【完結】みなしごは不器用な海の神から愛を知る

伊藤あまね

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*十二 無愛想のその奥に秘めたもの

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 海璃が竜宮に連れてこられてさらに数年が経ち、十七の年の頃を迎えた。痩せぎすで棒のようだった手足はすらりと伸び、背丈も五尺と少しの小柄ながら健やかに成長している。
 背丈だけでなく、肌はきめ細やかな真珠のようで、長く伸ばされてひとつに結われた黒髪は黒曜石のように美しい。ぱっちりと大きく愛らしい目許は闇のように深い色で、薄紅色の頬と赤い口許が一層海璃の見目の良さを際立たせていた。
 美しく健やかな青年に育ちつつある海璃であったが、相変わらず、夜は渡津海と共に寝台で寄り添って眠る日々だ。
 幼子が母親や気に入りの人形を抱き寄せるように、海璃は毎晩渡津海に抱き着いて眠る。頬を寄せ、その熱い胸元に顔をうずめるようにして。

『海璃、起きよ。朝だ』
「んう~……もうちょっとだけ……」
『ならぬ。今日は西の集落の視察に、海璃も行くのだろう? 蛸の相撲を見ると言うておったではないか』
「そうだった! 起きる!」

 渡津海の言葉に、眠りの中でまどろんでいた海璃が跳ね起きる。その髪は四方八方に跳ねており渡津海がそれを苦笑しながら撫でつけてくれる。海璃はそれを、目を細め受け止めて笑う。
 月に二~三度ある、周辺海底地域への視察に、この頃は海璃も同行する。時化による災害地域などでない、比較的安全で楽な行程であれば、海璃の知見を広げるために、と渡津海が連れて回るようになったのだ。
 そのお陰なのか、以前よりも周囲の者たちと打ち解けられるようになり、出先で多少の言葉を交わす機会も増えてきた。もとより人の子は珍しいので、過保護に内にこもらせるよりも、周囲に溶け込めるようになればと、渡津海が考えたのかもしれない。
 ムツに手伝ってもらいながらではあるが、以前よりも自分で着付けができることも増え、海璃は手際よく着替えていく。今日身に付けている着物も、渡津海が見立てたものだ。
 練色ねりいろの絹織物に、赤地に白の刺繍が入った帯を締められると、たちまちに美しい姿が出来上がる。

「ようくお似合いですよ、海璃様。ねえ、ご主人様」
『ああ、まあ、うむ』

 相変わらず渡津海は正面切って海璃の着物姿を誉めそやすことはなく。一瞥いちべつしたきり、ふいと目線を反らしてしまう。
 幼い時分は気にならなかったはずなのに、この頃海璃は渡津海のその態度が気になってしまう。

「ムツ、俺、ヘンじゃない? おかしくない?」
「そんなことありませんよ! とってもお綺麗です」
「んぅ……でも、渡津海、そっぽ向いてるし……」

 海璃がうつむき気味に言うと、ムツは慌てて首を横に振って取り繕うように声をかけてくる。

「大丈夫です、ご主人様は、海璃様がお綺麗で照れてらっしゃるだけで……」
『馬鹿を申すな。照れてなどおらぬ』

 ぶっきら棒な渡津海の言い様に、海璃はますますしょ気たようにうな垂れ、ムツが取り成すように間に入る。時折、クワっと渡津海を威嚇するような顔をしながら。
 寝台で眠る時はあんなに密着して、昔と変わりない様子なのに、出かける支度をしてこのように着飾ったりすると、途端に渡津海は普段以上に愛想がなくなってしまう。むすっとして、まるで怒っているかのような顔をするのだ。

「渡津海、本当は俺を連れて行くのいやなんじゃないかなぁ」

 渡津海が姿見の前で身支度を整えている間、すぐ傍に控えているムツにこっそりと海璃は呟く。
 ムツは海璃の言葉に目を丸くし、「まさか!」と、首を大きく横に振って否定してくる。

