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第8話 スカーデットハーミットクラブの海鮮ラーメン②
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# 第8話 スカーデットハーミットクラブの海鮮ラーメン②
追悼演説の会場に立った時、私は改めて自分の小さな体を意識した。カーバンクルの体では、壇上に上がっても参列者たちの頭越しに見える程度。それでも、この街の人々は皆、静かに耳を傾けてくれていた。
「本日お集まりいただいた皆様、ありがとうございます」
マイクに向かって話し始めると、会場がしんと静まり返った。玄武討伐戦で亡くなった騎士団員たちへの追悼の言葉。定型文のような内容だが、一人一人の名前を読み上げる度に、どこかで誰かがすすり泣く声が聞こえる。
「...彼らの犠牲によって、この街に平和が戻りました。私たちは彼らの意志を継ぎ、より良い未来を築いていくことをここに誓います」
演説を続けながら、私は会場の最前列にいる一人の男性に目が留まった。
古い傷跡が無数に刻まれた黒い肌、鋭い狼の耳、そして今にも泣き崩れそうな表情で私の言葉に聞き入 っている。背筋をぴんと伸ばし、軍隊式の敬礼姿勢を保ったまま、大粒の涙を流していた。
間違いない。チココから聞いていた特徴と完全に合致する。あれがヴォルフガングね。
都市連合で剣闘士――いや、剣闘獣として扱われる非人道的な人生を送っていたところを、チココに救い出された男。以来、チココのためだけに働き続けている。定期的に休むよう命令しないと、文字通り倒れるまで働き続けるという、最下級のスケルトンですらもっと融通が利くレベルの働きぶりだと聞いている。
演説が終わると、私はすぐにヴォルフガングの元へ向かった。
「あなたがヴォルフガングね」
「は、はい! ムウナ様、お疲れさまでした」
慌てて立ち上がる彼の動作は軍人そのもの。でも、よく見ると顔色が悪い。目の下にはクマができ、立っているのもやっとという状態だった。
「今すぐ自分の部屋に戻って休息を取りなさい。それと、チココからの手土産よ」
私は懐から、チココ特製の焼き菓子の包みを取り出した。彼の好物だと聞いている。
「い、いえ! ムウナ様が来訪された時は、私がもてなすようにとチココ様から――」
「騎士団長チココの妻として命じるわ。今すぐ自室に戻って休みなさい。医療班の手が空き次第、診察と点滴を受けること。これは命令よ」
私が有無を言わせぬ口調で言うと、ヴォルフガングは慌てたように頭を下げた。
「は、はい! 承知いたしました!」
彼がぺこぺこと頭を下げながら去っていくのを見送って、私はふと困った。案内してくれる人がいなくなってしまった。
会場はまだ騒然としていて、どの騎士も皆精一杯の様子。今更誰かに案内を頼むのも気が引ける。
お腹が鳴った。そういえば、朝から何も食べていない。
困っていると、クルーシブが得意げな顔でこちらに向かって、「俺が案内してやる」というようなハンドサインを送ってきた。
...他に頼る人もいないし、仕方ないわね。
「分かったわ。お願いします」
---
「ここの海鮮丼、美味しいのよ」
エリアナが嬉しそうに箸を動かしながら言った。
「前に来た時は、パールヴァティに散々パワハラされて、俺だけ安い物を食わされたり、『チョコクッキー』なんて蔑称で呼ばれたりしたが...まあ、ここの海鮮丼だけは良かった記憶に残ってる」
クルーシブが苦い表情で過去を振り返る。
パワハラまで横行していたのね。チココの部下管理にも問題がありそう。
三人で海鮮丼を頬張っていると、店のオーナーとメインシェフ、そして大量の海鮮料理を載せたカートがやってきた。
「これは都市連合の半植民地支配から街を救っていただいたお礼です! それに、インフラ整備、玄武討伐、何より...ヴォルフガング様を派遣していただいたお礼でもあります」
オーナーの男性が深々と頭を下げる。
「ヴォルフガング様は、この街の歴代指導者とは違って、汚職を一切なさらない方でした。そんな方は、この街では初めてです」
なるほど、それでチココが愚痴っていたのね。「少しぐらい贅沢を覚えろと言っても聞いてくれない」って。ヴォルフガングの喜びは、おそらくチココに存在を認められることだけなのだろう。
私たちは丁重にお礼を述べ、豪華な海鮮料理をいただいた。新鮮な魚介類が口の中で踊るような美味しさ。街の人々の感謝の気持ちが込められている。
食事をしながら、私は複雑な思いにとらわれていた。
チココの騎士団は確かにみんなの役に立っている。その強烈な光でアノマリーたちを焼き払い、民衆を災いから守っている。
でも、その分、闇も深いのだろう。
この街の人々は知らないが、前指導者のクーデターには騎士団が援助していた。汚職をしていた前指導者ボリスが拷問の末に殺された「事故」も、実は騎士団の人間による犯行だった。
光が強ければ強いほど、影も濃くなる。
私は騎士団長の妻として、光と闇の両方を理解し、制御していかなければならない。
---
三日後、私は再びヴォルフガングの自室を訪れた。
案の定、待機命令を解除するのを忘れていたため、彼は仕事が終わり次第、自室でじっと待機し続けていた。
「ムウナ様、お呼びでしょうか」
扉を開けた彼は、まだ少し疲れた様子だったが、三日前よりはずっと元気になっていた。
「体調はどう?」
「おかげさまで、完全に回復いたしました。チココ様の焼き菓子も、とても美味しくいただきました」
彼の表情が、チココの名前を口にした瞬間、パッと明るくなった。
「それは良かった。それで、今日来たのは別の用事よ」
私は部屋の中に入り、ドアを閉めた。
「最後に、これもチココからの命令よ。一日のうち二時間は、娯楽の時間を取りなさい。釣りでも、演劇でも、読書でも、酒や女遊びでもいい。とにかく、娯楽というものを覚えなさい。あなたはチココの右腕である前に、一人の人間なのよ」
ヴォルフガングは少し考え込むような表情を見せてから、きっぱりと答えた。
「ならば、娯楽の時間は趣味としてチココ様にお仕えし続けます。私は親を知りませんし、恋なんて必要ありません。私の親はチココ様で、愛する人もチココ様です。剣闘獣だった私を人として認めてくださったチココ様が、私の全てです」
...本人がいないところで、よくそんなことが言えるわね。
「あのね、チココはノーマル...いえ、ロリコンよ。そっちの趣味はないわ」
「そんなことは関係ありません。私が生涯愛するのは、チココ様ただ一人です」
きっぱりと言い切る彼に、私は少しイラッとした。
「妻の前でそんなこと言うのはやめてくれる!? 私と勝負なさい!」
「チココ様のご家族に剣を向けることなどできません」
ヴォルフガングは困ったような表情で首を振った。
「あ、ムウナ様は料理をお嗜みだと聞いております。料理で勝負しませんか? 来賓をもてなすためにと、チココ様が授けてくださった海鮮ラーメンのレシピがあります」
「なら、玄武の肉を使って勝負よ。解体も終わったところでしょう?」
「申し訳ございません。私はスカーデットハーミットクラブというアノマリーの料理しか教えていただいておりません」
「...それでいいから、二人分用意なさい」
---
三十分後、ヴォルフガングは全長数メートルはある巨大なヤドカリを二匹、軽々と担いで戻ってきた。
どちらも急所を強烈な一撃で破壊した跡が見える。瞬殺だったようだ。
「では、先に私から料理させていただきます」
ヴォルフガングは慣れた手つきで、巨大なヤドカリの身を豪快に取り出していく。まるで解体のプロのような手際だった。
身を取り出した後、ヤドカリの殻を大きな釜で茹でて、丁寧に洗浄していく。
「これがチココ様直伝の手法です」
次に、料理用と分かる綺麗に包装された鉄の棒を取り出し、殻を粉微塵になるまで砕き始めた。
ガンガンガンガン!
