ハイ拝廃墟

eden

文字の大きさ
17 / 83

温泉⑩

しおりを挟む

「゛あ゛あああああああっ」

 男が血の底から這い出るような声をあげながら、良に向かって腕を伸ばしてきた。良は身体を前に転がして、金庫側に逃げた。男が振り向き、歯ぎしりをしながら良に向かって歩いてくる。

 良はガタガタ震える手で、先程老人から取ったカギを金庫のカギ穴に差し込もうとした。だが、震えてなかなかカギが刺さらない。

 男のゴツゴツとした巨大な手が、良の首に伸びてくる。

「ううぁぁぁあああああ」

 良は声をあげながら、必死で手を動かした。

 頼む、刺さってくれ!

 男が良の首を掴むと同時、カチャンとカギの開く音がした。それは、男の耳にも届いたようである。男は良を持ち上げると、入り口のドアに向かって投げ飛ばした。

「ぐっ」

 背中を激しくドアに叩きつけられ、良は尻もちをついた。なんとか目を開けて男を見ると、金庫のドアを開けようとしていた。

 次の瞬間、金庫のドアから赤い液体が津波のようにあふれ出て来た。露天風呂で見た液体と似ている。いや、同じである。液体は男を飲み込み、男の身体を溶かしていく。

 赤い液体は男を骨に変えて、金庫の中に引きずり込んだ。

 金庫室の中は、しん、と静まり返った。良は呼吸を整えて、金庫に向かって這って行った。


 ……金庫の中身。


 ふと、良は、デザニティキングダムの幻のオアシス争奪イベントを思い出した。

 幻のオアシスの泉は金色に輝いていた。ぺーぺーをはじめとするBBBのメンバーで、他の同盟を圧倒し、幻のオアシスを占領したときの興奮。結局のところ、いつも他の同盟に取られて、最終的な支配権は取ることができていない。

 幻のオアシスイベント、一回は、勝ちたかったな。でも、みんなでイベントに参加できたら、それだけでも楽しかった。


 ……金庫の中身を取れば、楽になれる?


 良はそっと、金庫の中に腕を伸ばした。

 そのとき、良の背後に、顔を半分失った老夫妻が立った。良の指先に何かが触れた瞬間、老夫婦は半分残った顔にある口を大きく開き、良の首に噛みつこうと飛び掛かった。良は振り向きざまに、老夫婦の紫色の舌を見たが、痛みを感じる間もなく意識を失った。




『お疲れ様~!』

『お疲れさまでした』

『お疲れ~』

『おつです』

『幻イベお疲れ様です(`・ω・´)ゞ』

『ありがとうございました!』

『皆さんお疲れ様でした。今回は2位です。皆さんが頑張ってくれたおかげです! 報酬分配するので、待っててください』

『良勇者さん、いつもありがとう』

『良さんの突撃かっこよかったー!』

『盟主さすがです』

『ぺーぺーさん強すぎて』


 ……これは、みんなの声だ。幻のオアシスイベントが終わったとき。


『良さん、お疲れ様でした』


 個人チャットで、ぺーぺーがコメントをくれた。年齢も、男か女かもわからない、同盟チャットにもほとんど顔を出さないぺーぺー。イベントの作戦会議とか、個人チャットでやりとりをしていたけれど、必要なこと以外何も話さない。

 それでも、僕はぺーぺーを信頼していた。ゲームの約束は必ず守るし、時間にも正確だ。プライベートなんて一切わからないけれど、良い人なんだろうなって思ってた。

 別に、直接会いたいって思ったことは一度もない。ゲーム上の関係。ぺーぺーも、僕に対して、そんな感じなんじゃないかと思う。

 それは、薄い関係なんだろうか。リアルの出来事よりも軽いだろうか。

 僕にとっては、本当に大切な世界で、そこに入り浸っているときが何より生きているときだったのに。

 いやになったら、同盟脱退するだけ。挨拶も何もなく消える人なんてたくさんいる。

 僕もそういうふうに消えるのか。何も言わず、急に。

 ありがとうも言わずに。

 みんなを捨てるみたいに。


 ……それは、とても、寂しいことだ。





 良がうっすらと瞼を開けると、頬の青白い青年が自分を見下ろしているのが見えた。草の上に仰向けになって転がっていて、あちこち草に引っかかれてかゆい。

「……あ、れ……?」

 良はゆっくりと起き上がった。雑草で満たされた地面の上。自分と青年を囲うように生えたすすきの群れ。コオロギの泣き声。空には、月明かりが灰色に変えた雲。

 屋外である。

「勇者さん、気が付きましたか」

 勇者と呼ばれて、良は青年が誰だったのかを思い出した。

「クレイさん……?」

「金庫室の中身、見つけたんですね」

 良はふと、自分の手に握られているものに気が付いた。強く握ってしまったから、しわくちゃになってしまった一枚の絵ハガキ。セピア色の写真。まだ盛況だったころの任比山にいやま山荘が写っている。

