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0.抜けるような青空の日に
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蝉時雨。
この日はそんな言葉が良く似合う、夏休みも半ばのある晴れた昼時だった。
さして田舎でも都会でもない中途半端な俺の地元は、近年稀に見る蝉の大量発生により、夏の風物詩の一つであるその鳴き声を爆音の様に響かせていた。
俺が切らしていたジュースを買いに行こうとした時、妹の見ていたテレビから『今日の気温は7年ぶりの猛暑日で~』というアナウンスが聞こえてきたので、恐らく気温もかなり高いのだろう。
毎年そんな感じの『~年ぶりの猛暑!』というゴシック体を見掛ける気がしなくもないが、そう思えてもおかしくないほど暑い。
「…………っつ。」
気温とか季節とかを司ってる神様に呪詛めいた文句を小さく呟きながら、最寄りのコンビニまで歩く。コンビニよりスーパーで買った方が安いのだが、残念ながら直ぐに通える範囲ではスーパーさんは存在してくれなかった。
自転車で行こうと考えなかったこともないのだが、正直面倒だったし、自転車を閉まっているシャッターに触れたくなかったので、ちらりと倉庫だけみてここまで歩いてきたのだ。
まぁ、1分ほど歩いてから『良く考えればコンビニまで自転車で行けばもっと早く帰れたんじゃね?』と気付いたのだが、Uターンするのも億劫でそのまま歩き続けてしまった。
暑さのせいか、上手く思考が働かずこのようなうっかりミスに繋がってしまったのか……と反省に似たような失敗の擦り付けを神様に試みていたのだが、そうしたところで歩行距離や帰宅時間が短くなることもなし。仕方ないと切り捨てて額の汗を拭う。
「……ん?」
公園の近く、少し見通しが悪い曲がり角の先の道路に、黒い塊が見えた。
弱々しげに、動くそれは、風邪によって揺れるビニール袋かと思えたが、近付くにつれてハッキリしてきた。
「……猫か。」
その正体は、地面に横たわった黒猫だった。よく見掛ける、という程でもないが、この地域では道路に猫等の死体が転がってる場面に出くわすこともある。
恐らく、この黒猫も運悪く道路で車に轢かれてしまったのだろう。猫からすれば、このような惨状になったのは『人間』の文明のせいだとそしりの一つも言いたくはあるだろうが、俺は自分勝手に心を痛めて、自分勝手に合掌をすることにした。
それが、何らかの運命だったのかは、俺にはわからない。
何時なん時も止むことの無かった蝉の大合唱が、ピタリと聞こえなくなった。
目を瞑り、手を合わせていた俺は、一瞬訪れた静寂の中、みー。と弱々しい小さな鳴き声を聞いた。
「……?」
目を開けると、死んだと思っていた黒猫の前足が少し動いていた。
口からも、聞こえるか聞こえないかではあるが、か細い鳴き声が漏れているのに気付く。
「なんだ、死んだ訳じゃなかったのか……良かったな。」
少し頬を緩ませてそんな事を呟いたのだが、これほど弱っているということは、車が来ても逃げ出せないはずだ。
虫であれ犬であれ、もちろん例外無く猫であれ、生き物を触るのは何と無く苦手意識がある。
だが、だからと言って見殺しにするほど鬼ではない。助けられるものなら助けたいと思うのが普通だろう。
合掌した手をなんとなしにポケットに入れて、ガードレールを跨ごうと足をあげる。
蝉の音が止まったことに、さほど関心はなかった。
だからというわけではないが、明らかに異常だと思えるほどの違和感を感じたのは、ここからだった。
ブロロロロロロロロロロッ!というけたたましいエンジン音が鳴り響く。
驚いて音のした方を見ると、明らかに常軌を逸したスピードでこちらに向かってくる車が目に映った。