リズミカルな音が厨房に響く。力加減が絶妙で、殻は粉状になっても、その下の調理台は傷一つつかない。
粉になった殻を、昆布、貝、豚骨などと一緒に大きな鍋で煮込み始める。
鍋からは、海と陸の恵みが混ざり合った芳醇な香りが立ち上る。ぐつぐつと煮立つスープは次第に深い琥珀色に変わり、ヤドカリの殻から抽出された深紅の油が表面に美しい模様を描いていく。
「これで出汁の完成です。3時間以上煮込むことで、殻の旨味を余すことなく抽出できるんです」
次は麺打ちの工程。小麦粉に味噌、砕いた殻の粉、そしてヤドカリの身の一部を豪快に練り込んでいく。
「極太の縮れ麺。これがスカーデットハーミットクラブラーメンの特徴です」
手際よく麺を打つ間も、生地からはヤドカリの甘い香りがほのかに漂う。麺が殻の粉によってうっすらとオレンジ色に染まっていく様子は、まるで夕日に照らされた海のようだった。
大きな釜で麺を茹で上げると、湯気と共に磯の香りが厨房いっぱいに広がる。
チャーシューはヤドカリの身を厚切りにして、醤油、味噌、みりんをベースにした特製のタレに一晩漬け込んでから炙り焼きに。表面がパリッと焼けて香ばしい音を立て、切り口からは琥珀色に輝く肉汁がじわりと滲み出してくる。
仕上げに、青ネギ、もやし、味玉、海苔をトッピング。特に味玉は、ヤドカリの出汁で作った特製醤油ダレに漬け込んだもので、黄身はまるで夕日のように美しく輝いている。
最後に、特製の味噌ダレ、ネギ、もやし、メンマをトッピングして完成。
「どうぞ、お召し上がりください」
目の前に置かれたラーメンから立ち上る湯気が、濃厚な海の香りを運んでくる。深い琥珀色に輝くスープの表面には、ヤドカリの殻から抽出された深紅の油膜が美しい模様を描き、まるで芸術品のような見た目だった。
極太の縮れ麺は、濃縮出汁とミンチ肉のおかげでほのかにオレンジ色に染まり、その上に載った炙りチャーシューは表面がカリッと焼けて香ばしく、艶やかな肉汁が湯気と共に香りを放っている。
黄身が半熟の味玉、シャキシャキのもやし、香り高い青ネギ、そして磯の風味豊かな海苔が彩りよく配置され、一杯で海の恵みを全て詰め込んだような豪華絢爛な仕上がりだった。
一口すすると、まず殻の粉が生み出した深い海洋の旨味が舌を包み込む。続いて、ヤドカリの身の甘みが口いっぱいに広がり、最後に味噌の芳醇なコクが余韻として残る。
麺を噛むたびに、下味をつけて軽く火を通したヤドカリのミンチがプリプリとした食感で弾け、その瞬間に濃縮出汁の凝縮された旨味が口の中に広がる。一口で海の恵みを何層にも重ねたような、贅沢すぎる味わいだった。
通常の魚介系ラーメンとは次元の違う濃厚さ。ヤドカリの甘みと殻の深いコク、そして特製味噌の芳醇な風味が完璧に調和している。
熱々のスープをレンゲで飲むと、まるで深海の恵みを一気に体に取り込んだような、圧倒的な満足感に包まれた。スープ一口、麺一啜りごとに、新たな旨味の発見がある。
「美味しい...これは確かに、チココの技術ね」
正直に言うしかなかった。技術的に完璧で、味のバランスも申し分ない。
何より、一つの食材を余すことなく活用し尽くすという発想が素晴らしい。
「ありがとうございます。チココ様に教えていただいた技術です」
ヴォルフガングが嬉しそうに頭を下げる。
「ところで、ムウナ様も料理勝負をと仰っていましたが...今日はお休みになられますか?」
「ええ、こんな濃厚なラーメンの後に何を食べても正直な評価できないでしょ。ラーメンは美味しかったわよ」
私は率直に認めた。このレベルの料理を即座に作れる技術は、並大抵の努力では身につかない。
チココの料理を1品だけとはとはいえ、この完成度で作り上げたんだ。途方もない時間を費やしたんだろう。
「明日、私の料理を披露させてもらうわ。今度は死霊術師らしい、ちょっと変わったアプローチで挑戦してみる」
「楽しみにしております。ムウナ様の料理の実力、ぜひ拝見させていただきたく」
ヴォルフガングの目に、純粋な興味の光が宿った。
