それ、しってるよ。

eden

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 未子と千宙は、秀佳を家まで送り届けたあと、未子の家に向かって歩いた。

「……璃星、どうして秀佳ちゃんの彼氏さんと会ったんだろう」

「正木さんの彼氏のことが好き……って感じはしないな」

「よくない感じがする」

 暗い夜道だが、未子の顔色が悪いことに、千宙は気が付いた。

「大丈夫?」

「えっ?」

「なんか、つらそう」

 先程、秀佳の悲しみを受け取った。彼氏が浮気した、それも、自分の同級生と。自分より成績優秀な、美人と。

 璃星に、負けた。成績だけじゃない、恋愛でも。その屈辱は、身体が引き裂かれるほどに痛みを伴った。

 ヒロトへの怒り、璃星への怒り。自分という人間をとてつもなく軽んじられた、絶望。

 その感情すべてを、未子は受け取った。体調を崩しかねないほど、強い負の感情を。

「……私は、大丈夫。それより、秀佳ちゃん、大丈夫かな」

「今日のところは大丈夫だよ。ちゃんと家に帰ったし」

 まだ不安そうな未子の頭を、千宙はなでた。

「未子は優しいね」

 意外な言葉をかけられて、未子はとまどった。

「俺は、天城が何をたくらんでいるのかのほうが気になるよ」


 2人は黙りこくった。

 いっしょに自転車に乗ったら、家に早く帰ることができる。でも、そうしないで歩いているのは、まだ話したいから。

 次の言葉が見当たらなくても。


 ふと、未子はショルダーバッグの中からスマホを取り出した。まだ、紫藤から連絡はきていない。

「……先生から、返事がない」

「先生?」

「うん。紫藤先生。出かけるからって連絡したんだけど……」

 ふいに、生ぬるい風が未子の身体を包んだ。


 未子ちゃん、ごめんな。


 紫藤の声がした。心の声だ。未子はあたりをきょろきょろ見回したが、紫藤はいない。

 どこから聞こえて来たのか。


 ごめんな、って、どういうこと?


 未子は胸騒ぎがした。

「どうかした?」

 千宙に訊ねられて、未子は不安を口にした。

「先生に、何かあったのかもしれない」

 少し連絡が取れないだけで、気にしすぎだよ。と、千宙は言えなかった。焦りと不安をにじませた表情を浮かべている未子を見て、本当に、何かあったんじゃないかと思った。

 だが、もう夜中である。紫藤の行先を調べる術もない。

「未子も、ひとまず家に帰ろう。何かあったら、すぐ連絡して。いつでも行くから」

 未子はうなずいた。


 山下家に戻り、未子はこっそりと自分の部屋に入った。連絡のこないスマホの画面を見つめながら、紫藤のことを考えた。

 先生は、天城のことを調べていた。きっと、慈盛組のことも。何かあったとしたら、天城や慈盛組の人間とぶつかったってことかもしれない。

 先生は強い。でも、一人だ。多勢に無勢で来られたら、さすがの先生でも……。


 未子は机に突っ伏して眠っていた。スマホの着信音で目を覚ました。

 紫藤の番号から電話がかかってきたのだ。

「もっ、もしもし、先生っ!?」

「もしもし、すみません。スマホをお借りして電話しています。警察の者ですが」

 未子は声を失った。

 警察? なんで警察から電話が?

「このスマホの持ち主の方、紫藤颯一さんでよろしいですかね。紫藤颯一さんのスマホに登録されている連絡先が、こちらの電話番号だけでして。あなたは、山下未子さんでお間違いないですか?」

