95 / 121
94. 変わる心
しおりを挟む
窓から望む風景はすっかり夕闇に沈んでしまい、規則的に並ぶ街灯が蒼白い光を灯しています。
「あの光も、魔法なんですって」
幾分冷えた空気が部屋を巡って、夕食の準備をしていたマリに言葉を伝えたようです。
「ハイ? お嬢様? 何かおっしゃいましたか?」
手を止めて近寄って来たマリが、私の視線の先を追って外を眺めました。
「あのね、あの街灯の光も魔法なんですって。何でも火と錬金の二種類の魔法術を使っているのですってよ。マリは知っていた?」
エーリック殿下から、この医術院の移動魔法を使う時、少しだけこの施設の周りのことを教えて貰いました。魔法術は、至る所に使われていましたが、上手く技術と組み合わされているので一見では判りにくいものでした。
「そうだったのですか? 知りませんでした。じゃあ、消える事が無さそうですね。便利な物ですね~」
感心した様にそう言うと再びテーブルに戻って行きました。
何者にもならなくても良くなった。でもなりたい者が見つかった。得たい力も、使いたい理由も凄く個人的かもしれないけど……
知らなかった事が沢山あった。もっと知らなければならない事が沢山ありました。
お父様は、私が相談したいと言った事に、何度も頷いて私を抱き締めてくれました。そして、私の意志に任せて下さるとも言ってくれました。
その結果、例えグリーンフィールド公爵家から離れる事になっても、もしかしたらお会いできる機会も無くなってしまっても。万が一、忘れてしまう事になっても……
風が冷たく感じられて、ぶるりと身体が震えました。
「さあ、お嬢様。お夕食の準備が整いましたのでお席にお付き下さいませ」
マリの柔らかな声に、明るい部屋の方に振り向きました。
夕食を摂った私は、セドリック様の病室に足を運びます。
マラカイト公爵様達がいらした後、お母様のマラカイト公爵夫人も駆け付けてお見舞いされていました。意識が戻った事を聞いて、泣き出してしまったのは言うまでもありません。そのお気持ちは、私にも良く判りますもの。ただ、安静なのは変わらず、付き添いも医師と看護師で付きっ切りに行うという事なので、夕食前にはお帰りになりました。ホッとしたような公爵夫妻の顔が忘れられません。
静かにノックをして、お部屋に入ります。
テーブルで書き物をしていた看護師に軽く挨拶をして、寝台の左側に座りました。
「セドリック様……」
シーツの上に置かれている左手をそっと握り締めます。少し熱があるようで、私の指先より熱く感じられました。
「セドリック様。私、ちゃんとお話ししなければならない事があります」
それは、セドリック様が目覚める寸前に話をしていた事です。
「セドリック様は、ならなくても良いと言って下さいました。光の識別者になっては駄目だと……私のなりたくないという気持ちを汲んで下さったのですね? いつもいつも、私の気持ちを一番に考えて下さいますもの」
空気を読まない様で、そのくせ気持ちの揺らぎや言葉の裏まで敏感に感じ取ってくれる優しいセドリック様。ダリナスのテレジア学院にいる時も、コレールに帰って来てからも、それは全く変わりませんでした。
「ふふ。コレールに帰って来た事をお知らせしたら、翌日に会いに来て下さいましたね? 人気のキャンディー持って。
とても可愛らしいお店で、男性が入るには勇気がいるって聞きましたわ。でも、嬉しかったですわよ? あの日、セドリック様が私の為に涙を零して下さいましたね」
まだほんの少し前の事なのに、随分昔の事の様に思い出します。