チココへの忠誠心とは別に、料理人としての探求心も持っているようだ。
...いや、チココが愛した女の手料理が食べたいだけかもしれない。
追悼演説の会場に立った時、私は改めて自分の小さな体を意識した。カーバンクルの体では、壇上に上がっても参列者たちの頭越しに見える程度。それでも、この街の人々は皆、静かに耳を傾けてくれていた。
「本日お集まりいただいた皆様、ありがとうございます」
マイクに向かって話し始めると、会場がしんと静まり返った。玄武討伐戦で亡くなった騎士団員たちへの追悼の言葉。定型文のような内容だが、一人一人の名前を読み上げる度に、どこかで誰かがすすり泣く声が聞こえる。
「...彼らの犠牲によって、この街に平和が戻りました。私たちは彼らの意志を継ぎ、より良い未来を築いていくことをここに誓います」
演説を続けながら、私は会場の最前列にいる一人の男性に目が留まった。
古い傷跡が無数に刻まれた黒い肌、鋭い狼の耳、そして今にも泣き崩れそうな表情で私の言葉に聞き入 っている。背筋をぴんと伸ばし、軍隊式の敬礼姿勢を保ったまま、大粒の涙を流していた。
間違いない。チココから聞いていた特徴と完全に合致する。あれがヴォルフガングね。
都市連合で剣闘士――いや、剣闘獣として扱われる非人道的な人生を送っていたところを、チココに救い出された男。以来、チココのためだけに働き続けている。定期的に休むよう命令しないと、文字通り倒れるまで働き続けるという、最下級のスケルトンですらもっと融通が利くレベルの働きぶりだと聞いている。
演説が終わると、私はすぐにヴォルフガングの元へ向かった。
「あなたがヴォルフガングね」
「は、はい! ムウナ様、お疲れさまでした」
慌てて立ち上がる彼の動作は軍人そのもの。でも、よく見ると顔色が悪い。目の下にはクマができ、立っているのもやっとという状態だった。
「今すぐ自分の部屋に戻って休息を取りなさい。それと、チココからの手土産よ」
私は懐から、チココ特製の焼き菓子の包みを取り出した。彼の好物だと聞いている。
「い、いえ! ムウナ様が来訪された時は、私がもてなすようにとチココ様から――」
「騎士団長チココの妻として命じるわ。今すぐ自室に戻って休みなさい。医療班の手が空き次第、診察と点滴を受けること。これは命令よ」
私が有無を言わせぬ口調で言うと、ヴォルフガングは慌てたように頭を下げた。
「は、はい! 承知いたしました!」
彼がぺこぺこと頭を下げながら去っていくのを見送って、私はふと困った。案内してくれる人がいなくなってしまった。
会場はまだ騒然としていて、どの騎士も皆精一杯の様子。今更誰かに案内を頼むのも気が引ける。
お腹が鳴った。そういえば、朝から何も食べていない。
困っていると、クルーシブが得意げな顔でこちらに向かって、「俺が案内してやる」というようなハンドサインを送ってきた。
...他に頼る人もいないし、仕方ないわね。
「分かったわ。お願いします」
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「ここの海鮮丼、美味しいのよ」
エリアナが嬉しそうに箸を動かしながら言った。
「前に来た時は、パールヴァティに散々パワハラされて、俺だけ安い物を食わされたり、『チョコクッキー』なんて蔑称で呼ばれたりしたが...まあ、ここの海鮮丼だけは良かった記憶に残ってる」
クルーシブが苦い表情で過去を振り返る。
パワハラまで横行していたのね。チココの部下管理にも問題がありそう。
三人で海鮮丼を頬張っていると、店のオーナーとメインシェフ、そして大量の海鮮料理を載せたカートがやってきた。
「これは都市連合の半植民地支配から街を救っていただいたお礼です! それに、インフラ整備、玄武討伐、何より...ヴォルフガング様を派遣していただいたお礼でもあります」
オーナーの男性が深々と頭を下げる。
「ヴォルフガング様は、この街の歴代指導者とは違って、汚職を一切なさらない方でした。そんな方は、この街では初めてです」
