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嘘の約束が本物になる日
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目を覚ましたユルギが見たのは、どこまでも透き通るような青空と、金髪の少年の白い頬だった。少し視線を動かすと、石造りの建物が並んでいるのが見えた。記憶のなかに残る、仮非のくにの光景。それが今、目の前にある。
「目が覚めたみたいね」
聞き慣れない少年の声によって、ユルギの意識ははっきりした。黒いフードを被った少年の腕に抱えられていることに気づくと、慌てて離れようとした。
「ああっ、暴れないで」
黒いフードの少年は石造りの建物のひとつに入り、簾を下ろした。それからユルギを立たせた。
「ここは……」
薄暗い部屋の端で、ツルギがヒロセの身体をロープで縛っている。ユルギがヒロセに駆け寄ろうとすると、黒いフードの少年がユルギの腕を掴んだ。
「離して! ねえ、なんで。お兄ちゃん、なんでそんなことしているの!?」
「アケル、ユルギに手荒なことをするのはやめろ」
アケルと呼ばれた黒いフードの少年は、桃色の唇に笑みを浮かべた。
「だってこの子、離すとすぐに逃げちゃいそうだから。脳のない鳥みたいに」
ユルギはカッとなって、アケルを睨みつけた。
「あら、怖い。美人は怒ったらダメよ、みんな怖がって近寄らなくなっちゃうわ」
こいつとは話にならない。ユルギは視線をツルギに移した。
「お兄ちゃん、なんなの、こいつ。一からちゃんと説明して」
ツルギはユルギに答えず、ヒロセを軽く揺さぶった。
「起きてください」
「う……うう、なんじゃ、ツルギ……」
目を覚ましたヒロセは、薄暗い部屋のなかを見回した。石造りの壁と天井、あるのはそれだけ。床はなく、砂地になっている。草ひとつ生えていない。ただの雨よけ用の小屋みたいだ。なぜ、こんなところにいるんだ? 研究所にいたはずなのに。そうだ、研究所に侵入者があった。その連絡が来て、ユルギが来て、それから……。
意識を取り戻すにつれて、ヒロセの顔は紅潮していく。
「ツールーギー!! お前っ、よくもワイを! 一発殴らせろ! ふぬっ!? 身体が動かん!」
身体をグラグラ動かすヒロセを見て、ユルギはダルマを連想した。ユルギの隣にいるアケルは、ヒロセを見て鼻で笑った。
「こんなのが仮非のくに随一の地理学者? 頭の良い人って、一見バカな人ってパターンが多いわよね」
ヒロセはアケルを睨んだ。
「なんじゃと!? お前こそ、男のくせに女みたいな喋り方をしおって。というか、お前かっ、侵入者というのは」
「そおよ。悪かったわね、女みたいな喋り方で。クセなのよ」
「お前、何者じゃ。どこから来た」
「お前じゃなくて、アケル。一応、アメリカ国籍を持っているわ。でも、アメリカのスパイっていうわけじゃない。どこのスパイでもない。ボクは日本人だから」
「日本人じゃと!? お前、まさか……」
何かに気づいたヒロセとは違い、ユルギは混乱していた。ユルギは、助けを求めるようにツルギを見た。
「お兄ちゃん、話がまったくわからない。この人、何者なの?」
「仮非のくにの協力者」
ツルギは短く答えた。
「え?」と、戸惑っているユルギに、アケルは言った。
「ユルギ、日本の国土を復活させる準備を、仮非のくにの内部だけで行えると思う? 日本が復活するには、日本の復活を他国に認めてもらわなくてはならないわ。つまり、他国との連携が必要不可欠」
