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第14話 招かれざる使者
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アランが去ってから数日、風見亭には平穏が戻っていた。
だがその静けさの裏で、確実に何かが動き始めている。
エドガーの顔には焦りはないが、指先の落ち着かぬ仕草や、遠くを見つめる目の色が、それを物語っていた。
彼は毎日巡回と称して村の外れへ出て行き、帰ってくるのはいつも日が落ちる頃。
レティシアはマーサとともに宿を切り盛りしながら、その背中を見送るしかなかった。
朝の光が差し込む台所で、彼女は皿を磨きながらふと息を吐いた。
「またきっと何か隠してる……」
愚痴にも似たかすかなつぶやきが零れる。
彼が何も言わないのは、きっと自分を巻き込みたくないからだ。
それが分かっても、胸の奥が疼く。
その日の昼過ぎ、村の入り口で騒ぎが起きた。
「王国の使者が来たぞ!」
その声に宿の客たちがざわめく。
レティシアの手から皿が滑り落ち、床で乾いた音を立てた。
胸が締めつけられる。
まさか、また――。
慌てて外に出ると、坂の向こうから馬に乗った三人の兵士が姿を現した。
鎧は新しく、王家の青い紋章が輝いている。
先頭に立つ男は、まだ若いが鋭い目をしていた。
その背後に、王国の印がおされた封書が掲げられている。
「アーベルグ伯爵家の失踪令嬢と、王命に背いた元騎士エドガー・ラインハルトを、この地で発見したとの報告を受けた。我々は正式に調査に来た。」
ざわめきが増した。
村人たちが顔を見合わせ、誰もが言葉を失う。
レティシアの呼吸が浅くなる。手を握りしめ、震える唇を噛んだ。
「……そんな、どうしてここまで」
「彼らは、アランの差し金かもしれん。」
マーサが小声で言う。
何もかもが、昨日の平穏を嘲笑うように崩れ去った。
そこへ、黒い外套を纏ったエドガーが現れた。
迷うことなく、兵士たちの前に進み出る。
濡れた髪を払い、冷たい灰色の瞳で彼らを見据えた。
「この村を調べる権限はないはずだ。」
「命令書がある。これを見ろ。」
若い兵士は高々と封書を掲げた。
エドガーは目を細め、静かに答える。
「その命令には王印が押されていない。偽物だ。」
一瞬で、兵士の顔色が変わる。
動揺した者が何か言いかけたが、エドガーが腰の剣に手を添えた瞬間、誰も口を開けなくなった。
「……何を企んでいる。」
「貴様こそ、罪を償うつもりはないのか? 王都はお前を“辺境の裏切り者”として正式に追っている!」
「追うと決めたのは王都の都合だ。俺は今ここで、この村を守っている。」
その言葉には、重く揺るぎない力が宿っていた。
兵士のひとりが剣を半ば抜いた。刃先が春の陽を受けて光る。
「命令に従わぬ者は拘束する。」
「試してみろ。」
その瞬間、緊張の糸が切れた。
一人が突っ込もうとした刹那、エドガーの剣が滑るように抜かれた。
風の音が鳴り、兵士の剣が地面に落ちる。
「次は本気でいく。」
短い警告に、残りの兵士は顔を引きつらせ、じりじりと後退した。
「……この件は報告する。陛下は必ずお前を裁くと仰せだ。」
捨て台詞を残し、兵たちは背を向けて走り去っていった。
村に再び静けさが戻ると、皆の視線がエドガーに集まった。
「おい、あれは本当なのか? お前、王都に追われてるのか?」
「違う!」レティシアが叫んだ。
村人たちが驚いたように彼女を見る。
「彼は私たちを守ってくれた人です! 王都の命令なんて、私にはもう関係ありません!」
声を張り上げたあと、胸の奥が熱くなった。
それは怒りでも悲しみでもなく――誇りに似た感情だった。
エドガーが彼女を見た。その瞳の奥に、何かを押し殺すような光が宿る。
その日の夕方、宿の裏でレティシアは彼を待った。
夕陽が地平線に沈みかけ、木々の影が長く伸びている。
彼は静かに歩いてきた。
「……怖かったか。」
「はい。」
正直に答えた。
「でも、それ以上に怒ってます。あなたを勝手に罪人扱いして、王都の都合で断罪するなんて。」
エドガーは苦く笑う。
「それが“国”ってやつだ。正義はいつも、力を持つほうのものだ。」
「そんなの、間違ってます。」