なるほど、それでチココが愚痴っていたのね。「少しぐらい贅沢を覚えろと言っても聞いてくれない」って。ヴォルフガングの喜びは、おそらくチココに存在を認められることだけなのだろう。
私たちは丁重にお礼を述べ、豪華な海鮮料理をいただいた。新鮮な魚介類が口の中で踊るような美味しさ。街の人々の感謝の気持ちが込められている。
食事をしながら、私は複雑な思いにとらわれていた。
チココの騎士団は確かにみんなの役に立っている。その強烈な光でアノマリーたちを焼き払い、民衆を災いから守っている。
でも、その分、闇も深いのだろう。
この街の人々は知らないが、前指導者のクーデターには騎士団が援助していた。汚職をしていた前指導者ボリスが拷問の末に殺された「事故」も、実は騎士団の人間による犯行だった。
光が強ければ強いほど、影も濃くなる。
私は騎士団長の妻として、光と闇の両方を理解し、制御していかなければならない。
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三日後、私は再びヴォルフガングの自室を訪れた。
案の定、待機命令を解除するのを忘れていたため、彼は仕事が終わり次第、自室でじっと待機し続けていた。
「ムウナ様、お呼びでしょうか」
扉を開けた彼は、まだ少し疲れた様子だったが、三日前よりはずっと元気になっていた。
「体調はどう?」
「おかげさまで、完全に回復いたしました。チココ様の焼き菓子も、とても美味しくいただきました」
彼の表情が、チココの名前を口にした瞬間、パッと明るくなった。
「それは良かった。それで、今日来たのは別の用事よ」
私は部屋の中に入り、ドアを閉めた。
「最後に、これもチココからの命令よ。一日のうち二時間は、娯楽の時間を取りなさい。釣りでも、演劇でも、読書でも、酒や女遊びでもいい。とにかく、娯楽というものを覚えなさい。あなたはチココの右腕である前に、一人の人間なのよ」
ヴォルフガングは少し考え込むような表情を見せてから、きっぱりと答えた。
「ならば、娯楽の時間は趣味としてチココ様にお仕えし続けます。私は親を知りませんし、恋なんて必要ありません。私の親はチココ様で、愛する人もチココ様です。剣闘獣だった私を人として認めてくださったチココ様が、私の全てです」
...本人がいないところで、よくそんなことが言えるわね。
「あのね、チココはノーマル...いえ、ロリコンよ。そっちの趣味はないわ」
「そんなことは関係ありません。私が生涯愛するのは、チココ様ただ一人です」
きっぱりと言い切る彼に、私は少しイラッとした。
「妻の前でそんなこと言うのはやめてくれる!? 私と勝負なさい!」
「チココ様のご家族に剣を向けることなどできません」
ヴォルフガングは困ったような表情で首を振った。
「あ、ムウナ様は料理をお嗜みだと聞いております。料理で勝負しませんか? 来賓をもてなすためにと、チココ様が授けてくださった海鮮ラーメンのレシピがあります」
「なら、玄武の肉を使って勝負よ。解体も終わったところでしょう?」
「申し訳ございません。私はスカーデットハーミットクラブというアノマリーの料理しか教えていただいておりません」
「...それでいいから、二人分用意なさい」
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三十分後、ヴォルフガングは全長数メートルはある巨大なヤドカリを二匹、軽々と担いで戻ってきた。
どちらも急所を強烈な一撃で破壊した跡が見える。瞬殺だったようだ。
「では、先に私から料理させていただきます」
ヴォルフガングは慣れた手つきで、巨大なヤドカリの身を豪快に取り出していく。まるで解体のプロのような手際だった。
身を取り出した後、ヤドカリの殻を大きな釜で茹でて、丁寧に洗浄していく。
「これがチココ様直伝の手法です」
次に、料理用と分かる綺麗に包装された鉄の棒を取り出し、殻を粉微塵になるまで砕き始めた。
ガンガンガンガン!