「それから、ロイ様とお話しした時も。バザーのお手伝いをするっていたら、自分も手伝うって。私が忙しくなるから、一緒に手伝ってくれるって言って下さいました。ご自分だってお忙しいのに。
もう……その後、馬車まで帰る時だって手を繋いだりして。凄くびっくりしたのですよ? それから、刺繍も始めています。月の模様のハンカチーフですわよ。セドリック様の月です」
あの時の事を思い出して、私の頬は一気に熱が廻りました。多分、真っ赤になっていると思います。
「……それは……う、れ、しいな……」
小さな声が聞こえました。
「えっ!? セ、セドリック様? 気が付かれましたの?」
私が身を乗り出すようにセドリック様の顔を覗き込むと、ゆっくりと瞼を開きました。少し焦点の合わないアイスブルーの瞳が、何度か瞬きを繰り返して私の視線と交じり合いました。
「セドリック様。私が判りますか?」
「シュゼット……」
確かに私の事が判るようです。看護師が様子に気付いて寝台の近くに寄ってきました。
「い、ま、何時……?」
時間の感覚が無くなっているのでしょう。昼に目覚めてから随分時間が経っていますから。
「夜の9時になります。お昼に気が付かれて、その後ずっと眠っていらっしゃいました。何かお辛いところはありますか?」
「……の、ど乾いた」
ああ! お水ですね! 看護師が吸いのみを渡してくれました。これで、上手に飲ませられるのかしら。私はそっと口の部分をセドリック様に含ませて、ゆっくりと角度を変えて飲ませましたが……
「ごほっ!!」
ああ!! 大変‼
「へ、た、く、そ」
慌ててタオルで押えて、口元を拭こうとしたのに。セドリック様が横目で私を見ながらそう言ったのです!!
「ご、ごめんなさい!! 苦しくないですか!? 大丈夫ですか!?」
「う、そ」
はいっ!? 何ですと!? うそ? 嘘とは?
動きを止めた私は、左目しか見えないセドリック様の瞳を見返しました。アイスブルーの瞳が、優しく微笑んでいる様に見えました。僅かに口元も上がっていますか?
「セドリック様……もう、私、苦しませてしまったと、お、思って…‥!」
セドリック様のこんな状況でのイタズラに、涙が滲んできました。
嬉しいような。ホッとしたような。熱い涙が込み上げて、セドリック様の腕にポロリと落ちました。
「ご、め、ん」
そう言って、目を細めたセドリック様。そして、
「君が、決めた、ことに、は、んたいは、し、ない。君が、望む、なら……」
そう言いました。ちゃんと聞こえていたのですね? そう聞くと、セドリック様は瞼を伏せて頷きました。聞こえていたのです。私の呟きが。決心が。
「で、も、もしも、私の為と、いうのなら……」
再び瞼を開けたセドリック様は、険しい目線を向けて私の目を見詰めました。そこまでご心配して下さるのですね。
「セドリック様。私は決心するための理由と、きっかけが欲しいのです。大切な方が大変な目に遭ってしまったら、お助けしたいと思います。それが出来なくて、どうして癒しの気持ちなどになれるのでしょう。だから、セドリック様、貴方がきっかけになって欲しいのです」
「い、い、の?」
その瞳は、いつも私を見詰める優しい色に見えます。
「はい。決めたのです。だから、セドリック様は今の、こうして話をしている私を、お忘れにならないで下さいね」
「……判った……」
小さく答えたセドリック様は、そのまま瞼を閉じると眠ってしまわれました。お疲れになったのでしょう。だってこんなにちゃんと、お話して下さいましたもの。
「おやすみなさい……」
もう一度、手を握ると、ほんの少しだけ握り返す力があった様に感じました。その力に、再びうるっと涙が滲んできました。
「おやすみなさい。セドリック様……」
