橙色のごみ袋

えんげる

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橙色のごみ袋

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バルコニーの外には水平線の彼方まで碧海が広がっていた。
「わあっ!きれーい……」
それきり私は言葉をなくし、しばし目を奪われる。

この観光地は、私が以前旅行サイトで見つけて以来、行ってみたかった所だ。
車で2時間の距離、海が一望できる宿泊施設が沢山あり、地域特有の観光名所もいくつか巡回出来る。
泊まる旅館は評価の高いマッサージ店付きのところにした。
疲労に効く温泉と、その後の地方の特産物を盛り込んだ和風料理も楽しみだ。
つい最近まで仕事に追われ、朝から晩まで休まらない日々が続いていた。
休暇を取ることができた今、全身が解放感に満ち溢れていた。

早速荷物から要る物だけを取り出し、夕食の時間まで散策に行くことにした。
あらかじめ貰っていた観光客向けの地図をワクワクしながら広げた。
ーーーー土産物屋は最後に回すとして、まず行ってみたいところは寒天の専門店、そして次に海を観に行こうか。
他の名所を地図上で探していると、とある神社が目についた。
この地特有の神様である「肉桂様」を祀っている神社らしい。
肉桂はシナモンの原料になる木で、温暖なこの地域でも栽培がおこなわれている。
魚介類に次ぐこの地域の特産物だ。
神社は明日行ってみようかと、私は考えた。

寒天の店に行く途中、横道に家庭ごみの集積所が見えた。
丁度収集車の職員が扉を開け、ごみを回収する所のようだが、私がおや、と思ったのには理由があった。
ゴミ袋の色が全て夕日の如き橙色なのだ。
ゴミ袋の色は地域の決まりによって異なるが、橙色のゴミ袋を採用しているところは聞いたことがなかった。
最も緑や青の袋を採用している地域もあるので、それぞれと言ってしまえばそれまでなのだが、一度目撃した奇異な光景を、私はなかなか忘れる事が出来なかった。

その日の夕方、食事を部屋へ届けに来た仲居さんに、ゴミ袋のことについて尋ねてみた。
仲居さんは手際よく机の上に皿を並べながら言った。
「ええ、そうなんですよ。よくお気付きになられましたね。全国的に見ても珍しいものらしいですね。業務用のゴミ袋だとああいう色もよくあるみたいなんですが」
「何か理由ってあるんですか?」
仲居さんは考える表情をして、
「これといった理由は聞いたことがないですね…。昔からそうなんですよ。特に改めようって動きもなかったんで、今まで家庭のゴミ袋もあの変わった色のままなんです」
「へえ…」
地元の人間も知らないゴミ袋の色の理由。
帰ってから同僚との話のネタに出来そうだ、と私は考えた。

次の日、観光マップに載っていたあの「肉桂様」を祀っている神社へ行ってみた。
マップの説明の通り、神社の境内には青々とした肉桂が何本か植えられていた。
肉桂のつやつやとした葉の間には黒い小さな実がぽつぽつと生っている。
肉桂の写真を何枚か撮り、「肉桂様」について記された立て札を読んで、それも写真に撮った。
一言で言うと、この町の特産物として経済を活性化させ、更に町民達を体調不全から守ってくれる守り神ということらしい。
お土産は蒲鉾か寒天か缶詰かと迷っていたが、寒天で決まりそうだ。

折角なのでここでも何か買っていこうかと、私は拝殿の横の御守りを授けてくれる売り場に目を向けた。
様々な種類のお守りや大小のお札、鈴などを眺めていると、それらの横に小さな本が置かれているのが目についた。
表紙に粗い輪郭と柔らかい色彩で色付けされた樹木が描かれているその本は、どうやら絵本らしい。
表題は『にっけいさまものがたり』とあった。
地元の人間が監修して製作したものだろうか。
下に貼られている値札には、金額と共に『ご自由に中をご覧下さい』と書いてある。
私は手に取って始めの方のページをめくってみた。


 海は町のひとびとにたくさんのものをさずけてくれました。
 しかしどうじに、海からはとてもおそろしいものがやってきたのです。

 おそろしいものはもやもやときりのようなすがたをしていました。
 海の町にいる人をつぎつぎとつつみこみ、重い病をもたらしたのです。
 おそろしいものでつつまれたひとびとは、きのうまでげんきに漁をしていたわかものでも、そとでにぎやかにあそんでいたこどもでも、みんなたおれてうごけなくなっていきました。
 そのまま治らずに死んでしまうひともいました。

 おそろしいものは、町の人から「やくしん」や「えきしん」とよばれました。

 あるとき、ひとりの男がたちあがりました。
 このままやくしんにおびえつづけるわけにはいかない。
 町のみんなが安心してくらせるよう、なんとかおいはらってみせよう。