「仮非のくにの外に、日本復活の準備を進めている人たちがいるってこと……?」
「そのとおりよ。なによ、頭良いじゃない。日本が消滅したとき、日本人は世界中に散らばったの。彼らは仮非のくにの居場所を知らされないまま、仮非のくにの人々を日本国土に還すために、各国と交渉を続けていたのよ。ボクは彼らの後継者の一人。日本の復活を願う者」
「ありえん!」
叫んだのはヒロセだ。
「百歩譲って、仮非のくにの外で、日本人の系譜が脈々と続いていたとしよう。じゃが、仮非のくにを見つけることは不可能のはず。黎明ツナギは仮非のくにの場所を、ここにいる人々以外の誰にも知らせてはおらん」
「そうね。ボクもずっと知らなかったし。でもね、見つけちゃったの。自分たちの力だけで日本を復活させることができるって信じている、おごり高ぶった研究者たちのお城をね」
「見つけたって、どうやって」
アケルは、ちらっとツルギを見た。その様子を見て、ヒロセは察した。
「ツルギ、お前か。お前が、外部と連絡を取ったのか」
ヒロセは口調を荒げた。
「どうやって連絡を取った! ツルギ、外部と接触するということは、仮非のくにを危機に陥れるのと同じことだとわかっているのか!? 言えっ、ツルギ」
「……んだよ」
「はあ!?」
「うんざりなんだよ!」
ツルギの怒鳴り声に、ヒロセは怯んだ。ツルギは憎しみを込めた目で、ヒロセを見下ろした。
「どいつもこいつも偉そうに。研究者だかなんだか知らねえが、人の自由を奪いやがって。そうだよ、俺がアケルを呼んだんだ。
あんたら研究者たちが心酔しているバリアーに、特定の誰かに信号を出す機能があるなんて知らなかっただろう。バリアーの機能を調べるのには随分時間がかかった。本当はバリアーを消す方法を探っていたんだがな。
黎明ツナギには、ヒカクではなく本当に信頼していた相手がいた。その相手に向けて送る信号を見つけたんだ。一週間前の夜に」
ツルギは、夜中に人目を忍んでは、バリアー管理室に出入りしていたのだ。ユルギは言葉を失ったまま、ツルギの話を聞いていた。
「ボクのほうは、メッセージが発信されるのをずっと待っていたよ。受信装置の存在を祖父から教えられていたからね。あの夜は嬉しかった。ずっとずっと待ち続けていたメッセージが届いたんだから。“ここにいるよ”ってね」
それで、飛んできたとでも言うのか。ツルギがアケルを呼んだということは、研究所のセキュリティを解除したのはツルギか。
ヒロセはアケルを睨みつけ、低い声で問いかけた。
「これからどうするつもりじゃ」
ヒロセとは対照的に、アケルはにっこりと笑って言った。
「日本を復活させる」
「本気なのか」
「そうよ、ただし」
アケルの言葉の続きは、ツルギが引き継いだ。
「仮非のくにの独裁者共は排除した上でな」
それは、誰のこと?
ユルギは、すぐにツルギに問いかけることができなかった。仮非のくにの独裁者。それは、仮非のくにを統治する存在。言い換えていけば、ツルギが排除しようとする相手が誰なのかわかる。わかりたくなくても、答えが出てしまう。
仮非のくにをコントロールしている研究所の人間。そのなかでも、トップの立場にいる者。
「お兄ちゃんは、お父さんとお母さんをどうするつもりなの……?」
ユルギが声を振り絞ると、ツルギは一瞬、切なそうに目を細めた。しかし、すぐに険しい表情に戻り、ユルギの目の前まで歩いてきた。そして、言った。
「あいつらは俺の本当の親じゃない」
ユルギは絶句した。今までずっと、ツルギのことを実の兄だと信じて疑ったことがなかったからだ。
