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1.推しを思い出す

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「ヒナタちゃん。この方が一ノ瀬秋保さん。そして、この子が一ノ瀬凛太郎君よ。」
「…はじめまして。」
「おっ!凛太郎は少し緊張気味かぁ?ヒナタちゃん、初めまして。」


外の空気はキンと澄んでいる。頭が痛くなるほどに寒く、小さな粉雪もはらはらと降る今日この日に、私の頭上にはピシャァン!と雷が落ちたような衝撃が走った。
少し小洒落たイタリアンレストランの目の前。
いつもよりお化粧は濃く、髪の毛も巻いて。きれいな、フリルのない黒色のドレスを着て、おしゃれをした機嫌の良いママ。素敵なグレー色で、見るからに高そうなスーツを着た、シュッとしている格好いい、初めて会う男の人。

そんなことより、だ。

寒いからか少し鼻の頭もほっぺたも赤く染まっている目の前の美少年。
クリーム色のふわふわとした少し長めの猫っ毛に同じ色のバッサバサまつ毛、リボンに結んだクリーム色のマフラーに白いダッフルコートと言った可愛らしい出立ちの彼を見た瞬間に、私の人生は黄金のベルと共に始まりを告げた。

「…ヒナタちゃん?え、ちょ、ヒナタ!?」
「え!?ヒナタちゃん!?

ーー救急車!!救急に電話!!」

ばたん。と大きな音を立てて私はその場に倒れた。

幻想的な粉雪であったことが災いして、雪の積もっていないその冷たくなったアスファルトの地面はもちろん硬く痛い。倒れた瞬間に突然と、そして膨大に流れてきた記憶に頭が割れそうになる。
心配そうなママは慌てて私を抱き寄せた。
でもママ。それにどうやら新しいパパになる予定の人。聞いて欲しいの。

私はこの世で一番幸せな幼女です。

そこからの記憶は曖昧で、虚いゆく意識の中、私が倒れた原因である〝一ノ瀬凛太郎〟は、呆然とその場に立ち尽くしていた事しか覚えていない。


ーー推し、という単語をご存知だろうか。そう、推しである。

それ即ち偶像崇拝、それ即ち天使降臨、それ即ち、自分がATMとなること。
沢山の概念がある中で私にとって推しとは全てであった。
現実で付き合いたかったし現実で出会いたかったしなにより現実で結婚したかった相手だった。

〝アオハルッ*~王子様と私の365日~〟という学園系乙女ゲームの大ファンだった私は、高校3年間の青春全てをアオハルに捧げに捧げまくった。
バイトをしたお金は全てアオハルに注ぎ込んだし(何にそんなに使うか?ランダムグッズが出ればPowitterで譲渡を探しまくりお取引を円滑に行いコラボカフェが出ればお腹がちゃぽちゃぽになるまでランダムコースターのためにブルーハワイソーダを飲みまくった。誕生日には推しグッズを敷き詰めた自慢の祭壇も用意して盛大なバースデーパーティーを行ったものだ。ッフ。)

テスト前日の日曜日にイベントがあれば勿論そちらを優先した。(当時の母親にはアンタ馬鹿じゃないの!?と、怒鳴られたものだ。誇らしげに私は正気じゃい!と返したものである)

そんな私の推しは生涯変わる事なく、私は結婚することもなく、40代になって、30周年イベントの帰り道に階段から落ちて呆気なくその命は終わった。

…呆気なかったな。推ししかないじゃん。私。

そう思ったのを覚えている。

喋ることが元来苦手だった私は、小中高と友達にも彼氏にも恵まれなかった。
所謂私は内弁慶なのである。人見知りだったのである。
推しに出会ってからの休日はと言えば、どれだけやったかわからない365日をただひたすらに繰り返すだけ。
違う乙女ゲームにも、勿論手を出したが、どうしても彼にしか惹かれなかった。

『私なんか…どうせ彼氏なんて出来ないんだろうなあ』 

引っ込み思案な主人公のセリフだ。
このシーンは、確か一番好きだった…。

『なんか?』
『凛太郎くんは、すごいよね。自信があってなんでも出来ちゃう。私なんか…』
『…お前を好きでいてやるよ。』
『え?』
『好きでいて欲しいんなら努力をしろ。よくあるセリフだよな。
でも普通の人間は並外れた努力なんて出来ねえ。俺は、だから、自信を持つことにした。俺だけは自分自身を好きでいる事にした。
なにをやっている自分が好きなのかを見つめ直すことにした。
ー俺は、お前が人を褒めてるところが好きだよ。俺をそうやって褒めるところが好きだ。
自信なんて、そこから始めればいい。俺がお前の性格のうち、ひとつ、好きでいてやる。
だからお前も、せめて自分を好きでいてやれ。』

『まあ俺は努力も出来る天才人間だがな!!ハッハァ!!』

高らかに声優さんが笑い、キャラの立ち絵もニカっと太陽が輝くように笑っている。
目が、チカチカした。

このストーリーを作ってくれた会社にも感謝をした。

ーーだって、私は自分が大嫌いだったから。

生まれて初めて、肯定された気がしたんだ。


ーーなた

ーーーーヒナタっ

暗闇から声がする。やだなあ、まだ私はこのゲームをプレイしていたい。やだなあ。起きたらアオハルない世界じゃん。あ、リマスター版になった時に確か名前呼び機能実装されたっけ。あの時の感動はすごかったなあ。…

やっぱやだ。だって、凛太郎いない世界じゃん。どんなゲームショップに行ったって、世界中どこを探したって、私の全て、アオハルの名前がない世界じゃん。

あれ…凛太郎?

あれ?凛太郎が、確か、大天使になって、目の前に、現れたような気がする。


あれ??
この世界って、もしかして、


ぱちり。目を開けると、私はなぜか泣いていた。






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