リズミカルな音が厨房に響く。力加減が絶妙で、殻は粉状になっても、その下の調理台は傷一つつかない。
粉になった殻を、昆布、貝、豚骨などと一緒に大きな鍋で煮込み始める。
鍋からは、海と陸の恵みが混ざり合った芳醇な香りが立ち上る。ぐつぐつと煮立つスープは次第に深い琥珀色に変わり、ヤドカリの殻から抽出された深紅の油が表面に美しい模様を描いていく。
「これで出汁の完成です。3時間以上煮込むことで、殻の旨味を余すことなく抽出できるんです」
次は麺打ちの工程。小麦粉に味噌、砕いた殻の粉、そしてヤドカリの身の一部を豪快に練り込んでいく。
「極太の縮れ麺。これがスカーデットハーミットクラブラーメンの特徴です」
手際よく麺を打つ間も、生地からはヤドカリの甘い香りがほのかに漂う。麺が殻の粉によってうっすらとオレンジ色に染まっていく様子は、まるで夕日に照らされた海のようだった。
大きな釜で麺を茹で上げると、湯気と共に磯の香りが厨房いっぱいに広がる。
チャーシューはヤドカリの身を厚切りにして、醤油、味噌、みりんをベースにした特製のタレに一晩漬け込んでから炙り焼きに。表面がパリッと焼けて香ばしい音を立て、切り口からは琥珀色に輝く肉汁がじわりと滲み出してくる。
仕上げに、青ネギ、もやし、味玉、海苔をトッピング。特に味玉は、ヤドカリの出汁で作った特製醤油ダレに漬け込んだもので、黄身はまるで夕日のように美しく輝いている。
最後に、特製の味噌ダレ、ネギ、もやし、メンマをトッピングして完成。
「どうぞ、お召し上がりください」
目の前に置かれたラーメンから立ち上る湯気が、濃厚な海の香りを運んでくる。深い琥珀色に輝くスープの表面には、ヤドカリの殻から抽出された深紅の油膜が美しい模様を描き、まるで芸術品のような見た目だった。
極太の縮れ麺は、濃縮出汁とミンチ肉のおかげでほのかにオレンジ色に染まり、その上に載った炙りチャーシューは表面がカリッと焼けて香ばしく、艶やかな肉汁が湯気と共に香りを放っている。
黄身が半熟の味玉、シャキシャキのもやし、香り高い青ネギ、そして磯の風味豊かな海苔が彩りよく配置され、一杯で海の恵みを全て詰め込んだような豪華絢爛な仕上がりだった。
一口すすると、まず殻の粉が生み出した深い海洋の旨味が舌を包み込む。続いて、ヤドカリの身の甘みが口いっぱいに広がり、最後に味噌の芳醇なコクが余韻として残る。
麺を噛むたびに、下味をつけて軽く火を通したヤドカリのミンチがプリプリとした食感で弾け、その瞬間に濃縮出汁の凝縮された旨味が口の中に広がる。一口で海の恵みを何層にも重ねたような、贅沢すぎる味わいだった。
通常の魚介系ラーメンとは次元の違う濃厚さ。ヤドカリの甘みと殻の深いコク、そして特製味噌の芳醇な風味が完璧に調和している。
熱々のスープをレンゲで飲むと、まるで深海の恵みを一気に体に取り込んだような、圧倒的な満足感に包まれた。スープ一口、麺一啜りごとに、新たな旨味の発見がある。
「美味しい...これは確かに、チココの技術ね」
正直に言うしかなかった。技術的に完璧で、味のバランスも申し分ない。
何より、一つの食材を余すことなく活用し尽くすという発想が素晴らしい。
「ありがとうございます。チココ様に教えていただいた技術です」
ヴォルフガングが嬉しそうに頭を下げる。
「ところで、ムウナ様も料理勝負をと仰っていましたが...今日はお休みになられますか?」
「ええ、こんな濃厚なラーメンの後に何を食べても正直な評価できないでしょ。ラーメンは美味しかったわよ」
私は率直に認めた。このレベルの料理を即座に作れる技術は、並大抵の努力では身につかない。
チココの料理を1品だけとはとはいえ、この完成度で作り上げたんだ。途方もない時間を費やしたんだろう。
「明日、私の料理を披露させてもらうわ。今度は死霊術師らしい、ちょっと変わったアプローチで挑戦してみる」
「楽しみにしております。ムウナ様の料理の実力、ぜひ拝見させていただきたく」
ヴォルフガングの目に、純粋な興味の光が宿った。
チココへの忠誠心とは別に、料理人としての探求心も持っているようだ。
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