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後編

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その夜交番には二人の巡査が詰めていた。
机上の書類にペンを走らせているとふいに電話が鳴った。
一人の巡査が電話に出たが、電話の向こうの相手は沈黙している。
「もしもし、どうしました? 大丈夫ですか?」
『………あの、すぐに来て……』
男の子の声が返ってきた。
何かに警戒しているのか、明らかに声を潜めている。
「僕、小学生かな? 今いるところは何処か分かる?」
『……たまちゃん…新町環季しんまちたまきの家です、○○小1年の。……えっと、住所は……分からないです……今、男の人に追いかけられていて……』
男の子の声の合間に、大人の男性の声が小さく聞こえる。
「しんまちたまき……と。直ぐに調べて行くから、その男の人が何か持っているか……」
巡査が呼びかけた直後、電話の向こうで男性の声が一際大きく聞こえた。
『おーい! 悪い子は一番先にお供え物だぞ。いつまで隠れてるんだ!』
恫喝するような声と共に大きな物を動かす音が電話口から聞こえる。
『ひっ……!』
男の子は涙声になりながら必死に訴えた。
『包丁を持ってました、…目が真っ黒で……早く来てください………!』



"ハロウィンの夜に起きたLSDの違法摂取パーティー"

"狂気の父親による児童殺人未遂"

地方の住宅街で発生した事件はしばらくメディアを賑わせることになった。
犯人は小1児童の父親で、普段から隠れて薬物を常用していたという。
この父親は薬物にのめりこむ中、LSDを用いて儀式を行い、『死者を蘇らせる』妄想に取り憑かれていたことが取り調べで判明した。
人形劇を見せると言って自宅に呼び込んだ児童達と保護者にLSDを摂取させ、”生贄”として死者の魂を呼び寄せようとしていたのだ。
死者とは以前亡くした自身の妻のことだ。
そもそも薬物を摂取するきっかけになったのは、自身の妻を亡くした悲しみから中々立ち直れなかったことだった。


事件現場の周囲で行われる報道や、連日テレビやネットで伝えられるニュースの数々は、被害者の児童達に嫌でも事件の真相を突きつけることになった。


「検査の結果は異常なしです。後遺症などの心配はありませんよ」
医師は神菜かんなと母親に言った。
「もういつもの生活に戻れるよ。知衣ちえちゃんも元気で良かったね」
神菜と知衣を診察している医師が神菜に向かって言うと、神菜は戸惑いながらも笑った。
神菜が心から笑えないのは、環季に会えないからだ。
母親によるとお祖父ちゃんの家に引き取られたらしく、病院などもそちらの方で通っている。
駐車場の車に向かいながら、母親が神菜に言った。
隆光りゅうこう君にお礼のチョコケーキを持って行ったら、大喜びしてたわよ。事件のこと引き摺らないといいけどね」


隆光は事件当日、2階の押入れに隠れているところを保護された。
隆光がLSD入りのジュースを飲まなかったのは全くの偶然だった。
ステージの真ん前に座った隆光には、薄暗い部屋の背後に置かれたジュースがよく見えず、お菓子を食べる方に夢中だった。
幻覚が酷くなった知衣の母親に助けを呼ぶよう頼まれ、家の外に出ようとしたが、扉に細工がされており開かない。
環季の父親に気付かれて家中を逃げ回り、どうにか知衣の母親のスマホで110番することが出来た。
「……お菓子のおかげで助かったんなら、これからもお菓子食べる言い訳になるよね。それで食べてるうちに忘れないかな」
「そんなに単純な事じゃないわよ。でもママも元気だしてもらいたいから、また美味しいのを探して贈ってみましょうね」
母親が困ったように笑った。


神菜達が診察室を出て行った後、医師がある書類を眺めていた。
神菜が見た幻覚の内容を記した書類だ。
神菜の幻覚のうち、医師が奇妙に思った箇所があった。
(特徴まで知衣ちゃんの内容と一致している。この”黒い女の人”の……)


ママ、きっと心配してるよね。

今回のことがきっかけで私が薬物にはまらないかって。

大丈夫だよ。

だって怖いもん。

お医者さんには言えなかったけど、あれだけは幻覚じゃなかった。

たまちゃんのパパ、たまちゃんのママを呼び出すつもりで、別の悪いものを呼び寄せちゃったんだ。

今度あの黒い女の人に会ったら、包丁で追いかけられるより怖いことになる。

それが確実だって思えるくらい、あのお化けは恐ろしくて異様だった。

だから薬物の幻覚なんて見たくない。

本物のお化けはお菓子をあげても帰ってくれないだろうから。
    
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