「何かんがえてんだあいつ!!?」
目を剥きながら、ヤバイと思い少し体の動きが止まる。
黒塗りの、見たことの無い車種の鉄の塊は、まるでこちらを『認識している』かの様に一直線に向かってきた。
「っ!?おいこのままだとあの猫轢くぞ!?」
高速道路と勘違いしてるんじゃないだろうか。黒猫の方を見ると、やはりその状態のまま動いていなかった。
「……くっそ!」
考えるより体が動いた、なんてことはなかった。
ほんの少しだが、このままあの猫は死んだことにして、このまま帰ってしまおうかと思ったのだ。
でも、ただ。
ほんの一瞬だけ、想像してしまったのだ。
あの猫から、あの車はどう写るのだろうと。
身動きもとれず、エンジンの爆音が死の音として近付き、跳ねられて飛ばされることもなく、きっと車輪に潰され、肉塊と化してしまうその一秒前を。
その時にはもう体は動いていた。
道路に身を投げ出し、動けない小さな体を掴んだ。嫌に軽かったのを、なんとなく覚えている。
走り抜けても間に合わないことを、直感的に悟っていた。
一瞬だけ馬鹿なことをしたかなと後悔したけど、こいつが挽き肉にされてしまう光景を想像した俺は、やはりこれで良かったと思う。
この小さな命に、そんな最期も、死の覚悟もしてほしくなかった。
「大丈夫だ。」
多分全部言えなかった。
もしかしたら少しも喋ってないかもしれない。心で自己満足のように語りかけたのかもしれない。
それでも、例えただの自己満足でも安心してほしかったのだ。
ドゴンッという、聞いたこともない鈍い衝突音は、遥か彼方から聞こえてきた気がした。
今まで感じたことも、それこそ想像もしたこともない衝撃が体を襲う。
重力から解き放たれた感覚と、自分の体と意識が離れてしまった違和感が全身を駆け巡る。
(あぁ、綺麗だな)
最期に目に映っていた、抜けるような青空がやけに綺麗に見えて、そんな間の抜けたことを頭の中で呟いた。
この日はそんな言葉が良く似合う、夏休みも半ばのある晴れた昼時だった。
さして田舎でも都会でもない中途半端な俺の地元は、近年稀に見る蝉の大量発生により、夏の風物詩の一つであるその鳴き声を爆音の様に響かせていた。
俺が切らしていたジュースを買いに行こうとした時、妹の見ていたテレビから『今日の気温は7年ぶりの猛暑日で~』というアナウンスが聞こえてきたので、恐らく気温もかなり高いのだろう。
毎年そんな感じの『~年ぶりの猛暑!』というゴシック体を見掛ける気がしなくもないが、そう思えてもおかしくないほど暑い。
「…………っつ。」
気温とか季節とかを司ってる神様に呪詛めいた文句を小さく呟きながら、最寄りのコンビニまで歩く。コンビニよりスーパーで買った方が安いのだが、残念ながら直ぐに通える範囲ではスーパーさんは存在してくれなかった。
自転車で行こうと考えなかったこともないのだが、正直面倒だったし、自転車を閉まっているシャッターに触れたくなかったので、ちらりと倉庫だけみてここまで歩いてきたのだ。
まぁ、1分ほど歩いてから『良く考えればコンビニまで自転車で行けばもっと早く帰れたんじゃね?』と気付いたのだが、Uターンするのも億劫でそのまま歩き続けてしまった。
暑さのせいか、上手く思考が働かずこのようなうっかりミスに繋がってしまったのか……と反省に似たような失敗の擦り付けを神様に試みていたのだが、そうしたところで歩行距離や帰宅時間が短くなることもなし。仕方ないと切り捨てて額の汗を拭う。
「……ん?」
公園の近く、少し見通しが悪い曲がり角の先の道路に、黒い塊が見えた。
弱々しげに、動くそれは、風邪によって揺れるビニール袋かと思えたが、近付くにつれてハッキリしてきた。
「……猫か。」