握っていた左手を布団中にしまうと、私は来た時と同じように静かに部屋を出ました。
翌日。
5年振りになる王宮は、かつての記憶よりも大きく感じられます。あのお茶会以降今まで、足を踏み入れる事がありませんでした。
「グリーンフィールド公爵様と、シュゼット嬢ですね。こちらにどうぞ」
静かな廊下に、私達の足音が響きます。お父様にエスコートされて、長い廊下を歩いて行きます。前回来た時は、珍しい王宮に好奇心一杯で落ち着きなくキョロキョロしていたと思います。
まあ、帰りはそんな事を考える余裕も無く、逃げる様に帰ってしまったのだけど。
「このお部屋に、お嬢様だけお入りください」
案内をしてくれていた侍従が、大きな両開きのマホガニーの扉の前で止まりました。
「私だけですか?」
少し怪訝そうにそう尋ねると、侍従は深く頷いて扉に手を掛けました。お父様も頷いています。ああ、ご存じだったのですね? お父様は待っているからと、廊下にあるソファを指差しました。
「判りました。それではお父様、行って来ますわ」
両開きの扉がゆっくりと開きます。
広いホールがそこにあります。どうぞと促されて一歩足を踏み入れました。
「あら……ここは……」
デジャヴです。見覚えのあるこのホール。あの時の、あのお茶会の時のホールです。
茫然と視線の先にある、一段高くなった王族の席を見ていました。重厚な王座の両隣に王妃様と王太子様の座る席があります。ああ。やっぱり、あの時のホールです。
「シュゼット、よく来てくれたね」
後ろから聞き覚えのある声がします。思わず振り返ると、銀髪を靡かせて涼やかな表情の……
「フェリックス殿下?」
静かに微笑まれると、彼は私の隣に並びました。
「君を怒らせて、傷付けたあの時と同じ場所だ。一度やってしまったことは戻せないけど、もう一度ここから誤解を解きたかった。謝りたかったんだ」
そう言って、私の手を取りました。まるでエスコートするように王座の前まで進みます。
「シュゼット。5年前に私が言いたかった事を聞いて欲しいんだ。
あの時、私は君を見つけてホッとしたんだ。だから、こう言いたかったんだ。
『君は、僕の大好きなパンダみたいだ。でも、白くてフワフワした君だから、白パンダだね』って」
少し照れたように頬を赤く染めたフェリックス様が、私の目の前に立ってそう言いました。
「当時の私は、パンダの縫ぐるみが大好きだったんだ。ごめん。君には失礼な言葉に聞こえただろうけど……本当に反省している」
悪気は無かったのは聞いています。この前にお話した時も、そうおっしゃっていましたもの。
「……カード……この前頂いたカードに、もう一言書いてありました」
そうです。この前頂いた二枚目のカード。あのカードにも本心が書いてあるのですよね?だったら……
「ああ、えっと、その……と、友達になって欲しい。かな?」
ええ。そう書いてありました。確かにそう書いてありました。
「無理ですわ!!」
私は思いっきり声を張りました。そして、真ん丸に目を見開いているフェリックス殿下に、
「だって、もうお友達ですもの!!」
大きな声で答えて、満面の笑顔を向けました。
何だか可笑しくなってきました。あんなに悩んでいたのに。あんなに深刻に考えていたのに。
顔を見合わせた私達は、声を上げて笑い出しました。
フェリックス殿下の笑う顔など、初めて見ましたわ。
5年前から、もう一度やり直し。
5年前の悲しい気持ちは上書きされて、少しずつ薄れていくでしょう。
5年分の気持ちはゆっくりと思い出になるのです。
でもね、フェリックス殿下?
女の子にお友達になって。は、誤解されますわよ?
お気を付けて下さいませね?
「あの光も、魔法なんですって」
幾分冷えた空気が部屋を巡って、夕食の準備をしていたマリに言葉を伝えたようです。
「ハイ? お嬢様? 何かおっしゃいましたか?」
手を止めて近寄って来たマリが、私の視線の先を追って外を眺めました。
「あのね、あの街灯の光も魔法なんですって。何でも火と錬金の二種類の魔法術を使っているのですってよ。マリは知っていた?」
エーリック殿下から、この医術院の移動魔法を使う時、少しだけこの施設の周りのことを教えて貰いました。魔法術は、至る所に使われていましたが、上手く技術と組み合わされているので一見では判りにくいものでした。
「そうだったのですか? 知りませんでした。じゃあ、消える事が無さそうですね。便利な物ですね~」
感心した様にそう言うと再びテーブルに戻って行きました。
何者にもならなくても良くなった。でもなりたい者が見つかった。得たい力も、使いたい理由も凄く個人的かもしれないけど……
知らなかった事が沢山あった。もっと知らなければならない事が沢山ありました。
お父様は、私が相談したいと言った事に、何度も頷いて私を抱き締めてくれました。そして、私の意志に任せて下さるとも言ってくれました。
その結果、例えグリーンフィールド公爵家から離れる事になっても、もしかしたらお会いできる機会も無くなってしまっても。万が一、忘れてしまう事になっても……
風が冷たく感じられて、ぶるりと身体が震えました。
「さあ、お嬢様。お夕食の準備が整いましたのでお席にお付き下さいませ」
マリの柔らかな声に、明るい部屋の方に振り向きました。
夕食を摂った私は、セドリック様の病室に足を運びます。
マラカイト公爵様達がいらした後、お母様のマラカイト公爵夫人も駆け付けてお見舞いされていました。意識が戻った事を聞いて、泣き出してしまったのは言うまでもありません。そのお気持ちは、私にも良く判りますもの。ただ、安静なのは変わらず、付き添いも医師と看護師で付きっ切りに行うという事なので、夕食前にはお帰りになりました。ホッとしたような公爵夫妻の顔が忘れられません。
静かにノックをして、お部屋に入ります。
テーブルで書き物をしていた看護師に軽く挨拶をして、寝台の左側に座りました。
「セドリック様……」
シーツの上に置かれている左手をそっと握り締めます。少し熱があるようで、私の指先より熱く感じられました。
「セドリック様。私、ちゃんとお話ししなければならない事があります」
それは、セドリック様が目覚める寸前に話をしていた事です。
「セドリック様は、ならなくても良いと言って下さいました。光の識別者になっては駄目だと……私のなりたくないという気持ちを汲んで下さったのですね? いつもいつも、私の気持ちを一番に考えて下さいますもの」
空気を読まない様で、そのくせ気持ちの揺らぎや言葉の裏まで敏感に感じ取ってくれる優しいセドリック様。ダリナスのテレジア学院にいる時も、コレールに帰って来てからも、それは全く変わりませんでした。
「ふふ。コレールに帰って来た事をお知らせしたら、翌日に会いに来て下さいましたね? 人気のキャンディー持って。
とても可愛らしいお店で、男性が入るには勇気がいるって聞きましたわ。でも、嬉しかったですわよ? あの日、セドリック様が私の為に涙を零して下さいましたね」
まだほんの少し前の事なのに、随分昔の事の様に思い出します。
「それから、ロイ様とお話しした時も。バザーのお手伝いをするっていたら、自分も手伝うって。私が忙しくなるから、一緒に手伝ってくれるって言って下さいました。ご自分だってお忙しいのに。
もう……その後、馬車まで帰る時だって手を繋いだりして。凄くびっくりしたのですよ? それから、刺繍も始めています。月の模様のハンカチーフですわよ。セドリック様の月です」
あの時の事を思い出して、私の頬は一気に熱が廻りました。多分、真っ赤になっていると思います。
「……それは……う、れ、しいな……」
小さな声が聞こえました。
「えっ!? セ、セドリック様? 気が付かれましたの?」
私が身を乗り出すようにセドリック様の顔を覗き込むと、ゆっくりと瞼を開きました。少し焦点の合わないアイスブルーの瞳が、何度か瞬きを繰り返して私の視線と交じり合いました。
「セドリック様。私が判りますか?」
「シュゼット……」
確かに私の事が判るようです。看護師が様子に気付いて寝台の近くに寄ってきました。
「い、ま、何時……?」
時間の感覚が無くなっているのでしょう。昼に目覚めてから随分時間が経っていますから。
「夜の9時になります。お昼に気が付かれて、その後ずっと眠っていらっしゃいました。何かお辛いところはありますか?」
「……の、ど乾いた」
ああ! お水ですね! 看護師が吸いのみを渡してくれました。これで、上手に飲ませられるのかしら。私はそっと口の部分をセドリック様に含ませて、ゆっくりと角度を変えて飲ませましたが……
「ごほっ!!」
ああ!! 大変‼
「へ、た、く、そ」
慌ててタオルで押えて、口元を拭こうとしたのに。セドリック様が横目で私を見ながらそう言ったのです!!
