20 / 23
反旗
しおりを挟む
リチャードは子供の頃のことを思い出していた。
「どうしたんだい? その顔の傷」
親代わりになってリチャードを育ててくれた初老の女性、オリヴィエが目を大きくして幼いリチャードの頬に付いた三本線の傷を撫でる。
「猫が川の中に取り残されてたんだ。助けたらなんでか引っ搔かれちゃって」
リチャードが事情を説明すると、オリヴィエは恩知らずな猫だねぇとひとしきり笑ってからこう言った。
「助けなきゃよかったと思うかい?」
リチャードは首を振った。
「ううん。あんまり痛くなかったし、見捨てるのやだったから」
そうかい、と目を細めてオリヴィエはリチャードの頭を撫で
「あんたは優しい子だね。私はそれがとっても誇らしいよ」
と嬉しそうに微笑むのだった。
埃が分厚く積もるほど昔の記憶をなぜ今思いだすのか。それはリチャードの意志が試される時が間近に迫っていることと関係があるだろう。
村の外の開けた草原に三十を超える人間が集められていた。全て村の住人だ。円になって不安そうに見つめる先にはケネス・オルブルームとリチャード、二人のメイドたち、そして木の杭に後ろ手に縛られたエルシーがいた。
風は弱く穏やかで、陽の光が暖かく照らす中、漂う空気は重苦しい。
「こうして集まってもらったのは他でもない」
鞘の装飾が鮮やかな長剣を腰に帯びたケネス・オルブルームは村人の気持ちなど意に介さず、高らかに声を上げる。
「私の可愛い同胞に傷を付けた輩を懲らしめ」
メイドのローラが懐から短剣を取り出し、エルシーに突きつけた。
「そしてその様を諸君らの目に焼き付けるためにこの場を設けた」
エルシーの両親が悲痛な表情になる。母親は目に涙を溜め、父親は口惜しさに拳を強く握っていた。兄のデリックは鋭く憎しみのこもった眼でケネスらを睨みつけている。その背にはなぜか大きな布袋を背負っていた。
ケネスは村の面々の反応をじっくりと眺めたあと、縛られたエルシーの様子を横目で見て言う。
「そうだなぁ。まずは足の指を一本ずつ切り落としてみようか」
恐ろしい提案にエルシーの顔が恐怖に引き攣る。靴を脱がせと命令され、ローラがエルシーの素足を露わにした。
「最初は小指からだ。やれ」
ケネスが言い、ローラがエルシーの足の小指にナイフの切っ先を添えたとき、たんっと一本の矢がローラの足元の地面に突き立った。
全員の視線が矢を放った一人の人物に集中する。その人間は集団から一歩進み出てぎりりと弓を引き絞った。
「デリック! やめて!」
エルシーが叫ぶ。
「いいや、やめないね!」
負けじと声を張り、デリックはケネスに矢の狙いを定める。デリックを制圧しようと前に出かけたメイドをケネスが手で抑え、薄く笑った。
「もう我慢の限界だ! どれだけ俺たちを傷付ければ気が済む!? 俺たちは家畜じゃない! 下僕でもない! 人間だぞ! お前たちの玩具じゃないんだ!」
歯をむき出して叫び、ここぞとばかりに怒りを発露させる。その矛先は村の人々にも向かった。
「あんたたちもあんたたちだ! これだけやられてどうして黙っていられる? そんなに仕返しされるのが怖いのか!?」
デリックと目があった村人たちは一様に目を伏せ、視線を逸らす。反論は出なかった。誰もがデリックが正しいと内心では思っているのだ。だが恐怖心を拭い去ることが出来ない。
「おれはやるぞ! あいつが死ねば俺たちも死ぬだって!? 望むところだ! このまま弄ばれ続けるくらいならあいつを道連れに地獄にだって落ちてやる!!」
今まで溜め込み続けた恨みつらみ、そしてプライドを込めた感情を決意に変えて、デリックは爛々と瞳を輝かせる。鬼気迫るその姿に感じるものがあったのか、しんと静まり返っていた集団の中から一つの声が上がった。
「俺も……」
デリックと同じくらいの若者が前に進み出る。
「俺だって嫌だ。やられっぱなしでいられるか!」
「ジャン……! ありがとう。その袋の中に武器が入ってる。使え!」
「よしきた!」
