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反旗
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リチャードは子供の頃のことを思い出していた。
「どうしたんだい? その顔の傷」
親代わりになってリチャードを育ててくれた初老の女性、オリヴィエが目を大きくして幼いリチャードの頬に付いた三本線の傷を撫でる。
「猫が川の中に取り残されてたんだ。助けたらなんでか引っ搔かれちゃって」
リチャードが事情を説明すると、オリヴィエは恩知らずな猫だねぇとひとしきり笑ってからこう言った。
「助けなきゃよかったと思うかい?」
リチャードは首を振った。
「ううん。あんまり痛くなかったし、見捨てるのやだったから」
そうかい、と目を細めてオリヴィエはリチャードの頭を撫で
「あんたは優しい子だね。私はそれがとっても誇らしいよ」
と嬉しそうに微笑むのだった。
埃が分厚く積もるほど昔の記憶をなぜ今思いだすのか。それはリチャードの意志が試される時が間近に迫っていることと関係があるだろう。
村の外の開けた草原に三十を超える人間が集められていた。全て村の住人だ。円になって不安そうに見つめる先にはケネス・オルブルームとリチャード、二人のメイドたち、そして木の杭に後ろ手に縛られたエルシーがいた。
風は弱く穏やかで、陽の光が暖かく照らす中、漂う空気は重苦しい。
「こうして集まってもらったのは他でもない」
鞘の装飾が鮮やかな長剣を腰に帯びたケネス・オルブルームは村人の気持ちなど意に介さず、高らかに声を上げる。
「私の可愛い同胞に傷を付けた輩を懲らしめ」
メイドのローラが懐から短剣を取り出し、エルシーに突きつけた。
「そしてその様を諸君らの目に焼き付けるためにこの場を設けた」
エルシーの両親が悲痛な表情になる。母親は目に涙を溜め、父親は口惜しさに拳を強く握っていた。兄のデリックは鋭く憎しみのこもった眼でケネスらを睨みつけている。その背にはなぜか大きな布袋を背負っていた。
ケネスは村の面々の反応をじっくりと眺めたあと、縛られたエルシーの様子を横目で見て言う。
「そうだなぁ。まずは足の指を一本ずつ切り落としてみようか」
恐ろしい提案にエルシーの顔が恐怖に引き攣る。靴を脱がせと命令され、ローラがエルシーの素足を露わにした。
「最初は小指からだ。やれ」
ケネスが言い、ローラがエルシーの足の小指にナイフの切っ先を添えたとき、たんっと一本の矢がローラの足元の地面に突き立った。
全員の視線が矢を放った一人の人物に集中する。その人間は集団から一歩進み出てぎりりと弓を引き絞った。
「デリック! やめて!」
エルシーが叫ぶ。
「いいや、やめないね!」
負けじと声を張り、デリックはケネスに矢の狙いを定める。デリックを制圧しようと前に出かけたメイドをケネスが手で抑え、薄く笑った。
「もう我慢の限界だ! どれだけ俺たちを傷付ければ気が済む!? 俺たちは家畜じゃない! 下僕でもない! 人間だぞ! お前たちの玩具じゃないんだ!」
歯をむき出して叫び、ここぞとばかりに怒りを発露させる。その矛先は村の人々にも向かった。
「あんたたちもあんたたちだ! これだけやられてどうして黙っていられる? そんなに仕返しされるのが怖いのか!?」
デリックと目があった村人たちは一様に目を伏せ、視線を逸らす。反論は出なかった。誰もがデリックが正しいと内心では思っているのだ。だが恐怖心を拭い去ることが出来ない。
「おれはやるぞ! あいつが死ねば俺たちも死ぬだって!? 望むところだ! このまま弄ばれ続けるくらいならあいつを道連れに地獄にだって落ちてやる!!」
今まで溜め込み続けた恨みつらみ、そしてプライドを込めた感情を決意に変えて、デリックは爛々と瞳を輝かせる。鬼気迫るその姿に感じるものがあったのか、しんと静まり返っていた集団の中から一つの声が上がった。
「俺も……」
デリックと同じくらいの若者が前に進み出る。
「俺だって嫌だ。やられっぱなしでいられるか!」
「ジャン……! ありがとう。その袋の中に武器が入ってる。使え!」
「よしきた!」
勇気ある若者はデリックが示した布袋から鉈を取り出してぶんぶんと素振りをした。すると、それに背を押されたのかぽつりぽつりと同じような決意を固めた村人が現れ始めた。
「そうだ! デリックの言う通りだ!」
「俺たちは玩具じゃない!」
「仲間を守るんだ!」
さざなみはやがて大きなうねりとなって木霊する。皆が興奮と敵意を持ってケネス達を見る中、リチャードは平静そのものといった様子のケネスの横顔を見ていた。
「リチャード殿、少々騒がしくなりますがその場を動かぬように。我々で対処します」
ケネスもメイド二人も、三十人以上の人間が襲いかかってこようというのに焦る様子が毛ほどもない。浮かべているのは嘲りに近い表情だ。それほど自分たちの力に自信があるのだろう。
「皆やめて! 殺されちゃう!」
エルシーが悲鳴に近い叫びを上げる。
「大丈夫だエルシー! いま助けてやる」
エルシーの父、アントニーが力強く言葉を返した。彼も斧を手に、娘のために戦う意思を固めたようだ。じりじりと包囲の輪が狭まっていく。
