それ、しってるよ。

eden

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「ねえ、どうだった?」

 2年4組の教室に戻って来た璃星に、ツインテールの女子――児玉あずみが、大きな瞳を好奇心いっぱいに輝かせて訊ねてきた。

 璃星は、

「人と話すのが苦手な子みたいだね」

と、答えた。

「えーっ、コミュ障ってこと? やだなぁ、変人が増えるわ」

 大きくため息をついたあずみに、クラスの半数以上の視線が集まる。あずみは、それを意に介さない。

 現代文の教科書を持った、副担任の栗栖好君クリススナオが、苦笑いを浮かべながらあずみに注意をした。

「児玉さん、それは休憩時間に話して」

「えーっ、先生だって気にならないですか? 6月の、こんな変な時期に転校してきて、いきなりぶっ倒れるんだもん。しかも私たちの仲間なんでしょ?」

 仲間。この言葉に、クラスの半数以上が眉をひそめた。教室内の空気がよどむ。あずみはそれでも気にしない。

「松永くんだって、あの子が気になったんでしょ?」

 あずみは後方を振り返って、一番後ろの席に座っている千宙に声をかけた。千宙は返事もしなければ、視線を上げることもしなかった。あずみは口を尖らせた。

「また無視だよ~」

 そのとき、机を思い切り叩く音が響いた。校庭を見下ろすことができる窓際の席に座っている、正木秀佳マサキシュウカが、あずみを睨みつけて言った。

「うるっさいんだけど。静かにしてくれない?」

 あずみも秀佳を睨み返したが、すぐにくすっと笑ってクラスの中央の席に着いた。

「進学の人は必死で授業受けなきゃね」

 あずみは小さく呟いたつもりだったのかもしれない。だが、秀佳は聞き逃さなかった。もう一度机を叩きたくなる気持ちを抑えて、秀佳は拳を握りしめた。

 クラスに静寂が戻る。栗栖は何事もなかったかのように教科書を読み始めた。

 昼休憩が終わるころに、未子は2年4組の教室に向かった。廊下を走って男子を避けて、おしゃべりに夢中になる女子の集団をいくつもかわして。

 私は空気、私は空気、私は空気。

 未子は自分に暗示をかけながら、そうっと2年4組の教室に入った。

「あっ、来た!」

 入った瞬間に大きな声を出されて、未子は肩を震わせた。あずみが満面の笑みを浮かべて未子に近づいてきた。

「えっと、山下さんだっけ? 未子ちゃんっていうんだよね? みーこって呼ぶね?」

 返事をする前にまくしたてられて、未子はあっけにとられた。

「みーこの席はあそこ。松永くんの隣だよ」

 あずみが指さしたのは、眼鏡をかけた男子――千宙の席の隣。教室の一番角の席だった。

 よかった。端っこだ。

 未子はほっとしたようにうなずくと、席に向かった。あずみはにこにこしながら未子の後ろをついてくる。

 本当だ、めっちゃ陰キャじゃん。

 あずみの心の声が、未子の背中に刺さる。

 傷つくな、私。陰キャって、本当のことだもん。このくらいで傷つかない。

 未子が席に着くと、あずみが机の前でしゃがみこみ、机の上に両腕を置いた。大きな目で未子を見上げて、にこにこ話しかけてくる。

「ね、みーこはどうして今の時期に転校してきたの? 家ってどの辺? 前はどこに住んでたの?」

「えっ……」

「スマホ持ってないって本当? もしかして勉強しかしない人?」

 次々に飛んでくる質問に、未子は対応できない。未子が何も答えられないでいると、璃星があずみの肩に手を置いて言った。

「あずみ、あんまり困らせたらダメだよ」

「え~っ、いろいろ気になるんだけど」

「もうすぐ授業始まるし、席に戻ろう」

「は~い」

 あずみは璃星の言うことを聞いて、席に戻っていく。

 あいつ本当にうざい。転校生困ってんじゃん。仲間って何。自分は特別って言いたいんでしょ。うるせー。

 あずみに向けられる、クラスメイトたちの声が、未子に届く。