一方のツルギは、物心ついたときから知っていた。自分の本当の両親は、自分が生まれてからまもなく病気で亡くなったことを。
仮非のくにに孤児院はない。幼くして親を失った子どもたちは、一度研究所に集められたあと、研究員の誰かのもとへ養子に出される。養子縁組は研究所によって強制されるものであり、研究員も養子となる子どもも拒否できない。
ユルギの祖父であるヒカクは生前、ツルギを養子にとるように、ヒロフミに命じた。「うまく育てて、使える研究員にしろ」という言葉を添えて。
ヒロフミは、ヒカクの命令を忠実に守った。幼いツルギに、「お前は俺の実の息子ではないが、わざわざ育ててやっているんだ。だから、お前は俺の役に立て。優秀な研究者になるんだ」と、繰り返し言って聞かせていた。ただし、ユルギのいない場所で。
「俺は、あいつらにとって養子という名の使用人だった。あいつらにとって都合よく働く研究員にならなければならなかった。
たしかに、俺はあいつらの実の息子じゃあない。だから、あいつらが俺に厳しくするのは、まだ我慢できた。でも、ユルギは実の娘なのに。ユルギのことまでずっと苦しめてきた」
「お兄ちゃん、私は……」
「ユルギ、必ずここから連れ出すって言ってきただろう。やっと嘘じゃなくなる」
ツルギは石造りの小屋から出て行った。あとを追いかけようとしたユルギの腕を、アケルは引っ張った。
「離して!」
「行ってはダメよ、危ないから」
「危ないって、なんで。お兄ちゃんは何をするつもりなの!? お父さんとお母さんはどうなるの」
「何もしないわ。あなたのお父さんとお母さんにはね」
「え……?」
「ツルギは、ただ、あなたを仮非のくにから連れ出したいだけよ。あなたを自由にしてあげたいだけ。でもね、ボクは違う。ユルギ、あなたには仮非のくにの真実を見てほしい。今、本当はこのくにがどんな状態にあるのか、あなたの目と耳で確かめてほしいの」
「……そんなこと、研究所でさんざん学んできたわ」
「いいえ、あなたは何もわかっていない。さっき見たでしょう、仮非のくにの人々が研究所に向けて怒りをぶつけているのを。なぜあんなに怒っているのか、あなたにわかる?」
ユルギは押し黙った。研究所で暮らすようになって以来、ユルギは研究所の外の様子を知らない。知らされてもいない。ユルギが知っているのは日本の歴史と、日本国土の地理、そして自分が日本の国土を復活させなければならないということだけ。
「おい、仮非のくにの人々が研究所に対して怒っているとはなんじゃ。いったい何が起こっとるんじゃ」
アケルはユルギの手を引いて、ヒロセに近づいた。そして、ヒロセに高い鼻を近づけ、青い瞳でヒロセを見据えた。
「革命よ」
「革命じゃと!? ユルギ、お前は何を見た」
「……中庭に、仮非のくにの人たちが集まっていて。みんな、すごく怒っていました。そういえば、よくわからないことも言っていたような気がする。バリアーは黎明ツナギが創ったものじゃないとか……」
ヒロセの顔は真っ青になった。その様子を見て、ユルギは不審に思った。そういえば、意識がなくなったのは、男の人がバリアーの話をしている途中だった気がする。自分の意識を奪ったのは兄のツルギだ。あそこまでいっしょに走っておきながら、どうしてあのタイミングで気絶させたのか。何か、自分に聞かせたくないことがあったのだろうか。
戸惑うユルギの手を、アケルは「絶対に離さない」と言うように握り締めた。