その正体は、地面に横たわった黒猫だった。よく見掛ける、という程でもないが、この地域では道路に猫等の死体が転がってる場面に出くわすこともある。
恐らく、この黒猫も運悪く道路で車に轢かれてしまったのだろう。猫からすれば、このような惨状になったのは『人間』の文明のせいだとそしりの一つも言いたくはあるだろうが、俺は自分勝手に心を痛めて、自分勝手に合掌をすることにした。
それが、何らかの運命だったのかは、俺にはわからない。
何時なん時も止むことの無かった蝉の大合唱が、ピタリと聞こえなくなった。
目を瞑り、手を合わせていた俺は、一瞬訪れた静寂の中、みー。と弱々しい小さな鳴き声を聞いた。
「……?」
目を開けると、死んだと思っていた黒猫の前足が少し動いていた。
口からも、聞こえるか聞こえないかではあるが、か細い鳴き声が漏れているのに気付く。
「なんだ、死んだ訳じゃなかったのか……良かったな。」
少し頬を緩ませてそんな事を呟いたのだが、これほど弱っているということは、車が来ても逃げ出せないはずだ。
虫であれ犬であれ、もちろん例外無く猫であれ、生き物を触るのは何と無く苦手意識がある。
だが、だからと言って見殺しにするほど鬼ではない。助けられるものなら助けたいと思うのが普通だろう。
合掌した手をなんとなしにポケットに入れて、ガードレールを跨ごうと足をあげる。
蝉の音が止まったことに、さほど関心はなかった。
だからというわけではないが、明らかに異常だと思えるほどの違和感を感じたのは、ここからだった。
ブロロロロロロロロロロッ!というけたたましいエンジン音が鳴り響く。
驚いて音のした方を見ると、明らかに常軌を逸したスピードでこちらに向かってくる車が目に映った。
「何かんがえてんだあいつ!!?」
目を剥きながら、ヤバイと思い少し体の動きが止まる。
黒塗りの、見たことの無い車種の鉄の塊は、まるでこちらを『認識している』かの様に一直線に向かってきた。
「っ!?おいこのままだとあの猫轢くぞ!?」
高速道路と勘違いしてるんじゃないだろうか。黒猫の方を見ると、やはりその状態のまま動いていなかった。
「……くっそ!」
考えるより体が動いた、なんてことはなかった。
ほんの少しだが、このままあの猫は死んだことにして、このまま帰ってしまおうかと思ったのだ。
でも、ただ。
ほんの一瞬だけ、想像してしまったのだ。
あの猫から、あの車はどう写るのだろうと。
身動きもとれず、エンジンの爆音が死の音として近付き、跳ねられて飛ばされることもなく、きっと車輪に潰され、肉塊と化してしまうその一秒前を。
その時にはもう体は動いていた。
道路に身を投げ出し、動けない小さな体を掴んだ。嫌に軽かったのを、なんとなく覚えている。
走り抜けても間に合わないことを、直感的に悟っていた。
一瞬だけ馬鹿なことをしたかなと後悔したけど、こいつが挽き肉にされてしまう光景を想像した俺は、やはりこれで良かったと思う。
この小さな命に、そんな最期も、死の覚悟もしてほしくなかった。
「大丈夫だ。」
多分全部言えなかった。
もしかしたら少しも喋ってないかもしれない。心で自己満足のように語りかけたのかもしれない。
それでも、例えただの自己満足でも安心してほしかったのだ。
ドゴンッという、聞いたこともない鈍い衝突音は、遥か彼方から聞こえてきた気がした。
今まで感じたことも、それこそ想像もしたこともない衝撃が体を襲う。
重力から解き放たれた感覚と、自分の体と意識が離れてしまった違和感が全身を駆け巡る。
(あぁ、綺麗だな)
最期に目に映っていた、抜けるような青空がやけに綺麗に見えて、そんな間の抜けたことを頭の中で呟いた。
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