 未子はあずみを見た。あずみは平然としている。

 これだけマイナスの感情を向けられて、平気でいられるんだ。

 未子はあずみの心の中に少しだけ興味を抱いた。が、すぐに自分にストップをかけた。

 ダメダメ。私から人の心の中を覗きに行くのはいや。入ってくる感情に対応するだけで精一杯なのに。

 授業が始まると、ほとんどのクラスメイトは授業内容に集中した。雑念が聞こえてこない。それは、未子にとって安心できる状態。


 その中で、ふいに、誰かの声が聞こえてきた。


 ヒロト……早く会いたい。


 女子の誰か。


 好きすぎて、もう、ぐちゃぐちゃだよ。早く触ってほしい。


 未子は衝撃で顔が熱くなった。思わずうつむき、両サイドの長い髪で顔を隠した。

 誰だろう。強い想い。好きで、好きで、たまらない。こんなに誰かのことを好きになるなんて。私にはない感情だ。

 その女子は、古文の時間いっぱい、ヒロトのことを考えていた。未子は、女子の声をできるだけ聞かないように、古文の教科書を心の中で音読し続けた。古文の教師の話はいっさい耳に入らなかった。

 5時限目は化学で、化学室に移動して授業を受けた。6時限目は教室に戻り、地理の授業を受けた。清掃、ホームルーム。どの時間も、あずみと璃星が未子を案内した。

 ホームルームが終わったところで、あずみと璃星ではない女子が声をかけてきた。少し気の強そうな顔立ちをした、セミロングヘアの女子。秀佳である。

「あのさ、あずみたちとあんまり関わらないほうがいいよ」

「え……?」

「とくに、璃星には気を付けたほうがいい」


 呪われているから。


 秀佳の心の声が聞こえてくる。


 あれ、この声、さっきの……?


 そこに、あずみと璃星がやってきた。

「なに話してるの?」

 あずみに声をかけられて、秀佳はあからさまに不機嫌な表情になり、「別に」と言って立ち去った。

「な~に、あいつ。感じ悪」

「未子、なにか言われた?」

 未子は慌てて首を横に振った。

 璃星は未子をじっと見つめて、「そう」と言った。そのまなざしは、未子を確かめているようだった。

 だが、とくに気になるような心の声は聞こえてこない。むしろ、無、だ。璃星の心はつかみどころがない。

 一方、あずみのほうの心の中は賑やかである。

 秀佳ムカつく。調子に乗ってる。どうせ私の悪口言ってたんでしょ。いちいちつっかかってきて、めんどくさい。いなくなればいいのに。

 ふいに、千宙が席を立った。未子たちには一瞥いちべつもくれず、さっさと教室から出て行く。

「あ……」

 ハンカチ、借りっぱなしだ。未子はスカートのポケットに入っている紺色のハンカチのことを思い出した。

 洗濯して、明日、返そう。

「私たちも帰ろうよっ」

 あずみが言うと、璃星はうなずいた。

「みーこもいっしょに帰ろう?」

 あずみに誘われて、未子はどうしようか迷った。

「あっ、えっと……」

「未子は、帰りは自転車なの? それともバス?」

「ば、バスで帰るよ」

「えーっ、そうなんだ。じゃあ、いっしょに帰れないね。私たち自転車だから」

 あずみが残念そうに言う一方で、未子はほっとしていた。

「じゃあ、また明日! バイバイ」

 あずみは無邪気に手を振って、璃星といっしょに教室を出て行った。そのとき、あずみと璃星が手をつないでいることに、未子は気が付いた。


 仲良いなあ、あの二人。

 少し、うらやましいような。今は転校してきたばかりだから声をかけてくれるんだろうけど、そのうち離れていくんだろうな。きっと、あの二人の仲に私は入れない。

 いいんだ、それで。


 未子はふとため息をついて、腕時計で時間を確認した。学校前のバス停に次のバスが来るまで、あと15分。

 帰ろう。未子はカバンを持って席を立った。
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