「先生、ボクはツルギから、ユルギとあなたをここに閉じ込めておくように言われている。でも、ボクはツルギの部下でもなんでもないわ。ボクはボクのやりたいようにする。だから、これからユルギにこのくにの真実を教えようと思うんだけど。あなたもいっしょに来る?」
ヒロセに迷う余裕はなかった。
「もちろん、行く。サユキ先生から、ユルギをひとりにしないようにと言われておるしな」
もう、「外に出すな」という約束は破ってしまったが。こうなってしまった以上、状況を正確に把握して、最善を尽くすしかない。
ヒロセは、ユルギから目を離さない、ひとまずそれだけを考えて行動することに決めた。ヒロセに逃げ出す意思はないことを察すると、アケルはヒロセを縛っているロープを解いた。ヒロセは立ち上がり、白衣やズボンについた砂を払った。
「まったく、手荒なことをしおって。それで、これからどうするんじゃ」
「仲間のもとに案内するわ」
「仲間?」
「そうよ。ユルギ、あなたもよく知っている」
……私もよく知っている? ユルギの緑色の瞳が困惑でいっぱいになり、思考が止まったとき、アケルの迷いのない青色の瞳だけが、これから向かうべき方向を知っているように光っていた。
「ついてきて」
アケルに手を引かれ、ユルギは研究所の外の世界を歩き始めた。
「目が覚めたみたいね」
聞き慣れない少年の声によって、ユルギの意識ははっきりした。黒いフードを被った少年の腕に抱えられていることに気づくと、慌てて離れようとした。
「ああっ、暴れないで」
黒いフードの少年は石造りの建物のひとつに入り、簾を下ろした。それからユルギを立たせた。
「ここは……」
薄暗い部屋の端で、ツルギがヒロセの身体をロープで縛っている。ユルギがヒロセに駆け寄ろうとすると、黒いフードの少年がユルギの腕を掴んだ。
「離して! ねえ、なんで。お兄ちゃん、なんでそんなことしているの!?」
「アケル、ユルギに手荒なことをするのはやめろ」
アケルと呼ばれた黒いフードの少年は、桃色の唇に笑みを浮かべた。
「だってこの子、離すとすぐに逃げちゃいそうだから。脳のない鳥みたいに」
ユルギはカッとなって、アケルを睨みつけた。
「あら、怖い。美人は怒ったらダメよ、みんな怖がって近寄らなくなっちゃうわ」
こいつとは話にならない。ユルギは視線をツルギに移した。
「お兄ちゃん、なんなの、こいつ。一からちゃんと説明して」
ツルギはユルギに答えず、ヒロセを軽く揺さぶった。
「起きてください」
「う……うう、なんじゃ、ツルギ……」
目を覚ましたヒロセは、薄暗い部屋のなかを見回した。石造りの壁と天井、あるのはそれだけ。床はなく、砂地になっている。草ひとつ生えていない。ただの雨よけ用の小屋みたいだ。なぜ、こんなところにいるんだ? 研究所にいたはずなのに。そうだ、研究所に侵入者があった。その連絡が来て、ユルギが来て、それから……。
意識を取り戻すにつれて、ヒロセの顔は紅潮していく。
「ツールーギー!! お前っ、よくもワイを! 一発殴らせろ! ふぬっ!? 身体が動かん!」
身体をグラグラ動かすヒロセを見て、ユルギはダルマを連想した。ユルギの隣にいるアケルは、ヒロセを見て鼻で笑った。
「こんなのが仮非のくに随一の地理学者? 頭の良い人って、一見バカな人ってパターンが多いわよね」
ヒロセはアケルを睨んだ。
「なんじゃと!? お前こそ、男のくせに女みたいな喋り方をしおって。というか、お前かっ、侵入者というのは」
「そおよ。悪かったわね、女みたいな喋り方で。クセなのよ」
「お前、何者じゃ。どこから来た」