「俺もそう思って命令を破った。そしてこの焼印をもらった。」
彼は腕の袖を少し上げた。
炎の跡がいまだに肌に残る。
レティシアはその痕に手を伸ばし、そっと触れた。
「私は、その印があなたの誇りを汚しているとは思いません。あなたの優しさの証です。」
「……」
「守るために剣を抜いた人が罰せられるのなら、その国こそ間違っている。」
言葉のすべてが心からのものだった。
エドガーがゆっくり息を吐き、目を閉じる。
「お前は本当に、馬鹿だな。優しすぎる。」
「あなたが言うなら、きっと褒め言葉です。」
彼が苦笑する。
空の色が茜に染まり始めた頃、遠くで鐘の音が響いた。
「村の会合か?」
「いいえ、違います。王都からの馬車がもう一度――!」
駆けてきた少年が声を張り上げた。
二人が顔を上げると、確かに遠くの丘の上で馬車の影が見えた。
旗の色は黒。王室のものではない。
「……嫌な予感がする。」エドガーの表情が変わる。
レティシアも息をのむ。
「辺境領を任された新しい監察官が来る、と噂には聞いていた。だが、まさかこんな早く現れるとはな。」
「監察官?」
「王都の権限を代行できる人間だ。つまり、俺たちのしがらみを嗅ぎ回る存在でもある。」
近づいてくる馬車を見つめながら、レティシアは唇をかんだ。
「その人も、あなたを……?」
「おそらく、調べに来る。」
「だったら、私が話します。あなたのことも、王都でのことも全部。」
「駄目だ。お前が何を言っても、奴らは信じん。」
言いながらも、エドガーの手が無意識にレティシアの腕を掴んでいた。
強くも弱くもない、その力が切実だった。
「俺は、この村も――お前も、守ると決めた。」
「でも、一人で抱え込まないで。」
彼が小さく頷いたところで、馬車が村の入り口に到着した。
扉が開き、黒衣を纏った男が姿を現す。
長い外套の下から覗く金糸の袖口、貴族階級の証だった。
「辺境の仮住人たちに告げる。私は王国監察官、マイラ・エインズワース。王命により、本村における隠匿罪と王命違反の調査を開始する。」
その声は、まるで氷のように冷たかった。
エドガーの顔がわずかに強張る。
レティシアの胸に、再び不安が押し寄せた。
――物語は静かに、嵐の前の静けさを迎えていた。
続く
だがその静けさの裏で、確実に何かが動き始めている。
エドガーの顔には焦りはないが、指先の落ち着かぬ仕草や、遠くを見つめる目の色が、それを物語っていた。
彼は毎日巡回と称して村の外れへ出て行き、帰ってくるのはいつも日が落ちる頃。
レティシアはマーサとともに宿を切り盛りしながら、その背中を見送るしかなかった。
朝の光が差し込む台所で、彼女は皿を磨きながらふと息を吐いた。
「またきっと何か隠してる……」
愚痴にも似たかすかなつぶやきが零れる。
彼が何も言わないのは、きっと自分を巻き込みたくないからだ。
それが分かっても、胸の奥が疼く。
その日の昼過ぎ、村の入り口で騒ぎが起きた。
「王国の使者が来たぞ!」
その声に宿の客たちがざわめく。
レティシアの手から皿が滑り落ち、床で乾いた音を立てた。
胸が締めつけられる。
まさか、また――。
慌てて外に出ると、坂の向こうから馬に乗った三人の兵士が姿を現した。
鎧は新しく、王家の青い紋章が輝いている。
先頭に立つ男は、まだ若いが鋭い目をしていた。
その背後に、王国の印がおされた封書が掲げられている。
「アーベルグ伯爵家の失踪令嬢と、王命に背いた元騎士エドガー・ラインハルトを、この地で発見したとの報告を受けた。我々は正式に調査に来た。」
ざわめきが増した。
村人たちが顔を見合わせ、誰もが言葉を失う。
レティシアの呼吸が浅くなる。手を握りしめ、震える唇を噛んだ。
「……そんな、どうしてここまで」
「彼らは、アランの差し金かもしれん。」
マーサが小声で言う。
何もかもが、昨日の平穏を嘲笑うように崩れ去った。
そこへ、黒い外套を纏ったエドガーが現れた。
迷うことなく、兵士たちの前に進み出る。
濡れた髪を払い、冷たい灰色の瞳で彼らを見据えた。
「この村を調べる権限はないはずだ。」
「命令書がある。これを見ろ。」
若い兵士は高々と封書を掲げた。
エドガーは目を細め、静かに答える。
「その命令には王印が押されていない。偽物だ。」
一瞬で、兵士の顔色が変わる。
