アキとユズ~いただきますを一緒に~

伊藤あまね

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アキとユズ*最終章

はなまるをあげよう*12

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 どれ程の沈黙が流れていただろう。それはひどく重たく、冷たく、俺とユズの息の根を止めてしまったかと思えるぐらいだった。
 明々と点いたままの食卓の灯かりが、凍りついたままのふたりを痛々しいほどやさしく包み込むように照らしてくれていた。
 俺もユズも、互いの方を真正面から見据えたままだった。瞬きも忘れてしまった程にじっと眺めていた筈だった。なのに、俺は、ユズが静かに音も声もなく泣き出していることに気付くことができなかった。
 ユズが細かく小さく震えて、はらはらと涙を溢しているのに気付いたのは、彼の眼の縁が真っ赤に染まった頃、漸く、だった。
 泣きたい気分なのはこっちだ……どす黒い俺の腹の中の感情がユズの涙に舌打ちをした。それと同時に、零れ落ちていく雫が、音もなく彼の手の上に降り注ぐたびに、胸の奥が切刻まれる程の痛みを伴ったりもした。
 泣くことで隠し事をした罪をチャラにしようとしていると疑う心と、取り返しのつかない程に傷つけてしまったという罪悪感。
 相反する、しかし、どちらも俺の本当の気持ち。次にどちらの言葉を紡ごうとも、俺がユズを泣かしてしまった事実に変わりはなかった。臆病なくせして、腹を決めた時ほどに大失態をやらかしてしまう―――俺の一番悪い癖がこんな時にも出てしまった顛末に絶望感を禁じ得なかった。
 呼吸さえままならない沈黙が流れて暫し、言葉を忘れてしまったかのように黙り込んでいたふたりの間に、ぽつんと春陽のようなか弱い声が零れ落ちた。

「……仕事、してたんだ…」

 ちいさなちいさな、ユズの声だった。涙に濡れて傷だらけのぼろぼろの声だった。とてもちいさくて、か細くて、遠くの電車の音にさえ掻き消されてしまいそうだった。
 だから俺は、全神経を集中させて彼の声に耳を傾けた。一言も、呼吸でさえも聞き漏らすまいと思いながら。それは彼を疑ってかかって真実を暴いてやろうという野次馬根性にも似た偽りの正義感からではなく、ただひたすらに彼から語られる言葉を聴きたかったからにすぎなかった。
 瞬きをするたびに、ユズは眼からはらはらと涙を溢し続けていた。おとぎ話に出てくる宝石姫のように、彼が溢す涙は真珠やダイヤモンドや薔薇の花になってしまう気がした。あれは、涙ではなくて言葉、だっただろうか。とにかくそれぐらい幻想的な姿だった。

「俺、ね…物書き、だけ、じゃなくって…も、ひとつ、仕事、して、んだ…。それが、ね…馬越、くんの紹介、で…塾の、答案の採点…小論文とか、作文とかの…」
「塾?塾って、馬越くんの?……え、じゃあ、俺が見た知らない人ってのは…?」
「…馬越くんとこの、先生じゃないかな…俺、あんま知らない人とサシで話すのって、ホント、苦手で…馬越くんには悪いけど、打ち合わせするときは、よく、間に入ってもらうんだ…」

 すすり泣く声の狭間から紡がれた言葉を繋ぎ合わせてみて、俺は現れた真実にあらゆる意味で衝撃を受けていた。
 まずはユズが副業を、それも馬越くん経由でしていたこと。受験シーズンになると今回のように急に仕事が舞い込む事。
 副業はどうやら実入りもいいらしくて、実は半年ぐらい前からやっていた事などなど、大きくも小さくも俺は驚きを隠せないでいた。
 しかしどれも、俺の想像とは大いに外れていて、それだけは俺を安堵させてくれた。
 馬越くん絡みで浮気しているなんて思い込んでいた俺は、自分の浅はかさに恥じ入ってしまって何も言えなかった。言う資格さえないと思った。ユズの恋人のプライドにかけて真実を暴こうとしていたなんて、どの口が言える事だろうか。
 こんな馬鹿な俺だから、ユズは本当の事を言う気なんてなかったのかもしれない。そう思われても仕方のない価値しかないのだから。
 明らかになった真実を前に、半ば自棄を起こしかけていた俺の脳裏に、ひとつの引っ掛かりを覚えた。それは、馬越くんに口止めをしていたほどに副業の事を俺に隠していた事だった。
 極端な話、俺はユズが副業に水商売でもしていたとしても、売春まがいな事でなければ、驚きはしても咎めることはしなかっただろうと思う。副業をするという事は、何かしらやむを得ない事情があるだろう事ぐらい浅はかな俺にだって解る話だからだ。
 あえて話題にすることでもないと言われてしまえばそれまでだけれども、箝口令を敷くほどに隠す事でもないと思うからだ。少なくとも、俺は、ユズからの話を聴いてそう考えたし、そう、彼にも伝えた。
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