「だって、いつもお出かけの時に着替えると怒った顔なんだもの……本当は、行かないほうがいいんじゃない?」
「そんなことありませんよ! ご主人様は、ただ照れてらっしゃるだけですよ」
「そうかなぁ……」
「そうですとも。ご主人様がお嫌なら、海璃様を連れて行くなんて仰りませんもの」
「……んぅ、そうだよね」

 渡津海にはおべっかやお世辞が通用しないのだと、いつだったかムツから海璃は聞いたことがあるし、実際、渡津海に取り入ろうとするやからにはにべもない態度をとる。
 渡津海ほどの神ともなれば、取り入って、権力の美味しい部分をかすめ取ろうとする輩も少なくはなく、そのための訪問者も多い。今回の視察のように、来賓として行事に招かれることも少なくなく、それによりえにしを結ぼうとするのだろう。しかしそれはほとんどの場合功を奏しない。

「ですから、お出かけに海璃様をお連れすると言うのは、よっぽどのことなんですよ」
「よっぽど……?」

 それはどういう意味なのだろうと更に問おうとしたところで、『ムツ、懐紙はないか』と、声をかけられる。ムツと二人して海璃が振り返ると、何か言いたげにむすっとした顔をしてこちらを見ている渡津海の姿があった。
 ムツは顔をあげ、「はいはい、ただいまお持ちしますね」と、行李こうりを並べて広げる方へ駆けて行く。
 すると、残されていた海璃の方に渡津海が歩み寄り、傍らに膝をついて溜め息交じりに呟きながらあぐらをかく。

『まったく……あやつはよく働くが口が多くていかん……』

 あやつ、とは恐らくムツのことだろうが、彼が手も多ければ口も多いのは今に始まった事ではない。しかしそのお陰で、愛想もなく口数も少ない渡津海のつっけんどんな物言いに、幼い頃の海璃が不必要に怯えなくて済んでいたのだ。現に先程だって、落ち込みそうになっていた海璃をなだめて励ましてくれたのだから。

「ムツは、悪くないよ、渡津海」

 だからつい、ムツを庇うようなことを口にして、渡津海からの視線を向けられる。しかし、ムッと怒るような、というよりも、痛いところを思いがけない相手から疲れてバツが悪いと言うような顔をしている。
 海璃としては、怒られるだろうか、と内心ハラハラしてはいたが、それもやがて渡津海が一層近づいて来て、覗き込んできた表情のやわらかさから杞憂であることが知れた。
 渡津海は、ほんの時々、海璃と二人きりでいると、このようなやわらかでやさしい笑みを向けてくる。幼い頃から時折見せるひっそりとした笑みよりも、一段と深くやさしい色をしている。海璃は、その笑みを向けられるのが何よりも嬉しい。
 だからつい、渡津海に手を伸ばして頬に触れてこう囁く。

「俺、渡津海もムツも大好きだよ。だから、ムツを悪く言わないで」
『悪くは言うておらぬ』
「でも、いかん、って言ってた」
『口が多いのは事実であろう。あいつのお喋りは海璃もよく知っておろう』

 ムツのお喋りに相槌をつく間もなく、ぽかんと口を半開きにして言葉を浴びていたこともある幼少期のことを言われ、海璃はカァッと頬を赤らめる。まるで自分が言われっぱなしの呆け者だと言われたような気がしたのだ。

「そ、それはそうだけど……。でも、ムツのお喋り、俺は好きだよ」
『まあ、あやつのお陰で場が和むことは否定できぬからな』

 ようやくムツの名誉場挽回して海璃がホッと胸をなでおろしたところで、ムツ本人が新たな懐紙の束を手に戻って来る。ころころとまるい顔の額には、懸命に探したのか、玉のような汗が光っていた。その様子に、海璃はふふふ、と笑みをこぼしてしまう。心なしか、渡津海の口許もほころんでいるように見える。

「お待たせいたしました。奥の方に香をしたためたものがあったのを思い出して、捜しておりました……あれ? どうかなさいましたか?」

 海璃と渡津海が二人そろって口元をほころばせている様子に、ムツはきょとんとした顔をして立ち尽くす。その様子もまたおかしくて、海璃はころころと声を転がして笑ってしまう。