勇気ある若者はデリックが示した布袋から鉈を取り出してぶんぶんと素振りをした。すると、それに背を押されたのかぽつりぽつりと同じような決意を固めた村人が現れ始めた。
「そうだ! デリックの言う通りだ!」
「俺たちは玩具じゃない!」
「仲間を守るんだ!」
さざなみはやがて大きなうねりとなって木霊する。皆が興奮と敵意を持ってケネス達を見る中、リチャードは平静そのものといった様子のケネスの横顔を見ていた。
「リチャード殿、少々騒がしくなりますがその場を動かぬように。我々で対処します」
ケネスもメイド二人も、三十人以上の人間が襲いかかってこようというのに焦る様子が毛ほどもない。浮かべているのは嘲りに近い表情だ。それほど自分たちの力に自信があるのだろう。
「皆やめて! 殺されちゃう!」
エルシーが悲鳴に近い叫びを上げる。
「大丈夫だエルシー! いま助けてやる」
エルシーの父、アントニーが力強く言葉を返した。彼も斧を手に、娘のために戦う意思を固めたようだ。じりじりと包囲の輪が狭まっていく。
「行くぞォ!!」
デリックの雄叫びが引き金となり、村人たちは一斉に地面を蹴り上げた。
「どうしたんだい? その顔の傷」
親代わりになってリチャードを育ててくれた初老の女性、オリヴィエが目を大きくして幼いリチャードの頬に付いた三本線の傷を撫でる。
「猫が川の中に取り残されてたんだ。助けたらなんでか引っ搔かれちゃって」
リチャードが事情を説明すると、オリヴィエは恩知らずな猫だねぇとひとしきり笑ってからこう言った。
「助けなきゃよかったと思うかい?」
リチャードは首を振った。
「ううん。あんまり痛くなかったし、見捨てるのやだったから」
そうかい、と目を細めてオリヴィエはリチャードの頭を撫で
「あんたは優しい子だね。私はそれがとっても誇らしいよ」
と嬉しそうに微笑むのだった。
埃が分厚く積もるほど昔の記憶をなぜ今思いだすのか。それはリチャードの意志が試される時が間近に迫っていることと関係があるだろう。
村の外の開けた草原に三十を超える人間が集められていた。全て村の住人だ。円になって不安そうに見つめる先にはケネス・オルブルームとリチャード、二人のメイドたち、そして木の杭に後ろ手に縛られたエルシーがいた。
風は弱く穏やかで、陽の光が暖かく照らす中、漂う空気は重苦しい。
「こうして集まってもらったのは他でもない」
鞘の装飾が鮮やかな長剣を腰に帯びたケネス・オルブルームは村人の気持ちなど意に介さず、高らかに声を上げる。
「私の可愛い同胞に傷を付けた輩を懲らしめ」
メイドのローラが懐から短剣を取り出し、エルシーに突きつけた。
「そしてその様を諸君らの目に焼き付けるためにこの場を設けた」
エルシーの両親が悲痛な表情になる。母親は目に涙を溜め、父親は口惜しさに拳を強く握っていた。兄のデリックは鋭く憎しみのこもった眼でケネスらを睨みつけている。その背にはなぜか大きな布袋を背負っていた。
ケネスは村の面々の反応をじっくりと眺めたあと、縛られたエルシーの様子を横目で見て言う。
「そうだなぁ。まずは足の指を一本ずつ切り落としてみようか」
恐ろしい提案にエルシーの顔が恐怖に引き攣る。靴を脱がせと命令され、ローラがエルシーの素足を露わにした。
「最初は小指からだ。やれ」
ケネスが言い、ローラがエルシーの足の小指にナイフの切っ先を添えたとき、たんっと一本の矢がローラの足元の地面に突き立った。
全員の視線が矢を放った一人の人物に集中する。その人間は集団から一歩進み出てぎりりと弓を引き絞った。
「デリック! やめて!」
エルシーが叫ぶ。
「いいや、やめないね!」
負けじと声を張り、デリックはケネスに矢の狙いを定める。デリックを制圧しようと前に出かけたメイドをケネスが手で抑え、薄く笑った。
「もう我慢の限界だ! どれだけ俺たちを傷付ければ気が済む!? 俺たちは家畜じゃない! 下僕でもない! 人間だぞ! お前たちの玩具じゃないんだ!」
歯をむき出して叫び、ここぞとばかりに怒りを発露させる。その矛先は村の人々にも向かった。
