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山小屋㉒
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刹那、部下たちはそれぞれの手を名取の身体に突き刺した。身体を貫通して血に濡れた手が、四本見えた。
名取は血を吐いた。部下たちは名取の両腕、両足に絡みつき、身体の骨を折り、名取の身体に覆いかぶさっていく。その様子を、永遠はただ見ているしかできなかった。
目の前で繰り広げられる恐ろしい光景に、永遠は思考を奪われた。立ちすくんで震えていると、一人の部下の白い顔がむくりと起き上がり、見開かれた目が永遠をとらえた。
永遠は、「あっ」と小さく声を上げると、名取が指さしたトンネルに向かって歩き出した。
自然と溢れて来た涙をシャツの袖で拭いながら、永遠は歩いた。寒くて、何度も歩くことをあきらめようとした。
だが、あきらめなかった。必死で前だけを見て歩いて行った。
ついに、目の前に大岩が現れた。ちょうどかえるが座っている姿勢にそっくりな形をしている。岩の端にある小さなくぼみは、かえるの目のようだ。
かえる岩を挟んで、道が二股に分かれている。片方は上り、片方は下りの道である。永遠は上りの道を選んで進んだ。
かえる岩があったのだから、氷影小屋は近いにちがいない。その予想とは裏腹に、歩いても歩いても小屋らしきものは出てこない。
雪化粧された草木と、真っ白な道。雪に、何度も足を取られた。何度も転倒した。それでも起き上がり、前へと進んだ。
ずっと死ぬことを考えていた。死ぬしかないと、それだけを思っていた。るまへの罪悪感と、るまを失った絶望で、何も考えられなくなっていた。
それが、ここに来て初めて、疑問を抱いたのだ。
なぜ、るまは死ななければならなかったのか。
疑問は怒りに変わり、怒りは死を望む気持ちを忘れさせた。
納得できない。
生きたいと思ったわけではない。だが、このまま死ぬこともできなくなった。
永遠は、スコップを支えに下を見て歩いていた。自分がつけた足跡を確認しながら、前へ前へと脚を動かしていた。
ふと、永遠は顔を上げて前を見た。
「あ……」
屋根が雪に覆われた、木造りの小屋。見覚えがある。あのドアノブを握ったあと、この雪の世界に放り込まれた。
もう一度ドアノブを握れば、元の場所に戻れる?
永遠は一心不乱で小屋の前まで歩いて行き、ドアノブに手をかけた。ノブを回すと、鍵はかかっておらず、ドアが開いた。
ドアの向こう側は、元の世界ではなかった。右側に木製のテーブルが置かれた団欒スペース、炊事場、暖炉。正面の廊下の奥には、左右にいくつかドアがある。永遠はひとつひとつドアを開けてみた。中には、敷布団と毛布がたたんで置かれていた。宿泊部屋のようである。
永遠は団欒スペースに戻り、椅子に座った。どっと疲労が襲ってきた。思わずテーブルに両腕を置き、顔を伏せた。
……このあと、どうしたらいいんだろう。
ぼんやりしていると、脳裏にるまの顔が浮かんできた。
るま。会いたいよ。
るまのことを思うと、どうしても涙がにじむ。それはほろほろとこぼれて、腕を濡らした。
「……晴れの日も雨の日も」
永遠の唇の端から、歌がこぼれる。るまのことを想って作った歌だ。
晴れの日も雨の日も
この景色のなかに君がいたらいいなと思う
見えなくても感じられたら
寂しかった心に温かいランプの光
触れられなくても照らしてくれてるとわかるから
涙でかすれた声で歌った。
「ロキ」
そっと、永遠の肩に手が置かれた。永遠は驚いて、おそるおそる顔を上げて振り向いた。
もう、いないはずの人だった。絶対に会うことができるはずのない人間。白いシャツを着た、雪山に似つかわしくない恰好をしたその人は、永遠が一番会いたい人だった。
「……るま……!」
永遠は立ち上がり、るまに抱きついた。るまもまた、永遠の肩に両腕を回し、永遠を強く抱きしめた。そこには、確かなぬくもりがあった。
「どうして……るま、どうして……!」
聞きたいことがたくさんある。言いたいこともたくさん。
「ロキ、ごめんね。私は、もう行かないといけない」
「やだ! 私もるまといっしょに行く! るまといっしょにいたいよ」
「ありがとう。その気持ちだけで十分だよ。ロキはね、まだまだやらないといけないことがたくさんあるよ」
「やらなきゃならないこと……?」
「ロキは、これからたくさんの人に愛されるの。きっと、ロキの居場所が見つかる。だから、生きてほしい」
「そんな……っ。私、家も、学校も、どこにも居場所なんてないんだよ! みんな、私のことなんかどうでもいいんだよ。私が死んだって、誰も悲しまない」
「私は悲しいよ」
永遠はハッとしてるまを見上げた。
「ロキが歌うとき、私は必ずそばにいる。ずっと見守っているから」
るまはにっこりと笑って、永遠の頭をなでた。その手はしだいに透き通り、質量を失っていく。永遠に伝わっていたはずのぬくもりが消えていく。
「そんな……るま、行っちゃ嫌だ! いやだよ!!」
永遠はもう一度るまに抱きつこうとしたが、腕はるまの身体をすり抜けた。
もう、どこにもいない。
部屋の中を見回しても、もう、るまはいなかった。
永遠はひとしきり泣いたあと、ふと、暖炉のそばの小さな机を見た。時計が置いてある。その傍に、丸いコンパスがあった。
「それではロキさん、実験です。氷影小屋のなかから、名取さんのコンパスを見つけてきてください」