「海璃様?」
「ごめ……何でもないの……っふふ……」

 ころころと笑う海璃の姿に、ムツは狐につままれたような顔をしていたが、渡津海もまた愛おしそうな目でその光景を眺めていることに気づくと、釣られるようにムツもまた微笑む。

「楽しそうで何よりでございます。さあ、そろそろ迎えのリュウグウノツカイが参りますよ。玄関に参りましょうか」

 そう促されると、ごく当然のように渡津海は海璃の手を取り、寄り添うように並んで歩きだす。その様はまるで親子というよりも連れ添う夫婦にも見えた。
 やがて竜宮の門の前に現れた銀色の長い体をくねらせた赤いひれの魚に牽かれる車に乗り、渡津海と海璃は出かけて行った。


*十三 知らない言葉の意味と、わからない言葉
 海璃が楽しみにしていた蛸の相撲は、招かれた行事の中でも目玉の出し物だったようで、海璃と渡津海は招待先から一番見晴らしのいい席に案内されて見学できたのだ。
 はっきょい、はっきょいという、威勢のいい大入道の掛け声に合わせ、八本以上もの長い足を絡ませて互いを引っ張り合う蛸の相撲は、たいそう見応えがあった。海璃は案内された特等席で食い入るように見つめ、気付けば大きな声援をあげていたほどだ。

「頑張れぇ! 赤入道!」

 手土産にと渡された、蛸の絵入りの扇子を振りかざし、海璃は大きな声援を送る。声援が聞こえたのか、赤入道と呼ばれる関取は嬉しそうに手を挙げて応えてくれた。海璃は、それにも声を上げて喜ぶ。

「わあ、手を振ってくれた! 赤入道、勝って欲しいなあ」
『そうだな。赤入道はここのところ負けなしらしいから、期待はできるだろうな』

 はしゃぐ海璃に渡津海はひっそりと微笑みながらうなずいて答える。その言葉に海璃は一層目をきらめかせて声をあげる。
 そうしている間に取り組みが始まり、場内の熱は一層盛り上がる。
 勝負は白熱し、試合時間が五分近くに及ぶ大接戦となった。その間も海璃はぎゅっと拳を握って試合を悔いるように見つめていた。
 やがて、期待の赤入道が対戦相手を土俵の外へ放り投げ、勝負は一瞬で片が付き、会場が歓声に包まれる。
 海璃が思わず立ち上がって跳ねるようにしながら、渡津海に抱き着いて喜びを露わにしていると、ふと、「おやおや、随分と渡津海様に対して馴れ馴れしいもんだよ」「さすが、人間はだらしないだけあるねえ」という声が聞こえた。
 声に、海璃がふと辺りを見渡すと、その声は斜め後ろの数席離れたところに座る、白黒のしゃちのような模様の入った着物を着た、赤髪と青い髪の男たちから聞こえたようだった。
 鯱柄の男たちは鋭い切れ長の目で海璃を見つめていて、その眼差しにいら立ちを隠す様子もない。
 初めて会う顔なのに、なんでそんな目で睨まれなきゃいけないのだろう……と、海璃が戸惑いながら渡津海に思わず身を寄せると、今度はあからさまに赤髪の男は舌打ちをした。そして、膝に頬杖をついた格好で、明らかに海璃の方を見ながら、青い髪の男と耳打ちをしつつも、聞こえるような声量で何事かを囁き合っている。

『どうした、海璃』
「……なんでもない」

 睨み付けながらクスクスと忍び笑う二人の声が、言葉が、海璃の耳から離れない。確かめるように再び振り返ることも恐ろしく、ぎゅっと渡津海の腕にしがみつく。もう鯱柄の男たちの話し声ははっきりと聞こえないが、何事かを囁かれているのはわかる。そしてそれが、海璃にとって快くない事であることも。