「あんたたちもあんたたちだ! これだけやられてどうして黙っていられる? そんなに仕返しされるのが怖いのか!?」
デリックと目があった村人たちは一様に目を伏せ、視線を逸らす。反論は出なかった。誰もがデリックが正しいと内心では思っているのだ。だが恐怖心を拭い去ることが出来ない。
「おれはやるぞ! あいつが死ねば俺たちも死ぬだって!? 望むところだ! このまま弄ばれ続けるくらいならあいつを道連れに地獄にだって落ちてやる!!」
今まで溜め込み続けた恨みつらみ、そしてプライドを込めた感情を決意に変えて、デリックは爛々と瞳を輝かせる。鬼気迫るその姿に感じるものがあったのか、しんと静まり返っていた集団の中から一つの声が上がった。
「俺も……」
デリックと同じくらいの若者が前に進み出る。
「俺だって嫌だ。やられっぱなしでいられるか!」
「ジャン……! ありがとう。その袋の中に武器が入ってる。使え!」
「よしきた!」
勇気ある若者はデリックが示した布袋から鉈を取り出してぶんぶんと素振りをした。すると、それに背を押されたのかぽつりぽつりと同じような決意を固めた村人が現れ始めた。
「そうだ! デリックの言う通りだ!」
「俺たちは玩具じゃない!」
「仲間を守るんだ!」
さざなみはやがて大きなうねりとなって木霊する。皆が興奮と敵意を持ってケネス達を見る中、リチャードは平静そのものといった様子のケネスの横顔を見ていた。
「リチャード殿、少々騒がしくなりますがその場を動かぬように。我々で対処します」
ケネスもメイド二人も、三十人以上の人間が襲いかかってこようというのに焦る様子が毛ほどもない。浮かべているのは嘲りに近い表情だ。それほど自分たちの力に自信があるのだろう。
「皆やめて! 殺されちゃう!」
エルシーが悲鳴に近い叫びを上げる。
「大丈夫だエルシー! いま助けてやる」
エルシーの父、アントニーが力強く言葉を返した。彼も斧を手に、娘のために戦う意思を固めたようだ。じりじりと包囲の輪が狭まっていく。
「行くぞォ!!」
デリックの雄叫びが引き金となり、村人たちは一斉に地面を蹴り上げた。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
断罪まであと5秒、今すぐ逆転始めます
山河 枝
ファンタジー
聖女が魔物と戦う乙女ゲーム。その聖女につかみかかったせいで処刑される令嬢アナベルに、転生してしまった。
でも私は知っている。実は、アナベルこそが本物の聖女。
それを証明すれば断罪回避できるはず。
幸い、処刑人が味方になりそうだし。モフモフ精霊たちも慕ってくれる。
チート魔法で魔物たちを一掃して、本物アピールしないと。
処刑5秒前だから、今すぐに!
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
処刑された勇者は二度目の人生で復讐を選ぶ
シロタカズキ
ファンタジー
──勇者は、すべてを裏切られ、処刑された。
だが、彼の魂は復讐の炎と共に蘇る──。
かつて魔王を討ち、人類を救った勇者 レオン・アルヴァレス。
だが、彼を待っていたのは称賛ではなく、 王族・貴族・元仲間たちによる裏切りと処刑だった。
「力が強すぎる」という理由で異端者として断罪され、広場で公開処刑されるレオン。
国民は歓喜し、王は満足げに笑い、かつての仲間たちは目を背ける。
そして、勇者は 死んだ。
──はずだった。
十年後。
王国は繁栄の影で腐敗し、裏切り者たちは安穏とした日々を送っていた。
しかし、そんな彼らの前に死んだはずの勇者が現れる。
「よくもまあ、のうのうと生きていられたものだな」
これは、英雄ではなくなった男の復讐譚。
彼を裏切った王族、貴族、そしてかつての仲間たちを絶望の淵に叩き落とすための第二の人生が、いま始まる──。
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる