悪女さま、手筈は整えております

西原昂良

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王子、苦悩する。

第4話ー3

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 ヴェルターがリティアを訪問した翌々週の事だった。

 執務室に入って来た執事がローテーブルやソファを入念に確かめると、侍女に一つ二つ指示を出して共に部屋から出て行った。来客があるということだろう。事前に約束のない、来るか来ないかわからない来客。ということは今日はこの宮廷にリティアの馬車が来ているということか。ヴェルターは侍従の動きで察してしまうのが心中複雑だった。

 ここ最近は来ないのだ。執務室に出入りする士官や侍従から漂う“来たか”“まだか”といった様子見が、遅い時間になるにつれて“来ないのでは”といった憐れみを含んだ気遣いに変わる。これがヴェルターにはいたたまれなかった。

 いや、別に約束をしてわけではないのだから、来なくてもよいではないか。何か用事があって来たのだろうし。そうは思ってもヴェルター自身、窓の外に意識を向けてしまう時間も少なくはなかった。……いや、はっきり言えば多かった。何なら立ち上がり、よせばいいのに窓から庭園を見てしまった。

 ……春に咲く花のような淡い色の髪。
 ヴェルターは自分の婚約者すぐに見つけた。横にいるのは、オリーブ色の髪、はランハートか。リティアにとっても気の置けない友人の一人だ。リティアはランハートに会いに来たのだろうか。いや、そんなはずはない。ランハートは職務中で、と二人が会う理由は偶然であることを想像していると、眩しい黄金の髪、ヴェルターの覗く窓まで賑やかな声が聞こえそうな朗らかな男の姿があった。レオン……。レオンも今は騎士の警備があるのでは。

 ヴェルターは自分が憶測にふけり窓に張り付いていたことに気が付くと、机へと戻った。
「何をしているのだ、俺は」
 気持ちを切り替え、書類へと目を落とした。ドアがノックされるたびにリティアかと期待してしまう。全く、仕事にならないな。ヴェルターは意識が目の前の事に集中できるようにしばらく誰も執務室に入ってこないように命を出した。リティアは今日もここへはこないだろう。それなのに待ってしまう自分が嫌だったからだ。

 随分と時間が過ぎ、僅かな期待も消えた頃。
 入るなと言った執務室に入る者があった。ヴェルターは感情のコントロールに長けてはいたが、苛立ちを繁忙のせいに出来る今は、敢えて相手に伝わるようした。

「今は、一人にしてくれと言わなかったか」
「ご、ごめんなさい。あの、直ぐに出て行くわ」

 本来なら、畏縮した相手に少しばかり満足する苦言だったはずだが、相手が待ちわびたリティアだった場合、反省すべきは相手でではなく自分だと立場が逆転する。

 感情を表に出してもいい事なんてないのだと猛省し、かつリティアの訪問を嬉しく思い、更にリティアのドレスがいつもと違い大人びたものだと気づくと動揺し、すべての感情は丁寧な微笑みで隠した。

 リティアの横を通る時、花のような香りがした。化粧の香りか、それとも髪を上げるのに香油を使ったのだろうか。オーデコロンほどきつくなく、ほのかなもの。だが、男とは違う女性の香りだった。

 まただ、とヴェルターは思った。

 待ちわびていたのに、いざリティアと二人になると何を話していいかわからなくなってしまうのだ。リティアは今の姿からは想像できないくらい明るく活発な子供だった。物おじせず、ヴェルターの腕を引いてあっちこっちへと連れられたものだ。いつしかヴェルターもリティアには遠慮をしなくなって、会う度笑い転げるほど楽しく過ごしていた。結婚というものが漠然としたイメージで、この子と結婚するのだと疑問に思う事も無かった。王族に生まれた瞬間から、結婚に自由などなく、婚姻もまた王家に生まれた責任であるとヴェルターは受け入れていた。不自由だと思ったことは無かった。リティアは楽しい女の子で、好きだったから。

 ところが、状況は変わった。大人になるということはそういう事なのかもしれない。リティアはもう木にも登らなければ、気安くヴェルターに触れたりもしない。ゆくゆくは王妃にと教育された彼女は完璧な淑女になった。

 ある日、ヴェルターは目の前にいる着飾ったリティアがまるで知らない人の様に見えた。ひと月と開けずに会っていたのに。リティアはこんなに小さかっただろうか。かつて同じくらいだったリティアの背丈は自分の肩にも届かない。腕だって、こんな細かったか。剣を持つことで鍛えられたヴェルターの腕とは一回り以上違うのではないか。この細腕ではティーカップすら重く感じるではないか。庭を駆け回ることがなくなり、日に焼けなくなったリティアの肌は抜けるように白かった。

 ヴェルターは幼少期から教わっている剣術のせいで何度もマメが出来て固くなった自分の手のひらとまだ赤ん坊のように柔らかそうなリティアの手のひらに、自分とリティアは違うのだと認識した。

 リティアは女性なのだ。そして、自分の妻になるのだと。このころには結婚というものがどういうものかも理解していた。そう思うとリティアのことを不躾に見てはいけない気がして、ヴェルターはリティアとの時間をどう過ごしていいかわからなくなったのだ。
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