「ああやって、渡津海様に取り入って、仲間にしてもらおうって手なのかもしれんなあ」
「なるほどなぁ……淫乱な人間らしいこった」

 鯱たちの声が、歓声を縫うようにして聞こえる。先程まではしゃいでいた海璃の様子が一変したこともあって、流石の渡津海も何事かを察したのか、声が聞こえたのか、鯱たちの方を睨み据える。渡津海に睨みつけられた鯱たちは大袈裟に肩をすくめて逃げ去っていく。
 これまでも、海璃に似通った悪意を向けてきたものが全くいなかったわけではない。幼い時分は言葉の意味が解らず、ポカンとしていたが、渡津海に読み書きを習い、書を読むようになってからはだいぶ言葉を理解できるようになってきた。だから、自分が周囲に完全に受け入れられていないことにも、ちゃんと気付いてもいる。
 渡津海によって色々なところに連れて行かれ、色々な海の者たちと言葉を交わす機会が増えてきた。それにより海璃への誤解を解いてくれるものが殆どではあるのだが、中には、あの鯱柄の男たちのような者も少なくはない。
 いつだったか、以前渡津海に連れられて市場を見て回っていた時など、「人間のくせに神に取り入ろうだなんて!」と、危うくものを投げつけられそうになったりもした。
 寸でのところで他の客や屋台のものがそれを停めてくれたし、渡津海が直々に話をして誤解を解いてくれたおかげで、その時はそれ以上の酷い目に遭わずに済んだ。

(村にいた頃みたいに、殴られたりはしないけど……やっぱり俺、ここでも除け者なのかな……)

 渡津海が傍にいるから、殴られる心配はない。しかし、相手の口に戸を立てるわけにはいかないので、罵詈雑言を完全に遮断する手立てはないに等しい。だから余計に、自分に向けられる悪意が目に見えず、海璃は恐ろしく思うことがある。
 殴られるような体の痛みはないはずなのに……どうして、こんなに怖いんだろう……。年齢を重ねるごとに、言葉を習得していくごとに、海璃は自分に向けられる言葉の刃の鋭さを感じるようになっていた。

『海璃、気にするな。お前を仲間にすると決めたのは儂の意思だ。海璃の我儘ではない』

 いつの間にか、帰りの車に乗せられていた海璃は、うつむき加減になっている所を渡津海の声で我に返る。顔を覗き込まれていることに気づき、慌てて首を振る。

「ご、ごめんなさい……俺、あの……」
『案ずるな。お前はもっと堂々としていていい。あのような輩のつまらぬ妬みなど、気にする必要はない』
「……うん」

 渡津海にそう言われながら背中を撫でられると、言葉の刃を向けられていることが気にならなくなってくるから不思議だった。尖った切っ先の気配が薄れ、やわらかであたたかな空気をまとわせてくれる。そうなると、海璃はほっと息をつけた。
 ほっと息をついて安堵してはいたが、最近、それでも気になって引っ掛かりを覚えていることがあった。
 リュウグウノツカイの光を反射する背を眺めながら、海璃はその引っ掛かっていることを渡津海に訊ねてみようと思った。本当はずっと気になっているのだけれど、いま思いついたかのように。そうすればきっと、渡津海も、改めてかしこまって問うよりも、するりと答えてくれる気がしたからだ。

「ねえ、渡津海」
『なんだ?』
「あのね……俺が渡津海の仲間になるって、どうやるの? いつ、するの?」

 海璃が渡津海の腕に寄りかかりつつ、上目遣いで窺いながら訊ねると、渡津海はじっと前を向いたまま、変わりない表情をしているように見えた。
 まるで海璃の言葉など聞こえていないかのような様子に、海璃が首を傾げ、もう一度訊ねようと口を開こうとしたら、渡津海は思いのほか素っ気なく答えた。

『いまは、まだその時期ではない』
「じゃあ、いつ、教えてくれるの? 読み書きみたいに、渡津海が教えてくれるの?」
『……いずれ、そうなるかもしれぬな』

 渡津海は、いつ何時でも、海璃の疑問には明確に答えてくれていたのに、なんだか歯切れが悪い。表情はいつもと変わりないように見えるが、心なしかむすっとしているようにも見える。
 やはり、これはいま訊いてはいけない事柄だったのだろうか、と海璃は思い直し、考えた末に、違う話題を切り出すことにした。