動揺した者が何か言いかけたが、エドガーが腰の剣に手を添えた瞬間、誰も口を開けなくなった。
「……何を企んでいる。」
「貴様こそ、罪を償うつもりはないのか? 王都はお前を“辺境の裏切り者”として正式に追っている!」
「追うと決めたのは王都の都合だ。俺は今ここで、この村を守っている。」
その言葉には、重く揺るぎない力が宿っていた。
兵士のひとりが剣を半ば抜いた。刃先が春の陽を受けて光る。
「命令に従わぬ者は拘束する。」
「試してみろ。」
その瞬間、緊張の糸が切れた。
一人が突っ込もうとした刹那、エドガーの剣が滑るように抜かれた。
風の音が鳴り、兵士の剣が地面に落ちる。
「次は本気でいく。」
短い警告に、残りの兵士は顔を引きつらせ、じりじりと後退した。
「……この件は報告する。陛下は必ずお前を裁くと仰せだ。」
捨て台詞を残し、兵たちは背を向けて走り去っていった。
村に再び静けさが戻ると、皆の視線がエドガーに集まった。
「おい、あれは本当なのか? お前、王都に追われてるのか?」
「違う!」レティシアが叫んだ。
村人たちが驚いたように彼女を見る。
「彼は私たちを守ってくれた人です! 王都の命令なんて、私にはもう関係ありません!」
声を張り上げたあと、胸の奥が熱くなった。
それは怒りでも悲しみでもなく――誇りに似た感情だった。
エドガーが彼女を見た。その瞳の奥に、何かを押し殺すような光が宿る。
その日の夕方、宿の裏でレティシアは彼を待った。
夕陽が地平線に沈みかけ、木々の影が長く伸びている。
彼は静かに歩いてきた。
「……怖かったか。」
「はい。」
正直に答えた。
「でも、それ以上に怒ってます。あなたを勝手に罪人扱いして、王都の都合で断罪するなんて。」
エドガーは苦く笑う。
「それが“国”ってやつだ。正義はいつも、力を持つほうのものだ。」
「そんなの、間違ってます。」
「俺もそう思って命令を破った。そしてこの焼印をもらった。」
彼は腕の袖を少し上げた。
炎の跡がいまだに肌に残る。
レティシアはその痕に手を伸ばし、そっと触れた。
「私は、その印があなたの誇りを汚しているとは思いません。あなたの優しさの証です。」
「……」
「守るために剣を抜いた人が罰せられるのなら、その国こそ間違っている。」
言葉のすべてが心からのものだった。
エドガーがゆっくり息を吐き、目を閉じる。
「お前は本当に、馬鹿だな。優しすぎる。」
「あなたが言うなら、きっと褒め言葉です。」
彼が苦笑する。
空の色が茜に染まり始めた頃、遠くで鐘の音が響いた。
「村の会合か?」
「いいえ、違います。王都からの馬車がもう一度――!」
駆けてきた少年が声を張り上げた。
二人が顔を上げると、確かに遠くの丘の上で馬車の影が見えた。
旗の色は黒。王室のものではない。
「……嫌な予感がする。」エドガーの表情が変わる。
レティシアも息をのむ。
「辺境領を任された新しい監察官が来る、と噂には聞いていた。だが、まさかこんな早く現れるとはな。」
「監察官?」
「王都の権限を代行できる人間だ。つまり、俺たちのしがらみを嗅ぎ回る存在でもある。」
近づいてくる馬車を見つめながら、レティシアは唇をかんだ。
「その人も、あなたを……?」
「おそらく、調べに来る。」
「だったら、私が話します。あなたのことも、王都でのことも全部。」
「駄目だ。お前が何を言っても、奴らは信じん。」
言いながらも、エドガーの手が無意識にレティシアの腕を掴んでいた。
強くも弱くもない、その力が切実だった。
「俺は、この村も――お前も、守ると決めた。」
「でも、一人で抱え込まないで。」
彼が小さく頷いたところで、馬車が村の入り口に到着した。
扉が開き、黒衣を纏った男が姿を現す。
長い外套の下から覗く金糸の袖口、貴族階級の証だった。
「辺境の仮住人たちに告げる。私は王国監察官、マイラ・エインズワース。王命により、本村における隠匿罪と王命違反の調査を開始する。」
その声は、まるで氷のように冷たかった。
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――物語は静かに、嵐の前の静けさを迎えていた。
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