「ご、ごめんなさい!! 苦しくないですか!? 大丈夫ですか!?」
「う、そ」
はいっ!? 何ですと!? うそ? 嘘とは?
動きを止めた私は、左目しか見えないセドリック様の瞳を見返しました。アイスブルーの瞳が、優しく微笑んでいる様に見えました。僅かに口元も上がっていますか?
「セドリック様……もう、私、苦しませてしまったと、お、思って…‥!」
セドリック様のこんな状況でのイタズラに、涙が滲んできました。
嬉しいような。ホッとしたような。熱い涙が込み上げて、セドリック様の腕にポロリと落ちました。
「ご、め、ん」
そう言って、目を細めたセドリック様。そして、
「君が、決めた、ことに、は、んたいは、し、ない。君が、望む、なら……」
そう言いました。ちゃんと聞こえていたのですね? そう聞くと、セドリック様は瞼を伏せて頷きました。聞こえていたのです。私の呟きが。決心が。
「で、も、もしも、私の為と、いうのなら……」
再び瞼を開けたセドリック様は、険しい目線を向けて私の目を見詰めました。そこまでご心配して下さるのですね。
「セドリック様。私は決心するための理由と、きっかけが欲しいのです。大切な方が大変な目に遭ってしまったら、お助けしたいと思います。それが出来なくて、どうして癒しの気持ちなどになれるのでしょう。だから、セドリック様、貴方がきっかけになって欲しいのです」
「い、い、の?」
その瞳は、いつも私を見詰める優しい色に見えます。
「はい。決めたのです。だから、セドリック様は今の、こうして話をしている私を、お忘れにならないで下さいね」
「……判った……」
小さく答えたセドリック様は、そのまま瞼を閉じると眠ってしまわれました。お疲れになったのでしょう。だってこんなにちゃんと、お話して下さいましたもの。
「おやすみなさい……」
もう一度、手を握ると、ほんの少しだけ握り返す力があった様に感じました。その力に、再びうるっと涙が滲んできました。
「おやすみなさい。セドリック様……」
握っていた左手を布団中にしまうと、私は来た時と同じように静かに部屋を出ました。
翌日。
5年振りになる王宮は、かつての記憶よりも大きく感じられます。あのお茶会以降今まで、足を踏み入れる事がありませんでした。
「グリーンフィールド公爵様と、シュゼット嬢ですね。こちらにどうぞ」
静かな廊下に、私達の足音が響きます。お父様にエスコートされて、長い廊下を歩いて行きます。前回来た時は、珍しい王宮に好奇心一杯で落ち着きなくキョロキョロしていたと思います。
まあ、帰りはそんな事を考える余裕も無く、逃げる様に帰ってしまったのだけど。
「このお部屋に、お嬢様だけお入りください」
案内をしてくれていた侍従が、大きな両開きのマホガニーの扉の前で止まりました。
「私だけですか?」
少し怪訝そうにそう尋ねると、侍従は深く頷いて扉に手を掛けました。お父様も頷いています。ああ、ご存じだったのですね? お父様は待っているからと、廊下にあるソファを指差しました。
「判りました。それではお父様、行って来ますわ」
両開きの扉がゆっくりと開きます。
広いホールがそこにあります。どうぞと促されて一歩足を踏み入れました。
「あら……ここは……」
デジャヴです。見覚えのあるこのホール。あの時の、あのお茶会の時のホールです。
茫然と視線の先にある、一段高くなった王族の席を見ていました。重厚な王座の両隣に王妃様と王太子様の座る席があります。ああ。やっぱり、あの時のホールです。
「シュゼット、よく来てくれたね」
後ろから聞き覚えのある声がします。思わず振り返ると、銀髪を靡かせて涼やかな表情の……
「フェリックス殿下?」
静かに微笑まれると、彼は私の隣に並びました。
「君を怒らせて、傷付けたあの時と同じ場所だ。一度やってしまったことは戻せないけど、もう一度ここから誤解を解きたかった。謝りたかったんだ」
そう言って、私の手を取りました。まるでエスコートするように王座の前まで進みます。
「シュゼット。5年前に私が言いたかった事を聞いて欲しいんだ。
あの時、私は君を見つけてホッとしたんだ。だから、こう言いたかったんだ。
『君は、僕の大好きなパンダみたいだ。でも、白くてフワフワした君だから、白パンダだね』って」
少し照れたように頬を赤く染めたフェリックス様が、私の目の前に立ってそう言いました。
「当時の私は、パンダの縫ぐるみが大好きだったんだ。ごめん。君には失礼な言葉に聞こえただろうけど……本当に反省している」
悪気は無かったのは聞いています。この前にお話した時も、そうおっしゃっていましたもの。
「……カード……この前頂いたカードに、もう一言書いてありました」
そうです。この前頂いた二枚目のカード。あのカードにも本心が書いてあるのですよね?だったら……
「ああ、えっと、その……と、友達になって欲しい。かな?」
ええ。そう書いてありました。確かにそう書いてありました。
「無理ですわ!!」
私は思いっきり声を張りました。そして、真ん丸に目を見開いているフェリックス殿下に、
「だって、もうお友達ですもの!!」