「ね、ねえ、あのさ、人間ってだらしないって本当なの? 俺、だらしない?」
『海璃はそのような愚か者ではない』
「んぅ……じゃあ、淫乱、って何? どういう意味?」

 先程の鯱柄の男たちが言っていた言葉で、唯一意味が解らなかった言葉だ。話していた内容から察するに、あまり気分のいい意味でないことぐらいは海璃でも察しが付く。だからこそなおのこと、正しい意味が知りたいと思った。
 そのつもりで訊ねたのに、言葉を口にした途端、渡津海が驚きと怒りにも似た感情をこめてこちらを睨んできたのだ。見開かれた眼の恐ろしさに、海璃はパッとその身を腕から離して縮み上がる。

『海璃……何故そのような言葉を?』
「え、あの……さっき、あの、相撲を見てたとこで、聞いて……その……」

 凄まれるように問われ、海璃がしどろもどろに答えると、渡津海は明らかに不機嫌に顔をしかめ、『あやつらか……』と、忌々しそうに呟いた。
 思っている以上に良くない言葉であることだけは理解できた海璃は、身を縮こまらせて俯き、「……ごめんなさい」とだけ呟くので精一杯だった。罪悪感がじんわりと指先を這いあがり、視界が滲んでいく。
 すると、じわじわと辺りが不穏にさざめくようになり、渡津海が慌てた様子で海璃を抱きしめた。

『ああ、違う。海璃を怒っているのではない……ただ、お前にそのような不浄な言葉を聞かせるような輩が許せぬのだ』
「不浄……良くない、ってこと?」
『そうだな……少なくとも、簡単に人に向けていっていい言葉ではない』
「うん、わかった……」

ただ一言意味を訊ねただけで、その言葉を発した者を、海璃の耳に聴かせた者を、渡津海はいまにも八つに裂いてしまいそうな怒りを眼差しにじませた気がして、海璃は戦慄してうつむく。言われて不快な言葉ではあったけれども、それによって誰かを渡津海が傷つけるのはもっと嫌だったからだ。

「……ごめんなさい、渡津海」
『海璃は何も悪くない、気にするな』

 渡津海はそう呟いて、安堵したように息を吐き、そしてまた海璃を抱きしめて額に口付けをしてくる。口付けられたところからは、まるで安心するような何か甘いものが注がれているようで、海璃はたちまち先程抱いた想像による不安を拭われていく。
 目を閉じて、味わうようにそれを受けていると、渡津海はもう一度海璃を抱きしめ、こう呟いた。

『お前を、誰にも穢すようなことはさせぬ……お前は、儂だけのものだ』

 海璃に聞こえているとは思っていないのか、いつになく強い口調と言葉が、海璃の胸の奥にずしりと食い込むように刺さる。重たく甘く、しかし心地よい感触に、海璃はいつものように、「もっと、もう一回」と、口走りそうになった。もっと言われて、囁かれて、痕をつけて欲しい、と思えたのだ。言葉は刻み込まれるほどに重たい気がするのに。
 海璃はそっと渡津海の胸に頬を寄せ、その心臓の音を聞く。幼い頃から、寂しくなると聞いていた、安心する音だ。

(でも今は、寂しくないのに聞きたい気がする……ずっと、ぎゅってしていて欲しいのと同じくらいに……)

 こう考える時、いつも同じような気持ちになる気が、この所海璃はしていた。でもそれを、どういう言葉で言い表していいのかが、相変わらずわからない。幼い時分から口にしていた、「好き」や「大好き」のようでいて、少し形や色が違う気がする。そしてそれは、なんだか今までに見たことがない色や形をしている気もする。
 この気持ちは、なんなのだろう。どう言えばいいのだろう。渦巻く感情を持て余しながら、海璃はずっと、渡津海の腕の中でぼんやりと考えていた。


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