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*5 不機嫌な朝食
5-2
朝食を作り直そう、とは言ったものの、掃除を知らないと言っていた使い魔が使用している厨房であることを、ニコラは失念していた。
「ここが、厨房……」
床一面にいつのものかわからない野菜くずや、皮が散らばり山をなし、隅の方には油混じりの埃がこびりついている。その様相は調理台やオーブンの周りも同様で、とてもじゃないが火を扱っていい気がしない。
壁一面にも真っ黒な煤があちこちについているその厨房の中央には、あの魔王が行儀悪く頬杖を突きながら何かをかじっている姿まであった。
「魔王様、いまお食事ですか?」
魔王の姿を見てブランが声を掛け歩み寄ると、魔王は、「ああ、」とだけ言い、また何かをかじっている。それはどうやら黒パン……いや、炭のように焦げたパンらしい。
皿には同じく焦げた卵とベーコン……であったであろう物が並んでいるが、野菜は見当たらない。
「昨日おかしな客人が来たせいで腹が減ったんだ」
「客人ではなくて、花嫁様ですよ、魔王様」
「どっちだっていい。なんにせよ、また私へ言い掛かりをつけに来ただけだろう。作物が不作だの、家畜が育たないだの……どうして私が人間どもの生活の面倒まで見なくてはならないんだ」
こちらを見ることなく、しかし明らかに敵意のある物の言い方に、ニコラよりもブランが申し訳なさそうに身を小さくしている。それが気の毒で、つい、ニコラは口を開いていた。
「お言葉ですが、魔王様。僕がいた国では、魔王様の機嫌ひとつで国の情勢が左右されると言われてきました。魔王様の機嫌を損なえば、それは死を意味していたほどです」
「だから毎月、何の咎もない家畜を湖に沈めているのが機嫌取りだというのか? 一体いつ、私がそうしてくれと頼んだ?」
「でもそうしなければ、村も国も魔王様に焼かれると……」
いつの頃から家畜を魔王に捧げていたのか、ニコラは知らない。でも、そうしなくてはならないとだけは思っていたし、そうすることで村は平穏でいられるのだと思っていた。すべては、魔王の機嫌を取るために。
「では聞くが、そうされている私の機嫌が良いように見えるのか、お前には」
そう言われ、いかにも不機嫌に顔をしかめている、暗い表情の魔王と目がかち合う。真っ黒で深い闇のような色の瞳には覇気がなく、肌も白磁を通り越して青白くさえある。黒い瞳の下には薄くくすんだ色のクマが施され、一層表情を暗くしている。
これを見て、機嫌がいいんですね、とは流石のニコラも言えない。だからふるふると首を横に振ると、魔王はふんと鼻を鳴らして片頬をあげた。
「ようやくわかったか、愚かな人間。お前たちが家畜を差し出すとか、生贄の嫁を差し出したところで、私の機嫌が簡単に変わると思うな。思い上がりも甚だしい」
吐き捨てるようにそう言い、魔王は座っていた椅子から立ち上がり、黒く長い髪をなびかせるようにして厨房を出ていってしまった。
コツコツと魔王の足音が遠ざかっていくごとに、ニコラは先程魔王に投げつけられた言葉を重たく受け止める。それほどまでに、自分は魔王の機嫌を損ねてしまったのだ、と。
嫁だと差し出された者が女性ではなく男性であったのは、たしかに不誠実な対応と言える。これで機嫌を取ろうなど虫が良すぎるだろう。
(でも、家畜でも嫁でも、魔王様は機嫌が直るわけじゃないって言ってたな……)
それでも、魔王の機嫌と国の天候は連動していると言われているし、それ次第で干ばつにも冷害にもなるし、実際ここ数年はすこぶる天候が不安定なのだ。だからこそ、ニコラはここに差し出されたのだが……それさえ、魔王は認める気がないようだ。
「ニコラ様、お気を確かに……」
呆然とするニコラに、ブランが心配そうに話しかけてくる。黒く丸い目に映し出されている姿は、なんとも頼りない。これでは魔王の機嫌を取ることも、“魔王の嫁”として認められることもないだろう。そうされないことには、ニコラは怒気にも居場所がないのだから、何某かの手を使って認められるしかない。
