんだ。その結果、こいつ等が意識しようがしまいが、間宮悠人から多量の霊力がこいつ等に流れ込んでいく事となっちまったんだ」

 繋がりも結び付きも、想いだけならばこんな影響を出しはしない。心を許す余りに、互いの霊力まで結びつけてしまった結果だったのだ。

「そんな……」

 沙耶には言葉が見つからなかった。ただ互いが互いを強く想った結果、このような事態になるとは悲しい事だと思っていた。
 これが仮に悠人でなかったのなら、この様な事にならなかったのだろう。

「それが……こいつらが悪霊クラスの霊障を発する霊となった理由だ」

 そう言って話を締めくくった詩依良は、目の前に佇む女性霊の答えを待つ。
 女性霊には、すぐに言葉を発する事が出来なかった。それは自分の中で自問自答を繰り返し、必死で答えを探している様に見える。

「でも……ですが……私達は……誰かを害そうだなんて……。ただ……彼を……」

 漸く絞り出した声には、先程の様な力は無く明らかに動揺している様だった。
 しかし女性霊が発した言葉に被せる様なタイミングで、詩依良は強圧的な霊気を込めた言葉を発した。

「その気がなかろうが、意識していまいが、もう影響を与えつつあるんだよ! 実際沙耶も危なかっただろうが!」

 そしてその言葉には、遣る瀬無い怒りも込められていたのだった。
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