「お前じゃなくて、アケル。一応、アメリカ国籍を持っているわ。でも、アメリカのスパイっていうわけじゃない。どこのスパイでもない。ボクは日本人だから」
「日本人じゃと!? お前、まさか……」
何かに気づいたヒロセとは違い、ユルギは混乱していた。ユルギは、助けを求めるようにツルギを見た。
「お兄ちゃん、話がまったくわからない。この人、何者なの?」
「仮非のくにの協力者」
ツルギは短く答えた。
「え?」と、戸惑っているユルギに、アケルは言った。
「ユルギ、日本の国土を復活させる準備を、仮非のくにの内部だけで行えると思う? 日本が復活するには、日本の復活を他国に認めてもらわなくてはならないわ。つまり、他国との連携が必要不可欠」
「仮非のくにの外に、日本復活の準備を進めている人たちがいるってこと……?」
「そのとおりよ。なによ、頭良いじゃない。日本が消滅したとき、日本人は世界中に散らばったの。彼らは仮非のくにの居場所を知らされないまま、仮非のくにの人々を日本国土に還すために、各国と交渉を続けていたのよ。ボクは彼らの後継者の一人。日本の復活を願う者」
「ありえん!」
叫んだのはヒロセだ。
「百歩譲って、仮非のくにの外で、日本人の系譜が脈々と続いていたとしよう。じゃが、仮非のくにを見つけることは不可能のはず。黎明ツナギは仮非のくにの場所を、ここにいる人々以外の誰にも知らせてはおらん」
「そうね。ボクもずっと知らなかったし。でもね、見つけちゃったの。自分たちの力だけで日本を復活させることができるって信じている、おごり高ぶった研究者たちのお城をね」
「見つけたって、どうやって」
アケルは、ちらっとツルギを見た。その様子を見て、ヒロセは察した。
「ツルギ、お前か。お前が、外部と連絡を取ったのか」
ヒロセは口調を荒げた。
「どうやって連絡を取った! ツルギ、外部と接触するということは、仮非のくにを危機に陥れるのと同じことだとわかっているのか!? 言えっ、ツルギ」
「……んだよ」
「はあ!?」
「うんざりなんだよ!」
ツルギの怒鳴り声に、ヒロセは怯んだ。ツルギは憎しみを込めた目で、ヒロセを見下ろした。
「どいつもこいつも偉そうに。研究者だかなんだか知らねえが、人の自由を奪いやがって。そうだよ、俺がアケルを呼んだんだ。
あんたら研究者たちが心酔しているバリアーに、特定の誰かに信号を出す機能があるなんて知らなかっただろう。バリアーの機能を調べるのには随分時間がかかった。本当はバリアーを消す方法を探っていたんだがな。
黎明ツナギには、ヒカクではなく本当に信頼していた相手がいた。その相手に向けて送る信号を見つけたんだ。一週間前の夜に」
ツルギは、夜中に人目を忍んでは、バリアー管理室に出入りしていたのだ。ユルギは言葉を失ったまま、ツルギの話を聞いていた。
「ボクのほうは、メッセージが発信されるのをずっと待っていたよ。受信装置の存在を祖父から教えられていたからね。あの夜は嬉しかった。ずっとずっと待ち続けていたメッセージが届いたんだから。“ここにいるよ”ってね」
それで、飛んできたとでも言うのか。ツルギがアケルを呼んだということは、研究所のセキュリティを解除したのはツルギか。
ヒロセはアケルを睨みつけ、低い声で問いかけた。
「これからどうするつもりじゃ」
ヒロセとは対照的に、アケルはにっこりと笑って言った。
「日本を復活させる」
「本気なのか」
「そうよ、ただし」
アケルの言葉の続きは、ツルギが引き継いだ。
「仮非のくにの独裁者共は排除した上でな」
それは、誰のこと?
