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第1話 月影の村にて
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山々に囲まれた小さな村、月影の村は、朝霧の中に沈んでいた。冬の名残を含んだ冷たい風が吹き抜け、家々の屋根に残る霜をさらっていく。村の中央に流れる小川の水面がほんのりと薄青く光り、遠くの森から鳥の声が聞こえた。
リオンはその川沿いの小道を歩いていた。年の頃は十七。栗色の髪が風に揺れ、腰には村の鍛冶屋に打ってもらった古びた剣を帯びている。剣士と呼ぶにはまだ未熟で、村人たちからは「鍛冶屋見習いのあんちゃん」と呼ばれることが多かった。
「リオン、朝からどこ行くの?」
背後から声をかけたのは、幼なじみのミナだった。髪を二つに結び、手には朝摘みのハーブを抱えている。彼女の服にはいつも土の匂いが染みついていたが、不思議とそれが心地よかった。
「村の外の遺跡、少しだけ見てこようと思って」
「また?あそこ、誰も近づかないんだよ。村長さんが言ってたじゃない、危ないって」
「分かってる。でも……夢で、呼ばれた気がしてさ」
ミナは眉をひそめてリオンを見た。「呼ばれたって、誰に?」
リオンは苦笑した。「さあ、分からない。ただ、声がしたんだ。『来い』って」
その言葉にミナはしばらく口を閉ざしたが、やがて小さくため息をついた。「やっぱり止めても無駄なんでしょ?」
「うん。でもすぐ戻るよ」
「じゃあこれ持っていって」ミナはハーブを一束差し出した。「怪我したらこれ使って。消毒になるから」
「ありがとう、ミナ」
リオンは頭をかきながら微笑み、村はずれの道を進んだ。彼の背中に朝日が射し込み、霧を金色に染めていた。
遺跡は森の奥にあった。崩れた石柱、苔に覆われた階段、そして中央には円形の祭壇のようなものがある。誰が建てたのか、村人の誰も知らない。古くから「滅びの王国の跡地」と噂されるその場所は、子供のころから恐れの対象だった。
リオンが一歩足を踏み入れると、森のざわめきが消えた。風も止み、空気だけが重く圧し掛かる。まるで世界が息を潜めているようだった。
「……ここだ」
低い声が、頭の奥で響いた。振り返っても誰もいない。けれど確かに聞こえたのだ。血のように赤い月を見た夜から、ずっとこの声が夢の中で囁いていた。
リオンは祭壇の中央に立ち、剣の柄に手をかけた。何かが近くにいる。そう感じた瞬間、地の底から淡い光が立ちのぼった。円形の床の線がひとつずつ光を帯び、刻まれた古代文字が輝き始める。まばゆい光の渦が天へと伸び、風が渦を巻いた。
「目覚めの時は来たか……」
空気が震えた。光の中から、白い巨大な影が姿を現す。翼を広げ、銀の鱗をきらめかせるそれは、見間違うことなく——竜だった。
リオンは息を呑んだ。竜など、伝説の中の存在だと聞いていた。だが、その目は確かに彼を見ている。蒼い瞳の奥に、何百年もの記憶を宿した光が揺れていた。
「人の子よ、名を名乗れ」
声は頭に直接響く。リオンは震えながら答えた。「……リオン。リオン=カーディスです」
「カーディス……ふむ、そうか。それが今のお前の名か」
「“今の”?」
竜は静かに頭をもたげた。その瞳に映るのは、リオンと、彼の背にきらめく月光の影。
「我は白竜シェリア。かつてこの地を見守りし者。そしてお前こそ、“滅びの王”ルシエルの魂を継ぐ者だ」
リオンの心臓が跳ねた。何を言っているのか理解できない。滅びの王——それは千年前、王国を炎に包んで滅ぼしたと伝えられる禁忌の存在だ。
「待ってくれ、そんな昔の話だろ?俺と関係ない!」
「違う。魂の残響は時を超える。輪は繰り返されるのだ、リオン。お前はまた、選ばれた」
その瞬間、胸の奥に焼けるような痛みが走った。視界が歪み、古の戦場の幻が一瞬、脳裏をよぎった。燃え落ちる城、血に染まる大地、そして剣を振るう自分自身の姿——。
リオンは膝をついた。荒い息を吐きながら顔を上げる。白竜シェリアは沈痛な表情を浮かべたまま、彼を見下ろしていた。
「恐れるな、リオン。お前がかつて犯した過ちは、今、正すことができる」
「俺が……過ちを?」
「王国を滅ぼしたのはお前自身。だが、今のお前がその運命を変えられる。滅びの輪を断ち切る者となれ」
風が再び吹き抜け、森の葉がざわめいた。光が弱まり、遺跡は静寂を取り戻していく。竜の姿も薄れ、やがて消えかけた。
「待って!どうすれば……」
シェリアの声だけが残る。
「旅に出よ、リオン。西の都に“蒼き契約”の記録がある。それを見つけよ。そこに、真実がある——」
光が完全に消えた。
リオンはしばらく地面に膝をついたまま動けなかった。肩で息をし、頭の中で言葉が反響する。滅びの王、ルシエル。魂の継承。蒼き契約。
やがて、遠くで鳥の声が戻ってきた。リオンはゆっくりと顔を上げ、深く息を吸い込む。彼の目には、決意の色が宿っていた。