久礼の言葉を思い出した永遠は、暖炉のそばまで歩き、コンパスを手に取った。
名取は血を吐いた。部下たちは名取の両腕、両足に絡みつき、身体の骨を折り、名取の身体に覆いかぶさっていく。その様子を、永遠はただ見ているしかできなかった。
目の前で繰り広げられる恐ろしい光景に、永遠は思考を奪われた。立ちすくんで震えていると、一人の部下の白い顔がむくりと起き上がり、見開かれた目が永遠をとらえた。
永遠は、「あっ」と小さく声を上げると、名取が指さしたトンネルに向かって歩き出した。
自然と溢れて来た涙をシャツの袖で拭いながら、永遠は歩いた。寒くて、何度も歩くことをあきらめようとした。
だが、あきらめなかった。必死で前だけを見て歩いて行った。
ついに、目の前に大岩が現れた。ちょうどかえるが座っている姿勢にそっくりな形をしている。岩の端にある小さなくぼみは、かえるの目のようだ。
かえる岩を挟んで、道が二股に分かれている。片方は上り、片方は下りの道である。永遠は上りの道を選んで進んだ。
かえる岩があったのだから、氷影小屋は近いにちがいない。その予想とは裏腹に、歩いても歩いても小屋らしきものは出てこない。
雪化粧された草木と、真っ白な道。雪に、何度も足を取られた。何度も転倒した。それでも起き上がり、前へと進んだ。
ずっと死ぬことを考えていた。死ぬしかないと、それだけを思っていた。るまへの罪悪感と、るまを失った絶望で、何も考えられなくなっていた。
それが、ここに来て初めて、疑問を抱いたのだ。
なぜ、るまは死ななければならなかったのか。
疑問は怒りに変わり、怒りは死を望む気持ちを忘れさせた。
納得できない。
生きたいと思ったわけではない。だが、このまま死ぬこともできなくなった。
永遠は、スコップを支えに下を見て歩いていた。自分がつけた足跡を確認しながら、前へ前へと脚を動かしていた。
ふと、永遠は顔を上げて前を見た。
「あ……」
屋根が雪に覆われた、木造りの小屋。見覚えがある。あのドアノブを握ったあと、この雪の世界に放り込まれた。
もう一度ドアノブを握れば、元の場所に戻れる?
永遠は一心不乱で小屋の前まで歩いて行き、ドアノブに手をかけた。ノブを回すと、鍵はかかっておらず、ドアが開いた。
ドアの向こう側は、元の世界ではなかった。右側に木製のテーブルが置かれた団欒スペース、炊事場、暖炉。正面の廊下の奥には、左右にいくつかドアがある。永遠はひとつひとつドアを開けてみた。中には、敷布団と毛布がたたんで置かれていた。宿泊部屋のようである。
永遠は団欒スペースに戻り、椅子に座った。どっと疲労が襲ってきた。思わずテーブルに両腕を置き、顔を伏せた。
……このあと、どうしたらいいんだろう。
ぼんやりしていると、脳裏にるまの顔が浮かんできた。
るま。会いたいよ。
るまのことを思うと、どうしても涙がにじむ。それはほろほろとこぼれて、腕を濡らした。
「……晴れの日も雨の日も」
永遠の唇の端から、歌がこぼれる。るまのことを想って作った歌だ。
晴れの日も雨の日も
この景色のなかに君がいたらいいなと思う
見えなくても感じられたら
寂しかった心に温かいランプの光
触れられなくても照らしてくれてるとわかるから
涙でかすれた声で歌った。
「ロキ」
そっと、永遠の肩に手が置かれた。永遠は驚いて、おそるおそる顔を上げて振り向いた。
もう、いないはずの人だった。絶対に会うことができるはずのない人間。白いシャツを着た、雪山に似つかわしくない恰好をしたその人は、永遠が一番会いたい人だった。
「……るま……!」
永遠は立ち上がり、るまに抱きついた。るまもまた、永遠の肩に両腕を回し、永遠を強く抱きしめた。そこには、確かなぬくもりがあった。
「どうして……るま、どうして……!」
聞きたいことがたくさんある。言いたいこともたくさん。
「ロキ、ごめんね。私は、もう行かないといけない」
「やだ! 私もるまといっしょに行く! るまといっしょにいたいよ」
「ありがとう。その気持ちだけで十分だよ。ロキはね、まだまだやらないといけないことがたくさんあるよ」
「やらなきゃならないこと……?」
「ロキは、これからたくさんの人に愛されるの。きっと、ロキの居場所が見つかる。だから、生きてほしい」
「そんな……っ。私、家も、学校も、どこにも居場所なんてないんだよ! みんな、私のことなんかどうでもいいんだよ。私が死んだって、誰も悲しまない」
「私は悲しいよ」
永遠はハッとしてるまを見上げた。
「ロキが歌うとき、私は必ずそばにいる。ずっと見守っているから」
るまはにっこりと笑って、永遠の頭をなでた。その手はしだいに透き通り、質量を失っていく。永遠に伝わっていたはずのぬくもりが消えていく。
「そんな……るま、行っちゃ嫌だ! いやだよ!!」
永遠はもう一度るまに抱きつこうとしたが、腕はるまの身体をすり抜けた。
もう、どこにもいない。
部屋の中を見回しても、もう、るまはいなかった。
永遠はひとしきり泣いたあと、ふと、暖炉のそばの小さな机を見た。時計が置いてある。その傍に、丸いコンパスがあった。
「それではロキさん、実験です。氷影小屋のなかから、名取さんのコンパスを見つけてきてください」
久礼の言葉を思い出した永遠は、暖炉のそばまで歩き、コンパスを手に取った。
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