上 下
38 / 46

act37 ギグ

しおりを挟む
泣いても泣いても無視され続ける赤ん坊は、
そのうち静かになる。
親に絶望するからだ。



疑似科学でも都市伝説ですらもない、
旧い迷信に怯える生徒たち。


大丈夫、心配ないよ


白い歯を見せ、
蛍子は胸いっぱい温かな気持ちになって、
彼らの怯えを宥めてやった。


なんでもそう信じちゃいけないよ

まず、疑わなきゃ


教師として、あるまじき発言であろうか。

生徒たちがきょとんとしている。


しかし、これこそが、蛍子が自ら学校で学び、
生徒たちに伝えるべきことであろうと
堅く信じていることである。


そういう意味では、
蛍子は賢しらで扱いにくい子どもであった。
小さい頃から、親や教師の言うことを鵜呑みにせず、
納得できないことについては、なんで?どうして?と
しつこく喰い下がる。
小さいうちはスーパー主婦の母が応じていたが、
だんだん手に負えなくなったため、隣町の大きな図書館まで
連れていかれ、蛍子はそこで己の探究心を思うさま
満たしていった。
視力が落ちなかったのは奇跡であろう。
中学まではその性質が教師には疎んじられていたが、
カトリック系の女子校では、シスターたちに
愛でられた。
英語でものを考えるとは恐らくそういうことである。

いろんな国籍のシスターたちの授業の中で、
蛍子は自ら考え、答えを導き出す力を磨かれた。
あの勉強三昧の高校時代の刺激と興奮は忘れられない。


教科書「を」教えるのではない

教科書「で」教えるのだ

ということを、自然にシスターの授業で学んだ。


学校の教科書の採択でケチがつけられることが
あると耳にする。
明らかに内容が不正確であれば問題だろうが、
検定を通過したものであるならば、
蛍子はちょっぴり意地悪な気持ちになる。
苦情を述べるひとたちが、
どれほどの偏差値であったかはわからないけれど、


つまり、教科書「を」覚えてきただけ?


と。


正しくない、誤った内容からだとて
学ぶ方法はいくらでもあるのだ。
それがすべてだと信じ込みさえしなければ。


学校は正しいことを教える場ではない。

「正しいこと」

とは一体何だろう?


ひととしてなら、普遍性をもって「正しい」ことは
あるかもしれない。

ひとを愛し大切にすること。

だろうか。


学校で扱う教科はそんな大きな命題ではないが、
教える教師も不完全な人間である。
むしろ、

「正しさとは何か」

考える材料を提供し、教室で議論を
戦わせるのが筋ではないのか。


偏向教育を受け「教え込まれた」
と悲憤慷慨するひとはどの時代にも尽きない。
しかし彼らは一度でも、自分の頭でものを考え、
探求したことがあるのだろうか。
もしそれができないほど教え込まれていたなら、
それは洗脳だ。
教育の恐ろしい側面かもしれない。

そして、それこそが学校が正しいことを教えるとは
限らない証左ではないだろうか。


しかし、世の中の趨勢はいつまでも、

「学校はウソをつかない」

である。
もちろん、そうあれかし、だ。
だから蛍子は、襟を正すことを忘れないようにしようと思う。



今目の前の生徒たちが求め、必要としていることは何か。


自分なりの最良の解を彼らに提示しなくてはならない。


教育は子どもたちの幸せのために。

では、彼らのこれからの幸せとは何だろう。



蛍子はおもむろに口を開いた。


みんな、好きなアイドルとか、居る?


蜂の巣を突いた騒ぎで、蛍子も知っていたり、
知らないでいたりするイマドキのタレントの名前が挙がる。
教室を鎮め、


じゃあ、そのアイドルのファンに悪いひとは
居ないと思う?
自分と同じように


とさらに質問を重ねると、
教室がざわつく。
概ねYESのようだ。
もちろん、質問されるからには、裏があるという気配を
感じながら。



100歩譲って、そのアイドルのファンは
いいひとばかりだとしましょう

でもね


蛍子が息を継ぐと、生徒たちは次の言葉を固唾をのんで待った。


もしそのファンが、騙りだったら?
みんなを騙すためにファンになりすましていたら?



教室の空気が波立った。


このウェイヴを逃してはならない!



蛍子は今日のこの時間が彼らとの最初で最後の
最高のセッションになることを、音楽的感性で確信した。



しおりを挟む

処理中です...