「……行こう。真実を確かめるんだ」
森の向こうに小さな村の煙が見える。朝の光が眩しく、まるで新しい何かが始まるかのように世界が澄んでいた。
彼の旅は、ここから始まった。
(続く)
リオンはその川沿いの小道を歩いていた。年の頃は十七。栗色の髪が風に揺れ、腰には村の鍛冶屋に打ってもらった古びた剣を帯びている。剣士と呼ぶにはまだ未熟で、村人たちからは「鍛冶屋見習いのあんちゃん」と呼ばれることが多かった。
「リオン、朝からどこ行くの?」
背後から声をかけたのは、幼なじみのミナだった。髪を二つに結び、手には朝摘みのハーブを抱えている。彼女の服にはいつも土の匂いが染みついていたが、不思議とそれが心地よかった。
「村の外の遺跡、少しだけ見てこようと思って」
「また?あそこ、誰も近づかないんだよ。村長さんが言ってたじゃない、危ないって」
「分かってる。でも……夢で、呼ばれた気がしてさ」
ミナは眉をひそめてリオンを見た。「呼ばれたって、誰に?」
リオンは苦笑した。「さあ、分からない。ただ、声がしたんだ。『来い』って」
その言葉にミナはしばらく口を閉ざしたが、やがて小さくため息をついた。「やっぱり止めても無駄なんでしょ?」
「うん。でもすぐ戻るよ」
「じゃあこれ持っていって」ミナはハーブを一束差し出した。「怪我したらこれ使って。消毒になるから」
「ありがとう、ミナ」
リオンは頭をかきながら微笑み、村はずれの道を進んだ。彼の背中に朝日が射し込み、霧を金色に染めていた。
遺跡は森の奥にあった。崩れた石柱、苔に覆われた階段、そして中央には円形の祭壇のようなものがある。誰が建てたのか、村人の誰も知らない。古くから「滅びの王国の跡地」と噂されるその場所は、子供のころから恐れの対象だった。
リオンが一歩足を踏み入れると、森のざわめきが消えた。風も止み、空気だけが重く圧し掛かる。まるで世界が息を潜めているようだった。
「……ここだ」
低い声が、頭の奥で響いた。振り返っても誰もいない。けれど確かに聞こえたのだ。血のように赤い月を見た夜から、ずっとこの声が夢の中で囁いていた。
リオンは祭壇の中央に立ち、剣の柄に手をかけた。何かが近くにいる。そう感じた瞬間、地の底から淡い光が立ちのぼった。円形の床の線がひとつずつ光を帯び、刻まれた古代文字が輝き始める。まばゆい光の渦が天へと伸び、風が渦を巻いた。
「目覚めの時は来たか……」
空気が震えた。光の中から、白い巨大な影が姿を現す。翼を広げ、銀の鱗をきらめかせるそれは、見間違うことなく——竜だった。
リオンは息を呑んだ。竜など、伝説の中の存在だと聞いていた。だが、その目は確かに彼を見ている。蒼い瞳の奥に、何百年もの記憶を宿した光が揺れていた。
「人の子よ、名を名乗れ」
声は頭に直接響く。リオンは震えながら答えた。「……リオン。リオン=カーディスです」
「カーディス……ふむ、そうか。それが今のお前の名か」
「“今の”?」
竜は静かに頭をもたげた。その瞳に映るのは、リオンと、彼の背にきらめく月光の影。
「我は白竜シェリア。かつてこの地を見守りし者。そしてお前こそ、“滅びの王”ルシエルの魂を継ぐ者だ」
リオンの心臓が跳ねた。何を言っているのか理解できない。滅びの王——それは千年前、王国を炎に包んで滅ぼしたと伝えられる禁忌の存在だ。
「待ってくれ、そんな昔の話だろ?俺と関係ない!」
「違う。魂の残響は時を超える。輪は繰り返されるのだ、リオン。お前はまた、選ばれた」
その瞬間、胸の奥に焼けるような痛みが走った。視界が歪み、古の戦場の幻が一瞬、脳裏をよぎった。燃え落ちる城、血に染まる大地、そして剣を振るう自分自身の姿——。
リオンは膝をついた。荒い息を吐きながら顔を上げる。白竜シェリアは沈痛な表情を浮かべたまま、彼を見下ろしていた。
「恐れるな、リオン。お前がかつて犯した過ちは、今、正すことができる」
「俺が……過ちを?」
「王国を滅ぼしたのはお前自身。だが、今のお前がその運命を変えられる。滅びの輪を断ち切る者となれ」
風が再び吹き抜け、森の葉がざわめいた。光が弱まり、遺跡は静寂を取り戻していく。竜の姿も薄れ、やがて消えかけた。
「待って!どうすれば……」
シェリアの声だけが残る。
「旅に出よ、リオン。西の都に“蒼き契約”の記録がある。それを見つけよ。そこに、真実がある——」
光が完全に消えた。
リオンはしばらく地面に膝をついたまま動けなかった。肩で息をし、頭の中で言葉が反響する。滅びの王、ルシエル。魂の継承。蒼き契約。
やがて、遠くで鳥の声が戻ってきた。リオンはゆっくりと顔を上げ、深く息を吸い込む。彼の目には、決意の色が宿っていた。
「……行こう。真実を確かめるんだ」
森の向こうに小さな村の煙が見える。朝の光が眩しく、まるで新しい何かが始まるかのように世界が澄んでいた。
彼の旅は、ここから始まった。
(続く)
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