 男はみんなによびかけ、いろんな方法をためしました。
 やくしんはひるみましたが、おいはらうことはできませんでした。

 やくしんとのたたかいがなん月もつづきました。
 やくしんが男にびょうきをもたらそうとすると、男は今までの方法でていこうします。
 男だけにかかっていては、その間ほかの人間をびょうきにできません。
 やくしんにとって男はとても目ざわりなそんざいになっていきました。


この本に出てくる町は今いるこの町を指しているのだろうか。
年代的にいつの話なのかはっきりしないが、絵から察するにテレビの時代劇に出てくる頃のようだ。
本の中の絵は相変わらず太めの線で大きく人や建物が描かれている。


 ある日、ついに男はやくしんをふうじ込める方法を見つけました。
 それは海に出てりょうをしないことです。
 魚を海から出すと、やくしんがやってくることをつき止めたのです。

 男はりょう以外の方法で生活をしていこうとよびかけました。
 しかし町の人々はよろこびませんでした。
 魚をとる以外に生きるほうほうを知らない人々は、とても不安がりました。
 ある者はやくしんにおそわれる以前のもんだいだ、と怒りました。

 男と意見が合わなくなった人々は、おぞましい行動に出ました。
 やくしんのきげんを取るのに利用するため、男をころしてしまったのです。
 ころした体をきざんで、布ぶくろに分けてつめ、海からよく見える場所におきました。


布袋の描かれたページを見て、私はあっと思った。
遺体の入った布袋が、見たことのある橙に塗られていたのだ。
この町でゴミを出すときに使われているややくすんだ橙色と、正に同じ色だった。


 男の体が入った布ぶくろのにおいをかいで、やくしんは大変まんぞくしました。
 自分にたてつく目ざわりな人間がいなくなったことに。
 そこでやくしんは、町の人々とやくそくをしました。
 この布ぶくろとそっくりなものを家の前におけば、びょうきをもたらすのをかんべんしてやると。
 今まで通りりょうを続けたい町の人々は、みんな家のごみをちの色のふくろに入れて、家の前においておきました。
 しばらくは町に平和な日々がおとずれました。
 これは町のためにやくしんとたたかった男をないがしろにすることでした。

 時がながれて、町の人々の中から少しずつ考えをかえるものがあらわれました。
 漁業にかわるさんぎょうとして、にっけいの木を育てるようになったのです。
 にっけいは古くからりょうりのスパイスややくすりとして利用されている木で、日本にも栽培用の木が入ってきていました。
 にっけいはしだいに町の間で広がり、この町のめいさんひんの一つになりました。
 みんなのきぼうと後ろめたさをせおったこの木は『にっけいさま』として、町の人々からしたわれているのです。


「あの、ちょっと!」
突然声を掛けられて、私ははっと顔を上げた。
神社の巫女さんが怖い顔をして、私を下から覗き込んでいる。
巫女さんは私の顔と私の持っている絵本とを交互に見た。
「…この本、いつから置いてありました?」
巫女さんに聞かれて、私は困り果てた。
「えっ?…さっき私が来た時には。…読んでもいいって書いてあったんですけど、いけなかったですか?」
「いえ、大丈夫です。申し訳ございません」
私は少々嫌な気分になって、本を元に戻すとその場を去った。
背後で巫女さんが別の神社の人と何か話していたようだが、よく聞こえなかった。

その夜旅館で温泉に浸かりながら、私は思った。
――――今日読んだ話は何だったんだろう?
神社の立て札にも観光のパンフレットにも、あんな話は書かれていなかった。
巫女さんの反応から神社が置いた本ではない感じだったが、誰があの本を売り場に置いたのだろうか。
しかし絵本に出てきた布袋とこの町の指定ゴミ袋の色はよく似ていた。
この町のゴミ袋が橙色になった理由として、あの絵本の出来事を思い浮かべる。
…馬鹿馬鹿しい。
「やくしん」だか何だか知らないが、所詮絵本の中の存在だ。
ゴミ袋があの色になったのだって、少なくともそういう非科学的な原因ではないはずだ。
色々気になることがあった気がするが、温泉の気持ちよさに、その時は全て頭から消えていった。

次の日私は旅館をチェックアウトして、予定通り土産物屋で寒天を数本購入していった。
料理も美味かったし、温泉も入浴後のマッサージ店も最高だった。
やはり旅行は良いものだ。
私がほくほくと土産物屋を出て車に向かっていくと、遠方に海が見えた。
相変わらず水平線のところは霞んで境目が良く見えない。
こちらの方は晴れ渡っているのに、海の上空は天気が悪いのか、灰色が広く滲んだように見える。
じっと見ていると、向こうから此方を見つめ返しているように思えてきて、背筋が薄ら寒くなってくる。
私は街並みの間で活き活きと葉を輝かせる肉桂を見渡した。
いつかこの町から橙色のゴミ袋が消える日を祈りつつ、帰途に着くべく私は車に乗り込んだ。


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