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温泉⑩
しおりを挟む「゛あ゛あああああああっ」
男が血の底から這い出るような声をあげながら、良に向かって腕を伸ばしてきた。良は身体を前に転がして、金庫側に逃げた。男が振り向き、歯ぎしりをしながら良に向かって歩いてくる。
良はガタガタ震える手で、先程老人から取ったカギを金庫のカギ穴に差し込もうとした。だが、震えてなかなかカギが刺さらない。
男のゴツゴツとした巨大な手が、良の首に伸びてくる。
「ううぁぁぁあああああ」
良は声をあげながら、必死で手を動かした。
頼む、刺さってくれ!
男が良の首を掴むと同時、カチャンとカギの開く音がした。それは、男の耳にも届いたようである。男は良を持ち上げると、入り口のドアに向かって投げ飛ばした。
「ぐっ」
背中を激しくドアに叩きつけられ、良は尻もちをついた。なんとか目を開けて男を見ると、金庫のドアを開けようとしていた。
次の瞬間、金庫のドアから赤い液体が津波のようにあふれ出て来た。露天風呂で見た液体と似ている。いや、同じである。液体は男を飲み込み、男の身体を溶かしていく。
赤い液体は男を骨に変えて、金庫の中に引きずり込んだ。
金庫室の中は、しん、と静まり返った。良は呼吸を整えて、金庫に向かって這って行った。
……金庫の中身。
ふと、良は、デザニティキングダムの幻のオアシス争奪イベントを思い出した。
幻のオアシスの泉は金色に輝いていた。ぺーぺーをはじめとするBBBのメンバーで、他の同盟を圧倒し、幻のオアシスを占領したときの興奮。結局のところ、いつも他の同盟に取られて、最終的な支配権は取ることができていない。
幻のオアシスイベント、一回は、勝ちたかったな。でも、みんなでイベントに参加できたら、それだけでも楽しかった。
……金庫の中身を取れば、楽になれる?
良はそっと、金庫の中に腕を伸ばした。
そのとき、良の背後に、顔を半分失った老夫妻が立った。良の指先に何かが触れた瞬間、老夫婦は半分残った顔にある口を大きく開き、良の首に噛みつこうと飛び掛かった。良は振り向きざまに、老夫婦の紫色の舌を見たが、痛みを感じる間もなく意識を失った。
『お疲れ様~!』
『お疲れさまでした』
『お疲れ~』
『おつです』
『幻イベお疲れ様です(`・ω・´)ゞ』
『ありがとうございました!』
『皆さんお疲れ様でした。今回は2位です。皆さんが頑張ってくれたおかげです! 報酬分配するので、待っててください』
『良勇者さん、いつもありがとう』
『良さんの突撃かっこよかったー!』
『盟主さすがです』
『ぺーぺーさん強すぎて』
……これは、みんなの声だ。幻のオアシスイベントが終わったとき。
『良さん、お疲れ様でした』
個人チャットで、ぺーぺーがコメントをくれた。年齢も、男か女かもわからない、同盟チャットにもほとんど顔を出さないぺーぺー。イベントの作戦会議とか、個人チャットでやりとりをしていたけれど、必要なこと以外何も話さない。
それでも、僕はぺーぺーを信頼していた。ゲームの約束は必ず守るし、時間にも正確だ。プライベートなんて一切わからないけれど、良い人なんだろうなって思ってた。
別に、直接会いたいって思ったことは一度もない。ゲーム上の関係。ぺーぺーも、僕に対して、そんな感じなんじゃないかと思う。
それは、薄い関係なんだろうか。リアルの出来事よりも軽いだろうか。
僕にとっては、本当に大切な世界で、そこに入り浸っているときが何より生きているときだったのに。
いやになったら、同盟脱退するだけ。挨拶も何もなく消える人なんてたくさんいる。
僕もそういうふうに消えるのか。何も言わず、急に。
ありがとうも言わずに。
みんなを捨てるみたいに。
……それは、とても、寂しいことだ。
良がうっすらと瞼を開けると、頬の青白い青年が自分を見下ろしているのが見えた。草の上に仰向けになって転がっていて、あちこち草に引っかかれてかゆい。
「……あ、れ……?」
良はゆっくりと起き上がった。雑草で満たされた地面の上。自分と青年を囲うように生えたすすきの群れ。コオロギの泣き声。空には、月明かりが灰色に変えた雲。
屋外である。
「勇者さん、気が付きましたか」
勇者と呼ばれて、良は青年が誰だったのかを思い出した。
「クレイさん……?」
「金庫室の中身、見つけたんですね」
良はふと、自分の手に握られているものに気が付いた。強く握ってしまったから、しわくちゃになってしまった一枚の絵ハガキ。セピア色の写真。まだ盛況だったころの任比山山荘が写っている。
「……クレイさん、ここの山荘の人たちを殺した古賀って人は、どうなったの?」
「山荘の金庫室で老夫婦を殺害後、首を吊って死にました。自殺です」
「……」
「勇者さんも、あんなふうになりたいですか?」
「え?」
「あなたも人を殺したんでしょう。自殺すれば、古賀さんの仲間入りです」
良は、斧を振り上げて追いかけて来た大男を思い出し、ぞっとした。男は罪を償うこともなく、自分で死を選び、その魂は山荘にとどまった。殺された老夫婦も、山荘の宿泊客も浮かばれず、山荘の中で殺され続けている。
金庫の中身は、美しい任比山山荘の写真だった。きっと、山荘の主人にとってはこのきれいな建物が自慢だっただろうし、宝物だったのだ。そこに沸く温泉も、山荘の宿泊客を癒していた。
それなのに、事件後山荘は荒れ果て、主人の宝物は人々から忌み嫌われるものへと変貌してしまった。
……旺介くんにも、大切なものがあったんだろうか。
良はようやく、旺介のことを想像した。
旺介はサッカーを続けていた。サッカーチームの仲間もいた。旺介のチームメイトから旺介を奪った。旺介の宝物を奪った。
このまま何もしないで死んだら、旺介も成仏することができずに、細い路地にとどまることになるのだろうか。夜になれば真っ暗で、ほとんど誰も通らないような、寂しい路地に。
何より、自分が古賀のようになるのはいやだ。仲間は、別にいる。
良は落ち着いた声で、久礼に言った。
「……僕、自首するよ」
「そうですか」
良は山荘の敷地から出ると、車の助手席に乗り、ズボンのポケットからスマホを取り出した。デザニティキングダムにログインし、同盟チャットにコメントした。
『突然だけど、僕はしばらくここから離れます。ごめんなさい。盟主はぺーぺーに譲ります。みんな、元気でね』
それから同盟主をペーペーに移し、同盟から脱退した。
久礼は、山荘の敷地から出てから振り向き、入り口の引き戸を見た。引き戸の下部の隙間から、赤い液体がにじみ出ている。久礼は眉一つ動かさずに、車のほうに向きなおった。同時に、赤い液体は屋内へと引っ込んだ。
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