ユルギは、すぐにツルギに問いかけることができなかった。仮非のくにの独裁者。それは、仮非のくにを統治する存在。言い換えていけば、ツルギが排除しようとする相手が誰なのかわかる。わかりたくなくても、答えが出てしまう。
仮非のくにをコントロールしている研究所の人間。そのなかでも、トップの立場にいる者。
「お兄ちゃんは、お父さんとお母さんをどうするつもりなの……?」
ユルギが声を振り絞ると、ツルギは一瞬、切なそうに目を細めた。しかし、すぐに険しい表情に戻り、ユルギの目の前まで歩いてきた。そして、言った。
「あいつらは俺の本当の親じゃない」
ユルギは絶句した。今までずっと、ツルギのことを実の兄だと信じて疑ったことがなかったからだ。
一方のツルギは、物心ついたときから知っていた。自分の本当の両親は、自分が生まれてからまもなく病気で亡くなったことを。
仮非のくにに孤児院はない。幼くして親を失った子どもたちは、一度研究所に集められたあと、研究員の誰かのもとへ養子に出される。養子縁組は研究所によって強制されるものであり、研究員も養子となる子どもも拒否できない。
ユルギの祖父であるヒカクは生前、ツルギを養子にとるように、ヒロフミに命じた。「うまく育てて、使える研究員にしろ」という言葉を添えて。
ヒロフミは、ヒカクの命令を忠実に守った。幼いツルギに、「お前は俺の実の息子ではないが、わざわざ育ててやっているんだ。だから、お前は俺の役に立て。優秀な研究者になるんだ」と、繰り返し言って聞かせていた。ただし、ユルギのいない場所で。
「俺は、あいつらにとって養子という名の使用人だった。あいつらにとって都合よく働く研究員にならなければならなかった。
たしかに、俺はあいつらの実の息子じゃあない。だから、あいつらが俺に厳しくするのは、まだ我慢できた。でも、ユルギは実の娘なのに。ユルギのことまでずっと苦しめてきた」
「お兄ちゃん、私は……」
「ユルギ、必ずここから連れ出すって言ってきただろう。やっと嘘じゃなくなる」
ツルギは石造りの小屋から出て行った。あとを追いかけようとしたユルギの腕を、アケルは引っ張った。
「離して!」
「行ってはダメよ、危ないから」
「危ないって、なんで。お兄ちゃんは何をするつもりなの!? お父さんとお母さんはどうなるの」
「何もしないわ。あなたのお父さんとお母さんにはね」
「え……?」
「ツルギは、ただ、あなたを仮非のくにから連れ出したいだけよ。あなたを自由にしてあげたいだけ。でもね、ボクは違う。ユルギ、あなたには仮非のくにの真実を見てほしい。今、本当はこのくにがどんな状態にあるのか、あなたの目と耳で確かめてほしいの」
「……そんなこと、研究所でさんざん学んできたわ」
「いいえ、あなたは何もわかっていない。さっき見たでしょう、仮非のくにの人々が研究所に向けて怒りをぶつけているのを。なぜあんなに怒っているのか、あなたにわかる?」
ユルギは押し黙った。研究所で暮らすようになって以来、ユルギは研究所の外の様子を知らない。知らされてもいない。ユルギが知っているのは日本の歴史と、日本国土の地理、そして自分が日本の国土を復活させなければならないということだけ。
「おい、仮非のくにの人々が研究所に対して怒っているとはなんじゃ。いったい何が起こっとるんじゃ」
アケルはユルギの手を引いて、ヒロセに近づいた。そして、ヒロセに高い鼻を近づけ、青い瞳でヒロセを見据えた。
「革命よ」
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戸惑うユルギの手を、アケルは「絶対に離さない」と言うように握り締めた。
「先生、ボクはツルギから、ユルギとあなたをここに閉じ込めておくように言われている。でも、ボクはツルギの部下でもなんでもないわ。ボクはボクのやりたいようにする。だから、これからユルギにこのくにの真実を教えようと思うんだけど。あなたもいっしょに来る?」
ヒロセに迷う余裕はなかった。
「もちろん、行く。サユキ先生から、ユルギをひとりにしないようにと言われておるしな」
もう、「外に出すな」という約束は破ってしまったが。こうなってしまった以上、状況を正確に把握して、最善を尽くすしかない。
ヒロセは、ユルギから目を離さない、ひとまずそれだけを考えて行動することに決めた。ヒロセに逃げ出す意思はないことを察すると、アケルはヒロセを縛っているロープを解いた。ヒロセは立ち上がり、白衣やズボンについた砂を払った。
「まったく、手荒なことをしおって。それで、これからどうするんじゃ」
「仲間のもとに案内するわ」
「仲間?」
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……私もよく知っている? ユルギの緑色の瞳が困惑でいっぱいになり、思考が止まったとき、アケルの迷いのない青色の瞳だけが、これから向かうべき方向を知っているように光っていた。
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