「そのためには……僕ができることをしなきゃ……」
例えば、いま目の前の惨状を改善するとか――ちらりと浮かんだ考えに、ニコラはうなずき、ブランの方を振り返りひとつの提案をしてみることにした。
「ここが、厨房……」
床一面にいつのものかわからない野菜くずや、皮が散らばり山をなし、隅の方には油混じりの埃がこびりついている。その様相は調理台やオーブンの周りも同様で、とてもじゃないが火を扱っていい気がしない。
壁一面にも真っ黒な煤があちこちについているその厨房の中央には、あの魔王が行儀悪く頬杖を突きながら何かをかじっている姿まであった。
「魔王様、いまお食事ですか?」
魔王の姿を見てブランが声を掛け歩み寄ると、魔王は、「ああ、」とだけ言い、また何かをかじっている。それはどうやら黒パン……いや、炭のように焦げたパンらしい。
皿には同じく焦げた卵とベーコン……であったであろう物が並んでいるが、野菜は見当たらない。
「昨日おかしな客人が来たせいで腹が減ったんだ」
「客人ではなくて、花嫁様ですよ、魔王様」
「どっちだっていい。なんにせよ、また私へ言い掛かりをつけに来ただけだろう。作物が不作だの、家畜が育たないだの……どうして私が人間どもの生活の面倒まで見なくてはならないんだ」
こちらを見ることなく、しかし明らかに敵意のある物の言い方に、ニコラよりもブランが申し訳なさそうに身を小さくしている。それが気の毒で、つい、ニコラは口を開いていた。
「お言葉ですが、魔王様。僕がいた国では、魔王様の機嫌ひとつで国の情勢が左右されると言われてきました。魔王様の機嫌を損なえば、それは死を意味していたほどです」
「だから毎月、何の咎もない家畜を湖に沈めているのが機嫌取りだというのか? 一体いつ、私がそうしてくれと頼んだ?」
「でもそうしなければ、村も国も魔王様に焼かれると……」
いつの頃から家畜を魔王に捧げていたのか、ニコラは知らない。でも、そうしなくてはならないとだけは思っていたし、そうすることで村は平穏でいられるのだと思っていた。すべては、魔王の機嫌を取るために。
「では聞くが、そうされている私の機嫌が良いように見えるのか、お前には」
そう言われ、いかにも不機嫌に顔をしかめている、暗い表情の魔王と目がかち合う。真っ黒で深い闇のような色の瞳には覇気がなく、肌も白磁を通り越して青白くさえある。黒い瞳の下には薄くくすんだ色のクマが施され、一層表情を暗くしている。
これを見て、機嫌がいいんですね、とは流石のニコラも言えない。だからふるふると首を横に振ると、魔王はふんと鼻を鳴らして片頬をあげた。
「ようやくわかったか、愚かな人間。お前たちが家畜を差し出すとか、生贄の嫁を差し出したところで、私の機嫌が簡単に変わると思うな。思い上がりも甚だしい」
吐き捨てるようにそう言い、魔王は座っていた椅子から立ち上がり、黒く長い髪をなびかせるようにして厨房を出ていってしまった。
コツコツと魔王の足音が遠ざかっていくごとに、ニコラは先程魔王に投げつけられた言葉を重たく受け止める。それほどまでに、自分は魔王の機嫌を損ねてしまったのだ、と。
嫁だと差し出された者が女性ではなく男性であったのは、たしかに不誠実な対応と言える。これで機嫌を取ろうなど虫が良すぎるだろう。
(でも、家畜でも嫁でも、魔王様は機嫌が直るわけじゃないって言ってたな……)
それでも、魔王の機嫌と国の天候は連動していると言われているし、それ次第で干ばつにも冷害にもなるし、実際ここ数年はすこぶる天候が不安定なのだ。だからこそ、ニコラはここに差し出されたのだが……それさえ、魔王は認める気がないようだ。
「ニコラ様、お気を確かに……」
呆然とするニコラに、ブランが心配そうに話しかけてくる。黒く丸い目に映し出されている姿は、なんとも頼りない。これでは魔王の機嫌を取ることも、“魔王の嫁”として認められることもないだろう。そうされないことには、ニコラは怒気にも居場所がないのだから、何某かの手を使って認められるしかない。
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