奇獲 ―あやとり― 【沙耶の章】

綾部 響

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4.霊と対峙する者

目覚め

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 沙耶の見つめる方角、つまり詩依良の向かった方角には今も尚、巨大な霊気が炎の如く立ち昇っている。
 ただし炎と言っても炎紅では無く、漆黒の炎であった。
 そこは間宮悠人の家がある方向であり、そして彼に憑りつく猫霊がいる方向でもある。

「詩依良ちゃん……」

 沙耶は今にも詩依良を追って走り出しかねない程の表情だ。しかし、それが出来ないもどかしさに苛まれていた。

 1つは、詩依良に強く言われたからでもある。助けにも力にもなれないどころか、足を引っ張りかねないのだから仕方ない。

 そして2つ目の理由。
 それは目の前に引かれた紅い糸が発する、ガラスの様な壁に阻まれているからに他ならなかった。
 薄い様で厚く、透明に見えて中が良く見えない……何とも不思議な壁が紅い糸に沿って展開されていた。


「あの……これが……?」

 沙耶は、恐る恐る和俊に問いかける。
 彼は普段通り姿勢よく立っていた。表情は今もアルカイックスマイルであり、それだけにその心境が窺い知れない。
 そして何より、沙耶とユウキの動向をガッチリと掴んで逃さなかった。
 それが、沙耶が動けない3つ目の理由でもあった。

「……ほう。沙耶さんにはこれが見えますか」

 キラリ……と彼のメガネが鈍い光を発した。

「さすがは詩依良さんが選んだ協力者……と言う事ですか」

 沙耶は、全てを見透かされたような感覚に囚われたてゾクッとした。この一言で、観察されている……探られている……そして興味を持たれている事が分かったのだ。

「これが結界空間の境界です。中は霊気の充満した異界へと通じています。結界内を異界に反転させて、怪異が現界に影響を及ぼさない様にするものです」

 淡々と説明をする和俊はそこで一旦話を切ると、再び眼鏡のフレームをクイッと上げた。

「霊体や霊気での攻撃に物理的破壊効果はありませんが、同じ霊体にはダメージを与える事が出来ます。それは霊体を持つ、関係の無い人々にまで被害が及ぶ可能性を示しています。それを防ぐ為に、怪異を現界から僅かにずれた異界へと閉じ込めます。そして奇獲師がその世界へ乗り込み怪異と対峙するのです」

 和俊の説明は事務的で、感情と呼べるものが一切含まれていない。

「そこは……その世界は……」

 安全なのか……危険はないのか……詩依良は無事に帰って来れるのか……沙耶はそれを確認しようとした。
 しかし彼女が全ての言葉を言い切る前に、和俊はゆっくりと首を横に振った。
 彼もまた、詩依良と同じ様に沙耶の思考を先読みしているかの対応だった。

「残念ながら結界空間について、詳しい事は何も分かっていません。何故そんな世界が存在するのか、誰かが作った世界なのか、それとも元々あった世界なのか。安全性も危険度も、何も分かっていないのです。現在確認されている事と言えば、広がる世界は現界を完全に模した造りとなっていますが、全く生物が存在していないという事だけです」

 それを聞いた沙耶の不安は、加速度的に増していた。
 誰も居ない、建物だけが続く無機質な世界。詩依良はそんな世界でたった1人、怪異と戦っているのだ。
 そこでは、どんなアクシデントが起こるか分からない。

「本当に……」

 何かに縋ってでも、詩依良を助けるアイデアを与えて欲しい。例え返って来る答えが分かっていても、沙耶は和俊に聞かずにはいられなかった。

「本当に何か、私に出来る事は無いんですか!? 私……」

「貴女に出来る事は何もありません」

 やはり全てを言い切る前に、和俊が言葉を被せて来た。
 その声音は酷く冷淡で抑揚のないものであり、バッサリと沙耶にはもう絶句するしかなかった。

「そんな……詩依良ちゃん……」

 この場で沙耶に出来る事は、もはや祈るぐらいである。

「詩依良ちゃん」

 沙耶は目を瞑り、両手を胸の前で組み合わせ、まるで神に祈る様な姿で詩依良の身を案じている。そしてその想いが、彼女の名を借りて溢れ出る。

「詩依良ちゃんっ!」

 涙を浮かべ、たった1人戦っている彼女を思い、その名前を強く声に出す。

 ―――その時、目の前の結界に僅かながらの変化が生じた。

 沙耶の発した声が、眼前の結界に揺らぎを生じさせる。
 その揺らぎはまるで、静かな水面に落ちた水滴が作る波紋の様な広がりを見せていった。

(これは! ……面白い……)

 和俊の表情に僅かな変化が生じる。
 驚きとも喜びとも好奇心ともとれるものだが、その変化は小さすぎて沙耶もユウキも気付けないでいた。

「何度も申しておりますが、例え貴女が詩依良さんの元に辿り着いたとして、どれ程の事が出来ると言うのですか?」

 和俊の物言いは、まるで沙耶をけしかける様であった。
 彼が語った内容は事実なのだが、この様な言われ方をすれば今の沙耶が反発するのは目に見えて明らかだ。

「それでもっ!」

 和俊はそれをこそ狙っていた。……彼の興味の為に。
 そして案の定、沙耶の言葉には今まで無かった力が……霊気と言う力が籠りだした。

「それでも私はっ!」

 沙耶が声を発する度に、結界の揺らぎは大きくなってゆく。それはそのまま、沙耶の言葉に込められた霊気の強さが増している事も物語っていた。
 和俊の顔には、いつものアルカイックスマイルはもう、無い。今の彼がその顔に浮かべているのは、彼本来が持つ本物の笑みだった。

「詩依良ちゃんの力になりたいのっ!」

(な……なんという霊圧っ!)

 周囲の大気を、何よりも霊体を震わす沙耶の言霊が、彼女を中心として四方に影響を与える。
 沙耶の隣で彼女の事を案じていたユウキも、突然沙耶から沸き起こった力にその場から吹き飛ばされまいと必死で踏みとどまっていた。
 そして和俊は、まるで突風の様な衝撃を正面から受けながら、その力に破顔し、そして歓喜していた。
 彼の背中をゾクゾクと電流の様な感覚が走る。

 ―――ビシッ!

 その衝撃をまともに受け、結界の表面には一筋のひびが作り出された。
 罅割れは徐々に数を増やし、最後には細かい破片となって沙耶の目の前で砕け散った。
 今、彼女の目の前では、異界に繋がる空間がポッカリと口を開けた状態になっていたのだ。

「さ……沙耶さん……」

 凄まじい霊気の奔流が去り、大きな穴を開けた空間を目の当たりにしてユウキが呟いた。
 和俊は内心に存在する興奮した気持ちを必死に抑え、努めて平静を装った。

「ああ、結界に穴が開いてしまった。全く……何という事をしてくれたのですか」

 そして彼の紡いだ言葉は、その内容に反して全くと言って良い程感情が込められておらず、まるで台詞の様に棒読みであった。
 沙耶自身には、目の前で何が起こったのか分かっていなかった。
 しかし、眼前に現れた事象の意味は把握出来ていた。そしてそれを自分がしてしまった事を、彼の言葉で理解したのだった。
 彼女は自分がとんでもない事を仕出かし、和俊に怒られてしまうのではないかと思い恐る恐る彼を除き見た。
 しかし和俊に怒りの雰囲気は感じられず、それどころか何処か楽しげな様にも見える。

「宜しいですか? この穴は結界の中……異界と繋がっていて、その奥では詩依良さんが戦っています。彼女との約束で貴女方を守る為に、私はすぐにでもこの穴の修復作業に入らなければなりません。その為に多少の準備が必要ですので少し席を外しますが、この中は大変危険です。決してここから動いたり、ましてや中に入ってはいけませんよ?」

 和俊の言葉は棒読みな上、多分に芝居がかっており、沙耶にはすぐに彼の言っている意味が頭に入ってこなかった。
 僅かな後、漸く彼女にもその意味が浸透して来るに従って、沙耶の顔に笑顔が浮かんで来た。

「わ、わかりました! 市宮さん!」

 そして沙耶はペコリと頭を下げた。
 その姿を確認し口角を上げて微笑んだ和俊は、靴音を一つ残してその場から消え去った。和俊は、沙耶達がこれから取るであろう行動を見逃すと言っているのだ。

「良く……分からない方ですね」

 それを見ていたユウキはポツリとつぶやいた。
 先程までは自分達に危害を加えようとし、今は彼女達に協力するかの様な行動は、彼の行動原理を知らない者からすれば節操がなく場当たり的で、とても信頼の置ける人物とは言い難かった。

 兎に角今は沙耶にとって、そんな事は些細な事であった。
 和俊にどんな思惑があるのかは分からないが、最大で最後のチャンスが与えられたのだ。今行動する以外、沙耶に選択肢は無かった。
 彼女は、クルリと振り返り結界に開いた穴の中を見る。中からは何も聞こえなかったが、濃密な霊気が溢れ出しているのだけは彼女にも分かった。
 本当はこんな中に飛び込んで行くなど、自分のキャラでは無い事を沙耶は誰より知っていた。
 何の力も無く、詩依良の邪魔になるだけならばまだしも、下手をすれば自分も危ない目に……死ぬ破目になるかも知れないのだ。逸る気持ちとは裏腹に、彼女の足は震えこの中へ進む事を拒否していた。

「沙耶さん、宜しければ私も連れて行って貰えないでしょうか?」

 そんな沙耶の背後から、強い意志の籠ったユウキの声が聞こえた。

「ユウキさん……でも……」

 沙耶はゆっくり振り返り彼女の方を見た。
 ユウキの紅い瞳からは、1つの強い決意が感じられた。だが沙耶は、その返答に躊躇した。


 先程詩依良が語った話を聞く限り、ユウキは本体である間宮悠人に憑りついている猫霊に取り込まれてしまう可能性がある。
 そうなれば、もう二度とこちら側に戻って来る事は出来ないだろう。
 彼女達は元々1つの霊なのである。分身であるユウキに、自分の意志で本体から切り離れて行動する権限は無い。
 それに、ユウキの状態は万全では無い。本体に攻撃され、少なくないダメージを受けているのだ。
 そんな状態では、とてもではないが本体に太刀打ちするどころか、詩依良の助勢すら難しいだろう。
 ユウキ自身、そんな事は百も承知なのだろう。それでも連れて行って欲しいと懇願している。

「沙耶さんの言いたい事は分かります。それでも私は、悠人の事が心配なのです。貴女が詩依良さんを心配するのと同じ様に」

 決死の覚悟が籠った目でそう言われてしまっては、沙耶にユウキの言葉を拒否する事が出来なくなった。
 実際、詩依良にあれほど止められているにも拘らず、沙耶も詩依良を追いかけようとしているのだ。

「それに今の私でも、貴女を守る事ぐらいは出来ます」

 それまでの緊張を解いて、ユウキは優しい眼差しで沙耶を諭す様に言った。
 それは本当かも知れない……と言うよりも沙耶一人で向かうより、どんな状態であれユウキと一緒の方が遥かに安全なのは間違いなかった。
 何よりも、ここまで必死なユウキの願いを無下に出来る沙耶では無かった。

「……わかった。でも無茶はしないでね?」

 心配そうな表情で、それでも沙耶は首肯した。

「わかりました。ありがとうございます」
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