「……クレイさん、ここの山荘の人たちを殺した古賀って人は、どうなったの?」

「山荘の金庫室で老夫婦を殺害後、首を吊って死にました。自殺です」

「……」

「勇者さんも、あんなふうになりたいですか?」

「え?」

「あなたも人を殺したんでしょう。自殺すれば、古賀さんの仲間入りです」

 良は、斧を振り上げて追いかけて来た大男を思い出し、ぞっとした。男は罪を償うこともなく、自分で死を選び、その魂は山荘にとどまった。殺された老夫婦も、山荘の宿泊客も浮かばれず、山荘の中で殺され続けている。

 金庫の中身は、美しい任比山にいやま山荘の写真だった。きっと、山荘の主人にとってはこのきれいな建物が自慢だっただろうし、宝物だったのだ。そこに沸く温泉も、山荘の宿泊客を癒していた。

 それなのに、事件後山荘は荒れ果て、主人の宝物は人々から忌み嫌われるものへと変貌してしまった。


 ……旺介くんにも、大切なものがあったんだろうか。


 良はようやく、旺介のことを想像した。

 旺介はサッカーを続けていた。サッカーチームの仲間もいた。旺介のチームメイトから旺介を奪った。旺介の宝物を奪った。

 このまま何もしないで死んだら、旺介も成仏することができずに、細い路地にとどまることになるのだろうか。夜になれば真っ暗で、ほとんど誰も通らないような、寂しい路地に。


 何より、自分が古賀のようになるのはいやだ。仲間は、別にいる。


 良は落ち着いた声で、久礼に言った。

「……僕、自首するよ」

「そうですか」

 良は山荘の敷地から出ると、車の助手席に乗り、ズボンのポケットからスマホを取り出した。デザニティキングダムにログインし、同盟チャットにコメントした。

『突然だけど、僕はしばらくここから離れます。ごめんなさい。盟主はぺーぺーに譲ります。みんな、元気でね』

 それから同盟主をペーペーに移し、同盟から脱退した。

 久礼は、山荘の敷地から出てから振り向き、入り口の引き戸を見た。引き戸の下部の隙間から、赤い液体がにじみ出ている。久礼は眉一つ動かさずに、車のほうに向きなおった。同時に、赤い液体は屋内へと引っ込んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

終焉列島:ゾンビに沈む国

ねむたん
ホラー
2025年。ネット上で「死体が動いた」という噂が広まり始めた。 最初はフェイクニュースだと思われていたが、世界各地で「死亡したはずの人間が動き出し、人を襲う」事例が報告され、SNSには異常な映像が拡散されていく。 会社帰り、三浦拓真は同僚の藤木とラーメン屋でその話題になる。冗談めかしていた二人だったが、テレビのニュースで「都内の病院で死亡した患者が看護師を襲った」と報じられ、店内の空気が一変する。

女子切腹同好会

しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。 はたして、彼女の行き着く先は・・・。 この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。 また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。 マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。 世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【1分読書】意味が分かると怖いおとぎばなし

響ぴあの
ホラー
【1分読書】 意味が分かるとこわいおとぎ話。 意外な事実や知らなかった裏話。 浦島太郎は神になった。桃太郎の闇。本当に怖いかちかち山。かぐや姫は宇宙人。白雪姫の王子の誤算。舌切りすずめは三角関係の話。早く人間になりたい人魚姫。本当は怖い眠り姫、シンデレラ、さるかに合戦、はなさかじいさん、犬の呪いなどなど面白い雑学と創作短編をお楽しみください。 どこから読んでも大丈夫です。1話完結ショートショート。

それなりに怖い話。

只野誠
ホラー
これは創作です。 実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。 本当に、実際に起きた話ではございません。 なので、安心して読むことができます。 オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。 不定期に章を追加していきます。 2025/12/6:『とんねるあんこう』の章を追加。2025/12/13の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/5:『ひとのえ』の章を追加。2025/12/12の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/4:『こうしゅうといれ』の章を追加。2025/12/11の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/3:『かがみのむこう』の章を追加。2025/12/10の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/2:『へびくび』の章を追加。2025/12/9の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/1:『はえ』の章を追加。2025/12/8の朝4時頃より公開開始予定。 2025/11/30:『かべにかおあり』の章を追加。2025/12/7の朝8時頃より公開開始予定。 ※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。

処理中です...