大きな声で答えて、満面の笑顔を向けました。
何だか可笑しくなってきました。あんなに悩んでいたのに。あんなに深刻に考えていたのに。
顔を見合わせた私達は、声を上げて笑い出しました。
フェリックス殿下の笑う顔など、初めて見ましたわ。
5年前から、もう一度やり直し。
5年前の悲しい気持ちは上書きされて、少しずつ薄れていくでしょう。
5年分の気持ちはゆっくりと思い出になるのです。
でもね、フェリックス殿下?
女の子にお友達になって。は、誤解されますわよ?
お気を付けて下さいませね?
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。
琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。
ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!!
スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。
ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!?
氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。
このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~
夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」
弟のその言葉は、晴天の霹靂。
アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。
しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。
醤油が欲しい、うにが食べたい。
レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。
既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・?
小説家になろうにも掲載しています。
【完結】転生したら悪役継母でした
入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。
その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。
しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。
絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。
記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。
夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。
◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆
*旧題:転生したら悪妻でした
悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない
陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」
デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。
そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。
いつの間にかパトロンが大量発生していた。
ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?
完璧(変態)王子は悪役(天然)令嬢を今日も愛でたい
咲桜りおな
恋愛
オルプルート王国第一王子アルスト殿下の婚約者である公爵令嬢のティアナ・ローゼンは、自分の事を何故か初対面から溺愛してくる殿下が苦手。
見た目は完璧な美少年王子様なのに匂いをクンカクンカ嗅がれたり、ティアナの使用済み食器を欲しがったりと何だか変態ちっく!
殿下を好きだというピンク髪の男爵令嬢から恋のキューピッド役を頼まれてしまい、自分も殿下をお慕いしていたと気付くが時既に遅し。不本意ながらも婚約破棄を目指す事となってしまう。
※糖度甘め。イチャコラしております。
第一章は完結しております。只今第二章を更新中。
本作のスピンオフ作品「モブ令嬢はシスコン騎士様にロックオンされたようです~妹が悪役令嬢なんて困ります~」も公開しています。宜しければご一緒にどうぞ。
本作とスピンオフ作品の番外編集も別にUPしてます。
「小説家になろう」でも公開しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる