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5.一杯の想いを抱いて
決意の瞳
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悪霊化を果たした猫霊は、その禍々しく血のように紅い霊気を周囲に撒き散らしていた。
『悠人は私の物! 私の望みが悠人の望み! 誰にも渡しはしないっ!』
もはや自我も曖昧なものとなっているのか、猫霊は主従が逆転している事にも気付いていない。
変化後間もなくその力を持て余しているのか、それとも意識がハッキリしないのか、猫霊に大きな動きは感じられずただ天を仰いで咆哮を繰り返し上げている。
その隙を突き、まず動き出したのは詩依良だった。沙耶達とは大きく距離を取った所で猫霊と対峙する。
複雑に糸を繰り、前に突き出した両手の間に糸で形作る。それは先程の格子に似ているが、縦だけでなく横や斜めにも糸が張り巡らされていた。
その形の中に猫霊の姿を捉える。
「柵刺っ!」
詩依良が声を発すると同時に糸が光りだした。それに呼応する様に、猫霊の周囲には光の球体がいくつも浮かび上がる。
そしてその球体から飛び出した槍のように鋭い光が、猫霊の体を四方八方から貫き通したのだ。
『ガァアアアアッ!』
何本もの光の槍に猫霊は串刺しとなったが、そのダメージが決定打に成り得る様には見えなかった。猫霊の纏う禍々しい霊気が、詩依良の攻撃を中和し弱めているのだ。
(さて……どうするか……)
攻撃した詩依良に狙いを定めたのか、猫霊の注意が完全に彼女へと向く。詩依良は時折攻撃を交えながら、猫霊を沙耶達から遠ざけようとしていた。
「はぁ……はぁ……」
見るからに衰弱しているユウキを、沙耶は不安そうに介抱していた。
だが、霊体であるユウキを治療する術は沙耶にない。ただ案じるだけの自分に、沙耶は歯噛みする想いだった。
「ユウキさん、大丈夫? 1度ここから出る?」
今すぐにこの結界空間から出る方法など、沙耶には分からない。先程の穴が開いたままであればそこから出る事も可能だが、まだ開いた状態であるとは断言出来ない。
何よりも、そこまでは結構な距離がある。
ここまで来るのに、沙耶はユウキの背に乗って来た。ユウキは沙耶の重さなど意に介していない様に、屋根から屋根へ飛び移り一直線でここまで来たのだった。
だが当然の如く、沙耶にそんな曲芸染みた事は出来ない。
穴が開いていた場所まで、ユウキに肩を貸して道なりに進むしかないのだ。直線距離で大よそ300メートルだが、普通に道を辿って行けば来た時よりも遥かに時間が掛かるだろう。
だが沙耶の提案に、ユウキは首を横に振って答えた。
「私は……彼女を……御方様を……止めなければなりません……。その為に……ここに来たのです……。道を違ってしまいましたが……彼女も私と同じ様に……悠人を想っているのですから……」
寂しげに微笑んで、ユウキは沙耶を見つめた。そう言われてしまっては、沙耶に言い返す事も出来なかった。
そして、ユウキは力無く立ち上がった。その姿は、沙耶が少し押しても倒れてしまいそうな程心許ない。
「ユウキさん、無茶しちゃダメだよ」
無駄だと知りつつ、沙耶は不安気にそう声を掛けた。
「いえ……ここで無茶をしなければ、取り返しのつかない事になります」
肩越しに沙耶をみて呟くユウキ。彼女には何か確信や予感と言った、彼女にしかわからないものを感じるのだろう。
しかし、今のユウキに何か策があるとは思えない。
「でも……」
そのままだとユウキが死んでしまう、消え去ってしまう。彼女の悲壮な決意が沙耶にそう思わせているのだが、その考えは決して間違っていないだろう。
ユウキは確かに猫霊の分身で、沙耶達とは本来敵対する位置に居る霊体だ。
しかし沙耶はユウキを信頼出来る霊だと思っていた。少なくとも今まで、ユウキはその想いに反する行動をとっていない。
だから自ら死地に赴くようなユウキを、とても放ってはおけなかったのだ。
「……ありがとう、沙耶さん。霊力の殆どを御方様に戻してしまいましたが、残った全霊を掛ければ、詩依良さんのお手伝いぐらいは出来ると思います」
やはり沙耶が感じた通り、ユウキから返って来たのは決死の覚悟だった。
彼女は、自分が消える事も厭わないでいる。それ程に、猫霊の暴走を止めようと考えているのだ。
全ては、間宮悠人の為に……。
「ユウキさん……もし霊力を補充出来れば……どうなの?」
そして沙耶もユウキと同じぐらい、詩依良の為に全身全霊を掛けたいと考えていた。全てを掛けて詩依良の役に立ちたいと、そう考えているのだ。
だが残念ながら、その手段を彼女は持ち合わせていない。今のままでは、彼女に霊体と相対する事は出来ないのだ。
「それは……ある程度役に立てると思いますが……沙耶さん……?」
だが、ユウキにはそれが出来る。
詩依良を助け、詩依良の力になる事がユウキには出来るのだ。
その手段を、ユウキは持ち合わせているのだ。
「私の……私の霊力を使って! ユウキさん!」
沙耶は、ユウキを強い決意の目で見据えた。その余りにも強い気迫に、ユウキは一瞬たじろいだ。
「そんな……出来ません、沙耶さん! 霊力を大きく損なえば、下手をすると死んでしまうかもしれないのですよ!?」
沙耶の提案に、ユウキは大きく驚き、激しく反対した。
ユウキの言う通り、霊力を瞬間的に大きく損なえば命に関わる事もある。
沙耶がどれほど霊力に対して知識があるかユウキに判断は付かなかったが、とても冷静な考えとは思えなかったのだった。
沙耶が懸念している通り、ユウキはすでに決死の覚悟を済ませていた。
このまま猫霊と対峙し戦闘にでもなれば、自分は間違いなく消滅してしまうだろうが、そうなればそれでも良いと思っていたのだ。
このままでは、詩依良が苦戦する事に間違いはない。ユウキはその詩依良を助ける為に、残された霊力を使おうと決心したのだ。
ここでこのままじっとしていても、いずれ詩依良が本体を封印すれば、彼女もそれに引かれ封じられる。
また、詩依良が敗れれば次のターゲットは間違いなくユウキと沙耶だろう。
どちらにしても彼女に残された時間は少なく、ならば恩義ある人達に悠人の事を委ねようと、そう決心していたのだった。
「ユウキさんの言う通りだよっ! ここで全力を出さないと、みんな酷い事に……死んじゃうかもしれないっ! そんな……そんな気がするのっ! 私は皆が……詩依良ちゃんが傷つく所を見たくないのっ!」
沙耶の悲痛な叫びは、ユウキも同意する所だった。
確かに今、ここであの猫霊を何とかしなければ詩依良や沙耶、そして何より悠人に危害が及ぶだろう。自分の本体が守るべき主を害するなど、そんな事をユウキは考えたくなかった。
「私は……大した役に立たないけど、みんなと一緒に戦いたいのっ! 詩依良ちゃんの力になりたいっ! お願い、ユウキさんっ!」
彼女の瞳には、1歩も引かない強い力が宿っていた。
もしここでユウキが彼女の提案を拒絶しても、沙耶は詩依良の元へと駈け出してしまうだろう。その時、どれ程の危険が沙耶に襲い掛かる事だろうか。
「……分かりました。沙耶さん……感謝します」
ユウキはゆっくりと優しく微笑み、沙耶もその目に笑顔を返した。
詩依良は追い詰められていた。だからと言って、猫霊の攻撃に押されていた訳では無い。
悪霊化を果たし、先程よりも格段に早く、力強くなった攻撃は脅威だったが、それでも詩依良は未だ余裕をもって回避し続けていた。
追い詰められていたのは精神的に……だった。
確かに今の彼女が持つ装備では、悪霊化し更に強力になった猫霊に対して決定打となる〝呪法〟を繰り出すには至らない。
だがその状況も、彼女にしてみれば追い詰められる程の状況には当たらない。
本当に追い詰められている理由は、残されている〝最後の手段〟を使うか否か。その判断を下せずにいた……自分自身にであった。
(しかし……あれは強力過ぎる!)
その手段を行使する許可は、既に「院」から貰ってある。
そしてその手段を用いれば、いともあっさりと猫霊との戦闘を終了させる事が出来る。それを行使すれば、間違いなく目の前の猫霊を消滅させる事が出来る筈だった。
―――だがそれは、封印では無く……消滅。
詩依良は、出来るならその方法を取りたくなかった。だから、今でも決断を下せずに躊躇していたのだ。
もし〝奇獲の呪法〟で倒したならば、それは強制的な成仏となる。それすらも詩依良は出来るだけ使いたくなかったが、昇天させればまだ救いがある。
事実はどうあれ「院」の教えでは、成仏した魂はいずれ転生する。新しい生に辿り着くのならば、1つの手段として用いるのもまだ納得出来る事だ。
本当は猫霊自身が納得した上で成仏してくれるのが1番なのだが、それは状況次第であり、臨機応変に対応するしかない。
しかし彼女の最終手段は完全なる消滅であり、そこに救いは無い。
彼女の持つ〝最後の手段〟で消滅した魂は、昇天する事も無く霧散するのみ。つまり、この世に存在しなかった事となる。
例え目の前の猫霊が悪霊化しているとしても、元は純粋に飼い主を想う気持ちで存在していたのであり、ただ状況とタイミングが悪かっただけなのだ。
世の中には、そんな事がいくらでもある。運が悪かったと諦めるしかない時もあるだろう。
だが自分が手を下すのであれば、出来るだけ救いの方法を使ってやりたいと詩依良はそう考えていた。その想いが、彼女に最終手段を使う決意の妨げとなっていたのだ。
力を持て余し気味の猫霊が繰り出す手当たり次第の攻撃をかわしながら、詩依良は何度も最善策を模索していた。
―――その時。
詩依良の前方、猫霊の遥か後方で、爆発にも似た霊力の高まりが巻き起こった。強制的に意識をそちらへ引き付けられたかの如く、殆ど同時に詩依良と猫霊がそちらへと視線をやる。
その方角に巻き起こる、異界の天を突くほどに強い霊力の高まりは、交戦状態であった詩依良と猫霊の動きを止める程の力を有していたのだ。
目の前の猫霊が発している霊気とは明らかに質の違う霊気なのだが、詩依良はどこかでそれを感じた事があった。
―――それは……沙耶だ。
詩依良が向けた視線の先で起こっている霊力の高まりは、どこか沙耶のものに似ていると感じたのだ。
(沙耶に……何かあったのか!?)
動きを止めた猫霊を尻目に、最大速度で猫霊の脇をすり抜け、詩依良は霊力の発現元へと急いだ。急激に近づくにつれ、その場の状況が見えて来る。
白く輝く霊体と、その傍らに横たわるのは……沙耶。
(あいつっ! 沙耶の霊気を……喰ったのかっ!?)
倒れた沙耶の隣には、眩く白い巫女服に身を包み、煌めく白銀の髪を靡かせたユウキが立っている。
頭には銀色に艶めく耳と、背後には美しい六本の尻尾が。そして深紅に輝く紅い眼を詩依良は捉えた。
それは紛れも無く、「覚醒」を果たしたユウキの姿だった。
『悠人は私の物! 私の望みが悠人の望み! 誰にも渡しはしないっ!』
もはや自我も曖昧なものとなっているのか、猫霊は主従が逆転している事にも気付いていない。
変化後間もなくその力を持て余しているのか、それとも意識がハッキリしないのか、猫霊に大きな動きは感じられずただ天を仰いで咆哮を繰り返し上げている。
その隙を突き、まず動き出したのは詩依良だった。沙耶達とは大きく距離を取った所で猫霊と対峙する。
複雑に糸を繰り、前に突き出した両手の間に糸で形作る。それは先程の格子に似ているが、縦だけでなく横や斜めにも糸が張り巡らされていた。
その形の中に猫霊の姿を捉える。
「柵刺っ!」
詩依良が声を発すると同時に糸が光りだした。それに呼応する様に、猫霊の周囲には光の球体がいくつも浮かび上がる。
そしてその球体から飛び出した槍のように鋭い光が、猫霊の体を四方八方から貫き通したのだ。
『ガァアアアアッ!』
何本もの光の槍に猫霊は串刺しとなったが、そのダメージが決定打に成り得る様には見えなかった。猫霊の纏う禍々しい霊気が、詩依良の攻撃を中和し弱めているのだ。
(さて……どうするか……)
攻撃した詩依良に狙いを定めたのか、猫霊の注意が完全に彼女へと向く。詩依良は時折攻撃を交えながら、猫霊を沙耶達から遠ざけようとしていた。
「はぁ……はぁ……」
見るからに衰弱しているユウキを、沙耶は不安そうに介抱していた。
だが、霊体であるユウキを治療する術は沙耶にない。ただ案じるだけの自分に、沙耶は歯噛みする想いだった。
「ユウキさん、大丈夫? 1度ここから出る?」
今すぐにこの結界空間から出る方法など、沙耶には分からない。先程の穴が開いたままであればそこから出る事も可能だが、まだ開いた状態であるとは断言出来ない。
何よりも、そこまでは結構な距離がある。
ここまで来るのに、沙耶はユウキの背に乗って来た。ユウキは沙耶の重さなど意に介していない様に、屋根から屋根へ飛び移り一直線でここまで来たのだった。
だが当然の如く、沙耶にそんな曲芸染みた事は出来ない。
穴が開いていた場所まで、ユウキに肩を貸して道なりに進むしかないのだ。直線距離で大よそ300メートルだが、普通に道を辿って行けば来た時よりも遥かに時間が掛かるだろう。
だが沙耶の提案に、ユウキは首を横に振って答えた。
「私は……彼女を……御方様を……止めなければなりません……。その為に……ここに来たのです……。道を違ってしまいましたが……彼女も私と同じ様に……悠人を想っているのですから……」
寂しげに微笑んで、ユウキは沙耶を見つめた。そう言われてしまっては、沙耶に言い返す事も出来なかった。
そして、ユウキは力無く立ち上がった。その姿は、沙耶が少し押しても倒れてしまいそうな程心許ない。
「ユウキさん、無茶しちゃダメだよ」
無駄だと知りつつ、沙耶は不安気にそう声を掛けた。
「いえ……ここで無茶をしなければ、取り返しのつかない事になります」
肩越しに沙耶をみて呟くユウキ。彼女には何か確信や予感と言った、彼女にしかわからないものを感じるのだろう。
しかし、今のユウキに何か策があるとは思えない。
「でも……」
そのままだとユウキが死んでしまう、消え去ってしまう。彼女の悲壮な決意が沙耶にそう思わせているのだが、その考えは決して間違っていないだろう。
ユウキは確かに猫霊の分身で、沙耶達とは本来敵対する位置に居る霊体だ。
しかし沙耶はユウキを信頼出来る霊だと思っていた。少なくとも今まで、ユウキはその想いに反する行動をとっていない。
だから自ら死地に赴くようなユウキを、とても放ってはおけなかったのだ。
「……ありがとう、沙耶さん。霊力の殆どを御方様に戻してしまいましたが、残った全霊を掛ければ、詩依良さんのお手伝いぐらいは出来ると思います」
やはり沙耶が感じた通り、ユウキから返って来たのは決死の覚悟だった。
彼女は、自分が消える事も厭わないでいる。それ程に、猫霊の暴走を止めようと考えているのだ。
全ては、間宮悠人の為に……。
「ユウキさん……もし霊力を補充出来れば……どうなの?」
そして沙耶もユウキと同じぐらい、詩依良の為に全身全霊を掛けたいと考えていた。全てを掛けて詩依良の役に立ちたいと、そう考えているのだ。
だが残念ながら、その手段を彼女は持ち合わせていない。今のままでは、彼女に霊体と相対する事は出来ないのだ。
「それは……ある程度役に立てると思いますが……沙耶さん……?」
だが、ユウキにはそれが出来る。
詩依良を助け、詩依良の力になる事がユウキには出来るのだ。
その手段を、ユウキは持ち合わせているのだ。
「私の……私の霊力を使って! ユウキさん!」
沙耶は、ユウキを強い決意の目で見据えた。その余りにも強い気迫に、ユウキは一瞬たじろいだ。
「そんな……出来ません、沙耶さん! 霊力を大きく損なえば、下手をすると死んでしまうかもしれないのですよ!?」
沙耶の提案に、ユウキは大きく驚き、激しく反対した。
ユウキの言う通り、霊力を瞬間的に大きく損なえば命に関わる事もある。
沙耶がどれほど霊力に対して知識があるかユウキに判断は付かなかったが、とても冷静な考えとは思えなかったのだった。
沙耶が懸念している通り、ユウキはすでに決死の覚悟を済ませていた。
このまま猫霊と対峙し戦闘にでもなれば、自分は間違いなく消滅してしまうだろうが、そうなればそれでも良いと思っていたのだ。
このままでは、詩依良が苦戦する事に間違いはない。ユウキはその詩依良を助ける為に、残された霊力を使おうと決心したのだ。
ここでこのままじっとしていても、いずれ詩依良が本体を封印すれば、彼女もそれに引かれ封じられる。
また、詩依良が敗れれば次のターゲットは間違いなくユウキと沙耶だろう。
どちらにしても彼女に残された時間は少なく、ならば恩義ある人達に悠人の事を委ねようと、そう決心していたのだった。
「ユウキさんの言う通りだよっ! ここで全力を出さないと、みんな酷い事に……死んじゃうかもしれないっ! そんな……そんな気がするのっ! 私は皆が……詩依良ちゃんが傷つく所を見たくないのっ!」
沙耶の悲痛な叫びは、ユウキも同意する所だった。
確かに今、ここであの猫霊を何とかしなければ詩依良や沙耶、そして何より悠人に危害が及ぶだろう。自分の本体が守るべき主を害するなど、そんな事をユウキは考えたくなかった。
「私は……大した役に立たないけど、みんなと一緒に戦いたいのっ! 詩依良ちゃんの力になりたいっ! お願い、ユウキさんっ!」
彼女の瞳には、1歩も引かない強い力が宿っていた。
もしここでユウキが彼女の提案を拒絶しても、沙耶は詩依良の元へと駈け出してしまうだろう。その時、どれ程の危険が沙耶に襲い掛かる事だろうか。
「……分かりました。沙耶さん……感謝します」
ユウキはゆっくりと優しく微笑み、沙耶もその目に笑顔を返した。
詩依良は追い詰められていた。だからと言って、猫霊の攻撃に押されていた訳では無い。
悪霊化を果たし、先程よりも格段に早く、力強くなった攻撃は脅威だったが、それでも詩依良は未だ余裕をもって回避し続けていた。
追い詰められていたのは精神的に……だった。
確かに今の彼女が持つ装備では、悪霊化し更に強力になった猫霊に対して決定打となる〝呪法〟を繰り出すには至らない。
だがその状況も、彼女にしてみれば追い詰められる程の状況には当たらない。
本当に追い詰められている理由は、残されている〝最後の手段〟を使うか否か。その判断を下せずにいた……自分自身にであった。
(しかし……あれは強力過ぎる!)
その手段を行使する許可は、既に「院」から貰ってある。
そしてその手段を用いれば、いともあっさりと猫霊との戦闘を終了させる事が出来る。それを行使すれば、間違いなく目の前の猫霊を消滅させる事が出来る筈だった。
―――だがそれは、封印では無く……消滅。
詩依良は、出来るならその方法を取りたくなかった。だから、今でも決断を下せずに躊躇していたのだ。
もし〝奇獲の呪法〟で倒したならば、それは強制的な成仏となる。それすらも詩依良は出来るだけ使いたくなかったが、昇天させればまだ救いがある。
事実はどうあれ「院」の教えでは、成仏した魂はいずれ転生する。新しい生に辿り着くのならば、1つの手段として用いるのもまだ納得出来る事だ。
本当は猫霊自身が納得した上で成仏してくれるのが1番なのだが、それは状況次第であり、臨機応変に対応するしかない。
しかし彼女の最終手段は完全なる消滅であり、そこに救いは無い。
彼女の持つ〝最後の手段〟で消滅した魂は、昇天する事も無く霧散するのみ。つまり、この世に存在しなかった事となる。
例え目の前の猫霊が悪霊化しているとしても、元は純粋に飼い主を想う気持ちで存在していたのであり、ただ状況とタイミングが悪かっただけなのだ。
世の中には、そんな事がいくらでもある。運が悪かったと諦めるしかない時もあるだろう。
だが自分が手を下すのであれば、出来るだけ救いの方法を使ってやりたいと詩依良はそう考えていた。その想いが、彼女に最終手段を使う決意の妨げとなっていたのだ。
力を持て余し気味の猫霊が繰り出す手当たり次第の攻撃をかわしながら、詩依良は何度も最善策を模索していた。
―――その時。
詩依良の前方、猫霊の遥か後方で、爆発にも似た霊力の高まりが巻き起こった。強制的に意識をそちらへ引き付けられたかの如く、殆ど同時に詩依良と猫霊がそちらへと視線をやる。
その方角に巻き起こる、異界の天を突くほどに強い霊力の高まりは、交戦状態であった詩依良と猫霊の動きを止める程の力を有していたのだ。
目の前の猫霊が発している霊気とは明らかに質の違う霊気なのだが、詩依良はどこかでそれを感じた事があった。
―――それは……沙耶だ。
詩依良が向けた視線の先で起こっている霊力の高まりは、どこか沙耶のものに似ていると感じたのだ。
(沙耶に……何かあったのか!?)
動きを止めた猫霊を尻目に、最大速度で猫霊の脇をすり抜け、詩依良は霊力の発現元へと急いだ。急激に近づくにつれ、その場の状況が見えて来る。
白く輝く霊体と、その傍らに横たわるのは……沙耶。
(あいつっ! 沙耶の霊気を……喰ったのかっ!?)
倒れた沙耶の隣には、眩く白い巫女服に身を包み、煌めく白銀の髪を靡かせたユウキが立っている。
頭には銀色に艶めく耳と、背後には美しい六本の尻尾が。そして深紅に輝く紅い眼を詩依良は捉えた。
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