奇獲 ―あやとり― 【沙耶の章】

綾部 響

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5.一杯の想いを抱いて

悪霊と化す

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「詩依良ちゃんっ!」

 何度目かの猫霊が放つ連続攻撃をかわし切った直後、どこからか詩依良に声が掛けられた。
 詩依良が、ギョッとしてその声がした方向へ視線をやる。そこにはユウキと、彼女に背負われた沙耶が居た。

「ばっ! おまっ! なんでっ!?」

 彼女達の視線を見止めた詩依良は、動きを止めて動揺の声を上げる。
 動きの止まった詩依良へ、狙いすました様に猫霊の霊刃が放たれるも。彼女はそれを難なくかわすと同時に、大きく飛び退きユウキの元へ着地した。

「なんでここに来たっ! それにユウキもっ! 待ってるように言ったよなっ!?」

 詩依良は少し怒っているような声で2人に問いかけた。意識的なのか無意識なのか、彼女の言葉には言霊が込められており、ビリビリと2人の霊体を震わせている。
 真っ向から詩依良の霊圧を受けた2人だが、それに彼女達が怯んだ様子はない。

「詩依良ちゃんの力になりたいのっ!」

 徹頭徹尾、沙耶の主張にブレはない。自分の想いを言葉に乗せ、再度詩依良にぶつけた。

「バカかっ! 足手纏いだって……って、お前、その言霊?」

 沙耶の方こそ無意識に、自分の言葉に言霊を上乗せしていたのだ。
 今度は彼女の言葉が、詩依良の霊体を震わせた。
 沙耶の言霊に驚いたのか、詩依良の剣幕が徐々に収まっていく。しかしその理由が沙耶には今一つ理解出来ず、キョトンとした表情を詩依良に向けていた。

「申し訳ありません、詩依良さん。彼女は私が全霊を掛けて守ります」

 最初から劣勢の沙耶に助け舟を出すつもりで、ユウキが詩依良と沙耶の間に割って入った。

「ユウキ……。まったく、和俊さんは何やってるんだ……」

 詩依良はこれ以上ないと言うくらい呆れた様に、深く溜息をついた。和俊に後を任せれば間違いないと思っていただけに、彼の行動が理解出来ないでいたのだ。

『人間の仲間が合流したかのか……ん? お前は!?』

 詩依良と合流した沙耶達を見止めた猫霊は、その中にユウキの姿を見つけ動きを止めた。背負っていた沙耶を下ろしたユウキは、彼女達より一歩前に出て猫霊と対峙する。

「御方様っ、もうやめて下さいっ! それ以上力を使えば、悠人に悪影響が出るのですっ!」

 そして、ユウキが猫霊に懇願する。そこに含まれる言霊は、必死で悲哀に満ちたものだった。
 それが分からない猫霊では無い筈である。言うまでもなく向かい合う2体は、元々1つなのだから。

『黙れっ! 悠人は……っ!』

 しかしユウキの言葉は彼女には届かず、それどころか猫霊の返答に……そこに込められた言霊に明らかな変化が生じていた。
 詩依良達はその変化に気付き、俄かに色めき立った。

「まずいな……思考が変化してやがる! このままじゃあ……」

 猫霊の思考が「悠人の為」から「悠人は私の物」と言う様に変わっていた。これは、猫霊の目的が変化しつつあると言う事だ。
 憑りついた霊が、その力を主の為に発揮している間は、主を守る霊「守護霊」として存続していく事が出来る。当然主に悪影響を与える事も、周囲に霊障を撒き散らす事も無い。
 だが霊がその存続目的を違え、主や周囲に悪影響を与えだすともなれば話は大きく異なるのだ。
 まして目の前の猫霊は、明らかに主目的を変容させていたのだ。
 ただでさえ霊気の共用による暴走と言う弊害を起こしていたにも拘らず、霊の目的が主の為ではなく自身の為となってしまっては、遠からず主たる間宮悠人に大きな霊障が引き起こされるだろう。

 猫霊は3つの尾を大きく振り上げ、そのままユウキに向けて振り下ろした。
 怒りに任せ、1つに束ねられた尾撃を彼女は躱そうとはせずに両手を頭上で交差させて受け止めてみせた。
 その霊気が起こした圧力、霊圧が周囲の大気を震わせて、突風が沙耶たちに押し寄せる。それでもユウキは、その攻撃に耐えきった。

「ユウキッ!」

「ユウキさんっ!」

 そしてその光景を前に、詩依良と沙耶は殆ど同時に叫んでいた。

『きさま―――っ!』

 その攻撃を受け止めた行為が反抗と見えたのか、猫霊は怒りを露わにして叫声を上げる。

「御方様、分かってくださいっ! これ以上は悠人を苦しめるだけなんですっ! それは私が……私達が望んだ事ではないでしょうっ!?」

 それでもユウキは説得を諦めない。何よりも、悠人の為に猫霊を止めようと必死だった。

『黙りなさいっ!』

 しかし猫霊に、ユウキの言葉は少しも届いた様子が無かった。
 受け止められたままになっていた尻尾から幾本もの触手の様な物が飛び出し、それらがユウキに巻きつき彼女の身体を拘束する。