「は、はい……。あ、あの、紫藤先生、何かあったんですか?」

「……大変申し上げにくいのですが、事故に遭われたようで。先程、橋の下で見つかりまして……」

 電話を切ると、未子は家を飛び出し、警察から告げられた場所に向かって走った。朝、少し涼しい風が吹いていたあ、すぐに汗だくになった。息が切れて、何度も立ち止まった。

 混乱する頭で、ふいに思い出したのは千宙のことである。

 未子は千宙に電話をかけた。早朝だったが、千宙は電話に出た。

「もしもし、未子?」

「千宙っ、先生が、先生が見つかったって……」

「見つかった?」

「橋の下で……事故に遭って、土手から転がり落ちて……」

「未子、今、どこにいるの」

「先生のところに向かってる」

「場所は」

 千宙に、広島の繁華街とベッドタウンとをつなぐ橋のひとつを伝えて、未子は電話を切った。

 それからまた走った。走って、走って、自然と溢れてくる涙を宙に飛ばした。


 先生、嘘だよね。

 私が施設にいたときから、ずっと見守っててくれたじゃない。どこに行ったって、連絡したら応えてくれた。連絡が取れなくなったときも、捜して、見つけ出してくれたじゃない。

 できるだけ普通に生きてほしいって、裏社会とかかわりなく過ごしてほしいって、先生が言った。だから、先生は、私に会おうとしないで、遠くから見守っていてくれた。

 そばにいなくても、先生は、私のお父さんみたいだった。

 なのに、こんな形でいなくなるの?

 私が、璃星のことを相談したから。天城を調べようとしたときに、波間さんのことも知った。天城、慈盛組、波間さん……すべてつながってしまったから。


 朝日が川面をきらきらと輝かせ、人々が新しい一日を始める。そんな何気ない日常にそぐわない光景が、橋の下に広がっていた。

 ブルーシートの張られた一画の周辺で、何人もの警察官がそれぞれの作業をしている。

「未子っ」

 土手の上で、自転車に乗って来た千宙と鉢合わせた。お互い、汗だくになっている。

 千宙はその場で自転車を停めると、未子といっしょに階段を下りて、ブルーシートめがけて走った。

「あっ、君たち、ここに入ったら……」

「俺たちは紫藤颯一の関係者だっ」

 千宙はそう言って、警察官の制止を払いのけ、未子といっしょにブルーシートの中に入った。

 ブルーシートの中にも警察官が数名いた。一斉に未子と千宙を睨みつけてきたが、2人はそれよりも、地面に横たわっている人間を凝視した。

 顔は腫れあがり、原形をとどめていない。赤黒い血がこびりついている。血の隙間にかろうじて見える肌の色さえ、変色している。腕や脚もあらぬ方向に折れ曲がっている。

 それでも、未子はわかった。わかってしまった。

「せ……せんせ……?」

 未子は膝から崩れ落ち、地面を這いながら紫藤の顔のそばに近づいた。

「お、おいっ」

 警察官たちが未子を止めようとするが、千宙が抑えた。

 未子は紫藤の肩に触れた。違和感があった。どこに触れても、腫れている。

 紫藤は、全身の骨が打ち砕かれていた。

「先生っ、……どうして、こんな……っ」

 泣きじゃくる未子を見て、警察官たちも胸を痛めた。だが、いつまでもこの場にいることを許すわけにはいかない。

「さあ、出て」

 半分力づくで未子と千宙をブルーシートから出した。


 未子も千宙も、紫藤の家族ではない。警察官たちによって、事件現場から追い出された2人は、最寄りの公園で足を止めた。

 千宙はベンチに未子を座らせ、近くにあった自販機でアイスティーを買って渡した。

 未子はアイスティーのペットボトルを握りしめたまま、なかなか蓋を開けられずにいた。千宙は無言のまま未子の隣に座った。

 しばらくして、未子が口を開いた。

「……警察の人、ひき逃げだって。交通事故で処理するつもりみたい」

 そんなこと、言っていたかな。千宙は少し疑問に思ったが、黙って未子の話を聞いた。

「先生、全身の骨がぐちゃぐちゃだった。車にひかれて、あんなふうになるかな。あんな顔になるかな。……もう、犯人も決まってるって」

「決まってる……?」

高岸宏斗たかぎしひろと。そう、聞こえた」

「高岸……宏斗……? 宏斗って、まさか……」

 そんな偶然があるのか?
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