「行くぞォ!!」
デリックの雄叫びが引き金となり、村人たちは一斉に地面を蹴り上げた。
「どうしたんだい? その顔の傷」
親代わりになってリチャードを育ててくれた初老の女性、オリヴィエが目を大きくして幼いリチャードの頬に付いた三本線の傷を撫でる。
「猫が川の中に取り残されてたんだ。助けたらなんでか引っ搔かれちゃって」
リチャードが事情を説明すると、オリヴィエは恩知らずな猫だねぇとひとしきり笑ってからこう言った。
「助けなきゃよかったと思うかい?」
リチャードは首を振った。
「ううん。あんまり痛くなかったし、見捨てるのやだったから」
そうかい、と目を細めてオリヴィエはリチャードの頭を撫で
「あんたは優しい子だね。私はそれがとっても誇らしいよ」
と嬉しそうに微笑むのだった。
埃が分厚く積もるほど昔の記憶をなぜ今思いだすのか。それはリチャードの意志が試される時が間近に迫っていることと関係があるだろう。
村の外の開けた草原に三十を超える人間が集められていた。全て村の住人だ。円になって不安そうに見つめる先にはケネス・オルブルームとリチャード、二人のメイドたち、そして木の杭に後ろ手に縛られたエルシーがいた。
風は弱く穏やかで、陽の光が暖かく照らす中、漂う空気は重苦しい。
「こうして集まってもらったのは他でもない」
鞘の装飾が鮮やかな長剣を腰に帯びたケネス・オルブルームは村人の気持ちなど意に介さず、高らかに声を上げる。
「私の可愛い同胞に傷を付けた輩を懲らしめ」
メイドのローラが懐から短剣を取り出し、エルシーに突きつけた。
「そしてその様を諸君らの目に焼き付けるためにこの場を設けた」
エルシーの両親が悲痛な表情になる。母親は目に涙を溜め、父親は口惜しさに拳を強く握っていた。兄のデリックは鋭く憎しみのこもった眼でケネスらを睨みつけている。その背にはなぜか大きな布袋を背負っていた。
ケネスは村の面々の反応をじっくりと眺めたあと、縛られたエルシーの様子を横目で見て言う。
「そうだなぁ。まずは足の指を一本ずつ切り落としてみようか」
恐ろしい提案にエルシーの顔が恐怖に引き攣る。靴を脱がせと命令され、ローラがエルシーの素足を露わにした。
「最初は小指からだ。やれ」
ケネスが言い、ローラがエルシーの足の小指にナイフの切っ先を添えたとき、たんっと一本の矢がローラの足元の地面に突き立った。
全員の視線が矢を放った一人の人物に集中する。その人間は集団から一歩進み出てぎりりと弓を引き絞った。
「デリック! やめて!」
エルシーが叫ぶ。
「いいや、やめないね!」
負けじと声を張り、デリックはケネスに矢の狙いを定める。デリックを制圧しようと前に出かけたメイドをケネスが手で抑え、薄く笑った。
「もう我慢の限界だ! どれだけ俺たちを傷付ければ気が済む!? 俺たちは家畜じゃない! 下僕でもない! 人間だぞ! お前たちの玩具じゃないんだ!」
歯をむき出して叫び、ここぞとばかりに怒りを発露させる。その矛先は村の人々にも向かった。
「あんたたちもあんたたちだ! これだけやられてどうして黙っていられる? そんなに仕返しされるのが怖いのか!?」
デリックと目があった村人たちは一様に目を伏せ、視線を逸らす。反論は出なかった。誰もがデリックが正しいと内心では思っているのだ。だが恐怖心を拭い去ることが出来ない。
「おれはやるぞ! あいつが死ねば俺たちも死ぬだって!? 望むところだ! このまま弄ばれ続けるくらいならあいつを道連れに地獄にだって落ちてやる!!」
今まで溜め込み続けた恨みつらみ、そしてプライドを込めた感情を決意に変えて、デリックは爛々と瞳を輝かせる。鬼気迫るその姿に感じるものがあったのか、しんと静まり返っていた集団の中から一つの声が上がった。
「俺も……」
デリックと同じくらいの若者が前に進み出る。
「俺だって嫌だ。やられっぱなしでいられるか!」
「ジャン……! ありがとう。その袋の中に武器が入ってる。使え!」
「よしきた!」
勇気ある若者はデリックが示した布袋から鉈を取り出してぶんぶんと素振りをした。すると、それに背を押されたのかぽつりぽつりと同じような決意を固めた村人が現れ始めた。
「そうだ! デリックの言う通りだ!」
「俺たちは玩具じゃない!」
「仲間を守るんだ!」
さざなみはやがて大きなうねりとなって木霊する。皆が興奮と敵意を持ってケネス達を見る中、リチャードは平静そのものといった様子のケネスの横顔を見ていた。
「リチャード殿、少々騒がしくなりますがその場を動かぬように。我々で対処します」
ケネスもメイド二人も、三十人以上の人間が襲いかかってこようというのに焦る様子が毛ほどもない。浮かべているのは嘲りに近い表情だ。それほど自分たちの力に自信があるのだろう。
「皆やめて! 殺されちゃう!」
エルシーが悲鳴に近い叫びを上げる。
「大丈夫だエルシー! いま助けてやる」
エルシーの父、アントニーが力強く言葉を返した。彼も斧を手に、娘のために戦う意思を固めたようだ。じりじりと包囲の輪が狭まっていく。
「行くぞォ!!」
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