「クッ! 御方様……っ!」

『貴女も再び私の元へ戻り、共に悠人を守る力となりなさい』

 猫霊の言葉と共に、ユウキに巻き付く全ての触手が光出した。猫霊の言葉通りならば、それがユウキの霊気を吸い取っているのだと詩依良達にも分かった。

「くそっ! 言わんこっちゃないっ!」

 慌てて詩依良が動き出そうとするも、それと同時にユウキが膝をつく。このままでは、彼女を助け出すのには到底間に合いそうにない。

「ダメ……ダメ―――ッ!」

 それを見た沙耶が叫んだ。
 しかしそれは、ただの悲鳴では無い。彼女の言葉には、途方もない言霊が含まれていたのだ。
 沙耶の言霊は見えない砲撃の様に、猫霊の尻尾とユウキの身体を一気に呑み込んだ。

『グワッ!』

 だがその言霊に影響を受けたのは猫霊と、ユウキに巻き付く触手のみだった。
 触手はまるで塵が風に吹き飛ばされる様に霧散し、猫霊はその衝撃で尾を引いた格好となった。そして驚くべきは、ユウキには沙耶の言霊による影響は全く無かった様なのだ。
 沙耶が発した、一瞬で猫霊の触手を吹き飛ばし尾を押し返す言霊の威力と、ユウキには一切の影響を与えなかった緻密な制御。詩依良は瞬間、その力に魅入ってしまった。
 だがそれもほんの一瞬で、彼女はすかさず猫霊の尾から解放されたユウキを抱えて、その場を大きく退いた。

(そう言う事か……。和俊さん、わざと沙耶達を見逃したな……)

 詩依良は当初、和俊が結界を開いて沙耶達を送り出したと考えていた。もっとも、どうしてそうしたかなど、考えるだけ無駄だと言う事も分かっていた。
 彼の思考は、一般人のそれと大きくかけ離れている。その興味、趣味も、趣向も……。
 彼が行動した事は、彼だけが満足のいく事であって、余人が共感できるとは限らない。
 しかし今、沙耶の言霊を目の当たりにして、詩依良はその考えを一部修正した。
 結界を開いたのは和俊では無く、沙耶自身だったのだろう。
 彼女の言霊ならば、その威力で結界に一部分だけでも穴を開ける事が可能だと、詩依良は納得した。そしてそれを見た和俊ならば、沙耶に興味を持つかも知れないとも考えたのだ。
 ならば彼は沙耶を引き留める事はしない。逆に何らかの理由を付けてでも送り出すに違いなかった。市宮和俊とは、そう言う奇獲師なのだ。




『なんだっ!? その力っ!?』

 猫霊はその身体を後退らせて、沙耶の力に著しく怯んでいた。動物元来の本能なのか、得体の知れない力に対して無暗に追い打ちや反撃は行わず、警戒心を露わにしたのだった。

「ユウキ、無事か?」

 沙耶の元まで彼女を運んだ詩依良が声を掛け、沙耶も不安気にユウキを覗き込んでいる。

「ユウキさんっ!」

「なんとか……大丈夫です……。しかし……殆どの霊気を……御方様に持って行かれました……」

 沙耶に力なく微笑み、詩依良に返答するユウキの声は弱々しい。もう彼女に、戦う力は残されていないだろう事が分かる声音であった。
 そして、存在し続ける時間も恐らくは僅かばかりだ。だが詩依良にも沙耶にも、弱り切ったユウキに今取れる行動を持ち合わせていなかった。


 その時猫霊の方に異変が感じられ、3人は同時にそちらへ視線を向けた。
 猫霊の霊力が急激に高まって行く。恐らく、先程吸収したユウキの霊力に依るものだろう。

『貴様達はっ! どこまでっ!』

 そしてその力は猫霊の怒りに呼応し、纏っていた霊気が急激に変化を遂げ出した。

『ガァアアアアアッ!』

 禍々しい咆哮と共に、その霊気は紅く血の色に変貌する。
 同時にその霊気が彼女の全身を覆い、その姿まで変容させ始めたのだ。より巨大に……そして、人非ざるものへと。
 詩依良たちが目を向けている先で、猫霊は猫の霊である事を示すかの姿を取りだした。
 尾を3本から4本へと増やした、巨大な猫の姿が現れる。
 その纏う霊力、そして詩依良たちが受ける威圧感は、それまでとは比べられないほど苛烈であり。
 何よりもその顔つきが、より邪悪なものへと変わっていたのだ。
 その姿は、悪霊と言うのに不足なく相応しいものだった。

「チッ! とうとう悪霊化しやがったかっ!」

 詩依良の吐き捨てるような呟き。猫霊の変化が見た目だけに留まらないと言う事は、沙耶にも感じられる程だった。

「……御方様」

 力なく猫霊を見るユウキの紅い目は、寂しそうな光を湛えていた。
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